第68.5話 社畜が、しゃもじで、おたま
「セーヤさんから離れてください!」
その声が聞こえた時、俺は最初、空耳だと思った。
俺の弱い心が、死の間際に走馬灯のごとく聞かせた、願望という名の幻聴だと思った。
だってここは戦場だぞ?
こんなところにウヅキがいるはずが無いじゃないか。
でも、
「へやあーーっ!」
場違いなほどに力の抜ける掛け声がしたかと思うと、遅れて何かが飛んできて。
ものすごいスロー&山なりの軌道を描いた投擲物は、しかし《神焉竜》に当たることなく、その足下にポトリと落ちた。
「あわわ、外しちゃいました……や、やっぱりわたしってば運動神経があんまり……」
よくよく見ると、その投げられた物は、
「しゃもじ……?」
だった。
ご飯をよそう時に使うアレだ。
「ううー! だったら――」
そう言うや否や、お世辞にも速いとは言えない微妙な駆け足で駆け寄ってくると、俺を庇うように《神焉竜》の前に立ちふさがったのは――、
「ウヅキ――」
俺が最後に一目会いたいと思い描いていた少女で――そして右手にはなぜか「おたま」を持っていた。
もちろんお味噌汁をすくうアレである。
武器――のつもりなのだろうか?
ちょっと反応に困る。
「ち、ちち、近くで見ると漏らしちゃいそうです……! で、でもでも、わたし助けに来ました、セーヤさん! って、ひぃぃぃいいっ! ドラゴンさん睨まないで……」
超が付くほどのへっぴり腰でおたま片手に《神焉竜》に向かい合うウヅキは、よく見ると――よく見なくても――膝ががくがくに震えていた。
「あの、ウヅキ、一体なんで、ここに……」
それは当然の疑問だろう。
確か「帰りを待ってます」→「ああ任せろ」みたいな約束をしたよな?
「実はあの後、やっぱり居ても立っても居られなくて追いかけてきちゃったんです! わたしってば走るのが遅くて、すごく時間かかっちゃいましたけど。それでようやく街まで来てみたら、門は開いてるし、住民の皆さんは壁の外に出てるし、何よりなんだかすごく大きいドラゴンが暴れまわってるしで」
「お、おう……」
俺を振り返ってそう告げたウヅキは、無防備にも《神焉竜》に背中を向けていた。
がしかし、戦闘力皆無の上に平然と背中を見せてのけたウヅキの乱入に、《神焉竜》もちょっと戸惑っているのか。
じっと会話を見守るようにして動かないままでいてくれていた。
「《神焉竜》は意外と空気が読めるタイプなんだな……」
だけれども、さすがにこの状況は危なすぎる。
「いやウヅキ、そこはすごく危ないから――」
早く逃げてくれ――という俺の言葉は、
「きっとあそこにセーヤさんがいるって。セーヤさんが戦ってるんだって、わたしすぐに分かりました!」
何かを期待する――俺の勝利を信じて止まないウヅキの言葉によって、風前の灯のごとくかき消されてしまった。
「でも良かったです、わたし、セーヤさんのピンチをお助けできて。さぁここから逆転です、ずっとセーヤさんのターンですよ!」
そしてキラキラとした120%の期待と信頼がこもった瞳で、ウヅキは俺を見つめてくるのだ。
その熱い視線を、強い思いを、これでもかと真っ直ぐに向けられて。
「もうやめてくれ――」
耐えきれなくなった俺は力なくそう呟いたのだった――