遺言
その男が私の弁護士事務所を訪ねてきたのは、五月のことだった。
男は中村と名乗り、遺言書を書きたいのだと言った。自分が愛した女性の娘に財産を相続させたいのだと言う。
中村は五十代、いや四十代かもしれない。遺言書の相談者にしては若いほうだ。
日頃から私は、インターネット上で相続や財産管理に関する相談を受けていたので、それを見たらしい。
過去にも、法律上の相続人ではない人間、内縁の妻、妻以外の愛人や親友などへの相続を相談されたことは数回ある。ペットの犬というケースもあった。
しかし、内縁相手の場合を除くと、大抵何らかの障害があり、相談者に熟慮を促すとそれきりになってしまうことが多かった。私は、また同じだろうと高を括っていた。
私が遺言書作成の大まかな説明をしようとすると、中村は言った。
「最初は死亡保険金の受取人にしようと考えましたが、保険会社からそれは無理だと言われました。それで私なりに少し調べたところ、遺言書を作ることによって財産を相続させることができると」
「ええ、確かにできます。それは、遺贈というのですが、思っておられるほど簡単なことではありませんよ」
私は、彼に妻子がいないこと、両親が健在であることを確認すると、まず、両親の遺留分を説明した。全財産の三分の一は両親が遺留分として受け取ることができると保障されている。つまり、全財産を他人に譲る、と遺言しても、両親が請求すれば三分の一は両親に渡さなくてはならない。
また、第三者への相続税は通常の相続より多くなるので、相手にとって負担になる可能性があることも説明した。
そして何よりも、第三者と法定相続人との間にトラブルが生じやすいということを強調した。
相続問題は、身内同士でも骨肉の争いとなる場合が少なくない。まして他人となれば容赦ないだろう。多額の相続税、遺族から訴訟を起こされた場合の心理的苦痛など、負担になることも考えられる。
「安易な遺言は皆様の争いの元となり、よかれと思ってしたことが逆に困らせることもありますよ」
「承知しています」
中村は落ち着き払っていた。
「私なりに勉強いたしました。両親の遺留分と言うのも知っております。ですから私は、全財産などと言わず財産のいくらかを譲る、と思っているのです。そして後にトラブルとならないよう、先生に遺言執行者となっていただきたいのです」
私には、中村が軽い思いつきで言っているように見えなかった。
「そこまで承知しておられるのなら……」
私は仕事を引き受けた。
彼はそこで初めて、自分が末期の膵臓がんと診断され余命幾許もないことを明かした。
仕事を引き受けた以上、私は、できるだけトラブルが起きないよう助言をする必要があった。
例えば、全財産の三分の一、などという表現は避けること。現金でない物、例えばゴルフ会員権や美術品、自動車なども相続財産に含まれ、借金がある場合はそれも含まれるので、分配協議で問題が起きやすい。具体的な特定遺贈、銀行口座の預金を指定して遺贈する、などとすることを勧めた。
「なるほど、先生に相談してよかった」
彼は安心したように言った。
「ところで、立ち入ったことを伺いますが、中村様とその方とのご関係をお聞かせ願えれば、と。いえ、後にお身内の方から説明を求められた時、納得のいくようにお話ししたいので」
「ええ、もちろんです」
「長い話になりますが」
前置きして中村は話し始めた。
私が七海の母親と出会ったのは、中学校の入学式でした。
ちょうど散りかけた桜が美しく、風が吹く度に花びらが私たちに降ってきました。
桜の中の彼女はとても愛らしかった。子リスのように大きな目、ふっくらとした口元、真新しい制服に肩まである髪を風になびかせ、ほんのりと頬を染め微笑んでいる姿は、今でも瞼にはっきりと浮かびます。私は一目で彼女に恋をしたんです。
内気だった私に対して、社交的だった彼女は友達も多く、なかなか彼女と特別に親しくなることはできませんでした。それでも私はずっと彼女だけを見ていました。
彼女の家は、商店街で総菜店をやっていました。私の家とは反対方向でしたが、時折、遠回りをしてその店の前を通り、彼女の空気を感じていました。運がよければ彼女が店先に立っていることもあり、挨拶することもできたのです。
その後、高校も大学も別々になってしまいましたが、私の友人が彼女の家の近所だったこともあり、その友人から彼女の動向を聞いていました。
益々綺麗になってゆく彼女に、やがて恋人ができたことも知っています。恋人と別れたことも、また新しい恋人ができたことも耳に入ってきました。私はただ、彼女が幸せならばそれでいいと、ただ見守っていたのです。
私にも親しくなった女性はいましたが、彼女だけは特別な存在だったのです。ファムファタール、というのでしょうか。他の女性とは比べられない存在だったのです。
