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バイト先の先輩

「次は、今日の天気です……」

 つけっぱなしにしていたテレビから、「今日」の天気予報が流れる。

 閉め切ったカーテン。

 晧々と灯る電気。

 ふと、時計を見上げるとちょうど午前零時を少し回ったところだ。

――眠って、いたのか……

 私は読んでいたはずの文庫本を膝の上から拾い上げた。

 6畳一間のワンルーム。一応、トイレ風呂つき。

 引っ越してきた当初はそうでもなかったが、生活しているうちに洋服やら本やらが増え、しかも整頓する能力に欠けているためか、床面積が狭まっている。

 確か、収納もかねたベッドに背を預け、買ってきたばかりの文庫本を読み始めたのが21時過ぎ。

 立膝をして、その上に本を持つ手を乗せる形で読書に耽っていたと思っていたが……。

 いつのまにか足を投げ出し、本は投げ出され、器用にも膝の上でおとなしくしていた。

 単純に、3時間余りが経過していた。

 テレビをつけておいたのは、音がないとなんとなく物寂しく感じてしまうからだ。

 最初は大した内容もない、漠然としたバラエティだった。

 活字を見ると眠くなる、などとよく言うが、特に小説の内容に不満が合ったわけでも、つまらなかったわけでもない。

 どちらかといえば、私好みのファンタジー……。

 本当に、気づいたら眠っていたのだ。

――?私は“眠って”いたのか?

 手の中の文庫本に視線を落としていたら、妙なことを考えてしまった。

 読んでいた本の内容に軽く影響を受けた疑問ではあったが、どうしても、知らぬ間に寝てしまっていたという事実が腑に落ちなかったのだ。


 私は再び本のページをめくった。

 自然に、二つに分かれるページたち。

 と、私は自分の呼吸が止まるのを、どこか客観的に感じた。

 右と左の項の谷間。

 のど側に挟まっていた“しおり”。

 独特の光沢がある、“それ”が目に入ったからだ。

 純白の、羽根の形をしたもの。

 いや、どこからどう見ても本物の鳥の羽根だ。

――なんで、こんな物が……?

 私の胸の奥で、何かの感情がうごめいた。

 不思議なことに、よく見ると羽根の挟まっていた部分が凹んでいる。

 それは、羽根が長時間本にはさまれていた証。

 だが羽根をしおり代わりにした覚えなどなかった。

――何か、忘れている……。

 ファンタジー好きの私が、自分の身に起こったこの怪現象を“リアル”とするのに、何の抵抗もなかったのは言うまでもない。



 再び目覚めたときには、昨夜の緊張感などどこかへ飛んでいた。

 というより、それどころではなかった。

 8時半起床。遅刻ぎりぎりの時間である。

 私の家から通っている大学までは自転車で20分。

 とりあえずすっぴんでは登校したくない。

 完全に朝ご飯は抜きだ。

 必須科目でもなければ諦められるのだが。。


 あわただしく自転車にまたがりペダルを踏む。

 ぎりぎり教室にたどり着く計算で、目の前の角を右に曲がった。

――あ……

 視界に“羽根”が入り込んだのはその時だった。

 小学校の低学年か。

 7~9歳ほどの男の子が、私の本に挟まっていたものと同じような羽根を手にしていた。

 アスファルトの凹みに溜まった泥水に、羽根の先をパシャパシャとつけて遊んでいる。

 羽根はその性質上水分をはじき、表面にしずくを纏っていた。

 私は、自転車をこぐ力を弱め、惰性のまま少年の横をとおりすぎる。

 少年は、そのまま羽根を朝日にかざし、煌く水泡を見て笑顔になった。

 私はどうしても目が離せなくなっていた。

 決してショタコンとか、そういうわけではないと自覚していたが、その少年の不思議な魅力に心奪われたのだ。

 すると、その少年が私を振り返った。

 思わずドキンなどと胸が高鳴る。

 緊張してしまう。

 少年がいじらなくなった水溜りでは、いつまでも波紋が形を残している。

 私は言葉をかけることもできず、慌てて視線をはずして大学へと急いだ。


 結局、教室には5分ほど遅れて入った。

 


