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その九

 


  

 職場に戻った春星はそれまで以上にペースを上げて仕事を片付けていった。部下達は春星が元に戻ったことに胸をなで下ろすも、新たな不安が湧いてくる。


 普段から春星は突発的事態において後の事を気にせずに義をなすために、前倒しで業務を行う。だが、今の調子だと下手したら一月分の業務を終えかねない。


 周囲はアイコンタクトを交わし、最後に視線の集まった若い官吏に白羽の矢が立った。若い官吏はごくりと生唾を飲み込んで覚悟を決めると春星の前に立つ。


「恐れながら宰相閣下。よろしいでしょうか?」


「どうした?」

 春星は書類を置くと、茶を飲んで一服する。淹れ直すタイミングが掴めなかったのか茶は冷め切っていて不味い。一瞬眉を寄せるも水分補給だと思えば腹も立たなかった。

 だが部下達は慌てふためき、廊下に向かって怒声で小僧を呼ぶ。それをやんわりと止め、春星は若い官吏に向き直る。若い官吏は直立不動になると敬礼する。

「閣下‼よもや長期のご不在のご予定が⁉」

「………いつから宮廷(ここ)は軍隊になった……」

 春星は呆れるも、改めて自分の机の上を見る。


 …成程。確かにこりゃやり過ぎだ


 意識したわけではないが、どうも虫の知らせでもあるようだ。肩を回し、次いで首を回すと寝違えた時のような痛みが走る。


 ……張り切り過ぎたな……


 初心に戻ったついでにこれまで培ってきた息抜きのノウハウも忘れたようだ。しかし仕事が捗らないならともかく、わざと仕事の手を遅くするのも馬鹿らしい。

「いや。特には無いさ。ただ調子がいいだけだ」

 そう否定されても部下達が抱いた不吉な予感は拭えない。


 いかに仙術の手解きを受けたとはいえ春星にも未来は見通せない。

そもそも香や薬の調合などは必要に駆られて覚えたものの、それ以外のものは大して身につかなかった。春星としては空を飛べるようになりたかったが、素養が無いと言われては諦めざるをえない。



