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天使の恋


:::

「おまえ、いいかげんにしろよ?」

 不機嫌な声は、いつも上空からもたらされる。

 その位置を正確に読み取って、少年は空を見上げた。

「おまえもいいかげんにしろ。たまには地に足をつけたらどうだ?」

 声変わりも終えた、中々の美声が空に吸い込まれる。

 少年は、いつものようにテラスの手すりに腰掛けて、眼下に広がる街の景色を楽しんでいた最中だった。

 街のいたるところで、ほわほわと小さな白い光が揺れているのが見える。

「堕天になれとそそのかすか?この阿呆が」

「ははは、おまえまたキョウコにばか呼ばわりされたぞ?」

 その密告の内容に腹を立てたのか、それ以前に腹の立つことがあったのか、少年の前に姿をあらわした赤い羽根の“天使”の眉間には、幾重にも縦皺が刻まれていた。

「よ!」

 少年は気安く片手を挙げて挨拶した。

 赤い羽根の青年は、空中にその身を浮かせていた。

 羽根が赤ければ、髪の毛も毛先に行くほどに赤みを増す、不思議な色をしていた。

「おまえ……また薄くなったな?」

「だ~か~ら~、そういう言い方、聞いてるほうには誤解を招くって」

「ふざけるのいいかげんにしろ。誰が聞いているというのだ。おまえ、いつまでここにいるつもりだ?成長する前に、羽根を失うぞ?」

「……俺は、それでもかまわないよ?」

――バシ!

 乾いた音が鼓膜を叩いた。

 少年のほほが、叩かれた衝撃に赤く反応している。

「この阿呆が!!」

 一喝して、赤い嵐は姿を消した。



「あら、少し大きくなったのね」

 母親のようなせりふに、少年はムッとした。

 夕刻。

 食卓に並んださまざまな料理を前に、キョウコの第一声はそれだった。

 先月より10センチ以上背が伸びた事は喜ばしい。

 人間のように声変わりもして、”以前”の容貌とも重なる容姿になってきた。

 

 彼女の仕事はファンタジー作家。

 締め切り前でぼろぼろの風体をしていた。

「お前、何のために俺が……」

 少年は言いかけて、やめた。

 いただきますと両手を合わせて箸を握ったキョウコ。

 締め切り前の人気作家に、余計なことに気を回す余裕がないのを、彼はここ3年で実感している。

 一緒に暮らし始めて4年目。

 それは少年の姿に封印されたのとほぼ同期間。

 締め切り前の料理の当番は彼が引き受ける。

――誰のためにがんばってるって、思ってるんだっつの

 少年はため息をついて、それでも笑った。

「ねぇ」

「うん?」

 黙々と料理を口に運ぶキョウコが、ふと顔を上げた。

「出会ったころを、思い出すね」

「……」

 二人が出会ったのは、町外れの教会だった。

「……たった10年前だろ」

 実は、最初にキョウコが天使を目撃したのは10年前だった。

 学生だったキョウコは、青年の天使に一度会っている。

 あの時は、事故にも似た遭遇だった。

 そして。

 大人になってことごとく恋愛に失敗してきたキョウコが、最後の頼みの綱として祈りを捧げた教会。

 愛の為にと思った時、ふと天使と遭遇した思い出の教会の事を思い出したのである。


「愛といえばキューピット~って叫んでた時期が懐かしいわ」

 キョウコは恋愛に夢を描き、結婚に期待し、意地でもいい男性をと祈った。

「教会に鐘が鳴り響いてさ、あなたが現れたのをよく覚えてる」

 言って、キョウコは目の前に座る少年を見た。

 少年は、気恥ずかしそうに彼女の瞳を見つめ返した。

「……私は、あなたに大変なことをさせてしまったね」

 天使はキョウコの願いを叶え、次々と男性にめぐり会わせてくれたが……

 天使はキョウコのために力を分け与え、その罪により少年の姿にされてしまっていた。

 正規の愛の天使でもない者が、勝手に人間の恋愛に手を貸す行為を、神はお許しにならなかったのだという。

「俺が、好きでやったことだ。後悔はしていない」

 天使は力を奪われ、少年の姿に封印された。

 キョウコは、そんな天使が好きになった。

 自分のために危険を冒してまで力を貸してくれた、そんな不器用な愛し方をする天使を。


 神は、力を封印された天使に言った。

――元に戻りたくば、羽根が消えるまでに正規の愛の天使たる資格を得ろ

 と。

 天使は、人間の恋愛を叶え、その恋愛の度合いによって成長するという枷をかけられた。

 人間の恋を叶えてもその恋の密度が低ければ、成長し、正規の愛の天使になる前に羽根が消え死んでしまう。


「私は、あなたを本物の天使に戻してあげたい」


「俺は……」


 少年の箸が止まった。

 赤い天使の声が、脳内にリフレインする。

――おまえ、いいかげんにしろよ?

