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 わたしは、堂々と、ホテル入り口の自動ドアをたたき割った。

 けたたましい音が鳴ったけれど、郷二の耳に届くことは無い。

 聞こえたとしても、罠か陽動だと疑うに違いない。

 わたしを探し続けるという執着の為に、ホテルから出る事も出来ない。

 彼は〝必ずホテルの中にいる筈のわたし〟を、永遠に探し求める。

 彼の考える事は、何だってわかる。

 だからわたしは、砕氷のように散らばった強化ガラスを踏みしめ、外に出た。

 外の景色は、ほとんどシルエットだけになっていた。

 ふと見上げれば、三階の通路から見下ろす郷二と、目が合った。

 それでも彼は、ホテルから出てくる事は無いだろう。

 執着を捨てる、という心を彼から奪い去ったのも、わたしなのだから。

 彼は〝諦めきれない〟のではない。最初から〝諦める〟という事を知らないのだ。

 そして、わたしがそれを持ち去った今、彼が自力でそれを悟る事はもう二度と無い。

 でも、そういう心をわたしの中に置き忘れたせいで、罪の無い人達が〝上尾 郷二〟の犠牲になった。

 まだあのホテルで生きている女性達の事を思えば、わたし一人が勝手に死ぬわけにはいかない。

 彼には、法の裁きを受けさせなければならない。

 あのホテルに縛られ続けるだけでは、彼はそれを運命として受け入れ、心の安定をはかるだろう。

 犠牲者を、あのまま放置するわけにもいかない。

 上尾 郷二は、社会の中で、何も望みが叶わない苦しみを、死ぬまで味わい続けなければならない。

 恐らく死刑になるだろうけど、せめて、その短い期間の中であっても。

 全てが終わった後、わたしがどうするかは、わたしにもわからない。

 わたしの中にある深層心理なら、答えは出せるのだろうか?

 そうだったとしても、それに頼るつもりはないけれど。



 奴は自動ドアを破って、ロビーから外に出たようだ。

 一見して逃げ出したように思えるが、オレの目を欺く為のフェイクだ。

 奴を逃がしてしまった、とオレが悲観している隙に、またホテルに侵入する魂胆だ。

 奴は、このホテルで永遠にオレとすれ違う事が出来ると、本気で考えているのだろうか?

 あり得ない。

 この世に肉を得た以上、奴はもう普通の人間でしか無い。

 例え、オレの深層心理を熟知していると言っても、いつか必ずミスをしでかす筈だ。

 ミスをしない人間など、絶対に存在しない。

 このまま追いかけ続ければ、いずれ必ず遭遇する。

 他人の脳を削ってエリナを作ろうとする試みよりは、遥かに希望があるだろう。

 奴は自殺を匂わせていたが、それもあり得ない。

 永遠にすれ違い続ける、という言いぐさと矛盾するからだ。

 本当に死ぬ気なら、いつか死体として見つかる。

 こういう所でボロを出すあたり、自分の命に未練があるという事だろう。

 見付けてやる。

 何年かけても見付けてやる。

 ――百年、見つからなかったら?

 二百年かけてやる。

 ――千年、見つからなかったら?

 一万年かけてやる。

 大体なんなんだ、この声は?

 オレは、一言も発してないのに。

 奴が何かをしたのか。

 あんな、エリナみたいな声を出していやがったが、これが普段の声なのか。

 ――一万年かけて、見つからなかったら?

 決まっている、十億年でもかけるだけだ。

 むしろ、それ以外にどうしようもないだろうが。

 ――そんなに永く、生きてられると思ってるの?

 質問の意図がわからん。いよいよ苦し紛れか?

