12 想い重ねて
再び蛇の突進が盾に炸裂する。消しきれない威力と重量が全身の骨を軋ませる。
「くっ」
血の唾を吐き、俺は挑発するように剣で盾を叩く。【肥え太る遺骸】の回復は継続して行われているが、ダメージ量に負けている。遠からず押し切られるだろう。
「受けてるだけじゃ、ダメだ……!」
何度目になるかも分からない驀進を、今度は盾の角度を変えて上手く力を分散させる。
右腕の感覚はもうほとんどない。
あと何分だ? クソ、頑丈さだけが取り柄だろ! 多少の無茶くらい耐えてくれ!
「ラウラ!!」
トリシャの悲鳴でハッとする。素早く身体を引いたヨルムンガンドの両目が爛々と輝いた。
「――ッ!!」
ダメだ。間に合わない。
ならば。
「【ガンマ】ァアアッ!!」
俺も手を翳し、叫ぶ。灼熱の爆撃が叩きつけられ、互いに身を焼かれていく。
「【エア、ライド】ッッ!!」
視界を埋め尽くす紅い炎を振り払い、全力で地面を踏み抜いて跳躍。
それなりの高さを稼ぐものの勢いはすぐに減速し、重力に引かれていく。
「喰らえェッ!!」
体重、装備の重量、速度、重力、スキル。考えられる限りの力をかき集め、更に加速させる。
極限まで研ぎ澄まされた鉄の切っ先が、かつてトリシャにつけられた額の古傷を深々と抉っていった。
「がっぁああああああっ!」
激しい痛みに暴れ始めるヨルムンガンド。不安定な足場では踏ん張ることもできず、俺は剣を手放してしまい、勢いよく振り落とされる。
「くぅ!」
何とか受け身を取り、草地をゴロゴロと転がる。下が柔らかい土で良かった。剣を失くしたのは痛手だが、盾さえあれば何とかなる。
俺はまたしても突っ込もうと身を屈めるヨルムンガンドに、盾を向けた。
「ラウラ……ラウラ!!」
刻一刻と彼女の身体は傷ついていく。ボクは動けない自分の情けなさと不甲斐なさに怒りを感じていた。
このままじゃ本当にラウラが死んじゃう。また大切な人を――!
「うご、いてぇ!!」
びりびりと痺れる腕に命令しても、その遺志に反して動こうともしない。
どうすればいいの? どうすれば助けられるの? 考えなきゃいけないのに、焦りばかりが募っていく。
「ぐあっ!」
ラウラがヨルムンガンドの体当たりに跳ね飛ばされる。
背中から地面に落下し、何度もせき込んで吐血した。
「ラウラ!! もう逃げて!」
ボクは我慢できずに叫ぶ。このまま君を失いたくない! 元々ボクは死ぬはずだったんだ。なのにあの時も、みんなが……!
「―――」
血まみれの顔でラウラがボクに振り返った。
猛烈な痛みに襲われてるはずなのに、ピースサインを見せて笑ってくれた。
そして両足で踏ん張り、また盾を構える。
「ラウラ……」
まだ、ラウラは諦めていない。
最後まで戦うつもりだ。
なら……ならボクも諦めちゃダメだ。ラウラの想いを無駄にしないためにも。
考えて、考えるんだ。
どうすればあいつを倒せる? あの時も今も致命傷を与えても蘇ってきた。倒すには蘇生できないくらいのダメージを与えないとダメなんだ。
「外からの攻撃がダメなら、内側から……」
ボクはヨルムンガンドの額を観察する。ラウラが突き刺した剣、あそこに雷属性の魔法をぶつければ雷撃が体内まで感電するはず。
後はこの麻痺さえ解ければ――!
「――あれは」
視界の端にそれが映る。木に叩き付けられ、うつ伏せに倒れるボウマン。その人が腰につけていた袋から薬の瓶が散らばっていた。
麻痺を治す薬も――ある!
「く、痛っ!」
距離は数メートルほど。ボクは無理やり動こうとしてバランスを崩してしまう。起き上がる時間も惜しいので、そのまま虫のように這いずりながら進んでいく。
「あとちょっと……!」
少しずつ狭まる距離。
だが目前まで来た時、ボクの上に影が落ちた。
「――そんな」
血の気が引いていく。ヨルムンガンドがボクを見下ろしていた。口が開かれ、真っ赤な舌と牙が露になる。
「っ、嫌……!」
早く、早く、薬を!