 それは、早く戻って来いというシグナル。

――俺はそんなこと望んじゃいない。

「ご馳走様!今日もおいしかったわ!」

 キョウコは、空になった食器にむかってお辞儀し、椅子を立った。

「今度は、どんな話を書いているんだ?」

 言いたかった言葉を飲み込んで、少年は別のことを訊いた。

「秘密よ。でも、あなたの手助けになる話」

 キョウコはへへんと笑って力瘤のポーズをとった。

 まかせなさい!ということらしい。

 少年はかすかに口元をほころばせて彼女を見つめた。



 パソコンの液晶画面の前で、キョウコはキーボードを叩いていた。

 顔は画面に固定されているかのように動かなかったが、手首から先は別の生き物のように機敏に動く。

 眼球が、打ち込まれていく文字に沿って左右に揺れる。

「おい」

 背後から無遠慮にかけられた声にも、微動だにしなかった。

「何よ。私の前に現れるなんて、珍しいわね。忙しいんだから、邪魔しないで」

「邪魔は、お前だ」

 その言い草にカチンときて、キョウコは背後を振り返った。

 そこには、赤い羽根とグラデーションの美しい髪を持った天使が浮かんでいた。

「わかってるわよ……」

 悔しそうに言葉をひねり出したキョウコに、赤い天使は忠告した。

「自分の立場はわきまえているようだな?ならさっさとあいつを解放しろ。さもないと痛い目見るぞ?」

「痛い目?そんなの毎日のようにあってるわよ。少しずつしか成長してないのに、あいつの羽根は薄くなっていくばかりだもの!」

 キョウコは天使をにらんだ。

「ここが!ここが痛くてしょうがないの!」

 そう言って、胸元を押さえる。

「私のせいよ……!早くしないと、彼の羽根は消えてしまう……!」

「そうだ、お前のせいであいつは天界を追われた。お前のせいで!!このままだとどうなるかっ!」

 赤い天使の語気に、憤りが混ざっていた。

「わかってるわ!早く正天使にならないと、彼が死んでしまうんでしょう!?」

 キョウコは顔を覆った。

 羽根が消えてしまう前に、力を取り戻して正規の天使になれなければ、存在が消えてしまう。

 人の恋を叶えていく度に成長して入るが、それ以上に羽根の輝きが失われていく速度が早い。

「私は、死なせたくないわよ!」

 だから、少しでも少年の役に立つように”天使の羽根”のうわさの種をまいたのだ。

 小説家である自分にできることは、そんなことだけだったから。


「ラフィ、止めろ」


 と。

 キョウコの部屋の戸口に、少年が立っていた。

「……シヴリエル!!」

 額から冷や汗を流し、ラフィと呼ばれた赤い天使は叫んだ。

「俺はお前のためを思ってこいつに教えてやったんだ!」

「俺が死ぬかも知れないと教えるのが、俺のためか?」

 少年……シヴリエルは、無表情で赤い天使を見つめていた。

 怒りや、冷笑のまなざしよりも、彼の感情の消えた顔は恐ろしく感じられた。

「帰れ。そして二度と俺たちの前に姿を現すな!」

「……!」

 シヴリエルに圧倒されて、赤い天使は音もなくその場から消えた。

 少年は、キョウコの方を向き直る。

 キョウコは一瞬びくりとして、体を強張らせた。

「いつから、知っていた?いや、俺の羽根が薄くなったと気にし出したときから、おかしいとは思っていた……」

 少年はやさしくキョウコの肩を抱きしめた。

「あ、あの……私ね……」

「いいよ。何も言わなくて……」

 抱きしめた腕に、力をこめる。

 少年の鼓動が、キョウコにも伝わる。

「やっと、ちゃんと抱きしめられるまで成長したんだ」

 少年はささやいた。

「俺は、キョウコと一緒にいたいんだ」

「でも、あの馬鹿天使も、同じこと思ってるのよ?」

「ラフィが?」

「あの人だって、あなたを死なせたくないから……好きだから一生懸命なの……」

 少年は少しの間沈黙していた。

「あなたの幸せが、望みが私と一緒にいる事ならば、私たちの望みはあなたに生きていてもらうことなのよ?」

 キョウコは、少年の腕の中から離れ、彼の目を見て話した。

「あなたがこのままここにいたら、成長しきる前に羽根が失われてしまう……。それだけは、だめ」

 今、キョウコと少年の間には15歳ほどの年の差があった。

 もちろんそれは外見的なものであったが、二人が出会ったころ、シヴリエルの外見年齢は20歳を超えていた。

 あと5、6年でそのころと同じくらいに戻れる。

 だが、あと5、6歳分成長するのに、どれだけの羽根が消えるか想像できなかった。

 地上で暮らし始めてから4年の間にずいぶん成長したが、羽根はもうかすむほどしか見えない。

「俺は、正天使になるつもりも、天界に戻るつもりもない」

「え?」

 少年の告白に、キョウコは驚きを隠せなかった。

「俺は、キョウコと生きていければ何もいらない。キョウコを抱きしめられる腕があったら、天界に帰れなくてもいい」

「でも、それでもいつか死んでしまうわ!」

 キョウコの、悲鳴にも似た声に少年は笑った。

 赤ん坊をあやすように、キョウコの髪を、背中をなでてやる。

「大丈夫」

 少年は、まさに天使の微笑みを見せた。


 それにこれ以上成長しなくてもいいしね、と少年は加えた。

 天界に戻らない。

 それは、神の御許を離れるということ。

 天界の加護を離れ、堕天となれば本当に天使としては死んでしまう。

 それはラフィが最初にキョウコに話した事実。

 

 キョウコは必死になってすがった。

「なんでわかってくれないの?死んで欲しくなんかないのに!」

「……じゃぁ、なんでわかってくれないの?」

 シヴリエルはキョウコの言葉を借りて言った。

「俺はキョウコといたいのに……」


 わかっていた。

 二人にはわかっていた。

 それぞれの望む幸せが、互いの願いに反することを。

 

