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第百七話 ラバンジュラ

 良い匂いを頼りに進んだ先でパン屋に出会い、クルミに似た木の実が練り込まれたパンを買う。

 千切って口に放り込めるので、骸骨も幸せそうに食べていた。

 パン屋に教わった水汲み場で水分補給する神人一行を見ながら、鈴音は虎吉にだけ聞こえるように声を出す。

「虎ちゃん、私ひょっとしたら異世界限定で奇跡の完全消化吸収が発動してるかもしらんわ」

「ホンマか。ほな神界に居る時もそうやいう事やな?」

「たぶん。あっちでは物食べてへんから分からんけど、こっちでは食べて飲んだやん?でも胃の中に溜まってる感じとか、お腹が張る感じとかが無いんよ」

「あー、確かに俺や猫神さんとおんなじやな。まあ、胃の中に置いとける量考えんと飲み食い出来んねんし、ええ事やろ。喜べ喜べ」

 目を細める虎吉を撫でながら、鈴音も笑顔で頷いた。

「また虹男の世界にも行くねんし、大食いクイーンもびっくりな胃袋やったんはラッキーやね。名物食べまくれるやーん」

「そうや、名物こさえて待っとくて国王も言うてたな。楽しみやなあ」

 顔を見合わせイヒヒと笑い、水分補給を終えた皆と合流して城を目指す。



 移動速度が増す精霊術を使わず歩く事、かれこれ1時間弱。

 城まで真っ直ぐ進めないので、ゴールが見えているのに中々着かないという、巨大迷路のような感覚を味わっていた。

 跳躍すれば一瞬だが、そんなに早く着いた所で取次いで貰える筈はないし、相手にも失礼である。

 そういう訳で地道に歩き、鈴音の体内時計で午前8時過ぎ頃に漸く城の前へ到着した。


 お堀に掛けられた橋を渡り、馬車が通れる大きな正門の脇に立つ門番へ皆でゾロゾロと近付く。

 代表してサントリナが声を掛けた。

「おはようございます。こちらは次代の神人イキシア様、我々はその付き人です。とあるお方に御用があるのですが、お取次ぎいただけますか。事前にお約束はしておりません」

 イキシアが灯す光を見て、門番が緊張する。

「ははッ。取次ぎは可能ですが、お約束が無いとの事ですので、役職によってはお返事に時間が掛かるやもしれません。それでもよろしいでしょうか」

「はい、結構です。我々がお会いしたいのは、精霊術師ラゲナリア様です」

 サントリナが相手の名を告げた途端、門番の顔から表情が消えた。

「申し訳ございませんが、そのような方はこちらの城には居りません」

 急に変わった態度に戸惑いつつ、サントリナは尋ねる。

「お名前が違っているのでしょうか。イキシア様のような白い髪をした、厳格そうな50代くらいの女性なのですが」

 相手女性の特徴を聞いて、門番の態度が更に硬化した。

「私の記憶している限り、我が国の精霊術師の中にそのような方は居りません。お引取り下さい」

 彼は門番だから、確かに全員の名前と特徴を把握しているのかもしれない。だがこの態度はどう見ても、嘘を吐いている者のそれだ。

 しかしそれを崩せる材料が無い。

 そもそも、彼女がこの城に居るという確証も無い中での訪問である。

 どうしたものかとサントリナが悩んでいると、鈴音が静かに前へ出た。


「門番さん、この子が次代の神人やいうんは信じてる?」

 感情を昂らせるでもなく、自然体で問い掛ける鈴音に門番は頷く。

「それは勿論」

「成る程。ほな、この子が神様の代理人やいう認識がありながら、堂々と嘘を吐いとる訳やね?」

「何を言う、嘘など吐いてはいない」

 表情は変わらないが言葉遣いが変わった。動揺しているのだろう。

 鈴音はゆっくりと口角を上げ、それはそれは綺麗に笑って見せた。

「神様の代理人を前に嘘吐いて、“嘘吐いてへんいう嘘”を更に重ねる。成る程成る程、アンタは相当偉い立場の人なんやなぁ。神様に嘘吐いても許される尊い存在やて言いたいんやね」

「な、何故そうなる!そんな事は言っていない!証拠も無しに……」


 突如、門番の声を遮るように、青空から雷鳴が轟く。

 一度ならず、二度、三度、四度。


 明らかに不自然なそれに驚愕の表情で固まった門番は、ゆっくりゆっくりと空へ視線をやりながら大量の冷や汗をかいた。

「あれあれ?晴れてるのに雷やて。不思議やねぇ。神様がお怒りなんやろか。でもまあ、神様に嘘吐いても許される偉い人の頭の上に落ちたりはせぇへんやろし、アンタは安心やね」

