第百六話 いざ王都
神の分身が楽しげに狩りごっこをしながら守るテント前では、泣き笑いが続くイキシアに鈴音が困惑している。
「な、何か傷口引っ掻くような事とか言うてしもた?」
「違うんです、これは……嬉しいんです、きっと。少し、待って下さい、纏めます」
涙を拭い、胸を満たした感情を説明しようと、深呼吸してイキシアは目を閉じた。
「……そう、嬉しいんです。これは私が選んだ道。姉が歩いた後ではなくて、私が切り拓く道。目指すのは今までの神人達と同じ場所だけど、そこへ向かう為に通るのは、他の誰とも違う私だけの道。それに気付かせていただけたので、嬉しくて涙が出てしまったみたいです」
「そっか、それなら良かった……て、神様にも謝らなアカンわそういえば」
一旦は安堵したものの、すぐさま目を見開いた鈴音にイキシアが首を傾げる。
「いやほら、大変なお役目を、人の都合無視して有無を言わさず押し付けたに違いない!思てしもたんよ。色んな方向から物事を見てるつもりが、ぜんっぜん出来てへんかった。はなから決め付けてもうてるやん、神様は人の都合お構いなし、て。他人様に偉そうな事言うとる場合ちゃうかったわ恥ずかしい。お髭の神様、大変失礼しました。申し訳ありませんでした」
空へ謝罪の言葉を述べてから頭を下げる鈴音を見つめ、イキシアは何かを決意した様子だ。
「……神様には、お髭が生えてるんですね」
それを聞いた鈴音が『あ、やってもうた』の顔で固まった。
「私ずっと、神様が女の人の振りをして、私が神人に相応しいかどうか調べに来たんだって思ってました。姿を変えないと、優しいおじいちゃんの声でバレてしまうから。だけど違った。お告げの内容を知らなかったし……神様は別に居るんですね?じゃあ、あなたは?やっぱりもう一人の神人候補なんですか?でももし神人候補だったとしても、あの光や身体能力や雷は説明がつかないし……神様が作ったような剣の事も解らない。聞いてはいけないと思って我慢してたんですけど……」
眉根を寄せたイキシアはゆるゆると首を振る。
「……あなたは、誰ですか?どうして神様にお髭が生えていると、ご存知なんですか?」
最終的にぶつけられたのは、只々純粋な疑問だった。
子供が初めて見た物を不思議がって尋ねるようなそれに、鈴音は困った顔で唸る。
「うーーーん、何者や言われると、人ですとしか答えられへんのよ。ただ、神様から頂いた御力が色々と入ってるから“ちょっと変わった人”いう括りにはなるかな」
言葉を選んで説明すると、イキシアからはまさかのスナギツネ顔が返ってきた。
「いやいやいや、なんちゅう顔しよんねんな。あんたかて他の人と違う事出来るけど、人やろ?お父ちゃんが神様です、とか、ばあちゃんが神様でした、とかちゃうやろ?」
「それは……そうですけど」
「うん、一緒一緒。お髭の神様は御自分の代理人として神人を作った。私の神様は専属マッサージ師確保の為に私を神の使いにした。……あれ、なんや微妙に違う?」
「いえ、微妙じゃなくて全然違います、っていうか“私の神様”って?神様は神様ですよね?何人も居ない……あれ?何人って数え方は違うのかな人じゃないし……えーと……何神様?あれ?」
唯一神の世界に神を数える単位は無いから、イキシアは頭を抱えて混乱している。
「この世界の神様はお髭の神様だけや思うよ?私の神様は別の世界に居る神様やからね。異世界人やし私」
さらりと告げる鈴音を見たイキシアの顔は、またしてもスナギツネと化している。
「何わけの解らない事を言っているんですか。からかってたんですね?真面目に考えちゃったじゃないですか、もうっ。神様の使いという事は、神人とは違うんですか?お告げだけでなくお姿も見えたんですか?やっぱり調査とか監視とかですか?気付かなかっただけで、今までの神人の時も現れてたんでしょうか」
イキシアの反応に鈴音は幾度も頷いた。
逆の立場なら自分も同じように考えるだろう、これが普通だ、と。
「調査違て監視かなー。世界壊さんように見張っといて欲しい、て面と向かって依頼されたよ?他の時代の事は知らんなー」
嘘は吐いていない。
監視対象が虹男だと言わなかっただけだ。
「う。私があちこちで色々な物を壊したから、神様は不安になってしまわれたのかな……」