「……私たち、このままじゃ幸せになれないのかな……?」


 キョウコの瞳に、涙が光った。


 シヴリエルは、ほうとため息をはいた。

「違う。俺は今でも幸せだ」

「これからは?私に、自分が死ぬかもしれないって隠したままで、幸せになれると思ってたの?」

 心の中に閉まっておいた不安が、パンドラの箱のように開放された。

 けれど。

「希望は、残っているの?」


 考えられる範疇で、それはなかった。




 問題を放り出したまま、月日は流れた。

 あれから、シヴリエルが成長することはなかった。

「何を考えているんだ」

 しばらくぶりに天から声が届いた。

 赤い羽根の天使が、ゆっくり姿を現す。

 丘の上のキョウコの家。

 いつものテラスで。

「よう……」

 少年は迎えた。

 微笑んだ顔に、元気がない。

「よう……じゃない。帰って来い」

「コイ……恋……」

「ばっか!ばーか!!」

 呆けている少年を、赤い天使は精一杯力づけようとしている。

 キョウコに正天使になれなければ死ぬとバラして怒られてからしばらく近づけなかった分、彼は今落ち込んでいる少年が痛ましくてならなかった。

「お前な!早く天界に戻って仕事しやがれ!地上にいるからダメなんだ!あんな小娘忘れろ!……お、俺がいるだろ?」

 頬を赤く染めて、言う。

 彼なりの告白だった。

「ふっ……全身真っ赤……」

「うるさいっ」

 からかうようにふと笑みを見せ、だがすぐにそれは消えた。

「それが、いいのかもな」

 つぶやく少年に、赤い天使は憤慨した。

「お前!そんな簡単にあきらめるのか?」

「……あのさ、言ってることがさっきと矛盾してないか?」

 呆れてため息を漏らす少年に、

「俺が好きになった天使は!そんな根性なしじゃなかった!」

 自分でも自分の気持ちが整理できないのだろう、困ってそんなことを言った。

「帰ってきて欲しいが、きちんとケリはつけて来い」

――ケリ……

 少年の考えは、前と変わっていない。

 一生懸命祈りをささげるキョウコを好きになってしまった時から、何も変わらない。

「だいたい!人間なんだぞ!あいつは!」

 同じ時間を生きられるわけではない。

 禁忌を冒してしまっても、何も後悔しなかった。

 ただ、子供の姿にされて、彼女を抱きしめられなくなってしまったのが悩ましかった。

 だから、成長して釣り合うくらいの体になりたかった。

 目算が狂って、いまだ少年の姿ではあったが、あと少し。


――残りの羽根が消える前には、なんとかいける……



 一緒に、いたい。



 少年は、最後の力を使った。




 校正された原稿をチェックしていたキョウコは、部屋を満たした光に顔を上げた。

「これ……は」

 この光は、昔見たことがある。

 教会で、シヴリエルが使った羽根の力だ。

 何かよくない予兆を感じて、キョウコは少年の姿を探した。

「シヴリエル!?」

 自室を出て、真っ先にテラスへ向かう。

「お、小娘め。久しいな」