 鈴音が指先を僅かに動かす度、空に稲妻が走った。次いで、神の怒声かのような轟音。

 誰の仕業かなど解る筈もない門番は、恐怖に引き攣った顔で神人イキシアを見ている。

「まあ、あれやん。嘘やのうてさぁ、覚え違い?ど忘れ?そういう事もあるやんね?ひょっとしたら居るかもしらんやん、ラ、ラゲ……」

「ラゲナリア様」

 なんやっけ、と視線を寄越した鈴音をサントリナが素早くフォロー。

 それそれ、とばかり頷いた鈴音は門番を見る。

「誰か上の人にでも聞いてみたら?アンタの記憶が間違うてるだけかもしらんねんし」

 ニコニコ笑顔の鈴音へと視線を移した門番は、驚く程の高速で幾度も頷いた。

「そのようにします、ので、暫くお待ちを」

 そう言い残すや否や、詰所のような場所に声を掛け門の警備を頼み、空を見上げ雷が鳴っていない事を確認してから物凄い勢いで駆けて行く。


「あの、鈴音様。私、もしかしなくても物凄く怖い人になってませんか」

 昨夜に続きまたしてもイキシアスナギツネが出現した。

「ええやんええやん、神人に嘘吐いたら神様が怒って雷が落ちるとか噂なったら、小悪党に効果テキメンやで?大悪党はビクともせん思うけど」

 答える鈴音は目を細めた猫のようだ。

「うーん……神人は世直しの英雄みたいな事はしないので……あんまり意味は無いような……」

「あれ?そうなん?ほな只々怖い人なだけやなぁ」

「ええ!?困ります!」

「あはは、大丈夫やって。まだ先の長い神殿までの道のりで、小娘や思てナメてかかってくる輩が減るだけやから。真面目に生きてる人からしたら何も怖い事あらへんし」

「そう……ですか?それならまあ……」

 街を壊した話と雷の話とが合体して尾鰭が付き、『神人に嘘を吐いた街が雷に打たれて滅んだ』とかいう黙示録もビックリな噂になりそうな気もするが、特に問題は無いだろうと鈴音は黙っておく。