やがて私は地元の市役所に就職し、彼女は地元の企業に就職しました。
社会人になった私には欲が出てきました。私が一人前になり、彼女が適齢期になったなら、その時は、と結婚を考えるようになったのです。
しかし、その夢ははかなく散りました。
私たちが二十七歳の秋、彼女は隣町の私の知らない男のところへ嫁いで行きました。
友人から彼女の結婚式の写真を見せてもらったのですが、ウエディングドレス姿の彼女は本当に美しかった。私が見たことのない喜びの笑みを湛えていました。私は完全に打ちのめされました。
それからは、彼女のことを諦めようとしました。でも、できませんでした。隣町で仕事をしている友人が、時折彼女の噂を私に伝えるのです。その度に私の心はかき乱され、彼女を思い出すことの繰り返しでした。
それが数年続いたでしょうか。
彼女のことを忘れられないでいる私に、前述の友人が教えてくれました。
彼女の夫が突然会社を辞め、人が変わったようになったと。時々日雇いの仕事をするくらいで定職に就かず、稼いだ金もみんなギャンブルにつぎ込んでしまい、酒を飲んで酔っぱらっては近隣に迷惑をかけ、彼女はいつも近所に頭を下げている、と。
私は胸が痛くなりました。彼女が他の男と結婚しても、彼女が幸せならばそれでいいと諦めたんです。それを……。
幼い子供を抱えた彼女がどんなに苦労したことでしょう。
私はいっそ、彼女の様子を見に行こうかと思ったことがあります。でもそれは友人に止められました。今の彼女はやつれきって見る影もない、彼女だってそんな姿を昔の知り合いに見られたくないはずだ、と。
そうかもしれない、と私も納得しました。その時のことを今でも後悔しています。もしあの時会いに行って、無理にでも援助を申し出ていたら、彼女も無理をせず死なないで済んだのかもしれません。
しばらくすると、彼女が幼い娘を連れて、実家に戻ってきました。
友人が言うように、彼女はすっかり痩せてしまい疲れた顔をしていました。あの華々しい笑顔はどこにもなく、よほど苦労したのでしょう、彼女の顔がその苦労を物語っていました。
彼女はいくつかの仕事を掛け持ちし朝から晩まで働いて大変そうでしたが、それでも私は、彼女が悪い夫と別れてまた私の近くに戻ってきたことをうれしく思いました。
今度こそ、私の手で彼女を幸せにしよう、と決心しました。
以前より頻繁に彼女の実家の店を訪ねました。彼女は他所に働きに出て、店にはいませんでしたが、それは承知の上です。
やがて私は店の常連客になり、彼女のお母さんと世間話をするほど親しくなりました。買物のついでに、旅行に行ったのでお土産を、とか持って行って、徐々に店の奥でお茶をいただいたりするようになりました。
このままいけば、いずれ自然に私たちは親しくなりおそらく彼女は私が結婚を申し込んでも受け入れてくれるだろう、そう思っていました。
それなのに彼女は……。
あの日のことは一生忘れません。
ある日、仕事を終え、家に帰ると母が言いました。
駅前のお惣菜屋の娘さん、お前と同級生だったかい、と。
私は胸が高鳴りました。母に気付かれないよう何でもない風に、そうだけど何で、と聞き返しました。
しかし、次の母の言葉に、私の期待は打ち砕かれました。
母は、彼女の訃報を伝えました。
人生でこれほどの衝撃を受けたことはありませんでした。私は何度も確認しました。彼女のお母さんではなくて、彼女本人なのか、と。私は何が何だかわからなくなりました。
翌日、私は彼女の告別式に参列しました。
彼女は一人っ子でした。彼女の棺が出される時、遺影を持つ年老いた両親と残された幼い娘の姿に、参列者は皆、涙しました。
私は喉の奥から込み上げるものを押さえるのに必死でした。本当は泣き叫びたい気持ちでした。
その時、彼女の娘、七海は十歳でした。
彼女のご両親は、勤め人なら定年退職している年齢でしたが、残された孫娘を育てるために店を続けていました。
その後、放心状態で日々を過ごしていた私に、友人が、彼女の実家のお店が借金取りから嫌がらせを受けていると教えてくれました。
というのも、彼女の別れた夫には借金があり、どういう事情か知りませんが、彼女がその借金の連帯保証人になっていたようです。彼女が亡くなって、返済が滞り、借金取りがお店に現れるようになったらしいのです。
お店はさほど繁盛しているようには見えませんでしたから、借金を返しながら孫娘を育てるなど、難しいことだと想像はつきます。
私は一大決心しました。借金の肩代わりをすることにしたのです。
今まで私は、こんなに愛していたのに彼女のために何もできなかった。それをずっと悔やんでいました。今、私が何もしないでいたら、また同じことになってしまうと。