 ああ、判で押したような、つまらん通路も終わりだ。

 さっさと一階に下りて、奴を追う。

 当面の食料を確保する為に厨房へ向かったか……いや、そう思わせておいて、バーに行ったのだろう。

 あそこは袋小路だが、だからこそ、オレがそこを候補から除外すると読むはずだ。

 ウェスタンドアを殴りつけるようにして、バーに踏み込む。

カウンターの下にでも隠れているのだろうが、ここまで接近すれば、奴の足では逃げ切れない。

 相変わらず、鼻の曲がりそうな臭いがする。こればかりは、完全には慣れない。

 万が一、マネキンのどれかにエリナの心が宿った時、この腐臭をどうにかする手立ても考えなければ。

 マネキンといえば、ここでピアノを弾かせていた003番が見当たらないな。

 音色が、エリナの弾いていたのと同じに変われば、ホテルのどこにいても飛んで駆けつけるつもりだった。最初の内は。

 だが、あのマネキンは駄目だった。

 あんなものはエリナじゃない。

 そう言って、何度も何度も蹴りを入れてやったが、一向にエリナになる気配が無かった。

 わたしはエリナです、と一丁前にのたまった所で、それでエリナと同じにならなければ意味が無い。

 努力しています、が通用するのは小学校までの話だ。

 マネキンまでが、オレを嘲笑って、傷つけたんだ。

 どれだけやらせても、エリナのとは似ても似つかないクズ演奏しか出来なかった出来損ないだ。何度、蹴り飛ばして、靴を汚した事か。

 あんな人間のクズは、一生、何も感じない暗闇の中で悶え苦しみ続けろ。

 それよりも、本物のエリナを内包した、奴の事だ。

 大股で床を踏みならして、奴に足音を誇示してやる。

 カウンターの下に隠れて、何か凶器でも持っているのか。

 無駄だと言うことを教え――右足のすねが、万力のようなものに挟まれた!

 痛くは無い。何も感じる余地が無いほど、強い力で圧搾(あっさく)されている。

 ごりごりと、肉が潰れる。

 カウンターの下から伸びた手だ。

「野郎、やっぱり――」

 だがそれは。

 奴とは――エリナとは似ても似つかない代物だ。

 そもそも、生物ですらない。

 マネキン。恐らく、汚れの具合から、003番だ。

 それが、オレの足を握り潰している。

 比喩などではない。骨が軋み、砕け、神経が断裂して。オレはその場に倒れ込んだ。

「ぁ……?」

 意味が分からない。

 何故、肉詰めのマネキン人形に過ぎないこいつが、人間の足をこうもあっさり潰せる?

 あり得ない。物理的にあり得ない。

 オレは今、足が痛いのだと思う。気が狂わんばかりに痛いみたいだ。

 だが、どうリアクションを取れば良いのかが、全くわからない。

 藻掻き、のたうち回るという行為を理論的には知っているが、文字の羅列としてでしか、頭の中に再生されない。

 一体オレは、どうしてしまったんだ?

 マネキンが、無表情でオレを見据えている。

 うわべだけをエリナに似せた顔が。

 ビーフシチューのような腐汁でベタベタに汚れているが、それでものっぺりと、平坦なエリナもどきが。

 だが、そんな顔で、オレにやろうとしている事は――。

 手が、オレの左足に伸びようとしている。

 こういう時、何をするべきだったか。何を感じるべきだったか。

 わからない。

 何もわからない。

 左足が、同じように握り潰されて、ペーストみたいになった。

 わけもわからないまま、涙が流れる。

 何かを言いたいが、こういう時に何を言えば良いのかが、思い出せない。

 何故だ。昔は、やばい時の対処くらい、普通に出来てた筈だ。

 オレはただ、ネオンサインでぎらつく、恐らくこのマネキンが書いたと思われる血文字を、目で追うしか出来ない。

 

 くらいくらい く ら きこえ きこえない きこえな きこえない

 しにたい い い いぃ しにたい しに くらい くら 

 なんで な ん   で あたし あたしあたし なにもしてない なにも のに

 わたしはあたしじゃないエリナはあたしじゃないこんなのエリナじゃないこんなのあたしじゃない

 ころす ぜったいころす ころしてやる あいつ あい っ


 そもそも、このホテルは、一体何だったんだろう。

 オレは、何故かわからないが恐怖と焦燥に襲われながら、けれどうまく言葉に出来ず、態度にも出せず。

 ただ阿呆のように口をあけて、ホテルの事を考えていた。

 マネキンが、オレの右手を引っ張った。



 流石に、歩き疲れた。

 正門から道路に出て、国道に差し掛かった所で、わたしはヒッチハイクをした。

 地元ナンバーの車は止まってくれないか、止まったとしても、わたしの話を信じずに行ってしまった。

 あのホテルで起こった事件の事を思えば、仕方の無い事だ。

 六台目の車は、県外ナンバーだった。

 ホテルの事を良く知らないらしいので、快く乗せてくれた。

 陽気で気の良い、若いカップルだった。

 乗り込む前から聞こえていたのだけど、車内には大音量のヘヴィメタルだかスラッシュメタルだかが轟いていた。

 今までのわたしなら、音の暴力だとしか思えず、耳を塞いだと思う。

 けれど今は、とても心地の良い音色に感じた。

 ホテルで体験した気持ち悪い事が、全部洗い流されていくようで。

 日は完全に沈み、夜がやってきた。

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