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ブートストラップ  作者: 笛伊豆


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第3章

 何度かメールをやり取りした後、鈴木さんと喫茶店で会うことが出来た。当然、二人ともオフの日である。

 鈴木さんは、セーターにジーパンというラフな服装で現れた。僕も偶然だが同じだ。

 プライベートでも背広とネクタイの奴らがいるが、どうしてあんな窮屈な格好が好きなのか理解できない。僕なんかは客と会う場合以外は仕事中でもYシャツよりTシャツでいたいタイプである。許されるなら、客ともラフにつき合いたい。

 ともかく、鈴木さんが僕と同タイプの性向なのは好都合だった。鈴木さんが、男に会うのにまったく着飾ってこないという希有なタイプだったのはラッキーだ。とりあえずは友人にはなれるだろう。恋人になれるかどうかは、また別の問題だ。

 こういう場合は、共通の話題さえあれば、すぐに打ち解けることが出来る。そして、僕らにはまさしく共通の話題があった。

 鈴木さんの方も、話したい気分だったらしい。連日あの田中と組まされて、結構ストレスが溜まっていたという。

 鈴木さんは、ラフに話してみると気持ちのいい女性だった。あまり女性を感じさせない。かといって男っぽいわけでもない。自立しているのだろう。年齢も僕と同じくらいで、性向的にも共通点が多そうだ。別に僕が女っぽいわけではないのだが。

 僕と違っている所は、国立理系の大学院をストレートで出て、アメリカに留学して博士号とって帰ってきたことくらいだ。給料も僕とそんなに違わないらしい。やはり準公務員的な仕事だからだろうか。

「私は主に理論面を担当しています。といっても、今は所長の助手というところで、私自身のオリジナルな研究は停止状態なんですけどね」

「どういう職場なんですか」

「知識認識工学研究所は、どちらかというと政治経済関連の研究をやるところなんです。私なんか所内では異端者ですよ。本当は私みたいな者がいる所じゃないんです。ただ、私の大学院時代の恩師がぜひと言いまして……まあ、とりあえず職もなかったことですし」

 鈴木さんは歪んだ笑いを浮かべた。

 色々あるらしい。このへんは、なんとなく判るような気がする。

 1時間後には、呼び名から「さん」が抜けた。かといって呼び捨てにするにはちょっとぎこちないので、双方の了解のもと、あだ名で呼び合うことにした。

 鈴木さんの名前は真琴だったのでマコ、僕は洋一なのでヨウ。端から見たら、あだ名で呼び合う恋人同士に見えただろう。ま、それは今後の展開次第だ。

 実験についても、マコは結構詳しく話してくれた。別に箝口令がひかれているわけでもないという。そのへんは甘いような気がしたが、僕には関係ないことだ。

「まあ、ヨウも当事者の一人といってもいいんだから、話してもいいと思うわ。一応オフレコということにしてね」

「もちろん」

 僕はワクワクしながら言った。こういう話は大好きだ。

 マコは、心持ち声を低くして話し始めた。

「ヨウは、ガイア理論は知っているよね」

「地球が生き物だって奴?」

「そんなものね。理論というよりは理想みたいなもんだけど、仮説としてはそこそこ使える。それだけでは何の証明にもならないんだけど、何かの仮説を立てるときの出発点としては実に都合がいいの。まあ、類推の根拠としてだけどね。

 さて、私の恩師は情報工学では先鋭的な研究者の一人ということになっていたんだけど、

ここ数年おかしな方向に思考が向いてしまってね。情報工学を現実面に応用するとかで、大学もやめてしまったの。

 幸いというか何というか、私も詳しくは知らないんだけど、なぜか知識認識工学研究所の所長におさまっちゃった。

 おまけにスポンサーまで見つけてきたらしくて、やりたい放題。今回の実験だってそのひとつよ。所内じゃ孤立してるんだけど、何せ所長だから無敵だし」

「情報工学の現実面への応用って何だ?新しい人工言語でも開発するのか」

「そんなアカデミックなことじゃないわ。もっとマッドなこと。文字通り、情報工学でもって現実を操作しようというのよ」

 僕は首をかしげた。

 その場で思いついたのは、インターネットを使った世論操作とか、そういう漠然としたイメージだった。

 しかし、それは情報工学というよりはマスコミュニケーションの応用ではないのか。サブリミナル広告とか、そっちの方の研究は随分進んでいて、今更情報工学の学徒が手を出すものでもないと思うのだが。

