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ブートストラップ  作者: 笛伊豆


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第5章

 僕は黙り込んだ。

 マコの言うことが本当なら、何かとんでもないことが教授のサーバーで起こっていることになる。

 だが、それは一体何なのか。一番可能性が高いのは、マコが僕をからかっているということだ。その次が、教授がマコをからかっているというオチだろう。

 しかし、それでは僕のところに来る時事ネタは何なのか。あれだけの手間をかけて、しかも現実に存在する官公庁の関連組織まで巻き込んでまで、しがないサラリーマンを騙して喜ぶ必要がどこにある?

 まあ、絶対にないとは言えないかもしれない。しかし、このやり方はあまりにも非効率だ。僕やマコをからかうとか騙すのなら、もっと効率的なやり方がいくらでもあるだろう。

 どっちにしても、今のままでは材料が少なすぎて結論など出せそうにない。

「ヨウ、サーバー調べてみない?」

「えっ……しかし、研究所なんだろ。セキュリティはどうするんだ」

「そうね。今日は日曜だし、研究所のセキュリティって言っても私が一緒なら入れるし」

 さすがにマコだ。僕ならそんな発想は絶対出てこないだろう。しかも、乗り気だ。こんな奴が組織内部にいたら、セキュリティなんかなんにもならない。

 僕は少ししぶったが、やはり好奇心には勝てなかった。というより、マコに引きずられた形だ。自分の優柔不断に負けたとも言える。

 僕たちは、あわただしく喫茶店を出た。

 知識認識工学研究所ときいて、僕なんかは郊外の広々とした敷地に建つ未来的な施設を思い浮かべていたのだが、マコが僕を連れて行ったのは都心の雑居ビルだった。

 築何十年だろう。お役所が借り主だけあって、一応は立派なエントランスなんかもあったが、見かけ倒しの寄り合いビルであることは確実だった。何やっているのかわからない協会や組織がひしめき合い、そこに就職できた幸運な人たちがお茶を飲んだりしながらのんびり過ごしている場所だろう。

 入り口には警備員すらおらず、出入りもフリーパスだ。僕とマコはエレベーターで8階まで上がった。フロアに出るともうそこは知識認識工学研究所の受付だった。

 普通、役所の関係団体は週休2日を厳守しているものだが、研究所を名乗るだけあってここは年中無休らしい。ドアを開けると、初老の男が顔を上げた。

「おや、鈴木さん。日曜出勤ですか」

「ちょっと用が出来てしまいまして。こちらは、環境財団の田中さんです」

 すごい度胸だ。僕は、環境財団の田中氏らしく軽く頭を下げた。

「ああ、よろしく。今日は、奥は閉めてありますので、鍵持っていって下さい」

 男は、全然疑ってないようだった。僕なんかあいかわらずジーパンとウィンドブレーカーで全然役人ぽくないのに、いきなりやってきた正体不明の奴を気にもしてない。男は鍵をマコに渡すと自分の仕事らしい書き物に戻ってしまった。

 僕とマコは、奥のドアを開けて入った。さっきの所は事務室で、ここからが研究区画なのだろう。

「信用あるんだね。顔パス?」

「単にいいかげんなだけよ」

 マコは軽く切って捨てる。

「でも、いいのか。田中氏があとで問題にしたりしない?」

「どうせ覚えちゃいないし、勘違いだって言い張ればこっちが勝つわよ」

 すごくアバウトな性格なのは判っていたが、ここまでとは思わなかった。結構美人なのに、男の影すら見えないのは、高学歴や年齢以上に、やはり性格的な問題があるのかもしれない。

 マコは先に立ってずんずん進んで行く。突き当たりでもうひとつのドアを開けて入ると、そこが研究室だった。

「ここ、教授の専用ルーム。私の席もあるけど、下働きばかりで何やっているのかよくわからないの」

 そこは12畳くらいの部屋で、ディスプレイがずらっと並んでいた。それと周辺機器が山ほど。

 理数系の研究室というと、普通は本やら実験機器やらが溢れかえる部屋を想像するけど、ここの主は情報工学が専門のせいか、本や資料のたぐいがほとんどなかった。あるのは、壁にそって並ぶ山ほどのシステム機器だけ。それ以外は白板と粗末なスチール机にパイプ椅子が数脚があるだけで、およそガランとした部屋だ。