 部下達の不安げな視線に見送られて夕方に宮廷を後にすると、春星は自宅ではなく隠し通路に向かった。

 春星は携帯電話を持っているものの、携帯していない。どうしてかというと夢界では圏外どころの問題ではないからだ。


 夢界とは人々の夢の権化。

 夢界から持ち出した物は人間界でも存在を保てるが、人間界から持ち込んだ物は存在できない。だから人間界の道具や衣服はこの通路に保管している。



「……信じられないと存在しないってサンタかよ」

 長く薄暗い通路を歩きながら春星は黒いスーツに着替える。

 この通路は人間界からの直通だが、夢界から行く場合は望む場所にたどり着く。



 今回出口に選んだのは舜達の学校の保健室だ。


 春星は出口にあったベッドのカーテンを払って名乗りを上げる。


「呼ばれて飛び出ていざ参上‼」


「帰れ」


 コーヒーを手に保健医は間髪入れずに言う。すげなく言われ、春星はニタリと笑う。


 春星は人の名前を覚えないし、呼ばない。その数少ない例外は養父であり、幼馴染みの皇帝や桜夜だ。そのどれでもない保険医の名前を覚えているのにはわけがある。


「その手は桑名の焼き蛤‼」

「帰れ‼」


 生真面目な桑名と危機的状況に陥ってもユーモアを忘れない春星はどこまでも反りが合わない。そもそも隙あらば己の名字をからかってくる人間に好意を抱くはずもない。

 とはいえ歓迎もしていないのに本棚を見繕われ、勝手にパイプ椅子まで持ち出されてはもう何も言えない。


 桑名は観念して回転椅子に座った。春星はパイプ椅子を逆向きに跨いで座り、背もたれの上で腕を組んで前のめりになる。

「何の用だ。祓い屋」

「だからオレは祓い屋じゃないっての。まぁ、いいや」

「勝手に菓子を食うな‼私の自腹だ‼」

 パッケージを剥がしてチョコを口に放り込んだ春星に指先を突きつける。

「なぁ、少年って何部だ?」

「誰のことだ誰の‼」

「オレとお前で話題を共通できる少年は一人だけだろう?」

 ニヤリと笑った春星に桑名は苦々しい顔をする。

「………鏑木なら帰宅部だ。家の事をする必要があって部活をする余裕が無いらしい」

「ふ~ん。苦労してんな~」

「ちなみに今日授業中に倒れてな。お前が今しがた登場したベッドで休んでいた」

「……ふ~ん」

 あっさり言いながらも春星は目を細める。立ち上がると回転させたついでにパイプ椅子を畳み、元の場所に戻す。

「邪魔したな」

「全くだ」

 清々したというようにコーヒーを啜るも春星がドアノブに手をかけると慌てる。

「待て‼その格好で校内をうろつくつもりか‼TPOを弁えろ‼」

「え?(とき)、放課後。(ばしょ)、学校。(ばあい)、少年に会いに行く。…けど、何でOなんだろうな。場合ってシチュエーションじゃないのか?」

「理解していても行動が伴わなければ何の意味も無い‼葬儀屋かと思われるわ‼あとOはobjectのOで目的や対象のことだ‼」

 一息の反論の中で律儀に間違いまで正したので桑名は息も絶え絶えだ。

「まぁ、これでも飲んで落ち着けよ」

 春星に渡された物を口に含むと即座に吹き出した。

「こ、これは何だ⁉」

「え?マムシ酒」

 春星が見せた瓶の中でマムシがとぐろを巻いている。それを見て桑名は流しで吐いた。吐き終わって口元を拭うと非難する。

「なんて物を持ち込んでいるんだ⁉」

「素直に腹割って話すには酒だろ?」

 ニヤリと笑われ、これ以上は問答をしても埒が明かないと協力することにした。

「鏑木の家は…」

「裏門から行った方が早いんだろ」

「ならさっさと行け‼」

「またな~」

「二度と来るな‼」

 桑名の怒声を背に春星は保健室を後にした。



 保健室を後にした春星は地図を片手に閑静な住宅街を歩いていく。

「………この辺りのはずなんだが……」


 初めて来る場所とはいえ春星は地図もきちんと読み取れるし方向感覚もいい。そもそも方向感覚は女性に多いそうだ。なんでも男性は道順と東西南北を同時に把握するが、女性は東西南北を認識しないのだとか。


「……ま、オレも常日頃から東西南北を意識してないけどな」

 今だって沈む夕日の位置から西を見極めただけだ。見当をつけた西の方向に左手を向け、いきなり道路の真ん中で両手を広げたためにすれ違った主婦に妙な視線を向けられてしまった。

 おかげで方向が正しいか聞くわけにいかず、たまに目にする番地のプレートを頼りに歩いて行った。


「……あっれ~。おっかしいな……」

 そろそろ本格的に途方に暮れ始めた頃に声をかけられた。


「あれ?兄貴?」


 振り返ると買い物袋を下げた龍大の姿があった。傍らには一つだけ荷物を持った少女の姿がある。

「おう、少年」

「リョータっス。どうしたんスかこんなとこで」

「ん。少年の家を探していてな。少年の幼馴染みのな」

「だからどっちですって。いい加減名前で呼びましょうよ」

 それもそうかと言い直す。

「龍大少年の幼馴染みの舜少年だ」

「第三者じゃなくて本人を前に言うことじゃないでしょう。少年を外しましょうよ」

「まぁ、それは冗談として。それが例の妹か?」

「いえ。ダチの妹のカナエっス。カナエ、この人は………名前何でしたっけ?」

「まぁ、そうなるわな」

 一度や二度会った位で人の名前を覚えられるわけがない。春星は屈んで少女と目を合わせる。

「オレは(こう)(しゅん)(せい)だ。ハルでいいよ」

 日本語読みにしても聞き慣れぬ響きで覚えられないだろうと、あだ名を提案することにした。ぐりぐりと少女の頭を撫でてやりながら龍大を見上げる。

「なぁ、舜の家知らねぇーか?」

 人見知りしないらしい少女にじゃれつかれながらも春星は龍大に顔を向ける。

「ああ。シュンの奴なら今ダチの家にいるっス。おばさんが心配するし、対策のために」

「対策?」

 少女の脇を持って抱え上げながら立ち上がると、抱きかかえた。

「ええ。今あいつを仲間内で交代で泊めて、みんなで一緒に寝てんスよ。夢を狙われてんなら、大勢でいりゃ他に目を移せるんじゃないかと」

「……そりゃ賢いな。で、首尾は?」

「全然。オレ等は平気なのにあいつだけ……」

「………何人も一緒にいて一人だけだと?」


 組織とどういう取り決めをしているか知らないが、ユメクイは夢を多く獲っただけ評価は上がる。そんな状況なら行きがけの駄賃に他の少年達の夢を奪っていてもおかしくない。〝霞陽〟の住人は義理や情に捕らわれずに己の利益のために行動するのだから尚更だ。


