34 エーデルヴァインの憂い
魔物狩り大会から始まった一連の戦いは、トリシャの甲斐もあって幸いにも死者は出なかった。しかしカイルたちは要入院(特にユリウスは長期離脱となる)、他にも一層で怪人たちが暴れたせいで巻き込まれた冒険者たちも何人かが施薬院や教会に運び込まれた。
言わずもがな、大会はうやむや、無駄に負傷者を出しただけのはた迷惑な行事で終わる。
とはいえ、あのオバサンも相当堪えたのか随分丸くなっていた。責任転嫁でもするかと思ったが、全面的に被害者たちを助けるらしい。
そういえばユリウスが決死の魔法を使った時も、自らその魔力を貸し与えたそうだが……。
まあ、その辺は実際に会えば分かるだろう。
「どうぞ、お通り下さい。ザシャ様がお待ちです」
街の空き地の一角を貸し切り、建てられたザシャの仮住まい。木造の質素な家だ。
一体、どういう心境の変化が起きたのやら。何故か俺は彼女に呼ばれたのだ。トリシャも、と言われたもののまだカイルたちの治療で忙しく、一人で会う事になった。
俺は敬礼する衛兵に会釈し、ドアを開ける。
「……ああ、すまない。少し待ってくれるか」
部屋にいたのは一人の女性。朝の陽ざしのように柔らかいピンク色の髪の毛と、宝石のように煌びやかな空色の瞳。服装は魔導士特有の露出が全くない、地味で素朴なローブだがその美貌の前では宝飾など必要ないだろう。
「えっ、と。俺、ザシャ様に呼ばれてきたんだけど……」
「………」
女性は俺の顔をじっと見つめてくる。気まずくて視線を外したくなった時だった。
「……っぷ、アハハ! そうか、そうだな。分かる訳ないか」
彼女は心底おかしそうに笑い出す。
「私がザシャだよ。七大貴族が一人、エーデルヴァイン家現当主、ザシャ・フォルナ・エーデルヴァインだ。ご足労感謝する、我が命の恩人ラウラ・ヘルブスト殿」
「……え?」
今なんつった?
ザシャ?
この人が?
「えぇえええええ!?」
俺は作法も忘れ、驚くしかなかった。
「気づかないのも無理はない。ケバイ婆と、無垢な田舎娘。一流の暗殺者でも誤魔化せる自信があるぞ」
対面に座ったザシャはそう言って、陶器のカップに入った紅茶を上品にすする。
何度見ても、どう思い返してもあんな下品な年増と目の前の少女が同一人物には見えん。だがスキル鑑定はしっかりとザシャであることを示していた。
「……まあ、下らない前置きはこの辺にしておこう。今日、そなたに来てもらった理由はな」
コトン、とザシャはカップを置く。
「……少し長い昔話になる」
帝都七大貴族、エーデルヴァイン家。全ての魔導の頂点に立ち、その開祖はジークの伴侶になった初代シャルロット・フォルナ・エーデルヴァイン。
誇り高き彼女の名と血筋に恥じることは許されず、常に歴代の当主たちは偉大な魔法使いだったという。
「私もそうあるべく育てられた。私もそれが当然だった。でもな、私は弱かった。魔導の才に恵まれず、人の前に立つ風格もなく。一人、静かな場所で本を読み、空想に耽る方が性分だったのさ。信じられないだろう?」
ザシャは自嘲気味に続ける。
「周りはそれを許さなかった。才能が無くても私は長姉。無能でも当主になるのが定め。だから私の側近たちはこう、考えたのさ。『例え無能でも、人に恐れられれば貴族としての威厳は保たれる』、と」
その日から悪逆非道のザシャは生まれた。
その悪名を知らしめたのは、たった一人の妹殺し。
「ある日、妹は私の前から消え、私がその命を継承争いのために奪ったという風説が流れた」
しかし真実は継承争いでもなく、ザシャの残虐性でもなく、貴族という底知れぬ利権と地位によって生み出された醜い欲の果てが、彼女の妹の命を奪ったのだ。
慈しむ心のシャルロットの末裔でこんなふざけたコトが起こるのは、皮肉としか言えない。
「その後は……そなたらの知る私だ。男に媚び、金にへつらい、欲望を垂れ流す浅ましい女。それを演じてきた。そんなことをさせるシャルロットの血を憎んだし、彼女そのものに恨みを抱いた。だが、偽りの自分を作り出しているうちに、それが本当の自分なんだと錯覚していった。いつしか演技から本気になってしまったのさ」
私はどこまでも弱い当主よ、と言い捨てて首に下がったロケットを握り締める。
「ああ、すまない。長々と語りすぎた」
「いえ。俺も……あなたの事を良く知りもしないで、誤解してましたから。その、とても悪く」
見た目と言動だけで決めつけ、下に見ていた。
それは、かつてのガラフたちや俺を裏切ってきた連中と同じだ。それがどんなに辛いことなのか、よく分かっているのに。
「ハハハ、それが当然だよ。気に病むことは無い。私が言いたいのはこんな事じゃないんだ」
「え?」
彼女は握っていたロケットを開く。
「私は妹……リーシャはまだ生きていると信じている。ずっと探していた。確証はない。もしかしたら他人の空似、かもしれない。故にそれを――そなたに確かめてもらいたい」
「……俺が? でも、なんで。一体、誰なんですか?」
「ずっとそなたと共にいる者だ」
俺は、息を呑んだ。
一緒に、いる?
そんなの一人しかない。彼女以外、いない。
嘘だろ?
「トリシャ・エアラッハ。彼女はリーシャの生き写しなんだ」
ザシャが見せたロケットには、まだ幼いザシャと手をつなぐ、三白眼の少女の写し絵が収められていた。