「シャァ!」
だけど、ボクが目を逸らした刹那、ヨルムンガンドは俊敏な動作で襲い掛かってきた。
思わず目を閉じそうになり――
「テメェの相手はぁ、俺だろうがァ!!」
大蛇の頭部にラウラの飛び蹴りが直撃する。
「ラウラ!」
「俺のことは気にするな! やるべきことをやれ!」
ボクは頷く。
薬は目の前だ。最後の力を振りぼって手を伸ばして――掴み取る!
「今、行くから!!」
蓋を開け、苦い薬液を一気に嚥下した。
「……く」
ごぽ、と口から血の泡を拭く。折れた骨が内臓に刺さったかもな。
次の突進は多分防げない。残された手段は俺の身体そのものを盾として使い抑え込み、燃え尽きるまで【ガンマ】をぶつける。
……また死ぬだろうな。
……死ぬ? ふざけんなって。約束したろうが。トリシャを悲しませんなよ。
俺だって死ぬのは嫌だろ。自分の命を護れない奴が、誰かを、大切な人を護れるわけがない。
だから……やるしかない。命を使ってでも奴を食い止め……命を使ってでも耐え抜くんだ。
コイツは今ここでぶっ殺す。約束を守る。生きてトリシャを守り抜く! とても簡単な事だ!!
「ガァアアアアアアアアアアア!!」
「来やがれ、糞蛇がァッ!!」
大蛇の猛然たる突進。死しか見えないその光景に、滲み出る恐怖を噛み殺して俺は四肢を踏ん張る。
振り上げた盾に奴の頭蓋が直撃した。限界まで酷使した骨が悲鳴を逢上げてへし折れていく。筋肉が千切れ、神経がすり潰される。
五感の全てが痛覚に包み込まれ、もはや痛みが何なのかさえ分からなくなってきた。
どうしてこんなバカげたコトをやっているのだろう。さっさと倒れてしまえば良いのに。
痛いのなんて大嫌いだ。
苦しいのも辛いのも嫌だ。
キツイよな、辛いよな、下らないよな。
でも、今のお前の壊れかけた頭の中にあるのは何だ?
忘れられない想いは何だ?
倒れたいのに倒れたくない理由は、何だ?
――ト、リ、シャ。
そうだ、護り抜け。
「【ガンマ】ァァァァアアアアアアアアアアッッ!!」
俺は身を厭わない至近距離から、ありったけの力を振り絞ってスキルをブチ込んだ。
渦巻く爆炎が奴もろとも俺を焼き尽くそうと燃え盛ろうと、奴が俺を押し潰すべく更に力を強めようと。
そんなんで、俺を、聖騎士を倒せると思うな!!
「ラウラァア―――――ッ!!」
杖を構えたトリシャが目に映る。
「待ってたぜ――さあ、ブチかませぇっ!!」
ヨルムンガンドの頭上に黄色に光る魔法陣が幾重にも重なり、描かれる。
「これが、今のボクが使える最強最大の魔法だッ! 今度こそ、今度こそお前を倒してみせる!! 【怒り、猛り、吼え狂え! その憤怒を体現せよ、爆雷の鉄槌! 雷霆万鈞】ァッ!!」
青白い稲光が魔法陣の中心に収束した。雷鳴が大音量で鳴り響き、凄絶な閃光と共に一条の稲妻を落とす。
雷撃は寸分も違わずに俺が突き刺した剣へと落雷し、瞬く間にヨルムンガンドの巨体を蹂躙した。
外側から皮膚を焼かれ、内側から骨肉を破壊されれば、いかに不死身でも耐え切れない。ヨルムンガンドは最後に大きく泣き叫び、動きを止める。
そしてズゥン、と地響きを立てながら倒れ、二度と起き上がることはなかった。
「……勝っ、た――」
俺もまた、意識を手放す。トリシャの声を聴きながら、深い眠りへと落ちていった。
〝目〟を通じて視ていた彼らは矢継ぎ早に言葉を交わし合う。
周囲は薄暗く、ぼんやりとした光源がどこかにあるだけだ。
「まあいい。諸君、今は研究を続けよう」
早口の論争を、一人の男の声が遮った。
男は闇を見つめる。
底知れぬ暗黒の中で蠢く者たちを。