じゃんけん必勝法
「昨夜はいろいろとお世話になりました。俺たち、もう行きます」
「・・本当にあの人たちについていくのね」
「・・俺たちは何があってもあそこへ行かなきゃいけないんです」
今朝からも何度か引き留められた。あの男が信用できないのは十分に分かっている。
『金は信用と同義だ。お前は俺を信用できないだろうが俺はお前をこいつで信用した。言ってる意味が分かるな?』
昨夜帰りがけに言われた一言。法の外に生きる人間にとっての唯一の信用は既に手渡した。後は無事送り届けてくれるのを祈るだけだ。
「すいません、俺たちもう行かなきゃ。ほら、沙織もお礼」
「ありがとうございました、お料理とってもおいしかったです」
女性はこちらこそありがとうとだけ口にした後、ただ浮かない顔をしては俺たちの表情を見つめるだけでそれ以上何も言わなかった。
外に出ると無精髭を蓄えた高田が表に立っていた。
「よう兄ちゃん、よく眠れたかい?」
「・・一応は。今日はよろしくお願いします」
本当は全然眠れなかった。おかげで疲れは溜まりまくっている。
「じゃあ行くぞ。これから壁伝いに西の方向へ歩く。少し時間はかかるが歩くのには慣れてるんだろう?まぁ嬢ちゃんのこともあるから少しは休んでいくがな」
「あの、昨日の三人組は・・」
「ああ、今日は俺だけだ。こういう仕事は人数が少ない方がやりやすい」
街を歩き始める。今日も昨日に続いてどんよりと重たく暗い空が広がる。あの街にいたころは基本的に晴ればかりだったので調子も狂いそうだ。
「兄ちゃんには特殊な能力はあるのかい?」
歩きながら高田がそんなことを質問してきた。
「まぁ、嬢ちゃんの方でもいいや。ほかの人間とは違うような何かがさ」
「どうしてそんなことを?」
「・・この壁はな、ここの人間を守ってるのさ」
「壁が・・ですか?」
話が見えない。特殊な能力とこの壁とどういう関係があるんだ?
「壁の中と外で大きく違うのは生活や貧困の差じゃない。人間の性質が違うんだよ。奴らは小規模だが人にはない特別な力を持っている。そういう人間から力のない人間を守るためにこの壁は建てられたんだが今じゃ富裕層と貧困層を隔てる象徴さ。それでも時折その事実を知らないやつが壁の中に入りたがる・・兄ちゃんたちみたいなやつらがな」
返す言葉がなかった。というより、もともと何も知らなかったとはいえ想像の斜め上を行く事実に言葉が見つからなかった。
「で、何かそういうものに太刀打ちできる不思議な力があるのかい?まぁ圏外生まれにはなかなか発現しないらしいがな。この壁の向こうだけに雨が降るのと同じだ。異空間みたいなもんなんだよ。圏内ってのは」
「・・・俺には・・何も・・」
「・・ま、そうだよな。せいぜいやられないように生きてくれ」
西に進むたびに道は狭くなっていく。洗濯物や、箒やごみ箱など家の人の所有物が道に投げ出され、かすかに異臭さえしてくる。入り口に見受けられた店はすっかりその影すら無くし、住居だけが視界を埋め尽くしている。
「まぁ、ちと早いがここらで休憩といこうか。ここから先はおちおち休憩もしてられないくらいに治安が悪いからな。屑どものたまり場さ」
軒先に放置してあった誰のものとも分からないベンチに腰掛ける。膝が軋み足の筋肉が縮み上がりそうになった。
「・・さっきの話なんですけど、能力ってこの壁を建てなきゃならないほど危険なものなんですか」
俺の質問に高田が鼻で笑う。
「ビビってんのか?なら引き返そうか?・・へっ、まぁそう心配することでもねぇ。この壁が建てられたのはずっと昔だ。世界が崩壊してすぐだったそうだぜ。そのころとは違って今じゃ人も殺せないような軟弱な能力と人間しかいないらしい。そこらのテレキネシスの方がよっぽど強いだろうな」
沙織はさっきからずっと俺の袖を掴んでいる。不安が痛いほどに伝わる。壁の中には本当に希望が待っているのだろうか。俺は沙織を守り切れるだろうか。
「あの・・能力って小さい人は本当に小さいものなんですか」
「ああ、らしいな。なんだ兄ちゃんは心当たりでもあるのか?」
自分の右手をじっと見つめる。強いて言うならこれしかない。
