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ブートストラップ  作者: 笛伊豆


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第8章

 いきなり、シンと静まり返ったような気がした。僕は恍惚から引き戻された。

 マコは、一心に考え込んでいる。それから、言葉を選びながら慎重に話を進めて行く。

「つまり、あのファイルがセーヴされた時点では、あれは事実だった、と」

「そうだ。シミュレーション結果と思えばいい。ただし、実際に行われたシミュレーションだがね。あれは、存在しないネットワークを通じて私のサーバーに送り込まれた現実の記録なのだよ。書き換えられてしまう前の、ね」

 マコは黙った。

 かわりに、僕が質問した。声が震えていたと思う。

「なぜ……なぜ結果が改変されたんです」

「もちろん、間違った計算結果だったからだ」

 八代所長は、まっすぐ僕を見据えた。真剣な目をしていた。この時は。

「田村くん、実は君のメールマガジンを実験に加えたのは私の指示なんだ。というより、君のメールマガジン以外の実験協力者は全部ダミーだと言ってもいい」

 僕は、いきなり殴られたような気がした。一体僕のあのつたない文章に何の意味があるというのだ?

「私は、君のメールマガジンを通じてガイアシステムを操作できないかどうかずっと追跡していた。君のマガジンは、おかしなことに現実と連動性が異様に高い。神秘主義者なら、シンクロニシティというところかな。

 君自身や君の会社、はてはメールマガジンの読者まで調査してみたが、どこにもおかしなところはなかった。だが、毎週発行される君のメールマガジンの内容と発生する事象には、明らかな相関性が認められるんだ。

 いろいろ考えた結果、仮説として一番有力になったのが、君もしくは君のメールマガジンが、ガイアシステムのインデックスレジスタなのではないか、ということだった。もちろん、比喩だが」

「インデックスレジスタ?」

 僕は馬鹿みたいに繰り返した。インデックスレジスタというのは、昔の汎用マシンのハードウェアの一部だ。フォン・ノイマン型の計算機は、プログラムを補助記憶装置から呼び出して、メインメモリ上に展開してから処理を行う。レジスタはその際の主記憶や仮想空間上のアドレスを指示したり、2進法で計算したりするのに使われていたはずだ。そして、その中でもインデックスレジスタは、命令のアドレスを示すために使用される……と習ったような気がする。

「そうだ。君のメールマガジンの内容そのものにはあまり意味はない。だが、その内容に基いて現実が決定されているとしたらどうだろう。内容をいじれば、現実を変えることが出来るかもしれない。

 そして、やってみたところ、結果は予想以上だった。君たちはもう知っているだろう。私のサーバーのファイルは、起こるはずだった現実の記録なのだ」

 僕は、ふと違和感を覚えた。

 さっきからだんだん八代所長の身体が大きくなってきている気がする。目をこすってみたが、そんなことはない。所長はあいかわらずサーバーの前に腰掛けているだけだ。

 いつの間にか、マコが身を寄せてきていた。マコも何かを感じているのだろうか。

 不意に、八代所長の口調が変わった。

「田村くんのもとには、真琴を行かせた。話が合うと思ったからだが、思った通りになってくれたようだね。嬉しいよ。

 君たちはいいパートナーになるだろう。私には恵まれなかったが……まあ、それは私の希望だ。別に強制力はない。あまり気にしないでくれ」

「先生……どうしてそんなことを?」

 マコが悲鳴のような声をあげた。

「時間がなくなってきたな……私は現実に干渉しすぎたらしい。ガイアシステムの中のバグといったところだろう。自分のシステムにバグが発生したら、それを取り除くのが開発者の常じゃないかね?