「どうやろね?どっちか言うたら、自信持って進んで欲しい、思てるんちゃう?この世に次代の神人はあんた一人やねんから」
その言葉にハッと顔を上げたイキシアの瞳が揺らぐ。
「さっき、誇りを持って歩んでいるって言って下さいましたけど、私は家を出たかっただけで、姉とは違うと皆に解らせたかっただけで、母に喜んで貰いたかっただけで……そんな、神様が知ったら絶対にがっかりする理由で、神人になる事を選んでるんです。誇りなんて呼べるようなものを持ってない私が、このまま神人への道を歩んでいいんでしょうか。この世に一人となる神人の道を……」
不安げなイキシアの目をまっすぐ見ながら、鈴音は大きく息を吐いた。
他の誰とも違う自分だけの道だと喜びながら、そこを自分が歩み続けて良いのかと悩んでいる。
確かに動機は不純だし、人助けのやり方が不味かったり、一方の話だけを素直に信じてしまったりと未熟な面もあるが、それが問題なら神はそもそも成熟した大人を次の候補に選ぶだろう。
少し考えれば解りそうなものだが、恐らく自分個人として親から認められた記憶が無いせいで、直ぐに自信が揺らいでしまうのだ。
本当は姉と比べる事無く褒められた場面もあっただろうが、ここぞという大事な時に限って親がやらかしてしまったのではなかろうか。
主に母親が。父親が空気なのは、母親の言葉に相槌を打つ程度の反応しか示していなかった為だと思われる。
『そこで一発かましといたら、今頃お父ちゃんヒーローやったのにな、あの子の中で。お母ちゃんが強過ぎるんやろなぁ』
気の毒に、と会った事も無い父親に同情しつつ鈴音は笑った。
「あんたは知らんかもしれんけど、自分より遥かにでっかい怪物に何の躊躇いも無く突っ込んで行けるのって、実はとてつもなく凄い事やねんで?」
笑顔で言う鈴音に、何の話だろうとイキシアは首を傾げる。
「たとえ人助けが神人にとってはやらなアカン事で、その時は記録更新の事しか考えてなかったとしても、助けられる方からしてみたらどうでもええねん。助けてくれ!思てる時に助けに来てくれた事が重要やねんな。普通の人かて誰かが危ない目に遭うてたら、助けてやりたい思うよ?思うけど咄嗟に身体動かへんし、下手したら自分も危ないから躊躇うねん」
そういうものか、という表情で頷くイキシア。
「そんな時に迷わず来てくれる人が、周りにどう見えるか解る?」
「えー……と……」
「神様に見えるんやで」
にんまり笑う鈴音に、イキシアの目はまん丸だ。
「危ない!思た時に直ぐ飛び込んで行ける勇気、それは誰でも持ってる訳やない。その勇気は誇ってええもんやと私は思うなぁ。これぞ神様の代理人!て思うよね。……まあ、建物ブッ壊したり人に向けて矢ぁブッ放したりはちょっとアレやけどー」
鈴音が小さく舌を出すと、また涙で目を潤ませていたイキシアが顔を赤くして項垂れる。
「あ、あれは……!うぅ……、本当に悪かったと思ってます。今後はやりません」
けらけら笑う鈴音を恨めしげに見る振りをして、自身の胸に手を当てた。
「勇気……。私は、勇気ある人」
呪文のように小さく唱え、幸せそうに微笑む。
それを横目で見た鈴音は、どうやら自信回復ミッション成功だなと胸を撫で下ろした。
「ほなそろそろ寝ときよ?明日が本番やで?至高の精霊術師とかいう人に話聞かなアカンねんから、頭も身体も休めとかな」
「そうですよね。お陰様でぐっすり眠れそうです。ありがとうございました、おやすみなさい」
「はい、おやすみー」
手を振って見送ったイキシアがテントに入った頃、尻尾をピンと立てた虎吉が戻って来た。
「ただいま」
「おかえりー。全員寝んねんころり?」
鈴音がわしわしと頬毛を撫で、虎吉は気持ち良さそうに目を細める。
「おう。パッコーンしばいたった」
「ありがとう。ほな一応縛り上げとこか。ロープになりそうな物あるかなー」
「木ぃに蔓が巻き付いとったぞ」
「ええやん、それ使お」
頷き合い、蔓を採取しつつ盗賊達の元へ向かった。
翌朝テントから出て来た皆が見たものは、縛り上げられ遠い目をしている十人の盗賊達。
口を塞がれている訳でもないのに大人しいのは、蔓をふりふり虎吉と遊んでいる誰かさんのせいだろうか。
「わあ、何かいっぱい居る」
虹男が言えば骸骨も頷き。