 ………そこらへんに糸口がありそうだな…………

 思案し始めると頭をペチペチと叩かれたので少女を下ろす。

「そうだ。兄貴、今夜は一緒に泊まりません?」

「……いいのか?勝手に決めて」

 自分の家ならまだしも友人の家だ。まぁ、そこの妹と買い物に行く位だから親密な関係なのだろうが。

「どうせ一人も二人も変わらないっスよ。それにカナエも懐いてっし」

 春星にしがみつく少女を指差して言う。

「………この年でキープをするとは……」

「いや、ただ気に入っただけっスよ」

 結局一緒に帰ることになり、春星は少女の分の荷物を持って少女を肩車してやった。



 中々に大きい一軒家の玄関のドアを潜る前に春星は少女を一度下ろす。靴を脱いで三和土に上がると今度は足にしがみつかれた。幼いことを差し引いても将来が不安になる無防備さだ。

 そこで春星は少女に言い聞かせる。

「………いいか?少女。知らない人にホイホイついてったら駄目だぞ?」

「大丈夫っスよ。日本はそんなに物騒でもないんで」

「……出たよ。根拠のない日本の安全神話」

「オレ、育て親に拾われた時に『水と安全がタダだと思い込んでいる国だよ』って言われたっス。あと『排他的だから嫌な思いするだろうが、今よりはずっとマシな生活できるぜ』って」