 おそらく、研究も資料集めも全部システムとネットで間に合うのだろう。

 何台あるのかわからないくらいたくさんあるサーバーは、全部稼働していた。これだけ並ぶと、相当な熱量が発散しているはずだ。 なのに、むしろ寒いくらいなのはエアコンが全力で動いているかららしい。

 一見したところ、中規模のプロバイダのマシン室のようにも見える。大手は並列マシンを導入しているだろうが、中規模業者は複数台のサーバーで対応しているはずだ。

 主がいなくても、ここの機器は動いている。連続動作で何かをやっているのだ。

 しかし何を?

「ヨウ。こっちこっち」

 マコが呼んだ。僕がぼやっとしている間に、着々と作業を進めていたようだ。

 マコは、隅の方にあるひときわ大きなサーバーマシンに取りついていた。

 見ると、確かにそのサーバーはネットワークに繋がっていない。裏面も注意してみたが、別に無線や赤外線LANが張ってあるわけでもなさそうだ。

 これだけの大きさのサーバーをスタンドアロンで使うなんて、非効率もいいところなんだが……と僕が見当違いの憤慨を覚えていると、マコが苛立った声で言った。

「ほら、見て!また記事が増えている」

 マコがマウスを操作すると、テキスト化された記事が現れた。事故の日付は……明日だ。

 マコが素早くタイムスタンプを確かめる。刻印された時刻は、ついさっきだった。

「これ、ホンモノだと思う?」

「まだ明日の朝刊の早刷りが出る時間じゃないと思うけど」

 見ている間に、ポコッ、というかんじで新しい記事が表示された。山の中で、女子大生のグループが行方不明になっているという記事で、山岳救助隊が出たという。記事の中の日付は、明後日だった。

「ネットワークには繋がってないよな」

「繋がっていたとしても、どうやったら明日や明後日の記事をもってこれるのよ」

「わからない。とにかく、これをプリントアウトしとこう。この記事が本物なのか確認したい」

 マコは、頷いてCDRをサーバーに差し込んだ。

 そういえば、このサーバーにはLANどころか周辺機器すら接続されていない。当然プリンタもないわけで、マコは記事をテキストファイル化してコピーしようとしているのだろう。

 僕も少しいじってみたが、セキュリティはメチャクチャに堅い。記事が簡単に読めたりコピーできるのはそう設定されているからで、これは教授とやらが必要だからだろう。それ以外の部分はガチガチだ。時間をかければ何とかなるかもしれないが、ここでやる度胸はない。

「ヨウでも駄目なの?」

 マコは無邪気に聞くが、僕は並のシステム屋でしかない。情報工学の最先端研究者が本気で組んだシステムセキュリティに歯が立つものか。

「無理だよ。それに、何かしようとしたら証拠が残る。それはやばいだろ」

「そうねえ……」

「このマシンの内部構成はどうなっているんだ?」

「判らない。このシステムは教授が自分で管理していて、私には触らせてくれないの。もともと秘密主義の人だけど、これは特別みたい」

「へえ」

「だから、こんなとこ見つかったら即クビかも」

 そう言いながらも、マコの動きにはまったく躊躇がない。僕は優柔不断で臆病なところがあるから、パートナーとしてはこのくらい決断力と胆力に富んだ奴がぴったりなのかもしれない。

 それから、僕たちは何ごともなかったフリをしながら速やかに研究室を退去した。

 事務室で鍵を返し、一目散に逃げ出す。もちろん、表面的には落ち着いて。

 ビルの外に出ると、僕たちはどちらからともなく顔を見合わせた。このまま別れるのはあまりにも惜しい、という気持ちは一緒だったらしい。

「ヨウの所って、プリンタある?」

「もちろんだ。マシンも結構早いよ」

「じゃあ……検討の続き、やろうか」

 僕は頷いた。そう言えば、マコを自分の部屋に連れていくのは初めてだった。

 だけどその時は、別のことに気を取られていて全然気がつかなかったけれど。


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