25 英雄の冒涜者
空気の質が明らかに変化する。張り詰める緊張感は、認めたくないがヨルムンガンドやボゥボゥ・アルアインと対峙した時よりも遥かに強い。ヴェルトヴァイパーを握る手は、グローブ越しでも分かるくらいに手汗で湿っている。
「トリシャ、マルタ、気をつけろ……」
俺はとにかく彼女らが狙われないよう、立ち位置を調整した。同時に注意深く観察すると、すぐにその異質さに気づかされる。
奴の頭部に現れた人の顔。よく見れば右半分は年老いた男、左半分はうら若い女性の相貌になっている。全く異なる人間の顔がくっついているのだ。
「兄上……あなたは、そこまで堕してしまったのか……」
マルタのゴーレムがヨロヨロと立ち上がる。
「マルタ、平気か?」
「愚問、この程度支障はない」
マルタのゴーレムは俺の隣に並び立ち、デュナミスの顔を指差す。
「アレは錬金術の外法。簡単に説明する。兄はかつての力ある人間やエルフたちの墓を暴き、蘇らせ、一つの生命体として使役する方法を研究していた。まさか本当に戦力化するとは思っていたなかったけど」
「それが、デュナミスなのか?」
「肯定。よく見てみて。英雄譚が好きなあなたなら、あの顔はどっちも知っているはず」
促され、俺は改めてデュナミスの顔つきを注視する。
すると幼少期に読んだ、アシュタリルの英雄たちの歴史書に乗っていた顔ぶれを思い出す。
「錬金の神テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム……剣聖レイン・ブリュンヒルド……」
生きた時代は違えど、どちらも聖騎士王ジーク・オリバーに勝るとも劣らない実力と伝説を刻んだ、紛れもなく歴史上の偉人たちだ。
それが今、俺の目の前に……?
「生前の記憶と意志は既になくても、力はかつてのまま。しかし完全に制御化を外れている、恐らく兄は――」
マルタは最後まで言えなかった。まるで爆発したかのような凄まじい踏み込みを、デュナミスが見せたからだ。今までのスピードとは比較にならない、規格外の勢いと共に放たれた刺突を俺は辛うじてヴェルトヴァイパーの側面で防ぎ、受け止める。
防げたのは……悔しいが、マグレだろう。全く見えなかった。正に大地そのものの距離を縮めたが如きの神がかりの移動術。スキルではなく、剣聖レインが研鑽の末に編み出した神速移動術『劜縮地』だ。
「マルタ、下がってろ、次が来るぞ!!」
デュナミスの両手が眩く輝く。黄金に煌めく双剣が生み出され、薙ぎ払われる。レインの突撃に比較すればだいぶ遅いので難なく躱した――はずなのに俺は鎧の上から袈裟懸けに切り裂かれた。まるで丸腰のまま切り裂かれたように、防具が何の役にも立っていなかった。
「くぁ……チクショウッ!」
「ラウラァッ!!」
ただ剣じゃない。相当な力を宿した武具だ。でもあんなのは存在しない。彼が今この場で精製した、唯一無二のオリジナルだ。【大賢錬成】? 否、それよりももっと高位の能力。
錬金術の父、テオフラストゥスの奇跡『工房』。生涯を放浪で過ごした彼が貯蔵した、あらゆる宝物の格納庫だ。匣系とは異なり、これもスキルではなく彼が己の道を究める過程で神に授けられたという。
「危険、レベル差がありすぎる……!」
マルタの言う通り、例え死人でもその実力は神話級だろう。
二層をうろつく位の俺じゃ、逆立ちしたって勝てやしない。
「こンの、ラウラから離れて!! 【目潰し、耳削ぎ、鼻砕き、口封じ、魂尽きる!! 五つの闇業を以て汝は意志も無く、首垂れて帰依せよ!! 五体投獄!!】」
不意のダメージでバランスを崩し、よろける俺にデュナミスの双剣が迫る。しかし刃が到達する前に、トリシャの放った闇色に染まった楔が雨のように降り注ぎ、デュナミスの四肢を勢いそのままに壁面へと縫い付ける。
「これで、駄目押し……【魔素2.1マイブルー、鉄分1.3キルゴ、一角獣の革40ギドブルー。錬成開始】!」