 さらっと重い過去の一片を話してから龍大はそのままズンズンと中に入って行く。春星も少女を足に引っ付けたまま廊下を歩いて行った。


 仕切りのドアを潜るとリビングに隣接したキッチンで料理をしている少年の姿があった。

「タカ~。一人増えたけど、夕飯大丈夫か?」

「あ、うん。今夜はカレーだから平気だけど……誰を呼んだの?」

「話したろ。兄貴」

 ここでソファーに座っていた舜が春星に気づいた。

「あれ?煌さん。どうしてここに」

「少年を探してたらばったり会ってな」

「………兄貴力持ちっスね……」

 春星は力こぶを作るように曲げた腕に少女をぶら下げていた。幼稚園年長とはいえ中々できることではない。

「いや。こうも長く子供の相手をするのは初めてでな。自分が昔してもらったのを片っ端からやってる」

 今度は向かい合わせになって手を繋ぎ、自分の足によじ登らせている。

 春星は武官に揉まれる内に鍛えられたし、今も皇帝や桜夜を守るためにも日々鍛錬をしている。だから子供一人の重さでは小揺るぎもしない。

「しかし少年。更に衰弱したな」

 舜は力無く笑う。睡眠不足が続いたせいで近頃は幻聴まで聞こえるようになった

「………なぁ、少年。お前最近何か変なのに手を出さなかったか?」

「チェーンメールもスルーしてますし、アダルトサイトも、変な所にあるボタンも押してません」

「………ん~………じゃあ、少年はRPGの夢を見るって言ってたが、その発想の源は?」

「………それは………」

 舜は口を濁す。

「シュンはね~お話作るのじょーずなの‼」

 少女が春星の頭によじ登ろうとしながら言うと、舜の肩が跳ねた。

「…………へぇ~。どんな話だ?」

「あのね‼妖精さんがお星さまになってね‼猫さんが虎さんになって羽が生えて…」


「いっそのこと殺してくれ‼」


 舜は耳を塞いでうずくまる。

「シュンくんどうしたの?」

 台所からやって来た少年が目をパチクリさせる。

「……何でもない。何でもないんだ。……ただオレが打ちのめされただけで………」

「………あのな、少年。本好きは二種類に分かれると思うんだ。評論家と、自分で書きに走る奴な。……だから、少年のそれも、誰もが通る道なんだよ……」

 実感の込もった言い方に振り返ると春星は遠い目をしていた。

「………もしかして煌さんも………」


「………財力と権力のある幼馴染み二人に見つかってな。

 ………大量製本&広範囲無差別配布の刑に……」


「すいませんでしたぁぁぁぁぁ‼」


 舜はすかさずソファーで土下座した。

 机に置いていた小説ノートを音読されたとか名前を借りた本人にばれるどころの羞恥心ではなかった。


 土下座して謝る舜と遠い世界から戻ってこない春星。春星の肩の上で好き勝手する少女。傍から見るとカオスだったが、少年は無謀にも笑顔で春星に話しかける。


「初めまして。煌さんですね」

 春星は返事をしなかった。返事をしない春星にキョトンとしていると、龍大が茶々を入れた。

「返事がない。ただの屍のようだ」

「もう、リョータ」

 龍大をたしなめてから少し考えると口を開く。

我叫(ウォジャオ)東隆弘(ドンロンホン)(ジャオ)(ウォ)(ロン)(ハオ)(リィァオ)(私の名前は東隆(あずまたか)(ひろ)です。(タカ)と呼んで下さい)」

「賢い奴だな。つくづく少年の関係者は面白い」

 愉快そうに笑った春星に隆弘は少し恥ずかしそうな顔をする。春星は歯を見せて笑ったまま隆弘の頭をクシャクシャにする。

「いやいや。発音は良かったよ。その努力と気配りが微笑ましくてね」

「えへへ」

 ほのぼのとした空間に舜が回復し始めた頃に春星は舜に顔を向ける。

「で、お前の創作物を公開したことは?」

 舜はまたソファーに突っ伏す。するとすかさず龍大が裏声で叫ぶ。


「もうやめて‼シュンのライフはゼロよ‼」


 男の裏声に怖気が走って鳥肌が立っていると、今度はロボットの様な無機質な声音で言う。


「シュンの かたくなる」


「………………」


「シュンの かたくなる」


「……………………」


「シュンの ぼうぎょりょくは これいじょう あがらない」


「悪かったな‼」


 舜は勢いよく起き上がる。

「少年。男はへこんで打ちのめされて強くなるんだ」

「煌さん………」

「で、そう打ちのめされるってことは、どっかに公開もしくは投稿したな」

 舜は今度はのたうち回る。

「だって‼クリックするだけで投稿って‼お手軽すぎからつい‼」

 そのうちに床に落ちて呻く舜を放置して龍大に顔を向ける。

「投稿サイトに心当たりは?」

「オレは無いっス。ってかこいつが話作ってたのも、投稿してたのも知らなかったっス」

 龍大の幼稚園の弟と妹は絵本がわりに聞かされていたが、龍大に知る由も無い。

「創作活動は人知れずやるものだからな」

 となると進展するには本人に聞くしかない。春星はソファーの背もたれから身を乗り出して舜を覗き込む。

「少年。恥はかき捨てだ。さっさとどの投稿サイトを使ったか言うんだ。メルヘンは守備範囲外だが、ついでに添削してやるから」

「傷口に塩どころか砂すり込む気ですか⁉」

「…………オレは以前暇に飽かせて、悪ノリした男同士で一行交換で女の恋文を完成させたんだが、書類に紛れて職場に持って行っちまってな…」

「それ以上は言わなくていいです‼話します‼話しますから‼」

 自分の口を開かせるために己のトラウマを開帳しだした春星にいたたまれなくなって叫ぶ。

「ちなみにどうなったんスか?」

「聞くなよ‼人が折角折れてんのに‼」

