彼の瞳に、よからぬ昏さをみたからだ
この章から、少しグロテスクな部分が増えてくると思われます。
ご注意ください。
ある日、ある教会の一室に、丸机を挟んで座るふたりの人がいた。
その日は良く晴れていて、窓からは強い日の光が差し込んでいた。
一人が挨拶をした。女性だ。
「お久しぶりですね。ライエルグ様」
一人はライエルグと呼ばれた。
彼は茶色い瞳を持ち、火の大陸生まれらしい大きく鋭い目つきと、神抜者であることを示す、萌え盛る若芽のような鮮やかな緑髪が目を引く青年である。
ライエルグが挨拶を返した。
「ご無沙汰しております。タール様」
もう一人はタールと呼ばれた。
風の大陸生まれに顕著な、柔らかながら彫りの深い顔立ちで、柔和な瞳を持ち、ライエルグ程ではないが鮮やかな緑髪を湛えた美しい女性だ。
「お体はもうよくなりましたか?」
タールが尋ねると、ライエルグは笑顔を浮かべた。
「はい。あれほど体に気を満たしたことが無かったので、一月まともに動けなくなるなんて、予想外でした」
タールが頷く。
「聞き及んでいますわ。この街の見張り塔からも、朧気ながら戦いの余波が見えたとか。さぞ激しい闘いだったのでしょう。ご無事で帰還なされたことを喜ばしく思います。是非そのときのお話を」 「、、、あの」
そこで、ライエルグは眉を困らせ、遠慮がちに口を挟んだ。
「お会いする度に言うのも恐れ多いのですが、私をお呼びする際に、様をお付けになるのをやめていただけませんか」
気恥ずかしいのかと考えたのか、タールは微笑みを浮かべて返した。
「そういう訳にも参りません。その髪が示している通り、あなた様は、カゼノカミ様から選ばれた者なのですから」
「しかし」
「しかし、なんですか?」
困り顔を深めるライエルグにタールは笑みのまま続きを促した。何気なく、いたずら心をもっての事だったに違いない。
だがその時、ライエルグは顔を伏せ、窓からの光に照らされていた顔に、陰が差し込まれた。
彼の口調は変わらなかったが、その裏側にはずしりとした重みが感じられた。
「それは、カゼノカミさまが尊き方なのであって、私自身は、そう偉い者でもないからです」
突然のライエルグの卑屈な言葉に、タールは驚いたような声を上げた。
「そんな、己を卑下しなくとも」
しかし、
「いいえ、私は御神の力をいたずらに振るったやも知れぬ人間ですので」
ライエルグの返しは頑なだった。
タールは柔らかな笑みを納め、落ち着き払ってゆっくりと言った。
「その時、何があったのですか?」
タールの頬を一筋の汗が流れた。
ライエルグは一月前に起きた連続殺人事件の犯人が自分の父であったこと、自分がこの国に居る理由が父の犯罪にあったこと、父が妹を殺したこと、その仇をとったこと、そして、父の瞳に見た濁りについて話した。
「、、、瞳の濁り、ですか」
「はい」
ライエルグは続けた。
「事件の後、絵描きが絵の具で茶色を作っている所を見て、思ったのです。父の瞳の中には、実は、殺意以外にも何か想いがあったのではないかと」
ライエルグは顔に手を当てた。
「私はそれから、ずっと考えているのです。もし、その殺意以外の感情が、良いものであったのなら、父は殺意と善意に挟まれ苦しんでいて、私は、父を救えたのではないかと。私は、おのれの復讐心と、正義感と、神の恩寵を振りかざし、この世で救える器を放棄したのではないかと」
いつの間にか、雲が日を覆ってしまったのだろうか、部屋に満たされていた光が弱まり、部屋の中に薄暗さが漂いはじめていた。
「タール様」
ライエルグは視線だけをタールに向けた。
その時、タールは体を僅かに強張らせ、小さく息を飲んだ。
「、、、なんでしょう?」
彼の瞳に、よからぬ昏さを見たからだ。
「私は、神抜者として相応しいのでしょうか」
ライエルグはまた視線をさげた。ライエルグのそれは、他者へ問うたのか、または自問か、はたまた確信めいた独白であったのだろうか。
暫し経った。日は相変わらず遮られ部屋は薄暗い。顔を覆い目を伏せているライエルグにとってその時間は、暗闇のなかに浸されているといっても過言ではなかっただろう。
この空間は、明るいのか、暗いのか、寒いのか、暑いのかも曖昧で、時間が進んでいるのかも不確かで、このまま二人が何も発さなければ、永遠にこの場があり続けるように思えた。
「少なくとも」
そんなとき、タールが語り掛けた。
「今のあなた様から、御神の恩寵は消えておりません。であるならば、少なくとも今は、恩寵に相応しいと思われているのではないでしょうか」
同時に雲の隙間から微かに顔を出した日が、僅かな明かりを部屋にもたらした。
「そう、でしょうか」
「はい。私たちは神々の恩寵を得ているとはいえ、人間です。人間は過ちを犯すものですから、失敗をしても、それが糧となったのなら、神々もお怒りにはならないでしょう」
タールは笑みを浮かべて、落ち着いた口調でつづけた。
「考えることは悪い事ではありませんが、あまり暗い方向に思考を向けすぎるのはお勧めいたしません。今日はもう帰られて、良く寝てください。一日たてば、冷静に考えることができるようになるでしょう」
タールは立ち上がり、ライエルグを外へ促して、扉に向かった。ライエルグも続いた。
部屋を出て、教会の出口まで二人は歩いた。
外を見れば、それなりに日が傾き、濃い橙色が街にあふれている。
「明日から、任務を再開されると聞いております」
タールはそう言いながら振り向き、ライエルグの顔を見た。先ほどよりは昏さは薄れているが、いまだ危うさがあるように感じられた。
ライエルグは薄く笑みを浮かべ返した。
「はい。早速、イグディダス様から連長室にくるようにと言われています」
タールもその表情につられて笑みを浮かべた。
「あらあら、さっそくこき使われてしまいそうですね」
「わったくです」
ふたりは暫し小さく笑い合った。
声が止み、タールは最後に、別れの挨拶をした。
「どうか、あなたの武勇が淀みなく、どこまでも吹き渡らんことを」
ライエルグが返した。
「あなたの手がそよ風の如く世に柔らかなめぐみをもたらさんことを」
二人は別れ、ライエルグは自身拠点へ戻っていき、タールはその背中を見えなくなるまで見送り続けた。
彼女はその足で礼拝堂へ入った。
礼拝堂も街にもれず、窓から舞い込んだ夕日によって、普段は灰色の石の壁も橙色に染まり、そして祭壇には火、風、土をかたどった豪奢な彫刻が置かれていた。
タールはその祭壇の前で跪き、両手を組み、深くいのりを捧げた。何を祈っていたのだろうか。
幾ばくか経って祈りを解いたタールは己の両手をしばし見つめ、その両手を強く、深く、握りしめた。
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