生きるために、死へと向かって行ったんだ
今日は少し早めに投稿しました。
「そしてあの時だ」
過去の記憶を呼び戻すために空へ向けていた視線を私へ向けた。
思わず目を逸らしそうになった。その目の奥に薄暗い輝きが突然、瞬き始めたからだ。
「あぁ、、、あの時、あの時だよ。魔の日だ。それに出会った日。自らの死に場所を選んだ人に、自らが最期に全力で生きる場所を選んだ人に出会った日」
彼は突如膝を突き己を抱きしめた。まるで自身の中で蠢く感情を抑えこもうとしているようだった。俯きながら彼は続けた。
「わが祖国の南側にある街の防衛に出向いた時だったよ。私は自身の失態で深手を負い、引かねば死にかねない状況だった。しかし、周囲は魔物に囲まれ、仲間も少なく、脱出は不可能な状態だった」
彼の目には、その時の戦火が思い出されていたのだろうか、濁った瞳の奥で炎が揺らめいているように見えた。
「シミーナが言ったんだ、『ここは一旦、わたしが引き受ける。なぁにこれくらい、藁束みたいに軽くぶった切ってやるさ』とね」
初めて聞かされる母の死に関する話だった。
その日以降、抜け殻のようであった父に怖くて聞けずにいた話だ。
「戦火なかで彼女のつややかな黒髪と紅に染め上げられた外套が獄炎にも負けずにはためいて、彼女は笑っていたよ。自分の死を前にしても。瞳には確かに恐怖があった。それでも死地へむかったんだ。生きるために、死へと向かって行ったんだ」
彼が顔をあげる。
「うつくしかった。うつくしかったよ」
彼の顔が表していたのは間違いなく、恍惚のそれであった。
腹の底から、泥水を飲み込んだような異物感が沸き上がり、嗚咽を覚え、左手で口を押さえた。
最愛の存在であろう妻の死を思い出しての表情であることが信じたくなかった。
「あぁ。あの時の感動は今でも忘れられない。歓びが体の端々まで駆け巡り滲み渡り、体が震える感覚。当時、私どういう顔で彼女を見ていたのかわからない。けれど、まず間違いなく、深く、深く、笑っていただろうね」
彼の中で蠢くもの、それは快楽だ。彼は、頬を赤く染め、信じたくないがその時と同様、快感に身を震わせていたのだ。
「だから」といってその顔は先ほどと一転、からっぽになり、空に目をむけた。
「あのときのような人にもう一度会いたかった。見てみたかった。だから私は探したんだ。まずは祖国で探したが、確かに美しくはあったが、シミーナほどではなかった。感じる気持ちよさも。ほかの国、他の大陸にも探しに行きたくもあったが、それで見つかるのか不安があった」
瞳だけを輝かせながらぶつぶつと呟いている。その声は風に親しい私にはよく聞こえた。
「条件が二つあった。彼女と同等の実力を持っていることが必要だと考えた。あの国で戦ったものは英傑と呼ばれた彼女とは程遠い。では、実際に他国の英傑を狙えばいいんだが、ここで一つ問題が起きる。それがもう一つの条件、単体であることだ。これが難しい。弱き者であれば二人組の場合、片方が時間を作りもう一人が応援を呼ぶ。という構図ができるんだが、英傑ともなれば取り巻きができる。難しい問題だった」
ゆっくりと、こちらを見た。苛立たしいほどに嬉しそうな顔だ。
「であれば、かならず単体で挑み、かつ将来きっと強くなるであろう者を生み出せばいい。そう思い至ったんだ」
単体で挑む構図、その状況には憶えがあった。抑えようもなく大声になった。
「つまり、復讐か。俺がその対象か。俺が復讐心で強くなると思って、そんな目的のために、、、そんなもののために、ケルミーナを殺したのか!」
彼は深く刻まれた笑顔を突如破壊し、怒りに顔を赤くして叫んだ。
「そんなもの、そんなものだと?あれを見たことがないからそんなことが言える!人間が自らの人生を完成へと向ける瞬間を!ろうそくの炎が消えるその時の瞬きを!その美しさに全身を打たれたことがないからそんなことが言えるのだ!」
濁った瞳の奥がぎらぎらと踊らせて、唾を飛ばしながら言う。
「私は決して諦めないぞ。あの美しき姿にもう一度出会うまでは。仮にお前が期待外れだったとしても、新たな種を撒くだけだ!」
その思いの熱さは冷めることを知らず、もはや、その身を焦がしつくすまで消えることは無いのであろう。
彼は両腕を思い切り押し出し、わたしに向けて洪水とも見紛う濁流を放った。
「さぁ!その身をもって私に見せておくれ!命の輝きを!剣と剣の交わりが生み出す火花を!死という完成への歩みが生み出す美しき土煙を!」
悲しみ、怒りを越え、呆れとも異なる冷えた感情が胸の中を満たしていく、その中では復讐の熱すらも沈んでいく。
そのさなかにおいて、視界いっぱいに迫る濁流は、もはや目の前で遊ぶ羽虫程度の邪魔でしかなかった。
両手を開いて突き出し、藪を掻き分ける様に手を払った。
その払いに応じて濁流は割れ、一本の本流が二本の細い川となり、後方に流れていった。
「もう、いい」
気怠げにそんな言葉が漏れ出た。
その脱力した私の様子に彼は吠えた。
「何がだ!?」
「この戦いが、だよ。復讐はしたかったが、あなたを助けたい、許したいという思いも無いわけじゃなかった。だからできるだけ話を聞いて、理解しようと思った。でも、もういい」
私の髪を、柔らかなそよ風が撫でていくのを感じた。
「あなたは、一つ、見過ごしてることがある」
その風が突然、すべてを破壊するが如く荒れ狂い始めた。
「あなたの話は、あなたの方が強いということを前提としている。しかし」
そよ風は疾風となり砂埃を上げ、強風となり髪を逆立て、暴風となり建物を揺らし、烈風へと化して、それらをことごとく空へ飲み込んでいった。
彼を救うことはもはやできまい。ましてや牢獄へ入れようと、死刑に処そうと。そもそも彼の力を街中で抑えられるものなどいないのだから、この場で処するしかない。
そう考えていると、いつの間にか私の周囲には巨大な竜巻、人をたやすく切り刻める力を湛えたもの、が三つ傅いていた。
私は声色を強め言った。
「いったい、誰が決めたのだ?あなたの方が強いと」
今、私は何か別の何かになっているように錯覚していた。そして高慢な声で続ける。
不思議だった。
「私は神から力を賜った者。いかに力ある水の勢力といえども、たかだか精霊から、風の中で生きる鳥の様に、水の中で生きる魚の同胞達から力を借りたに過ぎないあなたがどうして」
「どうして、私に勝てると考えているのだ?」
私はいつの間にか、口の端を吊り上げ、瞳は彼を獲物として捉えていた。
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次で最終回となります。