「本気になりすぎて女が書いたようにしか見えなくてな。かといって本当のことを言うわけにもいかなくて…」

「だから話さなくていいですって‼」

「職場付近の女同士の腹の探り合い、職場のみならず国中の人間関係悪化。おまけに桜夜の耳に届いてわざわざ出向いての詰問。………………いやぁ…大変だった………」

 たっぷりと苦労を滲まれ、軽い気持ちで聞いた龍大も後悔した。

「……以来オレは恋文を書くのを禁じられた」

「バレたんだ。そしてどんだけモテるんですか…」



 紆余曲折を経てサイト名を聞き出すとパソコンを立ち上げてサイトを開く。サイトのトップページを見て一同無言になるも、しばらくして龍大が一言で評する。

「…………何つーか。メルヘン、だな」

 サイト名の左右にはラッパを吹いた天使が飛び回り、背景にはギリシャ神話や星座の世界が繰り広げられていた。

「…………よっし。適当な話作って投稿すっか」

「ええ⁉いや、短編一本作るのも意外と大変で………」

 そう止める前で春星はしばらくぶつぶつ言ったかと思うといきなりキーボードを叩く。あまりに速すぎて指先の動きが目で追えなかった。

「……こんなもんか……」

 春星は十五ページの短編を書き上げた。

「…………メルヘンっスね。特にこのピエロ二匹が」

「………しかも何この真に迫った人物描写………」

「そりゃモデルがいるからな」

「モデル?」

「そ。まぁ、後は果報は寝て待て、だ」

「結果出るのいつだと思ってんですか⁉」

「大丈夫。それ、本気で応募してるわけじゃないから」

「それにしたって⁉」

 春星が言ったのは今しがた己が書き上げた作品ではなく、サイトの運営側がという意味だったが、言わないでおいた。

「あ~もうわかった。そんなに不満なら…」

 春星は携帯電話を取り出すと、ある番号にかける。コール音が鳴る中二分近く待つとやっと相手が出た。相手は〝夢見屋本舗〟の協力者の刑事だ。

「よ~う、元気か税金泥棒」

『開口一番何だ‼』

「釣り針垂らしてる元凶見つけた」

『何のだ‼』

「オレとお前がこうして話す理由は一つだけだろ。夢の違法入手だよ。今からサイトのURL読み上げるからメモしろ」

 春星は龍大に書き取ってもらったURLのメモを指でなぞる。


 ディスプレイを前に「読めん」と言うと「本当に筆文字以外読めないんスね」と言って龍大がさっさと書き取ったものだ。この前の反省を活かしてかシャーペンでだ。


『お前は何でそう強引なんだ‼』

 そう言いながら電話の向こうでメモを取る準備をしている辺りこの刑事も人が好い。

「このサイトの運営者と、このサイトの利用者、特に投稿した奴調べろ」

『管轄外だ‼それに融通が利いたとしても無理難題だ‼』

「おいおい。返事は〝はい〟か〝今すぐに〟かのどっちかだ。〝喜んで〟、でもいいがな」

『だから…』

「はい。ゆ~び切った」

 春星は電話を切ると唖然とした視線に囲まれる。

「どうした?」

「…………自分がじゃなくて他人任せ………」

「……初めてオラオラ商法を目の当たりにした………」

 春星はキリッとした顔になると人差し指を立ててこう言った。

「いいか、少年。大なり小なり何事かをなすのに必要なのは三つある。金と権力(ちから)と人脈だ」

「そうかもしれませんけど、もう少しやりようが……」

「あのな。家の家訓は〝立っている者は親でも使え、使えるものは棒でも使え〟、だ」

「ひどすぎる‼」

 途中から台所に戻っていたために状況が掴めないものの、隆弘は言いに来たことを伝えることにした。

「………えっと……ご飯だよ~」

「「イェーイ‼」」

 春星と龍大はガッツポーズを決め、互いにハイタッチする。

「そして何この強引な場面転換‼どうしてみんな平然と食卓に向かうの⁉ついて行けてないのオレだけ⁉」

 舜以外の四人はテーブルを囲む。少女は自分の子供用チェアを移動して、春星の隣に陣取る。春星は少女を子供用チェアに乗せてやると舜を振り返る。

「お~い、少年。メシだぞ」

「あ~もうわかりました‼今行きます‼」

 ヤケクソになって舜は席に着く。全員揃ったところで隆弘は手を合わせる。

「じゃあ、みんな揃ったところで。いただきます」

「「「「いただきます」」」」

 カレーには福神漬けとらっきょうが添えられ、氷水と牛乳が用意されている。

子供は人参を嫌うものだが、少女はパクパク食べている。見ると少女の人参は花の形に切ってあり、中々芸が細かい。

「人参が食えるとは大したもんだな」

 感心した春星が少女の頭を撫でてやると、目の前で新たに人参を口に放り込んでみせた。

「ハル、もっと~」

「はい。偉い偉い」

「煌さんもグリーンピースとレーズンもちゃんと食べてくださいね」

 隆弘ににこりと微笑まれ春星のスプーンが止まった。

 隆弘の作ったカレーは家庭のカレーに関わらず細々としたトッピングが多い。米の上のローストオニオンしかりさっと焼いたパプリカしかりだ。そして春星は皿の端にグリーンピースとレーズンをちまちまと除けていた。

「………………どうしても?」

「はい。我が家では好き嫌いでの食べ残しを禁じていますので」

「……………」

 春星はスプーンにレーズンを山盛り乗せると少女の口に運ぶ。

「少女、あ~ん」

「そこは丸呑みしましょうよ⁉」

 舜が言うまでも無く隆弘が見逃すはずも無く、結局自分で処理せざるをえなかった。春星は心底嫌そうな顔で山盛りのレーズンを睨むと覚悟を決めて口に放り込み、噛まずに飲み込むと後味を消すためにすぐさまカレーを咀嚼した。グリーンピースも同じように処理する。

