プロローグ
「ねえねえ、パパとママは、どこで知り合ったの? 」
仕事を終えて家に帰るなり、おかえりなさいの言葉よりも先に娘に尋ねられ、クリードはきょとんと眼を丸くした。自分の腰にまだ足りないほどの背丈の娘は母親譲りの紅茶色の髪の毛を揺らしながら、何やら期待に満ちた目で見上げてくる。
子どもというのは、脈絡もなく、また突拍子もない事を聞いてくるものだが、はてコレは一体。
首を傾げていると、キッチンの方からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。娘と同じく紅茶色の髪の妻は、娘とは異なる波打つ髪の毛を、うなじのあたりで一つに束ね、白いレースのリボンを巻いている。
「あなた、おかえりなさい。ほら、スティール、パパにおかえりなさいは言ったの? 」
「あっ、パパおかえりなさいっ。でね、ママとどこで会ったの? 」
自分の両足に抱きつきながら、なおも尋ねる娘。はて、これは学校で何かを聞いたかもしくはテレビで何かを見たか、どちらかかなと見当をつけ、眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、空いた手で娘の頭を撫でてやる。娘は何が面白いのか、子犬のようにぐりぐりと頭を擦りつけてきた。
「何だろうねえ……」
妻はすこし困ったように笑いながら、種明かしをしてくれた。
「どうやら、学校の授業でそんな質問があったらしいの。帰るなりわたしにも聞いてきたわ」
「でもママは教えてくれないんだよっ。秘密、とか言って~」
娘はすこしふくれっ面で父親に訴えかける。
どうしても“駄目”なものは“駄目”です。
娘が泣こうが喚こうが、絶対曲げられないと思うことに対しては妻は頑として譲らない。
いつもふんわり微笑んでいる妻からは、そんな頑固さは想像できないようで、時として人を驚かせているようだ。
ふふ、と妻はふわりと笑う。茶色がかった緑の目をいたずらっぽくきらめかせ、それはね、と右の人差し指を振りながら、と娘に言う。
「それは、ママの“大事”ですもん。簡単には教えられません。でもね」
クリードを見上げ、妻は首を傾げてみせた。その様子はレースのリボン、ひらひらのフリルのついたエプロンなどと相まって、ほんの少女のように今でも見えるから……時々クリードは錯覚しそうになるのだ。
出会った頃に戻ったようだ、と。
「パパからなら聞いてもいいわよ。パパが“話してもいいよ”って言ったらね」
晩御飯にするからはやくいらっしゃいね。くるりと身をひるがえし、妻はキッチンへと戻って行く。
「パパ? 教えて教えてっ」
途端に始まる矢の催促。
やられたとクリードはため息をのみこんだ。妻は娘の追及をかわした揚句、あとはよろしくとばかりに自分に丸投げしてきたのだ。
目をきらきらさせて聞いてくる娘は、おそらく“パパとママの素敵な出会い”なんてものを期待しているのだろうが……実のところ、妻と自分の出会いは、子どもに聞かせるにはかなり教育上よろしくないものであったから。
さて、なんと答えるべきかと娘をリビングの方へと連れて行きながら、クリードは頭を悩ませたのだった。
出会った日の事はいまでも鮮明に覚えている。
夏の終わりの、なまぬるい風が強く吹いていた。
水面に沈もうとしていた、あかあかとした夕日。水面も空を映して紅く染まっていた。
その風景の中に、ぽつんと咲いた白いパラソルひとつ。くるり、くるりと回っていた。