第十一話 鬼さんとあの世と姿隠しのペンダント
店内を窺う若い男性と、どう見ても五十代の綱木を見比べ、鈴音は怪訝な顔をする。
「お兄さん……?」
「ちゃうちゃうちゃう、鬼さん、鬼。泣いた赤鬼、とかの鬼」
鈴音の勘違いを、両の人差し指を立てて頭に持って行く等の、身振り手振りを交えた綱木が訂正した。
当然、鈴音の目は点になる。
「鬼……も、居るんですね……。そら神様が居るんやから当たり前か……。でも、人と変わらん見た目ですね?」
「この世で浮かんように、人に化けとるからね。ホンマは筋骨隆々で角もあるよ」
説明しながら、綱木は外の鬼へと会釈した。すると、鬼も会釈を返し店内へ入って来る。
「こんにちはー。いやー、随分珍しい人……?と猫……?がいるから、ビックリしましたよー」
モヤシのような見た目通りの細い声で笑い、鈴音と虎吉の三歩程手前で立ち止まった。
そのまま、まじまじと鈴音を見る。
「うーん、ホントに人……?なんらかの神性を感じるんですけど……」
首を捻る鬼の疑問に答えようと、虎吉を抱いて鈴音は立ち上がった。
「猫神様の神使の、夏梅鈴音と申します。この猫も神使で私の先輩、虎吉です。今回ご縁があって、こちらで仮採用して頂きました」
「ああ、猫神様!……が、人を神使に?へぇー。あ、僕は鬼です。あの世から来ましたー」
これはこれは、と互いにお辞儀をし合っていると、渋い表情をした綱木が鬼へ声を掛ける。
「鬼さんがここへ来たいう事は、また悪霊化した魂が出たんですか」
虎吉にもお辞儀し『おう、宜しく』等と返され嬉しそうに笑っていた鬼は、用件を思い出したらしく顔を上げた。
「あ、そうなんですよー。明け方に肉体から抜けた筈なのに、中々来ないから、おかしいなぁと思って呼びに来てみたら。もう既に澱を取り込んでいて、どこかへ向かってフラフラと歩いていましたねー」
やれやれ、と首を振る鬼に綱木は眉間の皺を深くする。
「多ないですか最近。今まで徘徊はともかく、悪霊化はこんな頻繁にはあらへんかったのに」
「ですよねぇー。閻魔庁でも調査はしてるみたいですけど、特定には至っていないようです」
閻魔、の単語に鈴音は『閻魔様!超有名人!あ、人ちゃうわ』と心の中で大騒ぎだ。
そんな中、綱木のスマートフォンが短く鳴る。
「ああ、こっちにも連絡が入りました。原状回復の指示が出ましたね」
画面へ指を走らせる綱木の声に、鈴音は首を傾げる。
「原状回復って、賃貸物件の契約で出て来るあれですよね?」
「あー、うん、隠語やねん。ほら、お役所やから堂々と悪霊退治とか言うとちょっとね?俺らの所属先の生活健全局がそういう所やて知ってる人、省内にもあんま居らんのよ」
「え、そうなんですか」
「うん。表向きは、厚労省は勿論ほかの省庁が調べても、今ひとつハッキリせぇへん現象なんかを更に深く調べる、いうのが俺らの仕事やから。原状回復指示は、知らん人が見たら『調査した後をキッチリ元に戻しとけって事か』と思うてくれるやろ?ホンマは、悪霊から澱を取り除いて元の魂の状態に戻せ、やねんけどね」
「へえぇー、スパイ映画みたいや……」
感心している鈴音に微笑み、サクサクと画面操作を終えた綱木は鬼に向き直る。
「ほな行きましょか。今回はこの鈴音さんに実際の現場を見せたいから、同行して貰います」
「はい、わかりました。なんなら初陣を飾って貰っても構いませんよー?失敗しても、僕が助けられますし」
鬼の言葉に鈴音は目を輝かせ、虎吉はつまらなそうに大あくびをした。
その様子を見て、綱木はフム、と考える。
「そうですね、これだけ強い輝光魂で、オマケに戦闘訓練も積んだそうやから……試してみましょか。確かに鬼さんが居る今がチャンスや」
「やった!頑張ります!ご指導お願いします!」
新人の初々しさに笑みを浮かべる鬼と綱木とは対照的に、虎吉は鈴音に抱えられたまま不機嫌そうに尻尾を振っている。
「あれ?虎ちゃんどないしたん?」
「なんでもないで、大丈夫や」
いや、ちっとも大丈夫ではない。彼は怒っているのだ。
『光る魂で猫神さんの力を持っとって、俺が鍛えて。ど、こ、を!どない間違うたら!鈴音が悪霊退治如きをしくじんねん腹立つわー!!本人も解ってへんのがまたムカつくけど、鈴音は悪霊見た事ないもんなぁ……しゃーないかぁ』
結局、虎吉もまた、白猫と同じく鈴音には甘い。
そんな虎吉の心の声までは読み取れず、何か気に障る事があっただろうか、と鈴音は必死に考えている。