「・・じゃんけんが強いんです。しょうもないですけど」
高田が口をぽかんと開けて俺を見る。当然の反応だろう。すぐさま腹を抱えて笑い始めた。
「じゃんけんって!!おい、それジョークで言ってるのか!!?だとしたら最高だぜ!!圏内じゃコメディアンでやってけるさ!!あいつらそういうの大好きだからな!」
馬鹿なことを言ったのはよくわかっているがここまで笑われるとは。
「ああ・・ワリィワリィ・・!!あんま面白いこと言うからさ・・」
「恭兄ぃ、勝負してあげれば」
袖をぎゅっと掴み続ける沙織が下からボソッと提案する。その眉間にはしわが寄っている。お怒りのようだ。そうだな、このまま舐められっぱなしもよくない。
「十回勝負しましょう。俺が全部勝ちますから」
「ふっ!!・・いいぜ!俺もガキの頃からじゃんけんは得意だ!」
笑いっぱなしの高田に少々頭が来ていた。引きつる頬を元に戻させてその目を丸くさせてやる。
「最初はグーからだな。行くぜ、最初はグー。じゃんけんぽんっ」
高田はグー。俺がパー。ひとまず一勝した。
「あっはっは!さすがだな!だがこれからだ!十連勝ってのは難しいぞ!」
「じゃんけんぽんっ」
「じゃんけんぽんっ」
「ぽんっ」
「ぽんっ」
五連勝したところで高田から笑いが消える。ここまであいこもなしだ。
「まぐれだろ・・?」
「五回くらいじゃまぐれですよね。続けましょうよ」
「ぽんっ」
「ぽんっ・・」
結局あいこなしで宣言通り十連勝した。俺の思惑通り高田の頬は元居た位置に戻り、目を丸くしている。
「お前・・この先もじゃんけんを続けて勝てる自信はあるのか・・?」
「・・全勝しますね」
躊躇ない俺の発言に無精髭を撫でてため息をついた。
「・・確かにそいつも能力の一部かもしれないな。まぁ、むこうでじゃんけん大会でもあればお前の勝ちは決定さ」
「恭兄ぃはやっぱじゃんけんなら最強だね」
沙織の不安も吹き飛んだようですっかりいつもの調子に戻っている。
「まぁ、生憎じゃんけんだけなんだけどな」
歩き始めて一時間もすれば人の気配すらなくなっていた。ただ無機質な建物が密集しているだけのような気もする。家と家の間から流れる冷たい空気や漂うカビの臭いに自然とあの高いビルを思い出していた。
「ここらはどちらかというと圏内から追い出された奴らの溜まり場になってるんだ。お前らが俺たちを必要としなきゃここは抜けられなかっただろうな」
確かに人の影こそ見当たらないが、気配は感じる。獣が常に食らいつかんと殺気立てながら近づいてくるような感覚が脳の奥にひしひしと伝わってくる。
「まぁ、俺のいるうちは大丈夫だ。ここもすぐ抜けられる。ここを抜けたらすぐ壁の穴だしな」
できるだけ足を速く前に出しながら進む。前方は家の並びが途切れていて明るくなっているようだ。できるだけ周りを見ないようにしながら、沙織の横から手を回し、視界を遮るようにしてそのを頭撫でた。
「・・・・さて、ここが圏内への入り口だ。」
鬱蒼とした家々から抜け出した先にそれはあった。壁にできたトンネルを大きな柵が塞いでいる。柵の周りには作業服姿の男が何人かいてその手には黒い筒が握られている。あれは銃だろうか。初めて見た。
高田は男たちに軽く会釈をすると、男の一人が柵を開けた。重い鉄の音が辺り一帯に響き渡る。俺も沙織も思わず耳をふさいだ。
「よし、入るぞ」
高田に促されてトンネルの中へと進む。トンネルの向こうは暗くて何も見えない。
「ここを抜ければ圏内なのね」
「いや、そうでもない。このトンネルは地下に繋がっててそこから圏内に出れるようになってるんだ。秘密の地下通路ってやつだな」
二人の声が不気味なほどに響く。トンネル内に括りつけられた小さな明かりだけが頼りだ。
「さて、もうすぐ圏内に着くわけだが」
十五分ほど歩くと高田は立ち止まりこちらを向いて話し始めた。
「本当に今度こそ着くのね。随分歩いたよ」
「あぁ・・。この先の扉を抜けたらゴールだ」
沙織と二人で顔を見合わせる。ようやくあの街へ行ける。そう思った。
「いきなりで悪いがこの先へ行けるのは兄ちゃんだけだ。嬢ちゃんは預からせてもらう」
本当にいきなりだったので耳を疑った。
