5 ギルドマスター
ノイスガルドの中心街。最も人が多く行きかう大通りに面した立地にギルドの施設はある。
剣と盾の看板を下げ、帝国の紋章が施された旗がはためいている。
「最近は利用してなかったが、意外と便利なんだよなここ」
要は仕事の斡旋所だ。冒険者なら誰でも実力に見合ったクエストを紹介してくれる。
中に入ると、酒場を兼ねた内装なので昼でも多くの冒険者たちが屯している。俺たちが入ってくると無遠慮に視線を寄越してくるが、いつもの事だ。堅苦しいマナーなどこの街にはない。
「ギルドマスターに呼ばれてきたラウラとトリシャだ」
俺たちはそんな目線を受け流し、受付に座る職員に声をかける。姿形こそ人間だがその皮膚は金属で、躯体に張り巡らされているのは複雑な配線。目蓋が存在しない無機質な単眼は、小さな駆動音を立ててこちらを見た。
「ようこそ、ギルドマスターがお待ちです」
彼は人間ではない。古の錬金術師が開発したゴーレム以上に繊細で強力な絡繰人形だ。
「凄い……こんな高度な絡繰、初めて見た……」
初見のトリシャも驚きを隠さずに彼を見る。
「初めまして、トリシャ。私の名前はBN三号。気軽にバーンとでも呼んでください」
動作こそ絡繰らしいぎこちなさは多少あるが、言葉は人間のそれと遜色ない流暢な喋りだ。
「ラウラ、あなたの身に起きたことはハリー神父から聞き及んでいます。さあ、どうぞ」
バーンは席から立ち上がり、ガシャガシャと重量感のある足音を発して案内していく。ギルドマスターの部屋は三階の執務室だ。
さて、初対面になるわけだが……どんな人物か。
「マスター、ラウラとトリシャです」
「入れ」
バーンのノックに若い男の声が部屋の中から返ってきた。両開きの大層な扉が開くと正面に執務机が据えられ、一人の男性が座って筆を動かしていた。
くすんだ赤色の短髪と切れ長の双眸。線の細い輪郭だが、ジンベエと呼ばれる極東の国で着衣される衣服の下では、筋肉が極限まで引き締まっているのだと俺は理解する。
「……すまないな、仕事が溜まっていて。まあ、そこに座っといてくれ。もう終わる。バーン、茶でも出しておけ」
「分かりました」
俺とトリシャは机の脇にある座り、心地の良いソファに腰を下ろす。すぐにギルド長もペン立てに筆を投げ入れ、対面の席に着いた。
「息が詰まる敬語は抜きでいこう。オレがノイスガルド・ギルドマスター『ソウジ・サカタ』だ。ここらじゃ珍しい東の国の出身さ」
「盾役のラウラ・ヘルブスト……」
「魔導士トリシャ・エアラッハ――です」
「そうかしこまるな。気さくに話せ。冒険者に肩を張ったマナーなど不要だろう」
流石にギルドの長ともあれば緊張するのだが、相手はあっけらかんと語る。実際とても気さくで初とは思えない親しみを帯びていた。
「お茶をお持ちしました。どうぞ」
バーンがティーカップをテーブルに並べる。緑色に濁っているように見えるが、これは極東の一般的な飲み物だ。『緑茶』という名前らしい。
「熱いうちに飲むのを勧めるぞ? その方が美味い」
淹れ立ての茶をソウジは一気に飲み干す……俺も真似してみるが、かなり熱くてチビチビ飲むしかなかった。トリシャに至っては飲めてすらいない(猫舌のようだ)。
「よし、さっさと本題に入ろうか。お前たちが先日遭遇したヨルムンガンドの異常個体……実はソイツだけではない」
「――え?」
「既にいくつも報告が上がっている。迷宮内に出没する異様な魔物の目撃例がな」
「他にもあんな奴らが……!?」
反射的に身を乗り出してしまう。倒しても死なない異常な個体が、まだいる。そんなの初耳だ。
「最初にそのヨルムンガンドの情報が我らギルドに入ったのは数か月ほど前だ。二層でとあるパーティが……」
ソウジはトリシャを見る。
「大丈夫、です。続けてください」
軽く頷いて続きを促した。
「……有望株だったパーティが壊滅してな。その日から他にも既存の情報とは大きく逸脱した魔物たちがうろつくようになった」
「そもそもヨルムンガンドが一層まで上がってきたのも奇妙な話です。こんなことが頻発すれば一層にホットスポットが出来てしまうでしょう」
バーンの言う通りだ。タルタロスの魔物の分布は階層ごとに異なり、基本的に奥に進めば進むほど強くなる。
何故かと言えば。地上に近ければ必然的に多くの冒険者と遭遇することになり、魔物たちからすれば安全に子孫を残すのが困難になる。
だから魔物は地下深い場所を目指す。しかしそうなれば今度は互いの行動範囲が重なり合い、縄張り争いが激化していく。つまり負けたものはどんどん淘汰され、上層へと追いやられてしまうのだ。
ヨルムンガンドは二層の生態系の頂点――いわば王様だ。そんな奴が危険度の高い地上に出てくるのは実に非合理的と言える。
