その四
〝夢界〟は五つに分かれている。それぞれの区域で長も行政も特色も異なり、すぐ隣の区域ももはや異国だ。
中立地帯の中心部を除く四つの国は集まる夢の種類で分かれている。
そのうちの一つが『不老不死』の夢からなる〝富幻〟。桃源郷が広がり、国の周囲を取り囲む山々の奥深くには数多くの仙人が暮らしている。
富幻の桃源郷の中に立つ荘厳な中国式の宮廷では、漢服を纏った官吏が忙しく働いていた。雑用の見習いも、役職ある者も関係なく身を粉にし、果てなく筆を動かす。
何故ならここ富幻が住人や人間から収集した夢を各国に割り振る勤めを負っているからだ。役目の重要性から富幻が四国の中で一番力を持ち、富幻を統べる皇帝が夢界の王とはいえ、住人にはさほど恩恵も特権もない。
とても富幻に住まう常人だけではこなしきれない仕事量だが、俗世に関わることを嫌う仙人が手を貸してくれることはない。しかし中には物好きもいて、ふらりと下界に降りてきて力を貸す仙人もいる。そしてその仙人は例外なく皇帝の相談役となる。
運良く先帝にも相談役はいたものの、その仙人も先帝の死後再び山に戻ってしまった。
たった一つの置き土産を残して。
執務室で机に向かう春星の前に若い官吏が書類を差し出す。文章を指でなぞるように目を通すといくつかの夢が記されていた。
「煌宰相‼これらの夢を集める新たな国を興しましょう‼」
「淫夢は〝宵灯〟の管轄だろう」
捲っていくとどうも淫夢に分類される夢が多い。指摘されずともそう判断していたのか結果を報告する。
「しかし童女・幼児への欲情は専門外だとはね返されました‼」
「そんな夢を集める国で子供を育てられるか‼衰退を待たずに他ならぬオレが滅ぼすわ‼」
春星の叱責に若い官吏はビクリと身を竦ませる。それに構わずに目を通していくも、どれも犯罪じみた邪な夢ばかりだ。「現代社会の暗部だな…」と呟いてから若い官吏に言い渡す。
「ユメクイに片っ端から夢を集めるなと伝達しろ。どの国の手にも余る夢を収集してきたら処分すると」
「はっ‼」
若い官吏は気をつけの姿勢で敬礼をするとすぐさま逃げ帰った。
「…全く…ユメクイの選定も考え直さんといかんな…」
ユメクイは各国から選定され、主にユメクイの出身国を創りだす夢を収集している。実力主義の制度を採用しているために出世から程遠い、身分の低い家の者が志願することが多い。
そもそもユメクイはそのような埋もれた人材を発掘するために出来た一面もあり、成果を評価し、優れた者には各国の中枢での地位を与えてきた。
〝夢界〟の四国の中でも上昇志向の高い〝霞陽〟の者は特に仕事熱心だが、功を焦って片っ端から内容を吟味せずに夢を集めたり、違法行為に手を染めたりする事が多い。
あまりに悪夢ばかり見せると人の精神に悪影響を及ぼしかねないので、一度奪ったら最低三月は奪ってはいけないと定められている。それなのに同じ相手から奪い続けたり、他のユメクイが奪ったばかりの相手から収集したりした事例がある。
その現状を憂えた先帝に、相談役だった春星の養父が提案をした。
これまで〝贄の証〟は夢を獲ってから三月の間は消えないようにすることで、連続して夢を奪われることがないようにしていた。しかし養父は術式を作り替え、〝贄の証〟にいつ・誰が奪ったかという情報が付随されるようにした。
そして人間界に出先機関を作り、ユメクイの被害に遭った人間を見つけると危害を加えたユメクイを罰するようになった。
その出先機関の中心が〝夢見屋本舗〟で、養父は店主も勤めていた。