「馬鹿天使!何してるの!?シヴリエルは!?」

 外見は17、8かそこらの赤い天使が、慌てて出てきたキョウコに挨拶をした。

「どうやら、あいつなりの答えを出したようだ」

 キョウコの質問に答えた赤い天使は、真剣な面持ちで光の中心にいる少年を指差した。

 その示された先を見る。

 少年が、笑っていた。

「何……?」

「俺は、正天使にも堕天にもならない」

 少年の言葉に、キョウコの胸は高鳴る。

 その高鳴りは、うれしさというよりも、緊張。

「成長するのには、密度がたいせつなんだ」

 少年は、憑き物の落ちたような、清々した顔をしていた。

「なんで、思いつかなかったんだろう」

 キョウコが見つめる中、少年は次々に言葉をつむぐ。

「何?何をしようというの?」

 わけがわからず呆然とするキョウコに、少年は告げた。


「残りの力で、俺と、キョウコの恋かなえるんだ」


 はっとして、キョウコは胸元を押さえた。

 じんと、涙が浮かんでくる。

 涙が、ぱたぱたと落ちた。

 純白の羽根が千路に飛散して、キョウコの周りに舞った。


 涙を、羽根がぬぐう。


 光の波が、波紋のように広がった。


「この恋を叶えて、俺は人間になる……!」


 一人の天使に与えられた枷の中には、希望が残されていた。


「あの時神は、そう俺に言われたのだということを、やっとわかったよ」



:::

「響子先生、お久しぶりです」

「あら。去年も来てくれた子よね?」

 市内の大型書店で行われているサイン会の席で、キョウコは懐かしい顔を見た。

「どう?恋してくれた?」

 去年もサイン会にきていた3人組の女子大生が、大きな花束を手にまたやって来ていたのだ。

「はい!もう最新刊のお話、よかったです!少年の天使と主人公が結ばれてくれてよかった!」

「先生、私天使の羽根で恋がかなったんです!」

「そうなんですよ!佳織ったら茶道の家元とつきあってるんですから」

「何よ、今はまだ家元じゃないし!それに、家元だから好きになったんじゃないもの!」

「そういうアイコは未来の建築家夫人かもね」

 3人の楽しそうな報告を聞きながら、キョウコもうれしくなった。

――シヴリエル、あなたの力、人を幸せにしているわよ……

「キョウコ、列、まだ並んでるから」

「あ、ごめんなさい」

 後ろに控えていた編集者らしき男性が声をかける。

「ありがとう、次の新刊もよろしくね」

 キョウコは3人に手を振った。



「ねぇ、今の人……」

「あ、みかも思った?」

「ねぇ、なんか、編集さんって感じじゃなかったよね?」

「先生の旦那さんかな?」

「てゆっか、人間じゃないみたいにきれいくなかった?」

「あーいえてる!天使みたいだった!」

「えぇ~?なんかそれ先生の小説の話みたいっ」


 あははは

 と、楽しげな笑い声は遠のいていった。





 それ以降、響子奏の作品に少年の天使が出てくることはない。


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