「違う。そっちは人間の意識をどうこうしようという話でしょ。そうじゃなくて、現実を操作しようということなの」

「まだわからん。現実って何だ?」

「教授の定義では、それは『共通認識された情報』ということになる。ほら、ヨウも聞いたことがあるでしょう。誰もいない山の中で木が倒れたとき、倒れた音を誰も聞かなかったとすれば、その音は存在したのかどうか?という命題。まあ、これは戯れ言なんだけれどね。そのへんが出発点」

 マコの恩師を指す単語が教授に変わっていた。多分、マコの中ではまだ所長ではなくて教授なのだろう。

「それが戯れ言だということには同感だけど……」

「出発点だと言ったでしょ。昔のSFにあるみたいな、みんなにそう思い込ませたら無かったものが存在するようになったとか、逆にあるものを無いことに出来た、というようなもんじゃないらしいわ。

 ただし、それに近いことは出来ると考えている。ヒトラーとか実例もあるしね。世論を統制するだけでも、かなりの現実を操作できるのも事実。ヨウが考えたみたいに」

 マコは、含み笑いしてコーヒーを啜った。

「だけど、それはあくまで人間相手のことでしょ。人間がいくらそう思ったって、実際になかった山が出現するわけじゃない。もちろん、うまくやれば土木工事で山をつくりあげることは可能でしょう。だけど、それは人間の行為の結果であって、現実操作ではない。

 そうじゃなくて、実際に現実を操作出来ないものかと、教授は考えたわけ。このへんで、ガイア理論がちょっと関係してくる。各々の生物や事物をすべて地球という生き物もしくは単体の構成要素としてみると……ということね。

 とまあ、これは教授の受け売りなんだけどね。実のところ、私も教授が何を考えているのかさっぱりなの。今は、だから使いっ走りしかしてない」

 そう言うと、マコは肩をすくめてみせた。

 だが、僕は興奮を押さえきれずにいた。

 面白い。こんな面白い話を聞いたのは久しぶりだ。それが判ったんだろう。マコの方も、ますますいたずらっぽい笑いが大きくなってゆく。

 間違いない。こいつも面白がっているのだ。結果はどうあれ、こういうマッドな事を仕事に出来るのならということで、博士号持ちのアメリカ帰りの経歴をなげうってその恩師の元にはせ参じたに違いない。

「とは言え、やはり人間がメインであることには変わりはない。何せ、現実を認識していることを認識できるのは、今のところ地球では人間しかいない。まあ、私たちが認識できる範囲ではね。

 そこで、教授はターゲットとして一応は人間を対称とすることを考えているらしいの。ただし人間の認識を変えるんじゃなくて、あくまで人間を『媒体』として、現実に干渉することが出来るかを確認しようというわけ。

 そこでやっと、ヨウたちの出番になる。メールマガジンというのは、実験対象として実に理想的な媒体なのよ。

 読者は限られている。影響力も大きい。他の媒体と違って、母集団が特定できないこともない。おまけに、ほとんど同時にリアルタイムでアクセスできる。これだけの条件を供えた実験手段は、ネットが出てこないと実現できなかったでしょうね」

「すると、僕の読者たちは利用されているのか?あらゆるデータを取られるとか」

「まさか。今はまだ予備実験段階だもの。補題の証明を行うための課題の有効性の検証と言うところ。一応、データ収集はしているけど、ま、サンプル抽出程度のはずよ。

 それに、ヨウの時事ネタというのが最適な方法論なのかどうかも不明だし。正直言ってまだ五里霧中なの。

 だから、今やってもらっているのはヨウだけじゃない。詳しくは言えないけど、かなり色々な協力者がいるわよ」

 補題というのは、確か数学の証明のための予備的な問題を指す言葉だったっけ。その有効性を試しているということは、つまり現実を操作するという壮大なビジョンはまだ途についたばかりだということだ。

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