11 死闘
俺はもう一度ヨルムンガンドを観察する。よく見れば、一切の光も拒むかのような黒い表皮には無数の古傷が残っていた。
かつてトリシャたちと戦ってつけられたモノだろうか?
「あの額の傷……あれはボクがつけた。倒せたと思った……だけど!」
生きていた。勝利に気が緩んだところを狙われ、一気に瓦解したらしい。
「だが、何で二層の奴がこんな上の方に」
下で何かあったのか? 普通ならありえないことだ。
「うあ……た、助けて……」
大蛇の足元からうめき声が聞こえた。奇襲攻撃に巻き込まれたデブが血だるまになって転がっている。
酷いな……あれじゃ、例え回復魔法を使っても……。
「ポール、早く前を向け!! ソイツは背を向けた奴から襲う習性がある!!」
両刃の戦斧を構えたスキンヘッドが怒鳴り散らすが、遅かった。ヨルムンガンドは一見すると緩慢な動作――実際は大き過ぎてゆっくりに見えるだけ――で大口を開ける。
「嫌だ……! 嫌だぁアアアアアアアアア!!」
デブは手足をばたつかせ、恐怖に歪んだ顔で叫ぶ。そんな抵抗をあざ笑うように大蛇は器用にデブを空中へ投げ飛ばし、そこから一口で丸呑みにしてしまう。
「ポール! クソッタレ!」
「ふざけんな、畜生! 逃げるぞ、こんな奴相手にできるか!」
「バカ野郎! 俺の話を聞いてなかったのか!? コイツは背中を向けた奴から襲い掛かる! 出会っちまったら、やるしかねぇんだよ!!」
二層の死亡率や行方不明率が跳ね上がる原因は、大体コイツのせいだと言われている。
俺も話だけ聞いたが、あながち間違いじゃなさそうね……。
「やるって、勝てるのかよ!? 人間を一飲みにするバケモンだぞ!!」
「さあな。お前も男なら決めろ、迷宮でくたばる覚悟はできてんだろ? それともあんなガキどもに後れを取るのか?」
戦闘態勢に入った俺たちを見て、スキンヘッドは脂汗を浮かべながらも笑う。
「――ッッ、クソ! とんだ厄日だぜ!!」
金髪も腰からロングソード、背中からラウンドシールドを取り出す。
「トリシャ、あいつの攻撃は俺が受け止める。絶対に後ろには向かわせない。だから詠唱に集中してくれ」
「うん……無茶はしないで。アイツの目が光ったら注意してね。『ガンマ』っていう強烈な炎属性のスキルを使ってくるから。威力は第七等位に匹敵するよ」
俺はヨルムンガンドと向き合う。
本当にデカい。果たしてこんな奴の攻撃を受けきれるのだろうか?
「ハ、身体が震えてくるな」
武者震いか、戦慄か――どっちだっていい。
今この場で恐怖を忘れ去ったって構わない。トリシャを守れるだけの勇気を生み出せるのなら!!
「来い、糞蛇野郎!!」
剣を握り締め、盾を掲げる。
それを戦闘開始の合図と認めたのか、ヨルムンガンドが吶喊してきた。
「つっぅぁぁぁぁああああ!!」
桁外れの衝撃と質量が全身を襲い、骨が軋み、肉が撓む。硬質な鋼の塊が猛スピードで突っ込んできたみたいだ。両足が柔らかい土を踏み抜き、長々と筋を刻んでいくが何とか食い止める。
「く……!」
攻撃自体は防いだはずなのに重い衝撃波が内臓を揺らし、食い縛った口から鮮血が零れる。
「だぁあああああああああああ!!」
そこへ戦斧を大上段で旋回させるスキンヘッドが飛び込んできた。
刃にスキルの光を纏わせ、一気呵成に振り下ろす。
「【アイアンストラッシュ】!!」
浅黒い肌を盛り上げる筋肉から繰り出される一撃は、鋼鉄すら断ち切りそうだ。何だよ……お前、強いじゃん。
「まだまだぁ!! 【アセイル・インパクト】!!」
更に続けて真横へと薙ぎ払っていく。しかしそれでもヨルムンガンドの皮膚には、微かに傷がつくだけだ。
なんつー硬さだよ……冗談だろ。
「だったらこいつでどうだ! 【ピアシングメイル】!!」
スキンヘッドの背後から金髪が飛び出す。振り翳した剣を真っ直ぐに突き放ち、大蛇の古傷を狙う。
だが――。
バキン! とその切っ先が逆に砕かれ、半ばからへし折れてしまった。
「嘘だろ、おい」
金髪は乾いた笑みを貼り付けるが次の瞬間、腹部へヨルムンガンドの尾が鞭のようにしなりながら叩き込まれた。
「ガッゴボォ!!」
奇妙な悲鳴と共に吹き飛ばされていき、大木の幹にぶつかって落下する。
「ボウマン! ――クソッタレが!」
むしろ古傷のある部分の方が堅そうだな……鍛えられたって感じだ。
その時、ヨルムンガンドの両目が怪しく光る。
「ラウラ!! 来るよ!」
第七等位クラスの魔法スキルか……俺が引いたらトリシャに狙いを定めてくる可能性もある。なら、踏み止まるしかねぇよなぁ!