 そういうわけだ。判ったら行きたまえ。真琴くん、私が所長でなくなったら君の居場所はここにはないぞ。クビになる前にやめた方がいい……」

「八代所長、どうしたんです?」

 僕は、身体を硬直させながら言った。マコが僕の腕にしがみついている。所長は、僕たちの目の前で何かになりつつあった。

「私も……初めてなんでね……どんな気分なんだろうね。不良ボードが交換されるときの、ボードの気持ちは、さ……」

「教授!」

「人間なんて……たかが4のN乗で記述される遺伝子で決定される存在にしか……すぎないのに。素子が自分の意志で行動してどうする?」

 いきなり、八代所長が燃え上がった。いや、そういう風に見えた。

「だが……私は終わらないぞ。既に手は打った。ガイアシステムには必要なバグなんだということを……」

「所長、手は打ったというのは」

「先生、私……」

 マコが震えながら、それでも何かを決心したような強い口調で言いかける。

 所長が、燃え上がる炎の中で凄絶な笑いを浮かべたようだった。僕は、最後の勇気を振り絞って、ずっと頭にひっかかっていたことを聞いた。

「八代所長、あなたは何者なんです?」

「私か?わたしは」

 顔がひきつる。

「デーモンさ」

 僕は悲鳴を上げていたと思う。椅子を蹴倒して飛び上がり、マコの手を引いたまま夢中で研究室を逃げ出した。

 事務室であっけにとられている人たちを後目に廊下に転げ出て、ちょうど扉が開いていたエレベーターに飛び込んだところまでは覚えている。

 次の記憶は、僕の部屋でへたりこんでいるところからだった。僕はまだマコの手を握っていた。マコの方も、痛いくらい握り返していた。

 マコは、それから丸3日間、僕の部屋からでなかった。それは僕も同じで、会社に風邪で欠勤することを伝えた以外は外部との接触は全部絶った。

 3日たって、ようやく外の世界の様子を探ってみる気になった。

 八代所長は知識認識工学研究所を退職していた。きわめて尋常な様子で辞表を出し、平然と去っていったという。そしてそれきり、八代経人の噂は聞かない。

 マコは無断欠勤その他の理由で解雇される前に、かろうじて間に合って辞表を出した。勤務日数が少ないために退職金は出なかったし、雇用保険すら資格がなかったのだが、仕方がない。懲戒解雇では次の仕事に差し支える。

 僕の方には、地球環境改善推進財団の田中氏から実験の終了と契約の破棄を伝えるメールが届いた。向こうからの契約破棄ということで、違約金としてまとまった金額が僕の口座に振り込まれていたが、あれは八代所長の差し金なのだろうか。

 僕はメールマガジンをやめてしまった。自分のメールマガジンが得体のしれない何かに利用されていたんだと思えば、もう続ける気力はない。

 そうして、まったく普通の日常が戻ってきた。あの出来事の記憶を呼び覚ますものといえば、記事のファイルとそのプリントアウトだけだ。だが、今となっては何の証拠にもならない。

 前と違っていることもある。マコは、僕の部屋に居ついてしまった。住んでいたマンションの部屋は八代所長が斡旋しくれたものなので、一人でいるとつい思い出してしまうのだという。

 しかし、僕の部屋は狭く、いささか窮屈なので、もっと広い物件を物色しているところだ。

「ねえヨウ」

 ある日、2人でコーヒーを飲んでいるとマコが唐突に言った。

「教授、あのとき私はデーモンだ、と言ったよね」

「そうだったっけ」

「あれ、悪魔の意味かと思ったんだけど、オープンシステムの世界じゃデーモンって縁の下の力持ちってことよね」

 それは僕も後で思いついていた。

 demonは、UNIX(もしくはLINUX)オペレーティングシステムのバックグラウンドで動く、人間の目には触れない環境維持プロセス群のことだ。デーモンがなければ、システムはたちまち作動不能になる。八代所長は、自分をそれになぞらえて言ったのだろうか。

 マコが続けた。

「それに、あのサーバーの記事を思い出してみて。現実に起きた事故では、常にサーバーの記事より被害が少なかったわ」

「つまり、マコは所長が現実を改善していたって言うんだね」

「改善……じゃないかもしれないけれど……」

 マコは黙ってしまった。また、自分だけの思索に埋没したようだ。僕はため息をついて、コーヒーを継ぎ足しに立った。それ以来、あのことが2人の間で話題になったことはない。

 僕がひっかかっているのは、あのとき彼が「手を打った」と言ったことだ。また、僕とマコがいいパートナーになる、とも言った。

 それが何を意味しているのか、あまり考えたくもない。マコが妙に納得していたことも気になる。

 そしてガイアシステム。

 あれが八代所長の妄想であってくれることを切に願っている僕である。だが、まあなるようになるだろうし、なるようにしかならないだろう。それが運命ならば、受け入れるしかない。

 少しだけど、興味もあるのだ。あの経験は、いわばすごく興味深い問題が解けないうちに時間切れで退出させられたようなものだから。

 今、僕が手に持っているのは運送会社の不在通知連絡票だ。さっき帰ってきたら、郵便受けに挟まっていた。どうやら届け物はかなり大型のシステム機器らしい。多分、あのサーバーだろう。

 宛先は僕だが、発送元は知識認識工学研究所の八代となっている。さて、この伝票をマコに見せるべきだろうか?

(終)

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