20 邪眼の王
「ラウラ、どんな魔物が――」
「トリシャ、岩陰から出るな」
危険だと分かるからこそ思わず語気が強くなってしまう。
「悪い。でも本当にこいつは拙いんだ。視界に入ったら、あらゆる状態異常ぶつけられる」
眼球の一つ一つが邪眼系の魔物の瞳になっていやがる。こんなバケモン、見たことも聞いたこともない。
「目玉が全部……そんな、あり得ない……ッ!」
人間のスキルじゃどうやったって状態異常を百パー予防する術は――ないだろう。せいぜい、半々だ。
今、こうして相対している間にもとんでもないペースで呪詛が撃ち込まれてきてる。それを全て耐性スキルで無効化にしているが、こんな芸当出来る奴、他にいるんだろうか……。何が何でもここで倒さねば、大変なことになるぞ。
俺は不気味に視線を走らせる目玉の怪物を見据える。【ステータス鑑定】が発動し、半透明のボードが浮かんできた。
【ボゥボゥ・アルアイン】
様々な邪眼系モンスターの瞳を組み合わせ、作り出された目玉の王。あらゆる魔眼の力を備え、視るだけで人を破滅に導く。
この目玉を潰すことこそが勝利への第一歩になる。
作られた魔物……ミラリと同じだ。一体誰がこんな存在を生み出しているというのか。
疑問は尽きず、湧いてくるが悩んでいる時間はない。こいつに誤算があるとしたら、俺に攻撃をしてしまったことだろう。
「なあ、お前もたまには自分の技を食らってみろよ――【狂乱の瞳】」
発動した右目が疼く。なるほど、これがアリアの言ってた魔眼の代償か。実害はないけど、強い不快感を覚える。
相手を激しい狂気に陥れる必殺の視線、しかし奴の挙動に目立った反応は起きない。まあ――自分の毒で死ぬ魔物は居ないわな。
と思っていたら、当てもなく蠢いていたボゥボゥの瞳が動きを止め、一斉に俺を睨んでくる。
かぁっ、きもちわり。なんだこいつ……。
「ん?」
不意に全身を殴りつけるような衝撃が俺を襲う。虚を突かれ、大きくのけぞらされるが慌てて踏ん張って耐えた。
「いってぇな、糞……ああ、攻撃系の魔眼か」
何も邪眼系は状態異常を振り撒くだけではない。アリアのような攻撃に秀でた魔眼の種も存在するのだ。
俺に状態異常は通用しないと踏んで、直接攻撃に切り替えてきたらしい。
「そんなもの、効くかよっ!」
お返しとばかりに、俺は一気に距離を詰める。間合いに突入すると同時、ヴェルトヴァイパーを真横から薙ぐ。防ぐ素振りすら見せず、棒立ちの奴の胴体に渾身の一撃が食い込む――はずだった。
まるで鉄塊を直接斬りかかったような硬い感触と、鋭い金属音。刃は奴の肉に届く寸前の、何もない空間で受け止められていた。
これは――魔法的な守りか?
「ラウラ、邪眼系の瞳の力は魔法に匹敵するくらい多種多様だよ! 気を付けて!」
「あいよ!」
俺は一旦、大剣を引いて下がる。
どーっすかなぁ。互いにジリ貧じゃないか。あいにくグルメ山ではあんま強力な戦闘スキルは得られなかった。せいぜいヨルムンガンド対策で使えそうな狼王のスキル程度だろう。それもボゥボゥ相手では通じるか微妙な所だ。獲得したばかりの魔眼の攻撃系も然り。
だったら魔法的な守りならトリシャに頼むのが一番だが、耐性のない彼女を危険な視界の中に運ぶことになる。やっぱあの目玉共をどうにかしなきゃ、駄目っぽいな。
実験的に目を閉じてみたが、相変わらず一般人なら一発でぶっ飛ぶ効果に晒されてるし、こっちと目が合う合わないは関係ないな。とにかく奴に見られた時点でアウトのようだ。
とはいえ、目を潰すにしても攻撃は防がれる。長期戦覚悟でやれば突破口を開けると思うが、他のパーティが近くに来たら巻き込む恐れも……ん? 待てよ。
「トリシャ! 夜光露の最大光量はどれくらい出せる?」
「夜光露? それなら、この一帯を昼間に変えることも出来るけど……」
「いや、範囲は最小でいい。ありったけの明かりをあの目玉野郎にぶつけられるか?」
「……近づくことが出来るなら。至近でやれば、確実に視力は奪えるかな」
意図を理解したらしい。あとはどうやって野郎の視線を搔い潜ってトリシャを連れていくかだ……。
「よぉ、何を目論んでんのか分かったぜ! バケモンの視界を遮るのは俺にやらせてくれ」
「ガラフ――」
「心配すんなって。見た目の通り、タフさが俺の取り柄だ。耐性スキルもちったぁ覚えてんだぜ?」
俺の心配を余所にガラフは答える。
「……分かった。俺の合図で飛び出してくれ」
大事なのは視界に入らないことだ。今までの戦いに比べりゃ簡単だろう。
「試すか」
俺は【匣】を起動。取り出し口は――ボゥボゥの目の前だ。
「ガラフ、今だ行け!!」
目玉野郎の目前に弾き出されたのは、いつぞやのヨルムンガンドの死体だ。可能な限り激しく奴を巻き込む位置取りで取り出したので、砂煙と蛇の巨躯が視線を遮る障害物になった。
「おっしゃぁあ!!」
刹那、戦斧を担いだガラフが岩陰から飛び出す。
「いくぜぇ、【トラッシュボンバー】!!」
ドゴン、とヨルムンガンドの死体が拉げながら吹き飛ばされ、ボゥボゥの殺人視線がガラフを捉える――より、僅差で。ガラフの戦斧が鍾乳石を叩き壊し、無数の岩片と砂塵を前方に撒き散らした。
飛散する鋭利な礫は、俺の斬撃と同様に全て奴の不可視の守りに跳ね返されるも、狙いはそっちではない。濛々と舞い上がる砂煙は奴の周囲を包み込み、隠してしまった。
ご自慢の魔眼もこれでは使い物にはなるまい。
「トリシャ!」
「分かった!」
続いてトリシャが影から飛び出してくる。俺はそのまま彼女を抱きかかえると一気にボゥボゥの至近に距離を詰めた。
「【古き光よ、全ての道を――】」
だがトリシャの詠唱は途切れる。
ボゥボゥを包んでいた煙のヴェールが、いきなり剝がされたのだ。
まさか、これも奴の魔眼の力か!? 夥しい眼差しがトリシャへと向こうとしている。
「う、あ」
「――ンの野郎!!」
俺はトリシャを庇う。だが、男だったときの体格なら問題なく出来たであろう身代わりにはなれなかった。俺とトリシャの背丈は等しい。どうやっても彼女を完全に視界から遮断する事は無理だった。
盾さえあれば――!
