第2章
僕は、もちろん嫌な気分になった。
メールマガジンは僕の趣味だ。自分の趣味に口を出されて上機嫌でいられるわけがない。
ところが、鈴木さんはいきなり話題を変えた。いや、そのときはそう思えた。自分勝手に話を進めてゆくところなんか、やはり少しはオタクが入っているらしい。
「田村さん、現実をどう思いますか?」
「はあ?」
「この、現実です。というよりも、ある出来事が起こる、ということについてです」
「いや、そう言われても。出来事が起こるのは、そういう必然性があるからではないですか」
僕がそう答えると、鈴木さんは破顔した。田中の奴の笑顔と違って心から嬉しそうだ。笑うとかわいく見える。油断させる手かもしれないと思って、僕は心の中でかまえてしまったが。
「そう、その通りです。さすがに田村さんはわかりが早い。物事が起こるのは、その必然性があるからです。どんなに偶然もしくは奇跡的なことが起こったように思えても、それはそういうことが起こる必然性があるから起こったのです。それが、現実というものです」
なんだか禅問答みたいだ。
「ところで、必然性があるということは、原因があるのですから、その原因さえ掴めば発生する出来事を予測できるはずです。これは未来方向へのアプローチです」
「はあ」
「逆に、発生した出来事から逆算して、その出来事が発生するに至った原因を解析することも出来ます。これは過去方向へのアプローチですが、同時に未来へのアプローチでもあります。なぜなら、それは過去の出来事を未来において確定する試みでもあるからです。
ならば、過去を変更出来れば、現実を操作することも出来るのではないでしょうか?」
一体何を言いたいのだろう。このままでは妙なSFじみた話になりそうな気がしたので、僕は何とか口をはさんだ。
「非常に興味深いお話ですが、今日はもう遅いですし、来週にでもまた改めてということにして頂き……」
「つまりですな。田村さんのメールマガジンの時事ネタを提供したい、ということです」
いきなり田中が言った。鈴木さんではラチがあかない、と思ったに違いない。どうもこのコンビの主導権は田中の方にあるようだ。いや、鈴木さんの方はただのオタク的な技術者にすぎず、田中が営業なのだろう。
「ネタ、ですか。そちらが提供してくれるネタに沿って私の記事を書けと?」
どうもよく判らなかった。僕の記事は、僕が思ったまま、感じたままを、僕の趣味というか性向に従って自由に書いたものだ。それを束縛しようというのか?
「正確に言えば、シノプシスですな。田村さんがお書きになる原稿に、それを付け加えて頂きたい。なに、別に田村さんの記事を規定しようっていうんじゃない。どっちでもいいようなことについて、ある方向性を示して頂きたいということです」
「はあ。それで実験になるのですか?」
「私どもがご協力願っているのは、田村さんだけではないんです。詳細はお話できないんですが、ま、全国規模での実験だと思って下さい」
よくわからない話だった。
もちろん、断るべきだっただろう。人の趣味を自分らの都合でどうこうしようというのがまず気にくわない。
だが、この時僕は興味をひかれてもいたのだった。田中の話が本当なら、結構助かる。自分の趣味とは言いながら、毎回時事ネタを書くのは結構疲れるし時間もかかるのだ。
毎週発行というペースは守りたいと思っているのだが、そろそろきつくなってきているところだった。
ネタを提供してくれるというのなら、貰ってやってもいい。つまらなければ使わないまでだ。
それに、田中は「協力」と言っている。しかも、これは彼らにとっては仕事であるらしい。ということは、協力する以上、なにがしかの謝礼を期待しても良いのではないか?
僕だって安月給のサラリーマンだ。金は欲しいし、それに自分の趣味で金が貰えるのなら、それに越したことはない。
案の定、田中は金額を提示してきた。それは、僕の首を即座に縦に振らせるのに十分な額だった。
鈴木さんと田中の奴……いや、知識認識工学研究所の鈴木氏と地球環境改善推進財団の田中氏からの連絡は、もっぱらメールだった。両方とも、名刺の電話番号にかけてみても、いつも不在なのだ。相当忙しいらしい。
それで不安になった僕は、別ルートでアドレスと電話番号を確認してみたが、両方とも実物だった。どうやら悪質なカタリというわけでもなさそうだ。
時事ネタは、田中氏の担当のようだった。田中氏自身が書いているのではないだろうが、毎週地球環境改善推進財団のアドレスから長文のメールが届くようになった。
知識認識工学研究所も地球環境改善推進財団もホームページを開いてはいなかった。メール環境はあるのだし、いやしくも研究所を名乗る組織がインターネットを使っていないとは思えないので、おそらく目立たぬようにわざと開設していないのだろう。官公庁の関連団体にはよくあることだ。
それでも官公庁関連の組織図を調べてみると、知識認識工学研究所は○○省の、地球環境改善推進財団は○○庁のれっきとした下部組織である。
してみると、この実験とやらも一応は国の予算を使って行われているらしい。僕の方に渡っている謝礼の額からして、もし僕みたいな協力者がたくさんいるとしたら、結構潤沢な予算を確保しているに違いない。
もっとも、どういう実験で、何を実証しようとしているのか、僕にはさっぱり判らなかったが。
僕に送られてくる時事ネタは、結構うまく書かれていて、そのままでも使えるくらいだった。僕のメールマガジンをよく研究したのか、毒の方もほどよく効いていて、文章のプロの手が入っているのは確実だ。
その他に毎回注意点が書かれていて、この記事を出すときにはここを強調せよとか、これは省いてはならないとか、結構細かく規定されている。ただ、嘘を書けとは書いていないし、規定についても不当に思えるものはなかったから、僕は毎回楽に記事を書いた。
多分、メールマガジンの読者に鈴木氏や田中氏の関係者がいるのだろう。ひょっとしたら本人たちが読者なのかもしれない。でなければ、これだけ僕のメールマガジンに合ったネタを送ってよこせるわけはない。そして、実験に協力することになってからは僕のメールマガジンはチェックされているはずだ。
だから、僕は彼らの指示する規定から逸脱することはしなかった。謝礼は結構な臨時収入となって家計を潤していたし、いったん引き受けた以上は確実に遂行するのが社会人の責任というものである。僕は、これでもまっとうなサラリーマンなのだ。
それでも好奇心がないわけではない。というより、こんな得体の知れないことをやらされて、臨時収入になるのだから黙っていようと思うほどには僕はまだコナれてはいなかった。好奇心は身を滅ぼすというが、最悪の場合でもメールマガジンの発行をやめればいいのだし、臨時収入についても諦めようと思えばそう出来る程度の金額にすぎなかったから、僕は疑問については解消する努力を行うことにした。
幸い、鈴木さんは最初に会ったときに感じた通りのオタク的な技術者だった。僕もそうだが、このタイプは組織よりは個人の思惑で行動する。
組織に所属している以上、その行動にはセキュリティ上リミッターがかけられているが、友達になってしまえば差し障りのない程度の情報を漏らしてくれるくらい何でもないことだった。いや、当然相手は選ぶけど。