 そんな二人のやり取りに、サントリナは少なからず驚いていた。

 イキシアが鈴音を神様と呼ばないし、緊張せず普通に会話している。

 夜の間に何があったのか。

 大変気になる所だが、無粋な真似をしてこの空気感を壊してはいけないと好奇心に蓋をし、イキシアから話してくれるまで大人しく見守る事にした。


 待つ事暫し。

 顔色の悪い門番が全力疾走で帰って来る。

「お、お待たせ致しました。精霊術師ラバンジュラ様が、お会いになるとの事で、皆様をお連れせよと」

 息を整えつつ話す門番に、全員が首を傾げた。

「誰」

 と鈴音が瞬きを繰り返せば。

「ラしか合ってないよ、ラ」

 虹男もキョトンである。

「そのラバンジュラ様が、ラゲナリア様についてお話し下さるのでしょうか」

 困惑気味のサントリナの問い掛けに門番は大きく頷く。

「はい。あちらの者がご案内致しますので」

 門番が示す正門の先には、執事然とした老紳士が控えていた。

「解りました、ありがとうございます。皆さん、参りましょう」

 礼を告げ歩き出すサントリナに全員が続く。

 黙って通り過ぎるイキシアへ門番が縋るような目を向けていたので、半笑いの鈴音はこっそりと囁いた。

「挽回出来て良かったねぇ。もう大丈夫やで」

 その声を耳にした途端、門番は安堵のあまりへたり込む。

 何だどうしたと同僚達に心配される姿を横目に、ちょっとやり過ぎたかと心の中で舌を出しながら、鈴音も皆の後を追った。



 老紳士の案内のお陰で面倒な手続き等も無く、鈴音達はスムーズに城内へと入る。

 堅牢な城塞と豪華な宮殿が一緒になったような不思議な城に、虎吉と虹男以外は皆キョロキョロと視線が落ち着かない。

 高そうな絨毯を踏みながら進む廊下では、出会う人が揃って端へ避け頭を下げるので、今度は心が落ち着かない。

 この手の反応をされて平気なのは、虎吉と虹男だけである。

 そんな中、向こう側からも人々が道を開け頭を垂れる、位の高そうな男性がやってきた。

 慌てて端へ避けようとするイキシアを制し、老紳士が頭を下げながら向こうへ穏やかな声を掛ける。

「神人様御一行がお通りでございます」

 すると、その男性は何の躊躇も見せず端へ寄った。

 頭を下げる前に鈴音の目に映った顔はどことなく、骸骨の過去視で見た精霊術師ラゲナリアに似ている。

 髪の色こそラゲナリアが白、この男性が赤だが、ラゲナリアが50代後半、男性が30代半ばに見える事から考えて、親子でもおかしくはないなと鈴音は頷く。

 それにしても、ラゲナリアの存在は隠すのに息子らしき人物はこうして人前に出るのか、と首を傾げた。


 男性の前を通り過ぎ充分離れてから、鈴音は老紳士に尋ねてみる。

「先程のお方はどなたですか?」

 足を止め振り返った老紳士はにこやかに答えた。

「第二王子クリビア様にございます」

「王子?……へぇ……、そうなんですね。ありがとうございます」

 まさか王子様に道を譲らせ頭を下げさせていたなんて、と青褪めるイキシア達を横目に、鈴音は顎に手をやり考え込む。

 ちらりと後方に視線をやれば、クリビア王子は侍女と親しげに言葉を交わしていた。

 同じくその様子を見ていたらしいサントリナと目が合い、互いに思うところがありまくりの顔で頷く。

 ただ、こんな所で不穏な話が出来る筈もないので、老紳士を促して先へ進んだ。


 二階へ上がり随分と奥まった場所まで歩いて、突き当たり。

 立派な扉の前で立ち止まった老紳士は、ノックと共に声を掛ける。

「ラバンジュラ様、お客様をご案内致しました」

 少し間を置いて中から返事がした。

「どうぞ、お入り下さい」

 頷いた老紳士が扉を開け、鈴音達を招き入れる。

 礼を言って中へ入ると、そこは緑生い茂るジャングルだった。

「……へ?」

 唖然とした鈴音がよくよく目を凝らすと、多種多様な鉢植えが床にも棚にも置かれているだけだと解る。

 その中の蔓性の植物が壁や天井にまで勢力を拡大したせいで、一見するとジャングルな部屋が出来上がってしまったようだ。


「ああ、失礼。薬の研究をしているもので、使えそうな物を片っ端から集めていたら、いつの間にかこうなってしまいました」

 声と共にジャングルの奥から姿を現したのは、赤紫色の髪をアップにした細身の中年女性。

 骸骨の姿が見えるらしく、一瞬目を見開いたが、それだけだった。肝が座っているな、と鈴音は思わず感心する。

「初めまして、ラバンジュラと申します」

 皆へ会釈し微笑む顔は、紛れも無く過去視で見たラゲナリアその人のものだ。

 しかし、髪の色と名前が違う。

 この世界でも、現代日本のように髪色を簡単に変えられるのかが鈴音には解らないので、今の段階では双子説も捨てられない。

 色々と白を切られた時の為に考えてある方法を使えば確認出来るが、例によって穏やかなやり方では無いので、それは最後の切り札としたい。

 依って、鈴音は成り行きを見守る事にした。


「初めまして。次代の神人イキシア様の先導者、サントリナと申します。いくつかお尋ねしたい件があって参りました」

 硬い表情で挨拶するサントリナに会釈を返したラバンジュラは、部屋の隅にある応接セットを示す。

「立ち話もなんですから、お座りになられては?今お茶を……」

「いえ、お構いなく」

 入口付近に控えている老紳士に指示しようとしたラバンジュラを遮り、サントリナはじっとその顔を見つめた。

「我々は神に仕える者。人の秘密を暴き立て広めるつもりは毛頭ありません。それを理解して頂いた上でラゲナリア様、あの日、辺境の砦へ向かわれた理由をお教え下さい」

 おっと小細工無しの直球を投げ込んだ、と驚いた鈴音が見ると、ラバンジュラは怪訝な表情をしている。

「ラゲナリアではなくラバンジュラです、サントリナ様。仰っている事がよく解らないのですが、辺境の砦というのは怪物の襲撃を受けたあの砦の事ですか?だとすれば、私は一度も訪れておりませんが」

「いいえ、ラゲナリア様です。その髪の色は、赤牛蒡の煮汁で染めましたね?白い髪に赤牛蒡の煮汁をつけると赤みを帯びた紫色になる。但し、色が完全に落ちてからでないと再び染める事は出来ない。昔流行った遊びだと、娯楽本に書いてありました。染めた直後は美しいけれど、色が抜ける直前には大変残念な状態になるので、直ぐに廃れてしまったそうですね。つまり、砦を訪れた時は色が抜け切る直前の白い髪だったという事です!」

 キリッとした顔で言い切ったサントリナに、とても困った顔をした鈴音が口を挟んだ。


「サントリナさんサントリナさん、髪染めの情報は私にはありがたいですけど、向こうさんにとっての肝心な情報がごっそり抜けてますよ。まず『私はあの日あの時あの砦に、あなたが居るのを見ました!』ぐらい言うとかんと、話がさっぱり見えへんから『何が言いたいんか解らんけど取り敢えず砦には行ってへんよ』としか答えられません」

 鈴音の指摘でサントリナは何とも気まずい表情になり、ラバンジュラは小さく笑っている。

「順番を間違えてしまいました。赤紫の髪を見てあの情報を思い出し、ついついコレだ!と……。申し訳ありませんが、後はお任せしても?」

 照れたように笑うサントリナに、鈴音は相変わらず困った顔だ。

「ええんですか?私がやると、アレな感じになりますよ?」

「人違いという事は無いでしょうし、問題ありません」

 謎の会話を訝しむラバンジュラへ向き直った鈴音は、小さな溜息を吐く。

「とある気の毒な女性の為に、あの砦で何が起きてたんか詳しく知りたいんですよ。ご協力願えます?」

 そう言いながら右腕を伸ばすと、その掌に漆黒の球を出現させた。

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