食べ終えたのを見届けると隆弘はにっこりと笑顔になった。

「よくできました」

 春星は夕食の後は少女の遊び相手になり、そのまま風呂にも入れてやることになった。そうなるまでは一応こうした問答があったりするが。


 

 春星が少女に絵本を読んでやっていると、隆弘に声をかけられた。

「春星さん。お風呂が沸いたのでお先にどうぞ」

「いいのか?」

 勝手に押しかけてきた上に一番風呂を使うのは気が引ける。

「ええ。ついでに海南江(かなえ)も入れてやってください」

「…いや、少年。いくら何でも会ったばかりのおっさんに妹の風呂を任せるなよ」

「でも、こうして本人が気に入ってますし」

 少女は春星の服の裾を掴み「ハル、おふろおふろ」と乗り気だ。困った春星は龍大に矛先を向ける。

「少年。妹がいるならお手の物だろ?」

次女(ユキ)三男(キョータ)長女(ハナ)次男(ショータ)が風呂に入れてるっス」

「おい。弟達の世話は放置か長男」

「オレもやるって言ってんのに、いいから勉強してって言うんス」

 本当に不服なようでソファーで寝転がってゲームをしながら唇を尖らせている。

「…テストでもあんのか?」

「いや、言うのはなんですけど、オレらの高校この近辺でも有名な進学校です」

 おずおずと舜が口を挟む。

 聞くとその上龍大は家計を助けるために奨学金などの便宜が図られる特待生で居続けるために、学年トップを維持する必要があるそうだ。

「………何だ苦学生か」

「シンジは別に学費は心配すんなって言ってんスけどね。やっぱし下がちっちゃいと」


 龍大の養父は子供好きなのかお人好しなのか、仕事先で行き場のない子供を見つけると連れ帰って養子にする。そのために龍大の家には人種も見た目も異なる五人の子供達がいる。


 ……捨てる神あれば拾う神あり、か……


 自分のように実の家族から酷い仕打ちを受けた上に捨てられる者もいれば、こうして縁もゆかりもない子供達に手を差し出す者もいる。つくづくわからないものだ。


 遠い目をした春星を現実に戻らせたのは少女だった。ギュッと抱きしめられて目を向けるとつぶらな瞳で見つめていた。春星は口元を緩めてポンポンと頭に手を置く。

「じゃ、風呂決定っスね」

「いや‼そういう問題じゃない‼オレ子供を風呂に入れたこと無いぞ‼」

「姐さんと入った時のこと思い出せばいいんスよ」

「桜夜とは入ったことねぇよ‼幼馴染み=一緒に風呂入ったことある関係じゃないんだよ‼」


 桜夜とは五歳からの付き合いで、小説や漫画で扱われるような幼馴染みならではのイベントはほとんど消化していると自負する。だが、入浴と就寝だけは別だ。

 桜夜の住まう皇居に泊まったことはあるが、寝るのも入浴も別だった。

男女七つにして席を同じゅうせずとある。今では古臭い考えだと笑われるが、桜夜のいる世界はそうしたしきたりや伝統で雁字搦めだ。だからこそ春星と桜夜が一緒に遊ぶ時も大人達の衆人環視の中だったし、あまり身体的接触をすると咎められた。


今はそれらに辟易した桜夜の手回しと春星への信頼から監視は解かれているが、そうでなくとも桜夜は身持ちが固いのでそうした状況に陥るわけがない。それに長い付き合いなので春星にも桜夜に対してそうした欲求が無い。


 それらの事情を無難な言い回しで伝えると、舜と龍大は何とも言えない顔をした。

 二人の共通認識では桜夜の春星へのこだわり、独占欲は生半可なものではない。もし春星がそう考えていると知ったなら意識させるために実力行使をしかねない。


 結局押し切られ、春星は少女と一緒に入浴することになった。隆弘に言われてリビングで上着とネクタイを外すとすかさずハンガーにかけられブラシッングまでされた。

「少年はいい奥さんになるな」

「嫌ですねぇ、僕はお婿さんになる身ですよ」

「だったら主夫になったらどうだ」

「ダメっスよ‼タカは弁護士になってパクられたオレを助けるんスから‼」

「人生設計に逮捕が入っているのはどういうことだ⁉」

「オレは政治家か官僚を目指してんスよ。で、シンジに言ったら『なら一度や二度捕まるのは当たり前、むしろ捕まる覚悟しとけ』って」

「ヤクザと勘違いしてないか⁉そしてオレはお前の親父さんに色々と言いたいことがある‼」

「なら今度ウチ来ます?そろそろ帰って来る頃だと思うんで」

 春星が堂園家に泊まることが決定し、シンジとの対談も決まった。

 ……オレのこと置き去りにされてないか?

