27 マスターピース
鈍い痛みと共にカイルは目を覚ました。
「ここは……?」
「やっと目を覚ましたか、寝坊助め」
ぼやける視線で見渡すと、呆れ顔で見下ろすユリウスと目が合う。近くにはアリアやシィナもいる。一気に先ほどまでの出来事を思い出し、カイルはがばっと身を起こす。
「みんな、無事なのか!?」
「最後まで目を覚まさなかった奴に言われたくないな」
ユリウスは鼻で笑うが、シィナとアリアはクスクスと笑っている。
「さっきまで『カイルが起きない。どうすればいい』って右往左往してたのにねぇ」
「ア、アリアさん笑っちゃだめですよ」
「シィナだって笑ってるじゃない」
「おいそこ!! 余計な事を言うんじゃあない!!」
忍び笑いで密談する二人を睨みつけるユリウス。バツが悪いのか何度も咳ばらいをしてから彼は、カイルの方へ向き直った。
「良いか、勘違いするなよ。お前は曲がりなりにも僕たちのリーダーなんだ。倒れられたら困るだけだ」
「あ、ああ。悪かったよ。みんなが無事でよかった。でも一体ここは……」
洞窟だろうか。薄暗く、空気は冷たい。カイルたちから少し離れた場所では、ザシャと護衛の騎士が言い争っている――というより、一方的にザシャが怒鳴っていた。
更に別の場所には担架に乗せられた巨漢の男が寝ていて、教会職員が心配そうに見守っている。
「あの貴族の人たちもここにいるんだ」
「ああ。ずっとあんな感じで話なんか出来やしないけどな。それよりも」
ユリウスはぐるりと周囲を睥睨する。カイルも追いかけるように視線を巡らせた。特徴的な鍾乳石が乱立するが、それ以上に目を引くものがある。
「墓石……?」
彼を囲うように大量の朽ち果てた墓標と、錆びついた武器が並んでいる。初めて見る光景だが、以前に別の冒険者たちの与太話で聞いたことがあった。
二層の深部に無数の墓と武器が混在する一画があり、そこは『墓の道』と呼ばれて恐れられていると。
曰く、力尽きた冒険者たちの墓場。
曰く、上層で死んだ魔物が葬られている霊廟。
曰く――ここには恐るべき何かが潜んでいるので、絶対に立ち入ってはならない禁足地。
「噂が正しいならここは墓の道だ……最悪だぞ」
「なんで、こんなところに」
カイルはまだ微かに痛む頭で改めて思い返す。
一層で魔物を狩っていて、終了間際になった頃だ。何故かザシャとお付きの騎士がいて、魔物に襲われていたのだ。自分たちもそれを助けるため、戦っていた時――。
「突然、気を失った……そうだろ?」
「ッ!? 誰だ!?」
誰のものでもない声にカイルたちは弾かれたように、その出所へと目を向ける。
そこにいたのは不遜な笑みを張り付けた炎の怪人だった。腕や足からは炎が燃え上がり、全身を這うように赤とオレンジの文様が刻まれている。
「魔物が人語を話すなんて……」
「気をつけろ、恐ろしく知能が高い奴だぞ」
人の姿こそしているが、明らかに異形の存在だった。カイルは既に狼光丸の柄を握り締めていたが、相手は困ったように首を振る。
「おいおい、ガッカリだな。そう警戒するなよ。どうせ――」
刹那、その怪人はカイルの背後に立っていた。
「なっ!?」
「勝負なんて一瞬で決まっちまうんだからよ。今は楽しもうぜ、チェリーボーイたち」
咄嗟に振り返るが、相手はニヤニヤとほくそ笑むだけだった。
もしその気があったら今ので自分は死んでいただろう、とカイルは認めざるを得なかった。
「みんな、今の見えたか?」
「全然。何アレ? ヤバすぎでしょ」
「クソ、ハッキリってレベルが違いすぎるぞ」
「気を付けてください……それしか、言えません」
つぅ、と冷や汗が背を伝う。逃げるべきなのは分かっているが、右も左も定かではない迷宮の最奥でどうやって敵に背を向けられようか。
