【書籍化進行中】カフェにて~転生令嬢は人生を楽しむことにした
ガーデンパーティーにて~転生じゃない令嬢は煙の向こうに何を見た?
「グレーテル、今度、うちの庭でガーデンパーティーをするの。
よかったらあなたも参加しない?」
ある日の午後、そろそろ帰ろうとしていたわたしは、テニッセン侯爵夫人から素敵なお誘いを受けた。
「ガーデンパーティーですか?」
その時なぜか、前世のビアガーデンを思い出した。
夏の風物詩、いつになく賑やかなビルの屋上。
外吞みの習慣がなかったわたしは、会社の飲み会で何度か行っただけだ。
それでも暑気払いにみんなで盛り上がろうとする、あの楽し気な雰囲気は嫌いではなかった。
「ガーデンパーティーと言っても、使用人の慰労会なのよ。
あなたも馴染みの人が何人もいるし、楽しんでもらえると思うわ」
確かに、侯爵夫人のお世話をしているメイドさんはじめ、我が家まで迎えに来てくれる馭者さんと護衛さん、門番さん、いつも笑顔で迎え入れてくれる執事さんなど、たくさんの方と顔見知りになっている。
「ありがとうございます。ぜひ、伺わせていただきます」
「ええ、細かいことは次の機会に伝えるわ」
侯爵夫人に別れを告げ、通用門へ向かう。
わたしはまだ十一歳の小娘ながら、ご縁があって侯爵夫人のリメイク事業のお手伝いをしている。
実家の男爵家は一代きりの爵位で、父は王城の文官。
はっきり言って貧乏なので、自家用馬車はない。
それで侯爵家へお邪魔する時は、送り迎えしていただけるのだが。
『侯爵様、お気遣いいただきながら、まことに申し上げにくいのですが』
ある日、用事のついでがあったからとテニッセン侯爵様が直々にわたしを迎えに来てくださった。
侯爵家の紋章をババーンと貼り付けた立派な馬車で我が家まで……と言っても家の真ん前の道は狭いので、少し離れた道幅の広い場所に馬車を停めている。
我が家の扉を手ずから叩き『グレーテル嬢、迎えに来たよ!』とイケオジ渋ボイスで告げた侯爵様。
前世にここまで仕上がったイケオジを目にしていたら推していたかもしれない。
だがしかし馬車に収まった後でわたしは彼に、恐れ多くも文句を述べた。
『この辺は侯爵家ほどの立派な馬車は、めったに通りません。
つまり目立ちます。
送り迎えはとってもありがたいのですが、もう少し目立たないようにお願いできないでしょうか?』
お母様が付き合い上手なので、ご近所で変な噂になるなんてことはないのだが、それにしたってわたし一人のために大仰である。
立派な馬車に護衛の騎士。お金に換算したら、いくらになるのかと眩暈を覚えるほどだ。
それに、わたしは知っている。
侯爵家の馬車にはいろんなタイプがあって、もっと小さくて目立たない、いい感じのものもある。
馭者さんと世間話するついでに聞きだしたから、間違いない!
それに対する侯爵様の反応は鈍かった。
『うーん、君の言うこともわかるけどね、君は私の愛する妻の大事なビジネスパートナーだからねえ。
君の安全確保は疎かにできないんだ』
『でも、わたしが自宅にいるときは、別に警護が付いているわけでは……』
侯爵様が珍しく目をそらす。
え? 警護付いてたの!?