「は?ちょ、ちょっとどういうことですか。お金は払ったハズ・・」
「足りねぇっつったろうが。なんとかするのは俺じゃねぇ。その嬢ちゃんだ」
無精髭の生えた顎で沙織を指す。沙織は警戒して俺の後ろへ回った。
「・・どういうことだ」
「簡単な話だ。その嬢ちゃんは金になる。生憎嬢ちゃんはまだ子供だがそれでも高値で買うもの好きがいるもんでな。安心しろ、売るのは圏内の人間だ。兄妹揃って圏内入りはできるんだから悪い話じゃないだろ?」
「悪い話じゃない?それは冗談で言ってるんだろ?」
「いいや、本気さ。売り飛ばす相手も期間ごとに変えてきゃあこの嬢ちゃんはてめぇがあくせく働いて手に入れたはした金の何倍も稼いでくれるんだ。立派なビジネスの話をしてるんだぜ」
「クズ野郎・・」
「てめぇよりはマシだ。ごみ溜めから生まれてきたくせに一丁前に金を踏み倒そうってんだからな。まぁいいや。別にそういう奴は初めてじゃない。何度も礼儀を教えてやってさっきの道に捨ててきてやったよ。大抵クズどもに遊ばれてしまいにゃ小さいごみ箱に別々に分けて入れられてるがな」
自分の食いしばる歯がギチギチと音を立てている。
「おお、怖え。なんて目をしてるんだ。・・でもそんな目も見慣れたもんだ」
顔面に固く重い衝撃が走る。鼻のあたりでゴキっと音が鳴り、衝撃のかかるままにそのまま倒れこむ。それほどの感覚をたった数秒のうちに味わいながらも何が起こったのか理解できなかった。沙織の悲鳴が耳に入る。
「じゃんけんは得意なんだろ?最初はグーだぜ」
倒れた俺をしゃがんで見下ろし、拳を突き出しながら笑ってみせた。
「このじゃんけん勝負なら俺の得意分野だな。確定事項だ。俺が勝つぜ」
「このっ・・!」
俺が立ち上がるよりも早く高田が立ち上がり顔面を蹴とばす。固い靴の底が負傷した鼻にもう一度鋭い衝撃を与えた。噴き出す血が地面を濡らした。
「人間ってのはっ!こうやってっ!顔を蹴っ飛ばすのがっ!一番早いんだよおっ!」
正面から、頬から、高田がまるでボールを蹴り飛ばすように俺の頭を執拗に狙う。
「一番安全な部位で一番危険な部位を狙うんだ。痛いだろ?血が出てやべぇって思うだろ?そしたらもう人間は反撃ができねぇんだ。恐怖の刷り込みってやつだな。殺されちまう、殺されちまうってなぁ」
高田は胸倉をつかむとまた鼻を狙って右ストレートをかます。痛みすら超越した何かが俺の涙腺から大量の涙を流させた。よろよろと倒れこむ俺の胸倉をもう一度掴んで高田がささやく。
「安心しろ。殺しはしねぇ。気絶するまでぶん殴るだけだ。妹のことは俺に任せていいからよ。ちゃんと売れるか心配だってんなら俺が味見してやったっていい」
無意識に反撃していた。それもことごとく躱されまた殴り飛ばされる。宣言通り俺を気絶させるまで猛攻は止まらない。無精髭は高らかに笑っている。
頭部を横から蹴られると聴力が一気に衰えた。代わりに耳鳴りが大音量で警鐘のごとく鳴り響く。目は簡単に潰れた。失明してはいないだろう。まぶたが切れただけ、たぶんきっとそうだ。鼻先の感覚はまるでなく、溶岩が代わりに張り付いているように熱い。そうやって感覚を失われていく。五感ってのはどうしてこうも集中した場所にあるんだ。
「恭兄ぃっ!!」
沙織の叫び声もずいぶん遠くから聞こえてくるように感じられた。意識さえも刈り取られそうだ。それでも奴は攻撃の手を緩めない。
地に顔を伏せて顔面を流れる血の感触と握った砂の肌触りしか頭で理解できなくなった時、俺は不思議な感覚に襲われていた。
襲い来る攻撃の雨。倒れこんだ背中や腕や頭部にかかる衝撃。そのすべてを理解しながら受けていた。
「なんだこれ」
鉄の味が広がる口から率直な感想が漏れる。
立ち上がろうとするたび踏みつけられる掌。再び地面に押しあて力を入れると激痛が走った。骨折したのか。それでも立ち上がらねば。
高田はもちろんそれを見逃す素人でもない。再び手を踏みつけようとする。
ほら、これだ。「踏みつけようとする」ってなんで分かるんだ。今の俺はろくに目も見えてないんだぞ。
直感のままに手を別の位置に素早く置くと俺の顔に砂が舞い上がった。それはもちろん高田が蹴りを外したことを意味する。