しかし先帝が逝去すると養父も姿を消し、春星は遊び相手をしていた新しい皇帝に請われて側近となった。仙人でもない春星は相談役にもなれるはずがなかったのに、皇帝は春星を宰相にしてしまった。異例な登用に当時は一悶着あったものの、物静かで大人しい皇帝がどうしてもと言い張り、終には周囲を根負けさせた。
その信頼に応えるために春星は真摯に職務に打ち込むし、今だって机の上に積み重なった十ばかりある書類の山を決済している。
皇帝に尽くし、何よりも職務を優先し、文字通り滅私奉公の権化の春星だが、ある事だけは譲らない。
春星が書類の山を三つばかり片付けた頃に、春星の手元に小鳥が降り立った。小鳥を見るや官吏達の顔に諦めの色が浮かんだ。
小鳥は桜夜の使いで、茶会の知らせに来たものだ。
春星は桜夜との午後の茶会を欠かすことはなく、桜夜との約束は何があっても守る。宰相として多忙を極める春星だが「休みはもぎ取るもの」と尋常ない勢いで仕事をこなし、強引に休む。
どんな重要案件があろうと周囲が懇願しようと止めることはできず、後回しできない案件があったらそれまでに報告し、春星不在の間に問題が起こったら残された官吏達が総力を挙げて全力で対処せざるを得ない。
同じような光景は桜夜の側でも見られる。
桜夜の手元に春星からの茶会の手紙が来ると、桜夜の目元口元が緩み、花が咲きほころんだようだと言われる。
その一瞬を使用人達は〝朝顔〟と呼び、密かに待ち望んでいる。それまで桜夜におどおどしていた新しい使用人も朝顔を目の当たりにするや桜夜に心酔し、甲斐甲斐しく尽くすようになる。
桜夜は〝霞陽〟の住人で春星は〝富幻〟の住人だ。両国は夢の利権に関して対立しており、おまけに二人共立場ある人間だ。それなのに幼い時から親交があり、長じてからも続いている。
傍から見るとその仲睦まじさは初々しい恋人どころか長年連れ添った夫婦のようだ。だが当の本人達はあくまでお互いのことを「幼馴染みであり良き友人」と言う。
春星は周囲の諦観のこもった視線に見送られて執務室から退出するや、家に帰ることなく宮廷の片隅にこっそりと作った隠れ通路に足を向ける。
この隠し通路は養父の作ったもので、ここから自宅にも人間界にも桜夜の部屋にも繋がっている。
歩く中で衣装を変え、黒いスーツに黒いネクタイという喪服のような格好になった。春星は常々『黒スーツ最強説』を唱えている。確かに男性の黒スーツは冠婚葬祭と使
い回しできる優れ物だ。しかしこうして桜夜と人間界に出かける時もその格好なのでどうにかしたらどうかと周囲は思っている。とはいえ春星と連れ添って歩く桜夜が気にしていないので言わぬが花にしておこうというのが暗黙の了解だ。
隠し通路が繋がっていた路地を抜けて人通りに出ると、円形の花壇の側に人待ち風情の桜夜の姿があった。
春星に合わせて洋服を着ることはあっても、桜夜は基本的には和服を好む。今も身につけているのは博多縮緬の薄い紫の着物だ。普段の格好に比べれば質素で地味だが、それでも上等な品で値も張る。和服で外出する場合は被布を着るのが正式だが、白いショールを肩にかけている。
「待たせたな」
「いえ。今来たところよ」
男が言いたいセリフベスト10にランクインしているだろうセリフに春星は苦笑する。
春星は性分からも仕事の関係でも時間には厳しく、約束したら遅れることはない。しかし、二人の待ち合わせでは春星は桜夜よりも先に到着したことがない。
今だって春星はしっかり約束の二十分前に来ていた。
以前二時間前に行ってみたことがあったが、その時も桜夜は先に待っていた。聞くとずっと待っているわけではなく、春星が桜夜の住まいに作った現世との直通通路の近くで待っていて、春星が約束の場所に近づいたら待つようにしているらしい。