『済みませんが、うやむやにしておくには気になる話なので、ご説明願えますか?』
渋オジの、渋々ながらの説明によれば、知り合ったその日から最低二名の影の者みたいな人たちが張り付いているらしい。
もちろん今も。
『我が家と関わってしまった以上、誰かが君やその家族を利用することを考えないとも限らない。
これは君たちの生活を脅かすものではないし、あくまで侯爵家のためだと割り切ってくれ。
気にはなるだろうが、忘れていてくれるとありがたい』
『わかりました』
理屈はわかるし、ご夫妻の愛の重さも理解したので是とするしかない。
それでも、その後からは少し目立たない馬車を回してもらえるようになった。
侯爵夫人の侍女さんなどがお忍びで出かけるときに使うものらしい。
まだまだ、わたしにはもったいないが、これ以上文句を言うのも失礼だ。
家についてガーデンパーティーの話をすると、珍しくビアンカ姉様がうらやましがった。
「たくさん食べる物が出るのでしょうね」
なんて、うっとりしたように言う。
まだ十五歳なのに、その表情には魅惑的な雰囲気が滲み出ている。
言葉の内容の方は、長男テオフィル兄様の手紙のせいだろう。
遠方の伯爵家の騎士団に就職した彼の手紙には『芋食べ放題』とちょくちょく書かれていた。
確かに我が家は貧乏で、ケーキなどの贅沢品がテーブルに並ぶことはほぼない。
しかし、ちょいちょい前世の日本の影響を感じさせるこの世界。
ある程度の栄養学は浸透していて、うちの料理人兼庭師が、それに基づいて料理を作っている。
つまり、栄養は十分で非常に健康的なのである。
贅沢品は美味しくて気分を上げてくれるが、粗食の方が健康に良いことは周知の事実。
お腹いっぱいの状態を幸福だと感じることもあるだろうが、健康のためにはお勧めできない。
だが、ビアンカ姉様だって、まだ十五歳の乙女である。
容姿に問題がなく、ダイエットの必要がないのだから、お腹いっぱいに憧れる気持ちはわからなくもないのだ。
その時、忘れるべきであった話を思い出した。
侯爵様が我が家に警護をつけているという件である。
うちのために割く人員が手配できるくらいなのだから、当然、侯爵家の王都屋敷そのものは鉄壁の護りに決まっている。
だったら、姉様を連れて行っても大丈夫かもしれない。
姉様だって、いつかは外の世界に出るのだもの。
「ビアンカ姉様も、一緒に行きませんか?」
「え?」
目を瞠る姉様。
目を瞠る美しさの姉様が、驚きに目を瞠る。
その宝石のような目が零れ落ちないか心配になった。
「侯爵邸からは迎えをよこしてもらえますし、敷地内はしっかり警備されていますから、きっと大丈夫です。
もしも、行く気があれば侯爵夫人に相談してみます」
「ご迷惑でないなら、行ってみたいわ」
「そうね、あの侯爵様のお屋敷なら安心ね。
もし許可されたら、伺わせていただくといいわ」
母様も賛成する。
その後、仕事から帰って来た父と、学校から帰って来た兄も承認したので我が家としては姉を外に出す準備が整った。
「あら、ビアンカさんが来てくださるの?」
次の訪問日、侯爵夫人に姉を連れてきてもいいか訊いてみた。
「そういうことなら……まだ時間もあることだし、あなたたちの衣装はわたくしに任せてちょうだい!」
「衣装?」
「慰労会は我が家のお庭でするから、誰にも迷惑はかからないでしょう?
だから、希望者には好きな衣装を着てもらうのよ」
なんと、侯爵邸にはいざという時の仮装用衣装倉庫があるそうだ。
いざという時の仮装って?
あ、もしかして影の者の人の変装用衣装とか?
つっこまないほうがいいかもしれない。
「これだけ可愛らしいグレーテルが、美人過ぎて家から出せないというお姉様ですもの。
いろんな仮装をする使用人の中にいたら、目立たなくて気が楽なのではなくて?」
なるほど。美女を隠すには美女の中、みたいな?