「ホンマ大丈夫やから。ほれ、車で行くみたいやで、早よ」
「うん、なんか嫌な事あったら言うてな?」
「はいはい。大丈夫やー言うてんのに心配性やな」
小さく笑った虎吉にホッとして、店のシャッターを下ろした綱木の後へ鬼と共に続き、駐車場へ向かった。
現場へ向かう車内で、鈴音は気になっていた事を綱木に尋ねる。
「悪霊が居るいう事はいわゆる、悪いワケちゃうけど心霊現象起こす幽霊、みたいなんも居るいう事ですか?」
「いや、そういうのは聞かへんね。悪霊にでもならん限り、魂には何も出来へんし。そもそも、皆それぞれ信仰しとった神仏が用意した道を通って、さっさとあの世へ行きよるから。この世でうろちょろしとっても、直ぐにこうやって鬼さんみたいなお迎えが来るし」
「じゃあ、殺された人が犯人を教える、とかも……」
「うん、無いね。その辺は鬼さんの方が詳しい」
綱木にチラリと横目で見られた鬼は、助手席で体を捻って、後部座席の鈴音と、その膝上に座っている虎吉へ微笑み掛ける。
「死ぬ時って大体、痛い!苦しい!という怖い思いをするんですねー。殺されるとか、その最たるもので……。何かに襲われている最中、痛み苦しみ恐怖で大混乱してる時に、フッとそれが消えて、楽になって、身体が好きなように動くようになって、その視線の先に明るい光が見えたらー、鈴音さんならどうします?」
悪戯っ子のような顔で問い掛けられ、恐らく彼が望む答え、しかしそれ以外思い付かない答えを口にする。
「全力で逃げます。明るい方へ、助け求めて」
満足そうに頷いた鬼は続ける。
「ですよねー。つまり、酷い死に方をした人ほど、大急ぎであの世へ行きます。相手が追っかけて来たら怖いですもんね。事故や病気でも、似たようなものです。辛さから解放されて、真っ暗闇に光が見えたら、そちらへ向かうのが人ってものなんですよー。まあ、光の正体があの世の入口だとは、気付いていない人が多いみたいですけどね。何せ死にたてホヤホヤは大体混乱してますからねー」
そこまで聞くと、何故こちら側に留まる魂が居るのか、理由が気になる。
「ほな、悪霊化する魂はよっぽど意志が強いんですか?光が見えても、絶ッッ対行かん!!みたいな」
「意志というよりー……苦しい死に方をしなかった場合『あ!これ、あっち行ったら駄目なやつだ!』なんて、生前聞いた臨死体験話とやらを思い出す事があるようで。すると、本人はその考えが正しいと思って戻る、運悪く澱と接触、流れ込む強烈な負の感情を自分の感情だと思い込む、結果大暴れ、という残念な流れに。まあこれは例のひとつに過ぎませんが」
お気の毒様、と手を合わせる鬼。こんな反応をされると、鈴音に想像出来る結果はひとつだ。
「地獄行きなんですか、澱と接触した魂」
「勿論。傍から見れば、死んでいるのにまだ生きたいなんて無茶な欲を出して、負の感情を爆発させて大暴れした奴、ですからねー。勘違いしたんです悪気は無かったんです負の感情も自分のものでは無いんです反省してます、で許されるほど甘くは無いです。いやまあ、僕が裁くわけではないですけれど」
舌でも出しそうな顔をする鬼に礼を告げ、頭の中で情報の整理と更新を行う。
「うーん、今日だけで色々教えて貰たなぁ。あ、そういえば、鬼さんはいわゆる仏教に関係してはるんですよね?つまり、今から会う魂も仏教系。で、そちらの地獄に行くと。ほな、無神論者の人はどうなるんですか?行くとこ無くて彷徨うんですか?」
体を戻しかけていた鬼は再度振り向き、ゆるゆると首を振る。
「そういう人は、その国というか地域の神様が担当なさいます。日本なら、多くは大国主大神様が。よその国なら、また別の神様が」
「はぁー、信じようが信じまいが、結局どっかには行くんですね」
「ええ。因みに担当なさるのは、“その人が死んだ場所”の神様ですからね。日本人の無神論者がアメリカで死んだら、アメリカの神様が担当なさいますよー」
成る程と頷いた鈴音は『アメリカ広いし先住民族の神様大勢おりそう……バチカンやったら1択やなぁ』と笑い、己はどうなるのだろう、と考えた。
鈴音は多くの日本人同様、信心深くない仏教徒だ。現在は白猫の眷属で神使となり、こちらは熱狂的に信じている。
もしも死後に白猫の元へ行けるのなら、是非とも行きたい。というより絶対に行く。それ以外の選択肢なぞ要らん。そう強く思う程に。
つまり考えるまでもなく、結論は出ていた。
自分は白猫の元へ行く。
