私の恋の落とし穴
ベッドに仰向けになり、照明に羽をかざす。
キョウコはその白い羽を眺めながら、心臓がどきどきと脈打っているのを楽しんだ。
――あなたの恋、叶えます。
たったそれだけの言葉が、とても強く、キョウコに自信を与えてくれた。
ベッドから起き上がると、ノートパソコンを開いた。
スリープモードから、画面が起動する。
いつものようにパスワードを打ち込み、ブラウザのアイコンをクリックした。
お気に入りに登録されているアドレスにアクセスする。
それは、キョウコがいつも日常を記録するために使っているブログ。
ブログ記事のカテゴリーには、「私記徒然」、「記録」、そして「小説」という項目がある。
友人や同僚たちには話していないが、キョウコはそこで小説も書いていた。
今日の出来事は、まさに小説の題材にうってつけである。
事実だが、キョウコ自身ジブリエルと名乗ったあの青年が本物の天使であるかどうか、まだ疑っている。
だから、小説として今日の事を書こうと思ったのだ。
カタカタと、リズムよくタイプが進む。
小一時間で書き上げると、投稿した。
変化が起こり始めたのは、天使に出会った翌週だった。
キョウコの周りの男運が急上昇したかのにように、出会いが次々にやってきた。
クリスマスデートも、初詣でデートもできた。
さらに、ブログに投稿していた小説が小さな出版社の目に留まり、すこし構成を変えて本格的に書いてみませんかとの連絡があった。
まさに、天使の羽をもらってからのキョウコには運が回ってきたのだ。
ただ、クリスマスの彼とはその後「俺たちイベントカップルでしょ」と言われ本気ではないことを察し、お別れ。
お正月の彼は、「俺の実家旧家だから、君と結婚はできないけどいい?」とさらりと言われ、さようなら。
「……確かに、恋がしたいとは言った」
キョウコは精神的に疲れていた。
その願い通り、恋はした。
一瞬に燃え上がり、男性の一言で気持ちが冷めて終わり。
分かっている。
相手だけの問題ではない。
男性を引き留めておくほどの、強い恋ではないのだ。
まさに、恋に恋している状況とでもいうのか。
春。
今キョウコの目の前には、結婚指輪をしなくなった同僚。
わかっている。
最近の佐々の行動から、キョウコに興味を持ち始めたのを感じ取っていた。
少し怖くなって、結婚指輪をしなくなった理由は聞けていない。
キョウコは、しばらくぶりにあの教会に足を運ぶ事にした。
「お久しぶりですね」
今日はすでにジヴリエルの姿がそこにあった。
無邪気そうに、変わらぬ笑顔で。
「どうですか。あなたの恋、叶いましたか?」
「……恋は、できていると思う」
「そうですか、それはよかった」
キョウコは複雑な気分になった。
さらに、違和感も。
「あなた、なんか小さくなってない?」
顔形の雰囲気や、身長も。
「あ、いえ……」
珍しく言葉を濁す。
じっと見つめ答えを促すと、天使は苦笑する。
「お前のせいで力を封印されて天界を追放になったんだよ!」
突如、上から若い男の声がした。
反射的に顔を上げると、視界に赤色が広がる。
美しい赤。
そこには、大きく赤い羽を広げた高校生くらいに見える少年がいた。
イメージする白と色は違えど、それはまさに天使の羽。
声は、間違いなくその少年から発せられたものだ。
「ラフィ……!」
ジヴリエルが驚愕に表情を変える。
「こいつは!正天使になってないのにお前なんかの願いをかなえようとして!」
「ラフィ!余計なことをしゃべるな!」
「うるさい!お前もな!なんでこんな小娘なんかの為に自分を犠牲にする!」
「俺はやりたいと思ったことをやっただけだ」
キョウコの鼓動が脈打つ。
「正天使でもないやつが個々人の判断で事を実行するなんて、掟破りもいいところだ!」
赤い天使は、天井付近からずっとまくしたてる。
「……どういうこと?」
キョウコはやっと口を開いた。
「どういう、話になってるの?」
赤い天使が軽く舌打ちする。
その態度は天使に似つかわしくない。
赤い天使と対峙するジヴリエルの口調もいつもと違った。
「ラフィ、お前は余計なことをぺらぺらと……。さっさと帰れよ」
ジヴリエルはキョウコと目を合わせようとしない。
「ねぇ。私のせいで、あなた天界から追放されたって、どうして?」
黙り込むジヴリエルの代わりに、ラフィと呼ばれている赤い天使が口を開いた。
「正規の天使でもないやつが、人に勝手に愛を分け与えるなんて許されないんだよ」
きゅ、とキョウコの胸が痛んだ。
自分が願ったから。
恋がしたいと。
しかも、せっかくチャンスを多く与えてくれたのに、自分はそれを成果に結びつけることができていない。
「だから、天界に戻れなくなったんだ」
さーっと、体から体温が奪われていく。
ジブリエルから、本当の居場所を奪ってしまった。
「神はなんでもお見通しだからな。だが慈悲深い。こいつの、人の恋を叶えたいという想いを汲み取って、正天使になるチャンスを与えてくださった」
羽ばたきもせず空中に留まる赤い天使が、言い放つ。
「だが!元凶であるお前にはもうこいつと関わってほしくない!」
「ラフィ!」
叱責するように、ジヴリエルが声を上げた。
びくり、と赤い天使の肩が動き、赤い天使はそのまま何も言わずにふわりと姿を消した。
あとに残る静寂。
「……ごめん、キョウコ。君にはこんな姿見られたくなかったんだけど」
それは、すべての元凶だと言われた謝罪。
「たぶん、これから先、俺の体はもう少し力を失う」
「……どうなるの?」
「それこそ、ほら」
言いながら手の甲を見せる。
話している最中にも、徐々に皮膚に”若さ”が現れる。
「もしかすると、本当に子どもになってしまうかもね」
「どうしたらいいの!」
キョウコは泣き叫びそうだった。
ジヴリエルが優しくキョウコの髪をなでる。
「泣かないで。君の恋は叶えるって、約束する」
――いらない。
今はそんな事いらない。
願うことができるのなら、時間をもとに戻してほしい。
「俺はこれから、多くの人の恋を叶えて、力を取り戻す」
ジヴリエルはやさしくそうつぶやいた。
自分に言い聞かせるように。
「何か、何かできることはないの」
すがるキョウコに、天使がほほ笑む。
「キョウコ、君は恋している方がかわいいよ」
こんな状況で言われても、と思ったが、意に反して顔が紅潮する。
「大丈夫、君が幸せになれたら俺もうれしい」
天使の微笑みに、不覚にも心が癒される。
「さ、今日はもう帰ろう」
促されて立ち上がる。
「明日も来ていい?」
「なんなら君のところに行こうか?」
「え?」
「別に教会から出れないわけじゃないんだ。そうだね。気分転換に、明日は君のことろに会いに行くよ」