「うちにはお客様の安全を脅かすような使用人はいませんけれど、少しでも楽しく、ね?」
「ありがとうございます」
優しく微笑んだ侯爵夫人だが、次の瞬間、目つきが変わった。
「そうとなったら準備は念入りにしないとね。
今日の帰りに、採寸をするメイドを同行させるわ。
よろしくて?」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
その圧には、とても逆らえなかった。
結局、メイドさんは二人同行した。
家に着いて母に説明し、姉様とわたしのサイズを測ってもらった。
メジャーを手にするメイドさんは自分で数値をノートに記入している。
もう一人は何をしているのかと思えば、ものすごい勢いで姉様の姿をスケッチしていた。
「わ、すごく上手ですね」
覗き込んだわたしが褒めると、メイドさんは照れる。
「どのような衣装がお似合いになるかイメージを固めるために、スケッチをさせていただいております。
これは侯爵家の外へ持ち出されることはございませんので、お許しください」
「はい、わかりました」
「それにしても」
メイドさんはいったん描く手を止めた。
「話には伺っておりましたが、全く手を加えない状態で、これほどのお美しさとは。
奥様がプロデュースなさったらどうなることか。
慰労会の日が楽しみですわ」
メイドさんは凄いスピードで再び描き始める。
スケッチブックはどんどんめくられていった。
慰労会当日。
馬車で迎えに来ていただき、屋敷に着いてから案内された先は噂の衣装倉庫ではなかった。
「こ、ここは侯爵夫人の衣装部屋では!?」
「正しくは衣装部屋の一つ、でございます」
メイドさんがさりげなく訂正する。
「本日はこちらを着ていただきます」
広い衣装部屋のど真ん中に、トルソーのくせに超高級そうなそれが四体並び、四着の華麗なコーディネートを決めていた。
「ビアンカ様とグレーテル様、お二方に二着ずつのご用意がございますので、途中でお色直しをしていただきます」
「お色直し」
「奥様は十着ほどご用意されたかったようですが、それではお嬢様がたがパーティーをお楽しみになる時間がありません、とお諫め致しまして。
なんとか二着に落ち着きました」
「そ、そうなんですね」
侯爵夫人の熱量に怯えつつも、着せていただいた衣装はとても素敵だった。
少しクラシックなデザインで、可愛らしくも落ち着きがある。
「わあ、なんて素敵なドレス。こんなのを着せていただけるなんて」
「奥様の少女時代のドレスをご実家から取り寄せまして、サイズ直しをしております。
屋外の催しですから、お帽子だけは新しくお作りしました」
こんなのを着たら、まるで高位貴族の令嬢みたいである。
鏡に映る自分に、ちょっとドヤっとしてみた。
そして、振り返ればそこには別のメイドチームに着つけてもらったお姉様が。
こちらも同じくクラシカルだが、大人っぽくシックなドレスだ。
帽子にはベールがかけられ、なんだかちょっと未亡人っぽい。
数多の男たちが姉様を奪い合った挙句、全員相打ちで死んでしまい、彼女は彼らを看取り悼むのだ。
彼らの遺産は総取りの丸儲け。
あらいけない、これではまるで守銭奴のオスカー兄様ではないか。
だが、まったくもって妄想が捗るお姉様の美しさである。
「お姉様、素敵です」
「グレーテルも、とっても素敵だわ」
少し離れた場所でスケッチに余念がないのは、この前のメイドさんだろう。
ただ、落ち着いて考えてみれば素敵すぎて心配だ。
薄化粧を施された姉様は、ベールからのぞく口元だけでも美女オーラが半端ない。
「ご心配なく」
その声に周囲を見回せば、いつの間にかメイドさんの姿がない。
わたしたちはなぜか、貴公子の一団に囲まれていた。
「え?」
「お嬢様、わたしどもは着付けを担当したメイドでございます」
「すごい早着替え?」
「はい、侯爵家メイドの必須技能でございます」
「わたしどもがエスコートさせていただきます」
男性の平均より背の高いメイドさんはいないが、そもそもわたしたちは小柄なので身長差はちょうどいいかもしれない。
「よろしくお願いします。
でも、せっかくの慰労会なのに、わたしたちのために働いてばかりですね」
「お気になさらず。
侯爵家のお子様は坊ちゃまだけですから、お嬢様のお世話が出来るのは嬉しいことでございます」
そう言ってもらえるとわたしたちも嬉しい。
メイドさんたちは交代で常時わたしたちに付き添ってくれることになった。
食べるのが主目的だから、姉様とは別々に会場を回ることにして、それぞれに二人ずつの貴公子なメイドさんが付く。贅沢!