 それにしても、あの羽根のことが気になる。

 たかが羽根だ。

 私の部屋の近所には木も多いし、公園や神社も近い。

 鳥なんてたくさんいる。

 川もあるから、白鷺だって見かけないこともない。

 いつまでもそんなことを考えていたら、午前の講義が終わってしまっていた。



 午前の講義どころか、午後の講義も上の空で過ごしてしまった私は、意味もなく疲れきった顔で大学を後にする。

 そして再びあの曲がり角で自転車を止めた。

――まだいる……。

 それはどう考えてもおかしかったが、私は一日中羽根のことばかり(多少少年のこともだが)考えていたために、今朝から何時間もたっていることを考慮していなかった。


 今朝羽根で水溜りをいじっていた少年が、同じ場所で、同じように遊んでいたのだ。

「何してるの」

 自然と声をかけてしまった自分に内心どきどきしながら、私は少年らの返答を待った。

 少年は白い羽根を持って私の側に寄り、それをずいっと差し出した。

 西日に照らされてほのかにオレンジ色になった水滴が、白い羽根に光る。

「キレイくない?」

 少年は言った。

 私はうなづく。

 しかし、ただうなづいただけなのが不満だったのか、少年の顔から表情が消えた。

 何か悪いことしたのかと、こちらが不安になってしまう。

 すると少年は、少年には似つかわしくない口調で言うのだ。


「なんだ、忘れてしまったのか?やはりな」


 と。

「え?」

「昨日、与えてやったのではないか」

 困惑する私に、少年は可愛げもなく苦笑し手にしていた羽根を私の額に当てた。

 ペシッと、軽い音がする。

 瞬間怖気づく私に、少年は一言付け加えた。


「恐れるな」


――そんなこと言われても!!

 私は、近づいてくる少年の瞳に恐怖を感じ、ぎゅっとまぶたを閉じた。



「どうしたぁ?」

「え?」

 私は閉じていた瞳をゆっくりと開けた。

 見ると、そこは所狭しと長机とパイプ椅子が並んだ部屋。

 見覚えがある。

 バイト先の事務所だ。

「村田さん……」

 私の顔を覗き込み、不信そうに声をかけてきた事務所の先輩の名を呼ぶ。

 今年28歳になるという彼は、笑顔の幼い……いわゆる童顔で、初めは同い年位かと思っていた。

「来るなり座り込んで、きついとか?今日休む?」

 心配してくれるのはうれしいのだが、その心配りは義務的に聞こえる。

 事務所の先輩として、他の後輩たちにも同じように気を配るのだ。この人は。

 そういう人だから、好きになったけど。

 そういう人だから、不安になってしまう。

「え、いや、ちょっと状況の把握に困って……」

――?

