8 滲み出る不穏
迷宮から戻ると、空はオレンジ色に染まっていた。思いの外、長く探索をしていたらしい。
色々あったしなあ……正直、あの特殊個体から得たスキル使うだけで、かなり楽できそうだ。いや、興味ないんだけどさ。絶対面倒事も増えるし、何よりも俺の目的は迷宮の踏破、そして聖騎士の名誉を取り戻すこと。
商人や賢者、錬金術師の方々の食い扶持を脅かすことではない。獲得したスキルはあくまでも俺の冒険での範囲内に収めるべきだろう。
「これで今日の冒険は終わり。トリシャ、お疲れさま」
「うん。今日も無事に戻れたね、ラウラもお疲れさまー」
無事に帰れたことを感謝し、互いに拳を軽くぶつける。ラーニングは魔物にしか効力を発揮しないので、トリシャのスキルを覚えることは無い。
後はソウジにクリスコアを提出するだけだ。第二層の冒険も佳境に入ってきた感じがするな。
マルタや特殊個体と言った懸念事項はあるけど……。
「ハリー、いるか?」
俺は教会のドアを叩く。今日も酒場でどんちゃん騒ぎ(相変わらずミルクしか飲めないけどな)したので時刻は夜更け、人通りもまばらだ。トリシャは俺の背中でぐっすり寝込み、夢の中。
「ハリー?」
返事がないのでドアを開ける。留守? あいつが教会を開けるなんて珍しいな。
「いないのか……」
住み込みのシスターもいるのであまり大声を出すのは良くない。
と、その時慌ただしくガラフが奥の部屋から出てきた。
「お、ラウラか。緊急の出動要請がかかってな。二層でいくつかのパーティが遭難したらしい。ハリー神父は一足先に現地だ。何でも、かなりの数の死傷者が出てるそうだ」
焦っているのか、こちらが聞く前にガラフは早口で事情を説明してくれた。
「まさか……この前のヨルムンガンドみたいなのが?」
あるいは、あの特殊個体。ゾクッと嫌な予感が背筋を這う。
「さあな。でもただ事じゃねぇぜ。クソ、こんな状況で貴族様のお遊びなんか企画してる場合かよ!」
貴族? そう言えばこの前、酒場で帝都の貴族がどうとか聞いたような……。なんかまた色々、よろしくないことが進行中か?
「分かった、俺も行く」
「おい、今日はもう迷宮に潜ってるだろ? 無茶すんなよ」
「大丈夫、こう見えても身体は丈夫なんだ」
「……そうかよ、ならトリシャは向こうの部屋に寝かせてこい。夜番のシスターがいる」
夜の迷宮は、一変する。特に今夜みたいな月のない日は魔物たちが活発になり、遭遇する頻度が一気に跳ね上がる。無謀なノイスガルドの冒険者すら夜間の探索は嫌うほどだ。
もちろん、あえて夜に挑む破天荒な奴らも少なくないが。迷宮三層の到達者はそうした者が多いと聞く。
「一層程度のなら俺の戦士スキル、【威圧】で蹴散らせる。二層入り口まで一気に行くぞ」
【威圧】は自分より弱い存在を跳ね除けるスキルだ。しかし逆に強い敵には挑発と見なされ、呼び集めてしまう欠点がある。
まあヨルムンガンド相手にも怯まなかったガラフなら、一層の雑魚敵は問題ないだろう。
「分かった」
ランタンの明かりを灯し、俺たちは闇夜の獣道を駆け抜ける。新月の迷宮はいつも以上の闇を湛えていた。魔物たちは歓喜し、活性化している。
だが、ガラフのスキルの効果で無駄な戦闘を挟むことなく、二層の入り口が見えてきた。周囲には篝火が焚かれ、普段は人気のない場所なのに多くの冒険者や教会関係者が駐屯していた。
やはり只事じゃない雰囲気だ……一体どれだけの被害が出てるのか……。
「ハリー! 状況を教えてくれ!」
担架に乗せられた負傷者の前で治癒魔法を唱えているハリーを見つけ、ガラフは近づいていく。
「早かったな。ん、ラウラも来たのか?」
「ああ。この前のヨルムンガンドや特殊個体の事もあるからな」
「話が早いな。残念だが……〝それ〟絡みだ」
「……く」
嫌な予感が的中した。
ハリーは治療を終え、立ち上がる。
「遭難パーティの数は確認できただけでも十一グループ、負傷者三十八名、死者十六名。近年の遭難事故では最悪レベルだ。ソウジは既に救援隊として二層に突入している」
「なんて数だ……」
ガラフが顔を歪める。俺も聞いたことのない数字に眩暈がした。確かに毎日、怪我人や死人は出るが二、三人……多くても五人を超えることはまずない。
最近はその数も増加傾向にあったが……不死身のヨルムンガンドや特殊個体のせいで。
「何にやられた? あの時みたいなヨルムンガンドか?」
「会話が可能なものすべてに聞いて回ったが、一様に同じ答えだったよ。『アレはただのスペクターだと思っていた』」
「あいつか……」
そもそもスペクター自体、そう見かけるタイプの魔物ではない。単独行動する冒険者を狙う傾向が強く、常に複数での探索が推奨されている迷宮内において、余程熱心に探さなければほぼ出会うことは無いだろう。
強さも中の下、二層を進む冒険者なら対処できる程度。だからこそ、この遭難事故を招いたのだろう。
滅多に見かけない魔物を見つけ、強くもない。せっかくだから倒そうと大体は考える。だけどそれは見た目が似ているだけの、異次元の存在。ヨルムンガンドすら葬る怪物だ。
おまけに奴は過度な接近や敵対行動に反応する。攻撃なんてしようものなら……。
「畜生、なんてこった……」
ガラフが呻く。
果たして俺が勝てるのか? あんなヨルムンガンドを容易く倒す奴に。第一、あの不死身の蛇だってトリシャの魔力があったからトドメをさせたんだ。
……どうにかなるとは思えないが、無視できる状況でもない。
「やるしかない……」
死闘は避けられないだろう。だが、既にソウジが先行しているしガラフもいる。すべてを守るのが聖騎士なんだ。トリシャだけじゃない。
「ガラフ……」
「おう」
「背、預けるよ」
「――任せろ」
俺たちは覚悟と共に、雰囲気を一変させた二層へ突入した。