8時間目 勇気
龍山は緊張して愛美と目が合わせられずにいた。結果、愛美に不審がられてしまい、龍山はとっさに目の前に広がる夕焼け空でごまかした。
いきなり『夕日が綺麗だな』って、何を言ってるんだ俺はァァ!話に脈絡なさ過ぎんだろ!!
龍山は心の中で自己嫌悪しながら叫んだ。しかし、愛美はそうは思わなかったらしく、後ろを振り返ると、
「わぁ!確かに綺麗だね!気づかなかったよ」
と感嘆の声を上げた。
………今俺に、アゲインストの風が吹いている!!
偶然とはいえ、愛美の同意を得られた龍山は本来の自信を取り戻し、今度は自分の方から愛美に話しかけた。
「ところで、俺に何か用事があったんじゃないのか?」
龍山の問いに愛美は慌てて振り返った。
「ご、ごめんなさい!あんまり綺麗だったからつい。そう言えば自己紹介すらまだしてなかったね。私は同じクラスの」
「井上愛美、だろ」
龍山は愛美の自己紹介に被せるようにその名を口にした。愛美は自己紹介を途中で遮られてポカンとしていたが、しばらくすると驚きをあらわにした。
「すごーい!なんで私の名前知ってるの?」
「な、なんでってそりゃあ………井上は結構有名人だからさ」
龍山のとっさの言い訳に気を良くしたのか、愛美はにやにやしながら鈴の方を向いた。
「デヘヘ。鈴ちゃん、私有名人なんだって」
「照れなくていいからさっさと要件を伝えようぜ」
鈴は硬い表情のままぶっきらぼうに言い放った。
「そ、そうだね。また話が脱線しちゃったよ。あ!浅間君。この子は鈴ちゃんこと加藤鈴っていうんだよ……て、去年同じクラスだったから知ってるよね。今日私たちが来たのはね」
そこまで言うと愛美は左肩に下げた黒の学生鞄から一枚のプリントを取り出した。
「これを届けて来いって森先生に頼まれたからなんだよ」
「なんだこれ?」
愛美からプリントを受け取りながら龍山は疑問を口にした。
「それは進路希望調査書だよ。来週の月曜日に進路を書いて提出しろって森先生が言ってたよ」
「こんなものを届けるためにわざわざ来てくれたのか?」
龍山の問いかけに愛美は笑いながら答えた。
「そんな『わざわざ』なんて言うほどのことじゃないよぉ!まぁここのマンション、エレベーターが壊れてたから階段で最上階に来るのはちょっと大変だったけどね」
龍山は心の底から思った。
なんていい子なんだろう!!
眩しい。君の優しさが眩しいぜ………
龍山は目頭が熱くなった。
「ど、どうしたの浅間君!!」
突然泣き出した龍山に愛美はびっくりした。龍山は焦る愛美を右手で制すと左手で涙をぬぐった。
「す、すまねぇ。何でもないから気にしねぇでくれ」
そして龍山は一息つくと
「ありがとな」
と呟いた。
愛美は龍山が泣きやんだことにほっと一息つくと
「もう、浅間君は大げさだなぁ」
そう言って笑った。
龍山は愛美の笑い声を聞きながら首を横に振った。
「いや、大げさなんかじゃあないぜ。井上」
愛美に呼び掛けると龍山は進路相談書を見つめながら言葉を繋いだ。
「俺、この進路相談書一生額に入れて大事にするぜ」
龍山の宣言に一瞬その場の空気が凍ったが、次の瞬間愛美は大爆笑し始めた。
「アハハハハハハ!!!浅間君、それ来週の月曜日に提出だよ?一生はちょっと無理なんじゃない?」
「そ、それもそうだな!!ウハハハハ」
龍山も釣られて笑い始めた。そして、二人の笑いの発作が治まる頃を見計らって鈴が、
「じゃあ渡す物も渡したし、そろそろ帰りますか」
と、帰宅を提案した。
「あ、それもそうだね」
と、愛美も鈴の提案に同意の意を示した。
な、何だってぇぇぇ!!もう少しぐらい………
龍山はせっかく打ち解けてきたのに、このまま帰すわけにはいかないと、この幸せな時間を延長する理由を全力でひねり出そうとした。そして、
「ここまで階段で上ってくるのは疲れたろ?進路希望調査書届けてくれた礼もしたいし、ウチで少し休んでいったらどうだ?茶ぐらいは出すぜ」
と、思い切って一歩踏み込んでみた。すると、
「え?ほんとに?そういうことならお言葉に甘えて」
と愛美が食いついてきた。
キタアアアアアアアアァァァァァ!!!
龍山は心の中で歓喜の雄叫びをあげた。
しかし、乗り気な愛美とは反対に鈴は難しい顔をしている。
「?どうしたの鈴ちゃん?難しい顔して」
「いや、迷惑なんじゃないかなぁって思ってさ」
「あ………確かに」
愛美も釣られて難しい顔をし始めた。
や、やばい。
龍山は直感した。このままじゃ『気持ちだけ受け取っときます』などと体の良い断り文句だけ残して愛美ちゃんが帰っちまう!!ったく何なんだよこの女は。帰りたきゃお前一人で帰れっつーの。
龍山は心の叫びが態度に出ないように必死に自制した。
ここでこの女が帰るってことは愛美ちゃんも帰ることを意味する。
さすがに一人じゃ残ってくれねぇだろう。
二人きりってシチュエーションは捨てがたいが背に腹は代えられねぇ。
龍山はそう自分に言い聞かせると、鈴に
「遠慮すること無いぞ」
と、自制心をフル活用し、そう言った。しかし、それでも鈴はなかなか首を縦に振らなかった。
「んー、でも………」
すると、愛美が悩んでいる鈴の背中を押した。
「まぁまぁ鈴ちゃん。浅間君もこう言ってくれてるしせっかくだから上がっていこうよ。それに鈴ちゃんさっき階段登ってくる時、脚が痛いって言ってたじゃない。ちょっと休んだ方がいいって!」
愛美のその言葉を聞いて更に悩んだのち、ついに鈴は首を縦に振った。