「やらせるかぁああああ!!」
その時、巨体が俺たちを押し倒し、のしかかるように両手をついてボゥボゥの目線の前に立ち塞がる。
ガラフだった。
「ぐがぁああああああああああああああ!?」
同時に苦悶の咆哮が上がった。いくら耐性があろうと、この化け物の視線をまともに食らえばどうなるかなんて――。
「トリシャ、やれ!!」
「【夜光露】!!」
眩い、太陽のような閃光が奴の爛れた狂眼を灼く。口がないのにどこから発しているのか、地獄の悪魔のような断末魔の叫びが洞窟内に響き渡った。
「食らいやがれ、糞目玉野郎!!」
俺はヴェルトヴァイパーを振り抜く。刀身内部に仕込まれたワイヤーが伸長し、鞭のような軌跡を描いてボゥボゥを絡め捕った。
目の前で浴びせられた光に奴は完全に狼狽し、魔眼の力を失くしていた。
「――締め上げる!!」
更に力を籠め、一気呵成に刃を引き絞った。瞳を抉る白刃は一層深く食い込み、そのままブツ切りに断裁していく。
どす黒い血しぶきと硝子体の残骸がバシャッ、と地面に広がった。二度と使い物にならないように、徹底的に潰してやるしかない。
俺は荒い呼気を繰り返し、倒した余韻に浸りかけるがガラフの呻き声に我に返る。
「じっとしていて! 今治すから!」
トリシャの回復魔法の光が患部に溢れる。
俯せに倒れ伏す巨漢。背中は焼け爛れ、あるいは凍てつき、あるいは腐り果て、あるいは……。
「糞……!」
俺も【匣】からポーション、止血帯、軟膏を取り出す。
なんて酷い有様だ……! こんな悍ましい傷は見たことねぇ!
「ヘ、ヘヘ……どうだよ、具合は?」
「喋るな、大したことないから」
嘘だ。
一刻を争う致命傷だ。俺はガラフの口にポーションの薬瓶を近づけ、飲ませる。
チクショウ、どっから治療すりゃいいんだ?
「なあ、ラウラ……トリシャ。俺は、ずっと、どうすればいいか分からなかったんだ。俺は、お前らに最低の事をしてしまった」
ガラフは熱に冒されたような虚ろな語気で呟く。いつもの豪快な張りはない。
「スキルなんか無くたって、お前らは俺なんかより、スゲェよ。こんな痛みを……いや、比較するのもおこがましい痛みを何度も体でも心でも味わってきたんだよな……俺は、バカだ。本当に、救いようのない、バカだ。だからせめて、いざって時は、全てを擲って守るつもりだった。その役目を果たせて、良かった」
投げ出されたガラフの手が土を握り締める。
こいつは、まだそんなことを気にしていたのか……。
「ああ、お前はバカだよ。俺たちは許したって言っただろ! 間違えたってやり直せるんだ!! 勝手に一人で完結してんじゃねぇよ、この大馬鹿野郎が!」
「本当に、そうだよ。ボクたちがこんなことされて喜ぶと思ってるの? ふざけないで!」
トリシャも珍しく言葉を荒げていた。立て続けに施される回復魔法が驚異的な再生速度でガラフの傷を癒し始めている。
でも彼の顔色は生気を帯びていない。無数の状態異常が生命力を蝕んでいるんだ。
「駄目だ……今のボクの回復魔法じゃ治し切れない呪いがある……」
「薬はどうだ?」
「ううん、ノイスガルドにもあるかどうか……かなり貴重な素材だから」
トリシャは悔し気に唇を噛み締めていた。俺は地面を殴る。何か使えるスキルは無いのか? この前のポーションみたいに、希少な治療薬でも良い。
何か……。
「っ!」
ズン、と音が鳴る。もう一度。更に、立て続けに規則正しく。
近づいてくる。デカい奴だ。
「こんな時に!」
俺は足音の方へ向き直り、大剣を掴み取った。出くわした瞬間、魔眼をぶちかましてやる。
そしてズシン! と一際、大きな響きと合わせ、砂が舞う。
「やめろ……敵じゃない」
そこにいたのは、以前出会った錬金術師の少女――マルタ・リーヴの操るゴーレムだった。