 ふとそう思った舜をよそに春星は少女に手を引かれて風呂場に行く。

 脱衣所でシャツを脱いでいくと、少女が服を脱ぐのに手間取っていた。肘が突っ張るのか上手くセーターが脱げないようだ。春星は片膝をついてしゃがむと少女に笑いかける。

「少女、バンザ~イだ」

「バンザ~イ」

 そのままスルリと服をまくるとすんなりと脱がせられた。

 …意外と何とかなるもんだな…

 そう思っているといきなり脱衣所のドアが開いた。

「煌さん、脱いだ服はここに……えっと……任せて大丈夫ですよね?」

 隆弘の困惑した表情に春星ははた、と今の状況を見直してみる。

 

 先にシャツを脱いでいたので春星は上半身裸だ。おまけに今しがた少女の服を脱がせたばかりだ。半裸の成人男性が同じく半裸の幼女を屈んで検分しているように見えなくもない。


「……少年。安心しろ。ところで少女にはどこまでやってやってるんだ?」

「…そうですね…シャンプーの濯ぎと背中を流してあげる所までです」

「そりゃ良かった。髪まで洗うんだったらどうしようかと思った」

 少女は髪を長く伸ばしていて、おまけに髪の一本一本が幼いせいか繊細だ。うかつに指を通すことはためらわれた。そうでなくとも春星には不安材料が山積している。

 隆弘がいなくなってから全ての服を脱ぎ、一応タオルを腰に巻く。少女はほとんど起伏の無い裸体を惜しげもなく晒している。

 一緒に入ることを勧めるだけあって東家の風呂場は広々としていた。誰かが少女と入るのが当たり前なのか入浴用イスも二つある。春星は浴槽の近くに大きい方のイスを置くと腰かけて、取っ手の付いた手桶で浴槽から掬った湯を体にかける。

 少女は春星の前に立って両手を広げる。

「抱っこ」

「………少女は先に湯船に浸かるのか?」

「うん」

 春星は先に体を洗ってから湯船に浸かるが、冬場は寒いから先に温まった方がいいのかもしれない。

 少女の脇を持って抱き上げると湯船に入れてやる。

「ゆっくり温まれよ~」

「ハルも一緒に入ろ」

「……ですよね~……」

 春星はそっと湯船に入る。先に入っている少女にぶつからないように足を曲げながらも天井を見上げてふうと息を漏らす。ぼ~っとしていたが、少女から向けられる視線に顔を戻す。

「どうした?」

「お怪我いっぱい」

「……あ~……」

 春星の体には古傷が縦横無尽に走っている。他人に裸を見せる機会も自分で確認したことも無いが、中々にギョッとする眺めだろう。

「ごめんな。怖いか」

 少女の情操教育に悪いので誰か他の少年に代わってもらうことにした。立ち上がって湯船を跨ぎかけた時に少女は足にしがみついた。

「少女?」

「ハル行っちゃ()

「わ~かった。行かないよ。体洗うだけだから離してくれ」

「カナも~」

 言うが早いや少女はまた春星に手を広げる。足場が濡れているので不安だったが、どうにか少女を湯船から出した。

 並んで椅子に腰かけるとまず聞いた。

「少女。お父さんやお兄ちゃんはいつもどれ使ってんだ?」

「えっとね~。これがシャンプーでこれが体洗うの」

 少女が指差したボトルを手に取ると少々拝借した。泡立ててから髪を洗っていくと少女もシャンプーハットをかぶってわしゃわしゃと髪を洗っていく。髪が長いせいか手が小さいせいか春星がシャンプーの泡を洗い流し、体を洗い始めても髪を洗い終わらない。

 それを横目に体を洗っていくと、声をかけられた。

「兄貴。背中流すっスよ」

「おう。悪いな」

 春星は素直に背中を任せる。

「あ、もうちょい力入れて。…そうそう」

「痒い所は無いっスか?」

「右の肩甲骨の辺り」

「こうっスか?」

「カナも~」

 髪を泡だらけにした少女がせがむのでまずは洗面器に汲んだ湯を頭からかける。少女を己の前に移動させると泡立てたタオルで背中を擦ってやる。加減がわからずおっかなびっくりでやっていると、少女がクスクス笑う。