 私は何か疑問に思っていたことがあったはすなのに、何を「恐れて」いたかも思い出せなくなっていた。

「はぁ?お前そんなんばっか」

「えぇ?なんですかそれ」

 たわいもない会話が弾む。

 村田さんとの会話。

 笑いの絶えないおしゃべり。

 彼の一挙手一投足までが私の気分を高ぶらせる。

「さ、仕事しようか?」

 そう言って、村田さんは自然に私の肩に手を置いた。

 こんな風に、誰かに触れてもらえるのはうれしい。

「はーい」

 でも、それは私だけに与えられるものじゃない。

「おはようございます」

 その時入り口に姿を現したのは、国際線のパイロットを父に持つという同じバイト仲間。

 話をしたことはなかったが、かわいくて、女の子らしくて男の子が彼女にしたがるような、そんな雰囲気の女性。

「お。おっはよー。何、今日髪型違うねー。色気づいちゃって」

 村田さんはすぐに彼女の元へと足を向ける。

 私の傍らからぬくもりが去っていく。

 村田さんが、他の女の子と楽しそうに雑談している。

 その会話が否応にも耳に入る。

 私は、机に広げられたテレホンアポインターマニュアルの上に拳を作り、また突っ伏していた。


「こら、寝るな」


 事務所には不似合いな幼い声。

 がばっと上体を起こすと、目の前には少年の姿。

 だが、実体ではないことはすぐにわかった。

 体が薄く透けている。

 さらに、私たちが簡単にイメージできるものに似た、天使の羽根を背中に負っていた。

「君は……」

 私の脳に鮮明な記憶がよみがえる。

 なぜが素直に、あの本に挟まっていた白い羽根の持ち主だと分かった。

 しかも、あの曲がり角の水溜りで遊んでいた子供だ。

「何のために、お前に力を分け与えたのかわかっているのか?」

 少年は口元に笑みを浮かべながら、自身満々と言った顔で告げる。

「お前はすぐにあきらめるからダメだ。何もしないうちから、見切りをつけるんじゃない」

 私は少年の言うことを聴きながら、ゆっくりと村田さんのほうを振り返った。

 指摘されていることはわかる。

 中学生の時も、高校生の時も、好きな人ができても告白することができなかった。

 好きだ好きだと言いながら、相手がその気持ちに気づいてくれるまで待っていた。

 向こうから何か言われるのを期待して、受身になってばかりだった。

 そんな恋が、うまくいく筈なんて無いのに。

「お前も、そろそろがんばってみたらどうだ?」

 少年が、ついと指を動かした。

 すると、バックにしまっておいたはずの白い羽根が舞い上がる。

「お守りだ。気休めにはなるだろう?」

 こくんとうなづいた私を見て、天使の羽根を持った少年も笑顔でうなづく。

 その表情は外見年齢相応の、子供らしい清々しさがある。

「ありがとう」

 私がお礼を言うと、少年は姿を消した。

 心の澱が、さらわれた気分だった。


 事務所での一通りの仕事が終わり、帰宅する時間。

 通りに面した窓を見ると、外は雨が降っていた。

――傘……持ってないや

「あ~!雨が降ってる!どうしよう、傘持ってきてないよ」

 お嬢様の声が事務所に広がる。

 彼女はそう言いながら、ちらりと村田さんを窺がっている。

「村田さん、送ってくれません?」

 今にもそんなことを言い出しそうな雰囲気に、私は慌てて横から口をはさんだ。

「あ、上村さんも?私もー。今朝降るなんて言ってなかったよね?家どこ?」

「ねぇ?どうしよう。歩いて帰れないことも無いんだけど……」

 初めて言葉を交わしたが、長く顔は負わせているだけあって緊張感も何も無い。

 お守りがある。励ましてもらった。

 そんな些細なことが、私に普段無い勇気を与えてくれているようだった。

「傘貸そっか?」

 村田さんはそう申し出た。

「え?だって村田さんはどうするの?」

 上村さんは多少不満げに(私にはそう感じられるのだ)聴き返した。

「いいよ、別に。車あるし。お前は?」

「え?私ですか?」

 話を振られて一瞬言葉に詰まる。

 私は電車だ。

 駅までは地下道が延びているから、事務所を出て地下道に入るまで、それから、最寄の駅から部屋に帰るまでが雨に降られる。

 大丈夫……

 そう言いかけて、少年の言葉を思い出す。


――お前も、そろそろがんばってみたらどうだ?


「村田さん、送ってってくださいよ~」

 ふざけた感じになってしまったが、言えた。

 送ろうか?

 と言われる前に、自分から言えた。

「車なら私もついでにいいじゃないですか」

 上村さんも負けじと続ける。

「だって君、俺らと反対方向じゃん、めんどい」

 さらりとすごいことを言って、村田さんは無邪気に笑う。

 俺ら。

――村田さん、私の住んでる場所、覚えてくれていたんだ

 いつだったか、住んでいる地区を聞かれたことがある。

「村田さん、どこなんですか?方向一緒ですか?」

「おう、俺柏だし」

 確かに方向は同じだ。

「じゃ、行こうか」

 村田さんはそう言って、事務所のドアを開けてくれる。

 私は、上村さんがどんな顔をしているのかも気にせずに、村田さんと一緒に事務所を後にした。


 近くのパチンコ屋の駐車場に、村田さんの車は停めてあるという。

 車を回すからと一人先に行った村田さんの帰りを待ちながら、なんとなく事務所の入ったビルの一階テナントのコンビニに入った。

 書籍コーナーをうろうろして、文庫本の棚に面白そうな本を見つけた。

 帯に書かれた「そこは異世界。戦う相手は、自分自身!!」というあおりに惹かれ、購入してしまった。

 私も、自分と戦わなくてはいけない。

 そう思っていたから……。

――プップー!