案内してもらった侯爵邸の広い裏庭は、まるで村のお祭り広場のようだ。
屋台もたくさん出ていて、普段の侯爵家ではきっとお目にかかれないだろうジャンクなフードが並ぶ。
ここはいい加減というか適当な異世界なので焼きそばあり、タコ焼きあり、アメリカンドッグあり、それからりんご飴もあった。
もちろん、ジャンクじゃない食べ物もしっかりある。
大型のバーベキューコンロが何台も出ていて、楽し気な仮装をした人たちが並んでいた。
「テニッセン侯爵領産、旬の焼きとうもろこしだよ!」
「侯爵領騎士団が討伐した野獣の肉! 滋味あふれる味だよ!」
「こっちは罠にかかったイノシシの丸焼きだ、王都じゃなかなか食べられないぞ!」
まるでプロの呼び込みのように勢いがあって驚かされる。
「あれは侯爵領で働いてる方たちなんですよ」
メイドさんが教えてくれた。
「たまには自分たちが作ったり加工したりしたものを、直接食べさせて喜ばせたいそうです」
「絶対美味しいやつ」
「はい、絶対美味しいやつです」
席に着いて鹿肉のローストを薄焼きのパンにはさんだものを頬張っていると、姉様が列に並んでいるのが見えた。
なんと、イノシシの丸焼きの列だ。
焼けた一頭目を捌くそばで二頭目を焼いているので、煙がもうもうと上がっている。
あんなに煙の近くに行ったら、貸していただいたドレスが燻されてしまわないか心配になった。
でも、エスコートのメイドさんもいることだし、わたしが口を出すことじゃないな、と思った時だった。
穏やかに晴れたガーデンパーティー日和の会場に、突然強い風が吹いたのだ。
風はあっという間にビアンカ姉様の帽子を吹き飛ばしてしまった。
立ち込めていた煙も吹き飛んでいる。
ちょうど姉様の順番が来ていたので、皿を手渡そうとした若い男性と正面から向き合うことになった。
「可愛いお嬢さん、君はもう少し太ったほうが素敵だよ。
いっぱいお食べ」
前世の映画で見たカリブ海から来た海賊のような仮装の男性は、姉様の顔を見ても動じることなく笑顔だ。
「……はい、ありがとうございます」
遠目に見てもポッと頬を染めた姉様。
ざわつく周囲のエスコート役のメイドさんたち。
恋かな? もしかして恋が生まれたのかな?
いくらお腹いっぱい食べたくても、イノシシ肉に頬を赤らめるほど姉様は変人じゃないはずだ。
そう、姉様は変人ではないが、かなりおっとりしている。
自己主張が強くないので、好みも大まかにしかわからない。
家では一緒にいる時間が長いわたしだが、男性の好みについては全然知らない。
彼女のおっとり具合については、幼いころの逸話がある。
市場で母様が手を離した、ほんのわずかの隙に攫われそうになったのだ。
攫った男に小脇にかかえられた姉は怯えもせず、にこにこしながらすれ違う人々に手を振っていたそうだ。
その後ろから『娘が攫われたの! 誰か助けてください!』と母が叫んでいるにもかかわらず、である。
姉に微笑まれた何人かの男性が、魅了されたかのように攫った男を追いかけ、無事に連れ戻してくれた。
姉様を引きこもらせているのは、美貌に目を付けられる心配だけが理由ではない。
緊張感や危機感が不足していて、無防備になりやすい彼女は危険だ。
周囲の人たちがいつでも助けてくれるとは限らないし、家族だけではその身の安全は護り切れない。
家族の精神的安定のため、自分たちの都合で閉じ込めていると言われたら言い返せないことを、うちの家族は自覚している。
パーティー会場では、無事に戻って来た帽子を被りなおした姉様がエスコート役のメイドさんたちとテーブルを囲んでいた。
皿の肉を少しずつ、だが確実に、実に嬉しそうに咀嚼している。
「お替りはどうですか?」
「まあ!」
脂がのった柔らかい部位の山盛りに、テーブルの淑女諸君は歓声を上げた。
皆さん健啖家だなーと感心する。
前世のわたしは三十五歳を超えたあたりから脂っこいものが苦手になった。
その記憶が、食べすぎ厳禁の警鐘を鳴らすので大食いは無理である。
今まで知らなかったが、姉様は胃腸が丈夫なのかもしれない。
そのポテンシャルは予測不能だ。
ドレスのウエストという制約があったから、きつくなる手前で止めたわたしに対し、姉は全然平気な顔でお替りの肉もしっかり食べていた。
それなのに彼女は、家に帰ってからすぐルーティンの床磨きを始めたのだ。
真似できないわたしは、とりあえず昼寝した。
三日後、夕食後の我が家に侯爵様がやってきた。
監察院の一件以来、お父様とは身分差を超えて友達付き合いをしている。
「おくつろぎのところ申し訳ない」
「いや、お気になさらず。それで、ご用件は」
「実はビアンカ嬢に求婚したいと申し出た使用人がいてね。
雇い主としては全く無視も出来ず、話だけでも聞いてもらえたらと思って」
姉様の顔がさらされてしまったので、それはもう仕方ない。
侯爵様は悪くない。
一陣の風を吹かせた神様の悪戯だもの。
「使用人の独身男子三十名から求婚の相談があったんだ」
「三十名」
我が家の家族の声が揃った。
姉様はやっちまった。
「別に見合い目的で遊びに来てもらったわけではないが、ビアンカ嬢はどうだい?