十数年働いて貯めた金がいくらかあったものですから、彼女の両親を訪ねその旨を伝えました。もちろん最初は遠慮なさいました。数百万という大金です。そう安易に受け取れるものではありません。
しかし、私が、孫娘の将来を考えて下さいと言うと、彼らは承諾しました。そして涙を流して頭を下げました。私は彼らに、これは彼女に対する香典だと思って、他の人や私の両親にも内緒にして下さいと。
それからの私は、遠くから七海を見守る生活でした。時々お店を訪ね、困ったことがあったらいつでも相談にのるからと言ってきました。昨年も、私が学費の面倒見るので七海を大学に行かせて下さいと申し出ましたが、奨学金があるから心配は入らないと固辞されました。
これまで、家へ食費を入れて残った分は、なるべく無駄遣いせず貯蓄に回してきました。だって七海の祖父母だって、いつ何が起こるかわからないでしょう。七海がこの先金銭に困るようなことがあるなら、その時は私が七海を助けてやらねばならないんです。それが私の彼女に対する愛の証なんです。
……私と彼女の関係は、以上です。
それから一年半後の冬、中村は死に、私は彼の遺言を執行する手続きに入った。
予想通り、彼の遺族に遺言書のことを告げた時の驚きは大変なものだった。
特に姉夫妻は、訴訟を起こすと言って息巻いていた。
父親は、女っ気の全くなかった自分の息子にも生涯かけて愛した女性がいたことを知り、心動かされたようだった。しかし、遺産となると話は別です、とも言った。
私が、死亡保険金と死亡退職金などは両親のものとなること、その額に比べたら許容できる範囲であること、そして何よりも故人の遺志であることを説明し説得すると、渋々ながら了承した。
この冬一番という寒い日の午後だった。
相続手続きのために私の事務所を訪れた岡田七海は、大学二年、二十歳になったばかりだった。
寒さのせいか、雪のように白い肌をしていた。今時の若い娘には珍しく化粧っ気がなかったが、それが却って整った顔立ちを際立たせていた。清楚な中に凛とした美しさを備え、中村の愛したその母親の容色を窺い知ることができた。
私が席に着くなり、彼女は言った。
「相続を放棄します」
「え」
「中村さんは、私たちとは何の関係もないのに、以前父の借金を肩代わりして下さいました。これ以上、何も受け取ることはできません。ご遺族の方に差し上げて下さい」
「しかし、中村さんは貴女の将来を心配して、この遺言を残されたんですよ。せっかくのご好意ですから素直に受け取られたほうが、亡くなった中村さんも喜ぶと思いますよ」
「そのご好意が重荷なんです」
「いえいえ、そんな風に感じることは全然ありません。ご遺族も納得しておられますし」
「わかりませんか」
「は」
「私たち一家は、長い間中村さんにご恩を感じて生きてきました。祖父母はずっと、中村さんにいつか恩返ししなくちゃね、と言っていました。ちょっとくらいの贅沢をしたくても、中村さんのことを思うと何も買えませんでした。旅行も一度もしたことがありません。祖父母は七十歳過ぎても働き続けています。年金を貰って隠居してもいい歳です。祖父母の年金と私のアルバイトで、私たちは何とか暮らしていけるんです。でもそれができないのは、他人に借金を肩代わりしてもらった身で楽して暮らすわけにはいかないからです」
「私は、この先もずっと、中村さんのご恩に縛りつけられ生きて行かねばならないのかと思うと、苦痛でした。中村さんが亡くなって、今やっと解放されたんです。それなのに、遺産なんか受け取ったら、一生、中村さんのご遺族に引け目を感じてひっそりと生きていかなくてはならないんですよ。わかります?この気持ち」
「それは……」
「身内でもない人からの過剰な恩義は、重荷なんです。赤の他人から施しを受ける側の気持ちを考えたことがありますか。もし、中村さんに少しでも想像力があったなら、私たちが負担に感じないような援助の仕方を考えたでしょう。それをなさらないのは、自分が援助した事実を私たちに知らせたいのです。純粋に私を援助したい気持ちではなく」
彼女の、あまりにもきっぱりとした言い様に、私はそれ以上話を進めることができなかった。
相続放棄の念書に署名してもらい、私は最後に彼女に言った。
「でも、これだけは覚えておいて下さい。中村さんは、本当に心から貴女のお母様を愛していた、と言っておられました。そのことを中村さんの遺言だと思って大事にしてください」
ふ、と彼女が笑った。
何が可笑しいのだろうと彼女を見た。
彼女は冷ややかな目をして言った。
「所詮は、生涯ロマンスのひとつもなかった人が、自分の人生を取り繕うための戯言じゃないですか」(了)