「な、何してんだこのガキは!? さっさと逃げろ!」
体力だけは誰よりも自信があるし、ギルが作ってくれた鎧の防御力を信じよう。
グッと身を固め、俺は来る攻撃に備える。
「ァアアアアアア!!」
ヨルムンガンドが咆哮を上げる。ギン! と二つの目が光り輝く時、俺を包み込むように真紅の渦が発生した。
熱風と熱量が轟々と唸り、皮膚と肉が焼かれる嫌な臭いが鼻を衝く。
「うあ――熱ッ!!」
鎧の魔法防御が働いてもこれか! 熱が強すぎて刀身が赤熱するし、想像してたのよりもだいぶヤバいわこれ。
正直ナメてた。
「ラ、ラウラ!?」
ようやく炎が消え去り、解放されるが全身からブスブスと燻ってる。【肥え太る遺骸】の回復力でもすぐには癒えそうにないな。
「平気だ、トリシャ! 気にせず集中してくれ!」
俺は手で制し、立ち上がる。
「今度はこっちの番だッ!!」
俺は【チャージ】と【大斬】を重ね、大きく大剣を振りかぶった。大技を放った直後は必ず隙が生じる。そこを見逃すわけにはいかない!
「人間をナメんじゃねぇぞ、オラァッッッ!!」
「な、なぁ!?」
スキンヘッドが驚愕する目の前で会心の一撃を糞蛇に叩き付けた。
見上げるような巨体がブッ飛ばされ、木々を薙ぎ倒しながら倒れ込む。
「ざまあみたか。お返しだ」
左手で口元の血を拭い、内に溜まった唾と共に吐き捨てる。ついでにサムズダウン&親指で首を切るジェスチャーを送ってやった。
「ラウラ! いけるよ!」
「よし、行けトリシャ!!」
よろよろと起き上がるヨルムンガンドにトリシャは両手を差し出す。
「【冷酷に、冷厳に、冷徹にいざ来たれ、白銀の断罪! 弥終の氷河に眠れ!! 極地光】!!」
巨大な円形の魔法陣が大蛇の頭上に展開。一瞬にしてヨルムンガンドを封じるように氷塊が作り出された。
ハッキリと目視できるほどの冷気が漂い、十分な距離を置いてるのに吐く息が白くなるほどだ。トリシャはそれを睨み、最後のワードを宣告する。
「――砕け散れ」
開いていた掌を閉じる。氷の檻が無音で破砕され、閉じ込められていたヨルムンガンドの体表にも夥しい数の裂傷を刻む。
檻もろとも砕けてしまったような錯覚さえ見せる、静かで慈悲のない一撃だった。
「……やった、のか?」
地響きを打ち鳴らして横倒しになる大蛇ヨルムンガンド。
「――」
「トリシャ!」
傾いだ彼女を慌てて支える。
「ご、ゴメン。少し魔力使い過ぎちゃったみたい」
「横になるか?」
「うん……なんか一気に疲れた感じがするよ」
「ずっと緊張してたしな。無理もない」
張り詰めていた糸は切れやすい。特に敵を倒したと思えば、誰だって胸を撫で下ろす。
「……?」
――けど、もしそれが罠だとしたら?
俺は不意にトリシャが言ってた言葉を思い返していた。
「倒したはずなのに、生きていた……?」
ゾクリ、と嫌なものが背筋を舐める。
「ガキども、伏せろ!!」
スキンヘッドの声が聞こえるや否や、奴が俺たちを庇うようにのしかかり、一緒に地面へ身を投げ出した。
ほんのすぐ頭の上をヨルムンガンドの尾が唸りを上げて通過していく。
「――そんな! どうして……」
トリシャの目が見開かれ、表情は絶望に染まる。
生きていた。あれだけの傷を受けてるのに、ヨルムンガンドは平然と起き上がりやがった。
「畜生、こいつ不死なのか!? そんなの聞いてねぇぞ!」
顔だけを背後にやったスキンヘッドも困惑している。
「不死でもなんでも、戦うしかねぇだろ!」
「ラウラ、ボクもまだ戦える!」
「分かった、じゃあもう一度――」
その時、蛇が怒声を発した。獣の遠吠え程度の声量だが、微かに皮膚を撫でるような痺れを感じる。まさか何かのスキルか?
「あ、あれ……」
「トリシャ?」
その疑問はすぐに氷解する。トリシャは棒立ちのまま固まっていた。無論、本人の意志とは無関係に。
「ぐ、う、動けん……! 麻痺だ、麻痺にされた!」
同じようにスキンヘッドも不格好な姿勢のまま硬直している。
「こんなのおかしい……! ヨルムンガンドに麻痺のスキルなんて、ない、ハズ」
辛うじてできるのはギクシャクした手足の動きだけ。完全に自由を奪われていた。
「ラウラは、動けるの?」
「ん、ああ……問題ないな」
暴れカマキリから麻痺耐性をラーニングしたおかげで。ありがとうカマキリ。
「……トリシャ、麻痺はどれくらいで解ける?」
「即効性がある分、長くは続かないよ……誤差はあるけど、十分以内には――ラウラ、まさか!?」
やれやれ、果てしなく長い十分になりそうだな。
「ダメ、ラウラ! アイツは大勢で戦ってやっと倒せる相手だよ! 一人じゃ……耐えられないよ」
トリシャは目蓋を伏せる。
「ゴメンね、やっぱボクはしに――」
「トリシャ」
俺は遮った。
言わせない。
そんな悲しい言葉、二度と言わせたりしない。
「約束、忘れたのか?」
「覚えてる。忘れる訳、ない。だから」
「じゃあ信じてくれ。ついでに倒す方法も考えてくれたら嬉しい」
彼女の頭をクシャクシャと撫でて、俺は勝ち誇ったように見下ろすヨルムンガンドと対峙する。
「第二ラウンドだ、糞蛇」
心の底から守りたい人がいる。
心の底から守れると誓える。
君がいるだけで、俺は力を振り絞れる。
――それが盾役の、騎士の誉なのだから。
「この盾を砕けるものなら砕いてみろ」
剣を顔の前で構え、突撃した。