第402話 ありのままに
「うにゅ、できた」
その言葉とともに幼女サクライ・ハヅキは筆を――色えんぴつを置いた。
ここ数日一心不乱にとりかかっていた絵を、今まさに描き上げたのだった。
何を描いていたかと言うと、ちょっと前に描いたものが没にされてしまい描きなおしとなった、まなしーことマナシロ・セーヤの肖像画であった。
「お疲れさまでした」
ふぅ、と息をついて極限集中状態から解放された幼女ハヅキに、かたわらで同じく色えんぴつ画に挑戦していた幼女トワが、ねぎらいの言葉をかけた。
「うにゅ、わりと、がんばった。りきさく」
幼女ハヅキが首を右に左に倒すと、ポキッ、パキッと可愛く骨が鳴る。
どうやら身体中がかなり凝っているようだった。
「うーにゅ、にゅーにゅ――」
なんどか大きく伸びをして、凝りをほぐす。
今回、幼女ハヅキがこんなにも疲れていたのにはわけがあった。
慣れ親しんだクレヨンではなく、かねてより温めていた色えんぴつでの製作に挑戦していたからだ。
というのも少し前に、
「これは本格的なプロ仕様の色えんぴつセットですの。きっとハヅキちゃんならハイレベルで使いこなせますわ」
「うにゅ、ありがとさんです」
そう言ってサーシャに色えんぴつセットをプレゼントされていたのだ。
こんな高価なものまでくれるなんて、サシャねぇは本当にいい人だなと、幼女ハヅキは素直に思った。
「それで、その、ハヅキちゃん? 物は試しに? 練習として? セーヤ様とわたくしが一緒にお布団で寝ている絵を描いてみてくださいな?」
「うにゅ、わかった。ありのまま、かく」
ちなみに幼女ハヅキが練習を兼ねて描いたその絵は、サーシャがこっそり部屋に持ち帰って額縁に入れて飾ってあるのだが、それは幼女ハヅキの知るところではなかった。
他にもサーシャの指示のもと、裸でプロレスしたり、裸で縦四方固をしている絵などを練習で描いてみて、そして今回、満を持してまなしーの肖像画に挑戦したというわけなのだ。
クレヨンと比べてはるかに自由度が高いこの色えんぴつセットというアイテムは、
「すごい……!」
幼女ハヅキの感性をさらなる高みへと導いてくれていた。
「ここまで来るともはや神業と言わざるをえません」
完成した肖像画を見た幼女トワが、これまた素直に驚きを口にする。
「繊細なタッチで細部にわたるまで精密に描き込まれていて、絵という平面のはずがまるで本物のようなリアリティと立体感を感じさせます。数メートルと離れれば生きた《神滅覇王》がそこにいるようにしか見えません。色えんぴつ画とは、ここまで凄いものなのですか……!」
幼女トワは感心しながら、改めて自分の書いた絵と見比べてみた。
言わずもがな、その差は歴然だった。
歴然というか写実主義を極めた幼女ハヅキの「絵画」と、色合いでどうにか人物画であることはわかる程度の自分の「お絵かき」。
こんなもの見比べるまでもない、月とスッポン――いやそれではスッポンに失礼だ――月とミジンコだ。
しかし幼女トワに劣等感やそれに類するものは、かけらもないのだった。
「これはもう、そういうレベルの話ではないというか……」
人知を超えた圧倒的な芸術の前には嫉妬や劣等感すら存在しようがなく、ただただ畏敬の念しか感じないのだった。
「うにゅ、いいかんじ」
幼女ハヅキが角度を変えて距離を変えて、何度も何度も確認をすると、満足げにうなずいた。
会心の出来の自作を見ながらハヅキはふと思う。
絵を描くのは楽しい。
誰かにほめられるのは嬉しい。
サシャねぇからもまた新しく、まなしーの絵を描いて欲しいと頼まれているし。
「おえかき、すき」
世界のそのままを描き取りたい――ありのままを描きたい!
それは幼女ハヅキが初めて、自身が絵を描くということについて明確に意識した瞬間だった。
「ありのまま、かく」
そうだ、ありのままを描く。
それがいちばん自然に近いんだから、とうぜん正解なのだ。
ありのまま、ありのまま――。
サシャねぇだっていつもありのまま=裸を描いてほしいって頼んでくるし。
芸術にも造詣が深いなんてさすがサシャねぇだ、とハヅキは思った。
ありのまま、ありのまま――。
「ありのーままにー」
これでもかと込みあげてくる情熱を、気がおもむくくままに口ずさむと――、
「い、いけませんハヅキ! 《神滅覇王》から、そのフレーズは異世界から最強の邪悪『邪すら悪』を呼び寄せる悪魔の祝詞であると聞いています!」
「むぐ――っ」
幼女トワが焦ったように幼女ハヅキの口元を抑えてきた。
「むぐぐーむぐぐー」
「だ、だめです! 世界の平和のためにも、そのお歌は永遠に未来永劫にわたって封印して下さい!」
幼女トワのあまりの必死さに、
「うにゅ――」
幼女ハヅキはしぶしぶ納得することにした。
なんでだろう?
自分は単にありのままが好きなだけなのに……。