「ハル。くすぐったい」

「悪い悪い。………で、お前は何を風呂場に乱入してんだ?」

 春星の後ろで龍大があっけらかんと笑う。

「いや~。兄貴とお近づきになるために裸の付き合いをしたいなと」

「オイ、龍大。後がつかえてんだ。さっさと奥に詰めろよ」

 入口からタオルで股間を隠した舜が声をかける。その後ろには隆弘もいる。


「初めからお前等で入れろ‼そして風呂も全員で入ってたのか⁉」


 結局全員で入ることになり、春星と少女が湯船につかる横で三人が髪を洗っていった。のぼせるしスペースも無いので春星と少女は撤退したが、少女の体を拭くよう頼まれたのには閉口した。


 

 夜も更けるとリビングのテーブルを端に移動して布団を並べて敷く。

 先に眠ってしまった少女を膝の上に乗せたまま春星は三人と額を合わせて話し合う。

「いいか。原因は掴めたし、元凶への足掛かりも掴んだ。だから今夜からはオレが少年の夢に介入して敵を追っ払う」

「………夢に?」

「ああ。そのためにオレは一度場を外す」


 夢とは個人の深層心理に基づく独自のもので、他人と共有できない。

 故に夢を見たら最後、目を覚ますまで解放されない。


 とはいえ何事にも例外はあるもので、ユメクイも、それらを管轄・指導する立場の春星も他人の夢に介入することができる。

 しかし春星がバックに付いていることを敵に悟られるわけにいかないので、夢を獲りに来たユメクイのすぐ近くで夢に入りこむわけにいかない。そこで一度夢界に戻り、そこから頃合いを見て舜の夢に入り込むことにした。


「だから悪夢を見始めてもオレが来なくても、待っててくれ」

「………はい」

 ここで春星は隆弘に顔を向ける。

「さて、と。少年、お前の妹をどうしようか。離してくれそうにないんだが」

 眠っている少女は春星のズボンをしっかりと握っている。

「………あ~。海南江は一度寝るとぐっすりですから大丈夫かと」

 そう言いながら妹の指を外そうとするもしっかりと握り込んでいて解けない。

「………あれ?」

「……………えっと………外れん……」

 二人がかりで苦労する様子を見て、舜は弱々しく微笑んだ。

「いや、カナエちゃんに悪いし、そのままにしてあげてください。そもそも三日の約束でしたし、別に今更一晩くらい……」


「バカヤロ」


 春星はペシンと舜の頭を叩く。不機嫌そうな顔をした春星に舜はうつむき、尚も言い募る。

「オレが言い出したことだし、恨んだりしませんよ。だから…」

 それからももごもごと言われると少しばかり腹が立ち、物騒な思考をしてしまう。

「………壊れたテレビって、殴ると直るよな」

「人は殴っても直らないっス‼」

「シュンくんナーバスになってるだけなんです‼目を瞑ってあげて下さい‼」

 拳を振り上げた春星を龍大と隆弘が必死に羽交い絞めにする。

「いいか少年。確かに一度希望を抱くと、また絶望に突き落とされるのは怖い。ましてや少年は一度助けられて心安らいだ後にまた突き落とされたんだ。尚更怖いだろう」

 舜はぼんやりと顔を上げる。そこには常に笑みを浮かべている春星の珍しく真摯な顔があった。

「………でも……煌さんはつい何日か前に知り合ったばかりの人で、ややこしいことに巻き込んだのはオレなんだから………」

「だからもう助けを求めないって?バカヤロ。何度でも助ける‼」

「煌さん………」

 舜は顔を歪める。もう大丈夫と判断してか二人は春星を離した。

「いいか、少年達。いいこと教えてやる」

 前置きをすると三人に言い聞かせる。


「カッコつけろ。自分でも清々しい位に。そうすりゃ強くなれる。

自惚れろ。自分でも呆れる位に。そうすりゃ怖くなくなる」


「………カッコつけて、自惚れる、っスか。そりゃ男子高生の通常運転っスよ」

「だな。少女も離れたし、もう行くわ」

 騒ぎの中で少女は春星の膝の上から転がり落ちていた。

 春星がいなくなると隆弘は妹を抱き上げ、背をポンポンと叩いてやる。三人はそのまま無言でいたが、龍大の「寝るぞ」の言葉に布団に潜った。


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