2 もう一つの生
「う、ごほっあ!?」
沈んだはずの意識が再浮上した。何度息を吸い込んでも肉体が空気を求める。俺は涙ぐみながら必死で呼吸を繰り返す。
俺は、生きてるのか?
握り締める草の青臭さ。森に漂う土の匂い。全身を撫でるそよ風。まがい物や幻ではなく、現実のものだと認識した時、俺は生まれて初めて神に感謝した。
「……でもなぜ、生きてるんだ?」
辺りに人の気配はない。誰かが介抱してくれた――訳ではなさそうだ。続いて傷口を確かめる。変わらず血で濡れていたが、あの目を背けたくなるような傷跡はどこにもない。痕跡さえも……。
ただ代わりに――禍々しい、明らかに不自然な紫の光が傷のあった場所を包み込んでいる。
これは魔物のスキル……?
自動発動タイプのスキル【肥え太る遺骸】。効果は一定時間自身の傷を修復させる。たった今俺が倒した魔物たちのスキルだ。
それを何で俺が? 生きていたのはこいつのお蔭? だが、あの時俺は確かに――。
思い返し、ゾクッとした。
アレが死の感覚……。寒いわけでもないのに身体が震えてくる。
「大丈夫だ……大丈夫……生きてるから」
何度も言い聞かせ、心を落ち着かせる。まだここは迷宮内。冷静さを欠けば、今度こそ命を落とすだろう。
とにかく、まずは調べるんだ。
人間が魔物のスキルを使ったなんて聞いたことない。身体に何か異変が生じた可能性もある。
俺は腰の袋から拳大の結晶、『メモリーコア』を取り出す。自分の健康状態やスキルなどを見直す時に使う魔法のアイテムの一種だ。
掴んで念じると、空中に文字が投影された。
ラウラ・ヘルブスト
はぐれ騎士
健康:良好
スキル
・ラーニング
・肥え太る遺骸
やはりそうだ。
予想通り空欄だった場所に魔物のスキルが明記されている。
そして、その上のラーニングとは一体……。そんなスキル、聞いたことがない。
……こうなったら教会で聞くしかないな。
何も祈るだけの場ではない。困ったら教会で聞く。冒険者、いやこの世の常識だ。
俺は立ち上がる。体力はすっかり回復していた。だが、何だろう。奇妙な違和感を身体に覚える。どこかがおかしかった。
……視線の位置が低い? あと鎧のサイズも全然合ってない。ブカブカだ。
まるで肉体そのものが縮んだかのような――。
「っ?」
自分の喉を抑える。待て、俺の声はこんなに高かったか? それになんだ、この白い髪の毛は。こんなに長くないし、俺の髪色はくすんだ茶髪だ。
おかしい。何かがおかしい。俺は今、どうなっている?
傍を流れる小川に近づき、覗き込んだ俺は――絶句した。水面に映ったのは十数年見慣れた、シケた男の顔ではない。
まだあどけなさをふんだんに残す少女。宝石のように紅く綺麗な双眸、病的なまでの純白と、澄み渡る白銀を混ぜたかのような長い髪。街で見かけたら間違いなく一目ぼれしそうな造形美である。
「冗談だろ……」
問題は、それが俺自身ということだ。鏡は時に偽りを映すが、自然に流れる川が邪知を持つことはない。
もちろん全く前例がないわけではないし、人為的な工作も可能だがこんな迷宮奥地でやる意味はない。
つまるところ、ほぼ間違いなく俺の性別は変異している。死にかけた時に何らかの呪いがかけられたか、それとも誰かの嫌がらせか。だが呪いを受けたなら結晶の情報に異常が出るハズ……。
一人で考えても堂々巡りだ。全部ひっくるめて教会で聞くしかないだろう。
のんびりしてる余裕はない。一刻も早く迷宮から出ないと。