選択肢は一つしかなかった。
「……やるぞ」
カイルは狼光丸とラウンドシールドを抜き放つ。仲間たちもそれに呼応し、各々の得物を構えた。
「へ、若い奴らが気張ってんだ。呑気に寝てらんねぇよな」
緊張感に包まれるカイルたちに巨漢の男が戦斧を担ぎ、近づいてくる。カイルはその男に見覚えがあった。魔物狩り大会が始まる前、ラウラたちと一緒にいたのをちらりと見かけたのだ。
「貴方は」
「俺はガラフ。名誉の負傷ってやつで戦線離脱したんだが……、まあ、ここにいるのはお前さん方と同じ理由よ」
そして斧の切っ先を炎の怪人へと向ける。
「テメェ、何モンだ? 何故、冒険者を攫う」
「クク、理由か。知りたいか? そうだなぁ――」
大仰な振る舞いで考えるような素振りを見せるが、次の瞬間。
「少しは楽しませてくれたら、教えてやるよぉおおッ!!」
全身から火炎を噴き上げ、ガラフに向かって吶喊していく。
「そーかよ」
ガラフもまた不敵に笑い、戦斧の柄をギリっと握り締め。
「ナメられたもんだな、俺も。【斧技・大激破】」
彼の巨躯に相応しい巨大な斧を片手で軽々と旋回、拳を作って突っ込んできた怪人目掛け、頭上から一気呵成に振り下ろした。
「!」
迫る刃を見て察した怪人は一転、軽業のように身を翻して斬撃の範囲内から外れていく。一拍おいて分厚い鉄の刃が地面を叩き、轟音とと共に岩々がささくれ立つ。
「ほぉ、大したパワーだ。人間にしては、やる」
「そいつはどうも。俺よりもスゲェ奴がいるけどな」
(なんてパワーなんだ! 流石、ラウラさんのパーティ!)
怪人の一撃を退けたガラフを見て、カイルは少なからず興奮を覚えていた。同時に自分も負けていられない、という気持ちも湧いてくる。
仲間たちに続くよう指示を出そうとするが、それよりも早く、無数の光弾が怪人へと飛んでいく。
「むッ!?」
飛翔してくる弾丸をその場で身を捩って躱していき、最後の一発は手刀で叩き落すと怪人はニヤリ、と口角を釣り上げた。
「ククク、今のエーデルヴァイン家は腑抜けたと聞くが、腐っても英雄シャルロットの血筋。面白いぜぇ」
打ち払った手から滴る血を見て嬉しそうに嘲笑う怪人に、ザシャの怒号が飛んだ。
「下郎が! 私に手を出した事、地獄で後悔するがいいわ! 【超新青】!!」
憤怒に顔を歪めたザシャの周囲に再度、光弾が数え切れないほど浮かび上がる。
「第五等位の魔法を詠唱破棄だと? これが全ての魔導の開祖、エーデルヴァインの才能か……ッ」
「す、スゲェ……」
呆気にとられるカイルと、どこか悔し気なユリウス。しかし今は戦場の只中。二人もすぐに武器を構え直し、ザシャの猛攻に乗じる。
「アリア! 後方から援護を! シィナは補助魔法をかけてくれ!」
「分かったわ」
「はい!」
仲間へ次々と指示を飛ばし、攻撃の間合いへと突入した。ザシャの魔法攻撃は今も続き、砂塵が舞い上がって怪人の姿は見えない。しかしカイルとて伊達に冒険者を名乗っているわけではない。
気配だけでも凡その検討はついた。確かに感じる怪人の炎の気配目掛け、必殺の一撃を狙い済ます。
「【衝け焼き刃】!!」
自身が扱える中で、最高の威力を持つ魔法剣。炎に生きる魔物でも耐えられない熱気と爆炎の刺突。それを渾身の力で撃ち放つ。
相手が圧倒的な格上である以上、全力でぶつかるしかなかった。シィナのサポートも加わり、生涯の中で五本の指には入るであろう会心の一撃が砂煙の向こうに怪人を貫く――、事はなかった。
「!? 馬鹿な……!」
煙が唐突に晴れる。
カイルの爆炎の刺突を怪人は燃え盛る左手で掴み取り、同じく気炎を上げる右手でザシャの魔法攻撃を防いでいたのだ。