マルタのゴーレムの左右の手の中に、大賢錬成を使った時と同じ種類の光源が灯る。光は細長い形となり、革製の紐へと瞬く間に変化していった。
「悔恨……しかし今の私たちでは、勝ち目はない……撤退する」
早くも右手の拘束を破り、起き上がろうとするデュナミスへとマルタは紐を投げつける。持ち主の意図を察したように動き、二重三重に巻き付いて再び奴の自由を封じた。
「トリシャ、ラウラの容態は?」
「今、回復魔法をかけた。ラウラのスキルも発動してる。なのに、治りが遅い……どうして?」
鎧には傷一つないのに、流血が止まらなかった。俺は防具を脱ぎ捨てて、確認すると肩口から脇腹にかけて、斜めに切り裂かれていた。
浅いのが幸いだが、血を止められねぇ。これもあの剣の追加効果か。少なくとも状態異常の類ではないだろう。
「心配無用。私が薬を作る。今はとにかくここから――」
「マルタ!!」
デュナミスが紐の拘束を破るのと、それを目撃した俺が叫ぶのはほぼ同じだった。しかしもう奴は【劜縮地】でマルタの目の前に迫っている。
ダメだ、速すぎて【司界】でも捉えきれねえ。これでは魔眼の影響下にすることも不可能だ。
「う、ぐぅ!?」
突撃の破壊力で巨体のゴーレムが轢かれたように軽く吹っ飛ばされていく。しかし奴の狙いはあくまでも俺なのか、この場から排除したマルタには目もくれなかった。
「させない!! 【守れ、護れ! 非力なる我らを! 兇刃を割り、砕き、潰し、聳え立つは金城万里の絶壁!! 斥刃の加護!!】」
刃を弾く守護の守りがトリシャと俺の前面に張られるが、『劜縮地』を使われたら間に合うはずがない。ところが奴は黄金の剣を構え、通常の剣速で振るってきた。
「嘘、この魔法すら貫通するの!?」
打ち出した防壁もアッサリ透過し、トリシャの表情が絶望に染まる。
一方で俺は別の事に気づいていた。
何故、今『劜縮地』を使わなかったか、だ。さっきもそうだ。俺に一撃を加える時も『劜縮地』を併用されていたら完璧に切り裂かれていただろう。
では、どうして使用しなかったのか? 違うな、恐らく、使えなかったんだあいつは。
剣聖レインの速力とテオフラストゥスの錬金術。その両立は行えず、どちらか一方のみの制約があるんだ。
この仮説が違うというなら、俺たちはとっくに殺されてると断言できる。無論あいつが思考するならブラフを疑うべきだが、マルタの言うように死人同然ならそこまでの策略を巡らせる知性はない。
だから――。
「ラウラ、避けて!!」
だから――、俺が手持ちのカードで切るべき最善の一手は。
「これしか、ない……ッッ!!」
デュナミスが振るった黄金の剣。俺はそれを片手で掴み取る。
もちろん、ただでは済まない。鋭い焼け付くような痛みが迸り、手は真っ赤な鮮血に染まる。
でも絶対に、放さねぇ……!
「――お前が、」
そしてもう片方の手で拳を握り締める。
「お前のような奴が、レインの、テオフラストゥスの力を騙るな」
その力は、その御業は、その奇跡は彼らだけのものだ。彼らが栄光の陰に隠された、苦難と苦渋の中で得た力なんだ。
それをお前が、お前みたいな奴が軽々しく使ってんじゃない。
「――今すぐ返しやがれ、クソッタレがッッ!!」
俺は握り締めた拳を、渾身の力で奴のツギハギの顔面へと叩き込んだ。
当然、こんな何の変哲もない打撃なんて通じはしない。
――狙いは別にある。
「【レベルドレイン】!!」
通じる確証はない。ただ、今のこいつは魔物より、人としての側面が色濃く出ている感じがした。
真正面からでは勝ち目がない以上、一か八かの賭けだったが――。
「デュナミスの剣が消えた!?」
貰ったぜ、この勝負――。
「これで、決着だツギハギ野郎ォッ!!」
再びの右ストレートが、今度は確かな手応えで奴の顔面へと突き刺さった。




