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エリナの、エリナの話をしようと思う。
したいと思う。
エリナだけだった。
万人から避けられ、疎まれ、憎まれ、誰からも愛されないオレに、微笑みかけてくれたのは、エリナだけだった。
けれど、それ以上は、何も浮かばない。
もう、何も浮かばない。
わかっていた。
最初からわかっていた。
オレには、エリナとの思い出なんて何一つ無いのだと。
だから、無いから、作らないといけなかった。
どんな手段を使ってでも。
どんな犠牲を用いてでも。
どれだけ無謀な賭けであっても。
これだけ努力しているのに、オレが報われる事は無い。
けれど、あいつは、あの〝上尾 郷二〟は、生まれながらにしてそれを持っていた。
ふざけやがって。
ふざけやがって。
ふざけやがって!
こんな不条理があってたまるか。
何も努力していない奴が全てを得る。
努力しても何一つ手が届かないオレを、同じ顔した奴が嘲笑っている。
奴は、オレの心を傷つけた。
奴は、オレの事を知らなかったが、それが正当な理由になるはずがない。
奴は、絶対悪だ。
悪は、排除しなければならない。
悪は、全て滅びなければ、悪人の道理が通る世界に墜ちてしまう。
秩序が守られない。
だからオレは、奴に刑罰を下す。
死ぬ事さえ出来ない。死にたいと懇願さえ出来ない。
狂う事も許されない。
ただ、真っ暗で体の感覚が無い意識のまま、一生を終える。
それだけの罪を、奴は犯した。
この世にはごめんなさいでは済まされない事柄がごまんとある。
償えば許される、という勘違いをするから、償いきれない罪を犯す奴が後を絶たないのだ。この世界は。
償えば良いじゃ無いか、とヘラヘラ笑いながら、奴らは他人を傷つけ続ける。
許せないことだ。
奴を許してはならない。
殺して楽にするなど、もってのほかだ。
そう、思ってやまない。
そのはず、だったのに。
オレは、今のチャンスを棒に振って、奴をみすみす逃がした。
何故だ?
奴は、何もしちゃいない。
真っ向からぶつかって、奴がオレに対抗出来る要素は何一つ無い。
それは、今の接触ではっきりとした。
オレの目にも、奴の目にも、はっきりとした。
なのに、何故。
考えたくない。
考えたくない。
考えたくない!
今、オレが何を考えているのかを、考えたくない。
それを認めてしまえば、オレは完全にオレのエリナを否定する事になる。
……次は無い。
オレの一番大切なものを、もう一度思い起こせ。
一番大切なもの。
オレのエリナ。
それ以外は要らない。
オレの体は必要だ。
オレのエリナを作り出す者が居なければならないから。
だが、オレの心はもう要らない。
オレのエリナを作り出す邪魔にしかならないから。
オレの心なんて死ねば良い。
そうか、オレの心なんて死ねば良かったんだ。
――。
トラブルは解決された。
オレの情緒が、障害から完全に復旧した事を確認。
再度、〝上尾 郷二〟の発見と捕獲の作業に移行する。