それから、立ち上がることに支障がありそうな打撃以外は受け、支障があればすべて躱し、あるいは別の部位で受け、ゆっくりと立ち上がる。
攻撃の手が止まった。よく見えないが驚いたのだろう。俺だって驚いてるさ。当たり前じゃないか。
我に返った高田がもう一度右を繰り出す。ボロボロの体で大きくしゃがみながらよけて、握りしめた拳を高田の顔面へと飛ばす。固い音がした。俺の手が折れた音か、奴の鼻が折れた音か。どっちだっていい。血で滑る拳を再び握りなおす。骨が折れているのか走った鈍く重い痛みに叫び声をあげるが右腕は止まらない。呆気にとられているであろう高田の顔面をとらえ打ち抜いた。
「てめぇ、見えてんのか・・」
「さぁね・・」
俺が一呼吸した瞬間に高田が腹部を狙い蹴りを放つ。さすがはプロだ。タイミングが上手い。
高田の狙い通り、蹴りは横腹へと当たった。だが所詮横腹への打撃だ。来ると分かっていれば大したものではない。
怯むと思っただろ?俺が蹴りを受けて怯んだ隙にまた顔面でも狙って致命的なダメージを与えに来たはずだ。そのために態勢を整える必要がある。それがお前の隙だ。
相手の腹部に潜り込んでみぞおちへとパンチを打ち込む。予想だにしていない時のみぞおちへのダメージはでかい。うずくまろうと下げた高田の頭を顎から蹴り飛ばした。
「・・どうして・・急に・・」
「・・急にじゃない・・。あんたは・・致命的なミスを犯した・・。俺に・・じゃんけんで勝負を挑んだ・・・。その時点で・・あんたの負けは確定したんだよ・・。・・・言ったろ・・?じゃんけんじゃあ俺は負けたことがないんだ。・・・後出しは絶対に勝つからな・・」
「・・クソガキがぁっ!!」
高田がとびかかるよりも先にその頬を殴りつけた。反撃しようと蹴りを入れる前にもういちど殴り飛ばす。反撃の手が無くなるまでこちらも執拗に殴りつける。
もう一度殴り飛ばして高田の血で染まったシャツの襟を掴む。
「・・・安心しろよ。殺しはしない。あんたが気絶するまでぶん殴り続けるだけだ」
絶好のタイミング。全体重を乗せた拳が高田の鼻をぐしゃぐしゃにへし折ったとき、また別の感覚が閃光のように走った。
「沙織ぃっ!!走れっ!!」
怯えているのか足がすくんで動けないのか。涙目で俺をみつめるだけだった。
「早く圏内まで走れっ!!別の奴らが追ってきた!!」
自分でも何を言っているのか分からない。直感をそのまま言葉に乗せていた。
沙織はそのまま走り出した。
「行けっ!!!止まるな!!走り続けろ!!」
「てめぇっ!!!」
再び殴り飛ばされる。
「どうして分かった・・?そんな能力を分かってて隠してやがったのか・・?」
後ろからあの時の三人組が走ってきた。もしも何かあったときのために待機しておいたのだろう。
「ボス!!」
「俺はいい!!早くメスガキを追え!!絶対に捕まえろ!!」
「はい!いくぞお前ら!」
「もう・・許さねぇ・・。てめぇは俺がぶっ殺してやる。あのメスガキにはぶっ壊れるまで稼いでもらったあとで俺が直々にぶっ殺して圏外の変態に死体を売りつけてやる」
「口を閉じろよゲス野郎。もう許さねぇのはこっちのセリフだ。ここでお前を倒してあいつらもお前と同じようにしてやる」
両方の拳はその日一番大きい音を立てた。
「クソがっ!!!このクソ野郎がっ!!!!」
頭に血が上っていたのか。気が付けば息も絶え絶えな高田をいつまでも殴り続けていた。拳は擦り剥け骨が見えている。
「何やってんだ俺・・」
もうどちらの血かもわからないほど鮮血を浴びた自分の姿を見てようやく自分のしたことに気が付いた。
「うわ・・あああ・・ああああああ・・・・」
失っていた理性や感覚が一気に戻った。痛みが、現実が、体と心を突き刺す。
何よりも沙織を失ったことへの絶望が重くのしかかった。
「ああっ・・!!畜生・・・畜生っ・・・!!!」
ひどい眩暈としびれにもはや立つことすら許されない。
「沙織っ・・!!俺は・・なんて・・こと・・」
トンネルを照らす小さな明かりが闇へと消えていく。
俺たちが望んだ希望は圏内に辿り着く前に儚く消えた。
薄れる意識の中でどこまでも続く闇だけが潰れかけた右目に映っていた。