行けるかどうかはともかく、それを願う事に問題はあるまい。そう何度か頷いて、無意識に虎吉を撫でながら『仏様、今までありがとうございました。親切な鬼さんごめんなさい』と心の中で手を合わせた。
己の話で鈴音の決意がそんな事になっているとは露知らず、鬼は視線を外へ向ける。見えるのは車も人も多い、この都市の中心街だ。
「んー、近付きましたねー」
「ええ、居ますね。車をどこかへ入れましょう」
頷いた綱木は手近な駐車場を探し、そちらへ車を走らせた。
「鈴音さん、これ着けといて」
駐車場に車を停めると、綱木は小さな巾着袋から出したペンダントを鈴音に渡す。
黒い革紐の先に、小ぶりな石が括ってあるシンプルな物だ。
「これを身に着けとると、周囲から認識されんようになるから」
「……はい?」
素直に頭から被って首に掛けつつ、鈴音は理解に苦しむ内容を聞き直した。
「大昔に神様から頂いた、ありがたい神器らしいんよ、この石が。俺も詳しい謂れは知らんねん。ただ、これ着けとると、人がようけ居る場所で悪霊相手に大立ち回りやらかしても、誰も気付きよらへんから実際」
説明しながら鬼にも同じ物を渡し、綱木本人も身に着けている。
鈴音はその様子を眺めながら『鬼さん他の神様の神器使てもええんや。神様仏様のコラボやん』と少し感動した。
「これ着けとけば、こんな街中でいきなり大声出したりしても、なんやアイツ怖ッとかならへん、いう事ですか?」
「そう。そういう事。ほな、用意はええかな?行くよ?」
「……はい!」
車から降り、虎吉を抱えた鈴音は、緊張しながら綱木達の後に続いた。
中心街の歩道は多くの人々が往来しているが、見事に誰とも視線が合わない。
「へー、抱っこしとる虎ちゃんの事も認識されへんねんな。『あ、猫ちゃんやー』言われへんとか有り得んもんね」
「おう、神力は俺にも回って来とるで。これ多分、かなり偉い神さんのんやぞ」
背の高い市役所を視界に入れて歩きながら、一応コソコソと会話する。
「そうなんや。澱を掃除する為に、偉い神様が昔のこういう仕事の人に授けてくれはったんかなぁ……って、危なッ」
認識されないという事は、向こうから来る人がこちらを避ける事は無いわけで、危うく激突しそうになった。
前を行く男達は、スルスルと人を避けながら進んでいる。慣れたものだと鈴音はただ感心した。
「気ぃ付けや鈴音。ぶつかったら鈴音ビックリするやろ?ビックリしたら勝手に猫神さんの力出るから、相手吹っ飛ぶで?」
「そ、そうやんね、気ぃ付けるわ」
しっかり前を見ながら歩を進めると、目的地は都会のオアシスとして市民に親しまれている大きな公園だと判る。
その公園の手前に、笑顔でこちらへ手を振る人物が居た。鈴音は振り向いて確認するが、手を振り返す人は誰もいない。
「……え、やっぱ私らに手ぇ振っとる?綱木さんのお知り合いですか?」
「いや、知らん。誰ぞが合流するなんて話も無い。……なんで見えるんや」
警戒し足を止める綱木と、何者だろうと目を凝らす鈴音の横で、鬼が固まっていた。
「どないしたんですか鬼さん、お知り合いですか?」
それに気付いた綱木に問われ、ギギギ、と錆びた音がしそうなぎこちない動きで鬼は二人を見る。
「お、お知り合いだなんて、そんな、いやいや」
再びギギギと謎の人物へ顔を向けようとして。
「やあ、やっぱり来たね」
「ひぃぃぃ!?」
鬼は後方へ数メートル飛び退く程驚いた。
いつの間にか目の前にその人物がいたからだ。
そして飛び退いたその先で、くるみ割り人形もビックリの直立不動を披露している。
何事だ、と身構え完全に臨戦態勢に入ってしまった綱木を思わず制した鈴音は、謎の人物をしっかりと確認した。
先程聴こえた声は高くもなく低くもなく。
衣服は、ピーコックグリーンのロング丈長袖Tシャツに、孔雀の羽モチーフの付いたネックレス、くるぶし丈パンツにサンダル。この街の四月にしては軽装だ。
顔は、男性寄りではあるが、女性だと言われればそうとも思える優しげなつくり。
「……うーん?すみません、どちら様ですか?私に近付けるいう事は、悪い何かでは無いですよね多分」
「おお、鈴音が成長しとる!えらい!なあアンタ、ちょっとだけ判るようにしたったら、この男もこんな噛み付く手前の犬みたいにならんで済むと思うけども。アカンのか?」
鈴音と虎吉の言葉に、二度三度と瞬きをしてから謎の人物は微笑んだ。
「それもそうか。じゃあ、これでどうだろう」
少しだけ、空気が揺らめいたように鈴音は感じた。