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その十七


 宮廷に到着するや春星は屈強な武官達に担ぎ上げられ、どこぞに運ばれていく。

 運ぶのは幼い時から春星を鍛えていた武官達でもあるので、春星はあれこれからかわれながら大人しく運ばれる。


 後宮の手前に用意されていた病室のベッドに投げ込まれると、疲労から眠気に襲われた。

 目を閉じると労わるように額に手を置かれる。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 春星に眠るよう言ってもその場を離れる気は無いようで、桜夜は枕元に配置された椅子に腰掛ける。桜夜は子守唄を口ずさみ始めた。


 先程はどこからか唄声が廃墟に響くという異常事態と、選曲がおどろおどろしいイメージの童謡だったこともあって恐怖しか喚起させなかった。

 しかし、今耳に届く桜夜の唄声は優しく包み込まれるような柔らかい声音だ。


 春星はその歌声に幼い日の母との記憶を思い返した。

 忘却の彼方で、手繰り寄せたところで朧げな記憶の全てを思い返す前に春星は意識を手放した。


 桜夜は眠った春星の前髪を梳くように撫でる。


 …本当に無事で良かった…


 桜夜は誇り高く、自尊心の高い人間だ。それ故に過保護な周囲を振り切り自立して生きていけるようにしてきた。


 だが、こと春星になると、自分でも不様なほどに執着してしまう。対等な関係でありたいと願いながらも依存しているのを自覚しているが、どうしてもままならない。


 居場所を失くすと人は滑稽なほどに狼狽え、その居場所を無くさないように無様に縋りつく。


 いかに神聖にして犯せざるものという皇族、それも今上の妹である桜夜にしてもそうだ。

 どれほど教養があろうとも、どれほどの待遇が保証されていようと、居場所を失えば目の前が暗くなったようになってしまう。


 そして桜夜の居場所とは春星の隣だ。


 それから桜夜は甲斐甲斐しく春星の面倒を看た。

 とはいえ自由にできない身の上なので春星といられるのは茶会の時間から夕方までだ。


 だから春星はその間を縫って職務を行っていた。



「うん。これでいい」


 春星が書類を渡すと若い官吏はほっと息をつく。

 春星は病床にあっても執務を執り行っていた。桜夜はいい顔をしないが、そうしないといけない理由がある。


 床に伏せて数日もすると嘆願する官吏が病室に押しかけた。

 聞くと休んだ春星の代わりにと皇帝自ら執務室にやって来たそうだ。


 勿論国民全員が多忙な〝富幻〟では皇帝も例外なく働くし、普段も春星が決済した書類の最終確認・認定などを行っている。

 だがそれはあくまで完璧に書類の体裁が整った後のことで、本当に煩雑で多忙なのは春星までの段階だ。

 だからこそいかに大量の書類を送られたところで皇帝は心身ともに健やかだ。

 

 しかし春星に代わって職務を行おうとすると話は別だ。


 皇帝は有能で勤勉だが、体は弱い。

 それに最高権力者にして絶対の存在の皇帝が下々の者の仕事を肩代わりするなど恐れ多い。


 そこで春星は皇帝を呼び出した。

 いつもなら直接出向くが、今は療養中の身だ。下手に歩き回ると小言をもらいそうなのでそうせざるを得なかった。


 程なくして招きに応じた皇帝が枕元にやって来る。


 臣下に呼び出されるという不躾な要求をされたというのに気分を害した様子が無い。

 貫禄を出すためにも顎と口元に髭を蓄えているが、浮かべる笑みは幼子のように純粋で無邪気だ。


「心配したぞ」


 手を両手で包まれ、春星は照れたように笑む。

「陛下」

「二人きりなのに堅苦しいのはよせ。朕はそちを兄のように思うておる」

「………そこはせめて弟になさいませ」

 苦い顔になった春星に皇帝は首を傾げる。


 皇帝は聡明で名君と名高いが、坊ちゃん気質でそうした身分の隔たりに疎い。


「何故じゃ?父も『二人、兄弟のように仲良くせよ』とこれを渡したではないか?」


 皇帝は腰に下げていた龍の佩玉を掲げる。

 前皇帝が幼い二人に与えた物だ。


 互いに勝り劣りが無く、天下を二分する英雄を龍虎という。


 春星は皇帝の龍と対になる虎の佩玉を持っていた。

 春星の養父が丹精込めて作り上げたので力を持ち、目の見えない春星にも虎の威容がはっきりとわかる。


 ……この方は変わらん……


 桜夜と違って初めて引き合わされた時から春星を無邪気に信頼し、心を許していた。


 そうした無防備さと寛容さは何不自由なく生活し、心優しき者に庇護されたからこそ持つものだ。


「………陛下。私の業務を肩代わりされているとか」

「うむ。…何か誤りがあったか?」

「いえ。陛下の判断、総括は事な物でした。さすがは賢明帝の末裔にございます」


 賢明帝とは初代皇帝で〝富幻〟の礎を築いた英君だ。精力的に職務を行い、その治世は最上治と讃えられている。

 そのために皇帝は代々勤勉であることを旨としている。


「もし私が倒れた所で多少国の行政に混乱が起こる程度でしょう。ですが陛下がお倒れになられれば国が滅ぶ」


 皇帝は一人っ子で、他に近い血縁もいない。おまけに世継ぎどころか子の一人もいない。


「……どうですかな。そろそろご結婚されては?」

 皇帝が成人した頃から進言していることを持ち出すと、皇帝は拗ねたように頬を膨らませる。

「そちが身を固めるならば考えよう」

「私は結婚するつもりはございません」

「じゃが、そちは猶子(ゆうし。後継として引き取られた養子)じゃろう」

「厳密には違いますし、養父(ちち)もそのつもりで引き取ってくれたわけではございません」


 それ以上掘り返すと頑なになってしまうので切り上げる。


 いつかは承諾してもらわないといけないが、今でなくとも良いことだ。手折られることの無い後宮の花が不憫だが、皇帝にその気が無い以上どうしようもない。


「ですから、どうかお止め下さい。現場が混乱いたしますし、管轄外です」

「…じゃが…」

「どうかご心配なく。幸い利き手は万全なのでここで執り行います」


 春星としてはすぐにでも床を払いたいところだが、そうもいくまい。

 結局渋る皇帝を言い聞かせ、止めさせた。


 その日から皇帝に認められたのでこうして病室に書類を運ばせて職務を行っている。


 もちろん刑事の調べ上げた情報を元に今回の件の後始末もした。


 人間界にある出先機関に命じてサイトの運営者を探し出して人間なら警察にリークし、夢界の人間なら連行した。

 またユメクイに命じてサイトに投稿した者と、念のためサイトの利用者の元に行かせて必要ならばフォローさせた。


 それで今回の件は終わりだ。


 全てが野間澄明の意志だったのか、本当は示唆した人間がいたかも闇の中に葬り去った。


 いかに都合が悪くとも事実関係をはっきりさせないのは春星の主義に反する。だが、こうするしかなかった。


 事件の首謀者が捕えられ、組織が壊滅したというのに背後の黒幕を炙り出そうとすると、どうしてそこまでするのかと勘繰られる。

 人にどう正論を言ったところで血縁で、しかも因縁ある相手が黒幕の可能性があるとなれは私怨を晴らすためだと疑われる。

 そうでないと否定しきれないので周りの人間を巻き込むのは気が引ける。


 こうなった以上黒幕だろうと思しき兄もこの件からは手を引いただろうし、しばらくは大人しくしているだろう。

 だったら事実を握りつぶした方がいい。


 春星にとっては苦渋の決断だった。


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