「人の味を覚えたから、それを求めて多くの冒険者がいる地表に出てきた、とか? 確かにリスクは高いけど、冒険者に成りたての人もたくさんいるし……」
「最初は食えるだろう。だが、すぐに討伐隊によって滅ぼされるだろう。三層に到達したものからすれば、あの程度の魔物は赤子の手をひねるより容易い」
トリシャの疑問にソウジは自信を持って答えを出す。例え不死身でも俺たちが倒せたように、それ以上に短い時間と行動で息の根を止められる……それが深層到達者だ。
強大な魔物たちは本能的にそれをよく知っており、人の味を占めても上に出てくることは無い。ヨルムンガンドもその種類に属するはずだ。
「まあ当面は一層の警戒態勢を強くし、情報の統制も続ける予定だ。迂闊に冒険日報に載せようなら、怖いもの見たさで二層に突っ込む阿呆が増える可能性すらある」
なるほど、情報封鎖の理由か。ノイスガルドの冒険者は命知らずばかりだしなぁ。
そうじゃなきゃ冒険者なんて目指さないけど。
「それで、だ。あの生臭神父の伝書鳩で読んだが、お前たちも第二層の攻略を開始したようだな」
「一応、地下三階までは」
「ふむ、十分だ。二層でも通用するレベルと言える。そこで一つ頼みたいがいいか?」
「頼み事?」
「そうだ。なに、簡単な任務でな。二層に挑む全てのパーティに頼んでいる。バーン、見せろ」
バーンがテーブルに一掴みの結晶を置いた。メモリーコアのように映像が空間に投影されるが、現れたのは魔物の立体図。
その姿には見覚えがあった。
――こんな魔物を見なかったか?
マルタの羊皮紙に描かれていた魔物のスケッチ。それと瓜二つ……いや、同一だろう。細部まで一緒だ。
「ここ数日、第二階層で目撃情報が多発している魔物だ。スペクターと類似しているが、背中の鳥のような翼はスペクターにはない。こいつと出くわし、全滅や半壊を喰らったパーティは三つもいる。間違いなく特殊個体だ」
スペクターは二層で出現する霊体モンスター。禁止種でも何でもない、二層に挑める力量なら問題なく撃破できる相手だ。
「ヨルムンガンドのような強敵ではないからな。普通のスペクターと勘違いして返り討ちに遭う奴が続出している。そこで二日前から二層に向かうパーティにコイツの観察を頼んでいるんだ。いずれ討伐するが、今は情報を集めたい」
「つまり見るだけでいいのか?」
「そうだ。この映像記録結晶『クリスコア』に記録してほしい。……とは言え相手が相手だ。断っても構わない」
見るだけか――それなら危険性は薄そうだ。そんなに強いならラーニングも挑みたいが、流石に無謀だな……。
「トリシャはどう?」
「ラウラがやるなら……ボクは賛成だよ」
よし、じゃあやってみようか。
「分かった、やってみる」
「かたじけない。奴の生息域は二層の地下三階だ。過度に近寄るか、敵対行動を取らん限り襲われないことも判明している。ヨルムンガンドの群れも近くで確認されているから気をつけろよ」
俺は頷いてクリスコアを受け取り、腰の道具袋にしまった。
「お気をつけて。これは私からの餞別です。迷宮内でも簡単に作れるよう改良したインスタント緑茶です」
そしてバーンからは何故か緑茶のパックをたくさん貰った。本当、何故だ……。
ソウジとバーンはギルドを後にする二人を窓から見送る。
「気になりますか?」
バーンがその背中に声をかけた。
「ああ。たった二人で禁止種の特殊個体を倒したんだ。あのままヨルムンガンドが野放しになっていたら有志を募る予定だった。そんな有望な若者たちを迫害するとは……たわけが。今後は更にそのような行為の規制を強めていくぞ」
「占い師の暴走ですか。そういえばあなたが更迭したギルド副長も、やはりクロでした。彼の私室から、これが」
彼は丁寧に包んだ布を広げた。
表面には禍々しい文様が描かれている。
「――帝都を拠点に拡大しているカルト教団の旗印です。占い師たちは彼らとの接点を否定していますが、間違いなく通じてるでしょう」
ソウジは振り返り、眉根を顰めて見つめた。
「一体、これは何を意味している?」
無数の牙を生やした巨大な獣が、盾を砕く。過去のどんな宗教にも当てはまらない文様だ。
「ノイスガルド教会のハリー神父によれば、盾は聖騎士を意味している、とおっしゃっていました」
「聖騎士? なら、この黒い獣は……」
聖騎士……盾役――迫害……占い師。いくつものワードが浮かぶが、噛み合うことなく消えていく。喉元まで出かかった答えにもどかしさと苛立ちを覚えた。
「そこまではハリー神父も存じないと……」
「そうか」
ソウジは再び窓の外に目を向ける。既に二人は人混みに紛れ、見えなくなっていた。
「いい天気だ――だが、どこか晴れないな」
季節は爽やかな初夏。しかし何処かの場所で底冷えする闇が蠢いているように思えてならなかった。