己の近辺の位置情報など、空間把握・掌握を得意とする春星くらいにしか把握できない。なのにどうして桜夜が春星の動向を把握できているのか気になるが、気にしないことにした。きっとこれは知ってはいけない類のことだ。
「さて、行こうか」
二人は並んで歩き始めた。
休日のせいか人が多く、先に立った春星がかき分けるように進んでいく。しかし桜夜を伴っていると、ただ歩きにくいだけでは済まない。
まず着物で人目を引き、次に若い、しかも美人の女性と知って通りすがる男達が食い入るように見つめてくる。そして垣間見た桜夜の美貌に釘付けになる。
桜夜は不躾な視線は嫌いだが、天下の往来を足元を見て歩くことも猫背になることも良しとしないので、熱い視線は途絶えることはない。
熱い視線を向けてくる相手に男性ばかりか女性も含まれているのは美の概念には男女差が無いということなのか、それとも惹かれる相手が同性であることが些細なことだと割り切る者が存外多いのか。
このように桜夜に見蕩れて足を止める者が多発するために、ただでさえ混雑している歩道が更に混み合う。そのためにいつも以上に人とぶつかることが多い。
だからこうして春星が桜夜の露払いとして人をかき分けるように歩く。
二人は男女の違いや立場の違いがあるも、対等な関係だ。だから桜夜が一方的に春星に助けられるだけではない。春星も桜夜に助けられている。
「すみません」
春星が正面からぶつかった女性に謝罪すると、「いえ」と目を上げた女性がため息を漏らす。だがそんな己に頓着せず側をすり抜けられて何か声をかけようとしたが、春星のスーツの裾を掴む桜夜の手を、次に桜夜の顔を見て断念する。
二人共、同性に対しての牽制になるので、どちらに見蕩れたにしろ行き交った人が後をついて来たりすることはない。そうでもなければ地位や権力の睨みが利かない人間界で雑多な人混みの中を歩くことなどできない。
そんなことが何度かあって、繁華街の中程まで来た。
春星は周囲に気配りを怠らないし、そうでなくとも人混みでぶつかる時は軽く肩が触れる程度で、足を止めることもない。
だが、春星にぶつかった相手は急に足元から崩れ落ちた。相手の隣にいた連れも突然のことに慌てる。
「おっと」
春星は相手を抱きとめた。学ランを着ているから学生のようだ。もたれかかるように腕の中でぐったりしている少年を春星は心配する。
「おい。大丈夫か?」
貧血かと思い少年を抱えたまま道の端に寄る。建物に背をもたれさせるようにして座らせた少年の前に膝をついて顔を覗き込むと、少年はぼんやりと顔を上げた。
「……煌さん……」
少年は鏑木舜だった。
舜は泣きそうな顔になると、春星に縋りつき泣き出した。いきなり人目を憚らずに泣き出した舜に戸惑うも、春星は舜の頭を撫でてやった。しばらくして落ち着きつつあるのを見取って「どうした?」と聞くと舜は絞り出すように訴えた。
「助けて、下さい」
「承諾した」
春星は少年の助けを求める声に、内容を加味することなく即座に承諾した。
文官の礼は指を伸ばし、右手に左手を重ねる。しかし春星がしたのは右手の拳を左手で包む武官の礼だ。
幼かった時の春星はやんちゃで跳ねっ返りな腕白小僧で、その気質から武官に可愛がられた。気のいい武官達に手荒に揉まれているうちに更に気質が武官に近くなり、宰相となった今でも武官としての礼をとることがあるし、義を見てせざるは勇無きなりを地で行く。
普段は桜夜をまず気にかけるが、こうなったら二の次にされてしまう。
今もそうで、ひとまず事情を聞こうと場所を移動することにした。
春星はここでようやく桜夜を振り返り、謝罪した。薄々こうなるとわかっていた桜夜は大して驚きもせずに頷いた。