「おはようございます鈴音様。見張り、ありがとうございました。それであのぅ、この者達は……」
サントリナが尋ねると、猫の一本釣りを披露しながら鈴音が答える。
「虎ちゃんがやっつけてくれた盗賊です。警備隊とかに引き渡した方がええんかな、思て」
「そうですね、喜ばれると思います。それにしてもこういった輩にしては静かですね?」
「ね。何か怖い事が起きたのかもしれませんね。ふふふ」
一体何をしたんだろう、とサントリナも遠い目になった。
気にはなったが答えてくれそうにないので、諦めてテントを畳む手伝いをする。
朝食は街で取ることにして、行列が出来る前にと城門へ急いだ。
体感では朝の6時頃か等と考えつつ、鈴音が盗賊達の蔦を引いて歩いていると、城門から警備隊らしき人々がわらわらと出て来る。
「あ、コレが気になったんかな?」
コレ呼ばわりされた盗賊達は、警備隊を見て何故かホッとした表情になった。
城門前に辿り着くと、盗賊達は早く向こうへ行きたいとばかりソワソワし始める。
そんな彼らを不審さ満載の目で見やりつつ、隊士の一人が鈴音達に近付き目礼した。
「おはようございます。ソレは王都周辺を荒らしていた盗賊一味だと思うのですが、あなた方が捕まえてくれたのですか」
隊士の問い掛けに鈴音が頷く。
「はい。ちょうど暇してたんで、遊んであげました」
虎ちゃんが、と心の中で付け加え笑った。
「遊ん……、そうですか、中々に凶悪な連中の筈ですが、お強いのですね。もしや、夜中に現れたという天へ昇る炎の蛇は」
「ナンノコトデショウ?」
蛇ちがう竜や、と思ったが黙っておく。
盗賊達の顔色が真っ青になっているのに気付いた隊士は、何かを察した様子で頷いた。
「なにはともあれ、ご協力に感謝します。褒賞金が出ますので、こちらへどうぞ」
盗賊達を別の隊士に任せ、城門内の詰所へ皆で向かう。
纏めて街へ入る為の審査も行うと聞き、サントリナが口を開いた。
「こちらは次代の神人イキシア様、我々はそのお付きの者です」
その声に合わせイキシアが杖の石を輝かせると、隊士達は皆驚き、次いで何とも微妙な空気が流れる。
「お会い出来て光栄です。こちらへは、その、どういったご用で?」
質問者は勿論、盗賊達を連行する者、褒賞金を用意する者、警備に戻る者、皆が皆緊張の面持ちで耳をそばだてているのが解った。
「王家にお仕えしている、ある方にお会いしようと参りました」
サントリナの返事を聞いても、緊張感は消えない。
ああこれはもしや、と思った鈴音が代わって答える。
「別に何かをやっつける為に戦う予定は無いですから、そない警戒せんとって下さい。ホンマに人に会いに来ただけです」
その途端、明らかに隊士達の肩から力が抜けた。
「そ、そうですか、確かに、王都内に怪物や悪霊は居ませんからね。ハハハ。どうぞお通り下さい」
褒賞金の入った袋を受け取り、城門を抜け街へ入る。
そこで、どんよりとした空気を纏った神人一行は鈴音を見た。
「悪名が……轟いているのでしょうか」
疲れた様子で尋ねるサントリナに、溜息を吐いて鈴音は頷く。
「王都やし、あっちこっちから人と共に情報が集まるんでしょうね。あの村の村長さん達の話が広まるのはまだ先やろし、今の所は神人御一行が通ると街が壊れる、いう方の話しか伝わってないでしょう」
「過去は、変えられないですもんね……」
しょんぼりして言うイキシアの背中を叩き、鈴音は皆の顔を見た。
「やり過ぎてしもた所へは、この先謝りに行くんでしょ?凹んでたって何が変わる訳やなし。俯いてコソコソしとったら、それこそ悪党みたいですやん。堂々と胸張って歩きましょ。人の命を救った事は間違い無いんやから」
ね、と笑う鈴音にイキシアは顔を上げて大きく頷く。
「そうですよね、これから王宮勤めの至高の精霊術師に会おうというのに、背中を丸めていてはいけませんね」
同じように顔を上げて頷くサントリナと男達。
何やら良い空気になった所へ、虹男の呑気な声が響く。
「ねーねー鈴音、いい匂いがするよ?あっち行ってみようよー」
空気は読むものではなく吸うもの。いや、神だから何なら空気など無くても平気なのかもしれない。
雰囲気破壊神虹男のマイペース振りに笑いつつ、ちょうどいいので朝食にしようと、匂いに誘われるまま皆で歩き出した。