「わ、私の魔法が……!」
「いやぁ、効いたぜぇ。人間的な痛みで言うなら、足の小指を角にぶつけたってくらいか?」
相貌が歪むの程の凶悪な笑みを零し、全身から火花を舞わせる。
「お、おのれぇ! ならばこの魔法で――」
「残念ですが、茶番はここで終わりです」
魔法詠唱を行おうとしたザシャの背後に何者かの影が擦り寄る。
「ザシャ様!」
護衛の騎士が守ろうと、その暗影へ斬撃を落とす。だが一瞬にして何かによって切り刻まれ、更に咄嗟に魔法で防御したザシャをも大きく跳ね飛ばす。
「かっ……は……ッ」
背中を節くれ立つ岩肌へ強かにぶつけ、呼吸を詰まらせるザシャ。そんな彼女の衣服にはいくつかの水滴が残っていた。
「こ、れは、水……?」
「はい。私は水の使いですので」
彼女の前に立つのは、炎の怪人と同じく人型の魔物だった。青を基調とした表皮には炎の怪人と同様の、しかしこちらは水を思わせるような文様が走っている。
「おいおい、冗談だろ……」
「おで、こいつ、やる。おまえ、力、強い。おで、分かる」
脂汗を額に浮かべるガラフの眼前には、やはり同じような魔物がいた。茶色の身体を持ち、大地を想起させる模様。
「だからサ、冗談キツイっての……」
「……神よ」
「悪いわねぇ。アンタらにとっては悪夢、でもあたしらにとっちゃ吉夢よ」
そしてアリアとシィナの前にも、緑色の躯体を有し疾風の象形を描いた魔物がいた。唯一異なるのは他の三人が男性型に対し、こちらだけ女性型であった。
「チッ、ンだよ。テメェらもう来たのか。せっかく盛り上がってきたのによぉ」
「遊び過ぎです、カハル。主は早急に実験に使う木偶を集めよ、と仰られたはず」
その言葉に炎の怪人、カハルは肩を竦めた。
「お前ら……いったい何者なんだ?」
ユリウスが疑問を投げかける。それに対し、水の怪人が口を開いた。
「私の名前はファヤダーン。至高なる主に作られし、究極生命体〝マスターピース〟が一人です」
「作られた魔物って、確かラウラさんも言ってたような……ミラリと同じなのか?」
「へぇ、アンタらミラリを知ってるんだ。あんな出来損ないと一緒にしないで欲しいわネ。あたしらは完成形なの。ミラリや一層で滅ぼされたヨルムンガンドとは格が違うのよ」
そしてあたしはそんなマスターピースの一人、イアサールよ、と風の怪人はウインクしてニッコリと微笑む。相好を崩してはいるが、目は全く笑っていなかった。
「ま、そういうわけだ。あんま抵抗しない方が良いぜ? 痛いのは嫌だろ?」
ゾクリ、と悪寒が一同の背筋を舐める。なまじ実力を有している分、彼我のレベル差は痛感している。
しかしカイルたちにもガラフにも諦める選択肢はなかった。どちらの胸の中にも、小さな聖騎士たちの姿が刻まれているからだ。
たった一人でヨルムンガンドに立ち向かっていた勇姿を。
伝説の魔物、ミラリを打ち破った勇姿を。
それが彼らの勇気となり、心を挫こうとする恐怖は払い除けられていく。
「みんな……力を、貸してくれ」
「皆まで言うな。分かってるさ」
「ええ、シィナも良い?」
「はい。こんなところで終わるつもりは、ありません」
確かな覚悟を宿す若者たちを見て、ガラフも自嘲気味に鼻を鳴らす。
「だ、そうだ。でアンタもやれるのかい? 貴族サマ」
「……私を誰だと思っている? 無礼な口を利くでないぞ、平民が!」
岩に打ち付けられ、蹲っていたザシャも乱暴に立ち上がる。その目つきはまだ戦意とプライドに満ちていた。
「気に入らねぇな……その瞳、その希望! 全部、ぶっ潰して絶望ってやつを教えてやるよぉ、人間どもォ!!」
カハルが炎を噴出させ、吠える。
第二ラウンドの幕が切って落とされた。