 路側帯でクラクションが鳴った。

 車窓から、村田さんが笑顔で手を振っていた。


 期待してしまうではないか。

 もしかしたら、村田さんも私のこと……

 車の助手席で他愛もない談笑をしながら、そんなことを思う。

――……だめだ。

 だが、違う。

 これではだめなんだと言い聞かせる。

 勝手にいいように解釈して、今まで自分から告白することができなかったんじゃないか。

 気持ちを伝える勇気もないくせに、しょうもない妄想ばかりして、結局恋は実らなかったんじゃないか。

――お守り、もらったじゃないか。

 そっと、かばんの中を探る。

 手に、羽根の感触が当たった。


 心臓の鼓動が大きくなる。

 洋服の上からでもその拍動が見える。

 直接、聴神経を刺激する。

 覚悟を決めると、一気に緊張感がこみ上げた。

 表情筋がぴりぴりする。

 横隔膜が引きつく。

 降下中のジェットコースターに乗っているみたいだ。


――この高揚感が、心地いい……


 私は、別れ際を見計らって気持ちを伝えた。

「む、村田さん、あの……」



:::

「次は、今日の天気です……」

 つけっぱなしにしていたテレビから、「今日」の天気予報が流れる。

 閉め切ったカーテン。

 晧々と灯る電気。

 ふと、時計を見上げるとちょうど午前零時を少し回ったところだ。

――眠って、いたのか……

 私は読んでいたはずの文庫本を膝の上から拾い上げた。

 確か、収納もかねた大き目のベッドに背を預け、買ってきたばかりの文庫本を読み始めたのが21時過ぎ。

 立膝をして、その上に本を持つ手を乗せる形で読書に耽っていたと思っていたが……。

 いつのまにか足を投げ出し、本は投げ出され、器用にも膝の上でおとなしくしていた。

 単純に、3時間余りが経過していた。

 テレビをつけておいたのは、音がないとなんとなく物寂しく感じてしまうからだ。

 最初は大した内容もない、漠然としたドラマだった。


――?私は“眠って”いたのか?

 手の中の文庫本に視線を落としていたら、妙なことを考えてしまった。

 読んでいた本の内容に軽く影響を受けた疑問ではあったが、どうしても、知らぬ間に寝てしまっていたという事実が腑に落ちなかったのだ。


 私は再び本のページをめくった。


 まっさらなページが目に飛び込んでくる。

 印字された文字と、白い紙。

 記憶に刻まれた、“夢”

 

 何気なく開いたそのページには、少年のイラスト。

 白い羽根で水をかき、思いのままの幻想を見せる能力を持った天使の姿。

 天使の羽根が水をかく度に、物語の中で争っていた人間たちが幻を見る。

 故郷の妻子の姿を。

 愛しい恋人の笑顔を。

 懐かしい友人たちの輪を。


 

 少年が、夢を見せてくれた。

 そのイラストの少年の顔を見ながら、私は妙に納得してしまった。

 だって、私がバイトに出ていたのはもう3ヶ月も前のことだ。

 村田さんを好きだと言う気持ちは確かにあったが、結局、いつものように何もなかった。

 仕事上、電話番号は教えてあったから、もしかしたら電話してきてくれないかな、なんて変に期待してはいたけど……

――がんばれって、いうんでしょう

 本の中の少年が見せる幻は、見る者が望む景色だ。

 波紋のように広がる奇跡は、望むものの具現した映像だ。

――私、変わりたいって思ってたって事ね……

 私は携帯電話を取り出した。

 アドレス長を開くと、そこには村田さんの番号が残っている。

 消さなかった自分の女々しさに感謝しながら、私は決めた。

 

 明日、電話してみよう。


 まずは、そこからだった。


 

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