気になる男性はいたかい?」
「わたしは」
姉様はあの日を思い出して微笑んだ。
愛妻パワーに守られた侯爵様でなければ、危ない微笑みだ。
「お肉を勧めてくださった、あの海賊さんが素敵だと思いました」
「そうか、では三十人の使用人の件はここまでにして本題に入ろう」
いくら姉様が魅了の美貌だったとしても、雇い主である侯爵様に話が届くほどなら、それぞれに真剣な求婚の申し出だったはずだ。
だが彼らは十把一絡げで前説にされた。哀。
「侯爵領で私の甥が畑を耕している。
一応、男爵位を持つ独身だが、まったくモテなくてね。
なにせ、芋を掘り返しても、傷のついたのやら形の悪いのやらに愛情を注ぐ男だ。
見た目よりも中身を重視するうえに、思ったことを口にするから見合いをさせてもうまくいかない。
ところが、奴が言うんだ。
『あんなに幸せそうに食べる女の子を、もっと幸せに出来たらいいのになあ』とな。
君のことだよ、ビアンカ嬢」
「もしかして甥御さんというのは、海賊さんのことでしょうか?」
「ああ、そうなんだ。
どうかな、正式に見合いをしてみる気はあるだろうか?」
姉様はわたしたち家族を見た。
両親は穏やかに頷いていたが、ダミアン兄様は平静を装っているだけに見える。
わたしは、何も言えなかった。
「テニッセン侯爵様、よろしくお願いいたします」
姉様はきちんと返事をした。
お見合いをして話が決まれば、姉様は嫁いで侯爵領に行ってしまう。
いつかは来ると知っていたはずのお別れが、急に近づいてきた。
「あらあら」
自分の目からふいに涙がこぼれて驚いていたら、姉様にふわりと抱きしめられた。
「泣かないで、グレーテル」
「ごめんなさい、姉様」
もちろんわたしが泣きだしたくらいでは話は止まらず、次の父の休日に侯爵邸でお見合いが行われることになった。
侯爵邸に行き慣れているからと、当然のようにわたしも両親に同行した。
「ハイノ・プランゲです。
本日は、来てくださってありがとうございます」
スーツ姿も様になるハイノ氏は現在二十二歳。
海賊姿もカッコよかったが、やはり常に農業に取り組む肉体労働者だからか筋肉質で締まっていて、侯爵様と同じ血筋のせいで顔も良い。
貶すポイントが見つからない。
「ビアンカ・ウルリヒです。
この前は美味しいお肉をたくさん食べさせてくださって、ありがとうございました」
「喜んでもらえて何よりです」
出だしの挨拶からして、微妙に照れとは無縁の人たち。
「ビアンカ嬢の事情を聞きました。
僕が働かせてもらっている畑は、侯爵領本邸の敷地内だから警備が手厚い。
一人で屋外を歩いていても滅多なことはないと思う」
ハイノ氏が自信を持って言うが、それは侯爵家の力だ。
でも大事なことだから強調するのは正解。
「畑で野菜を育てるのがお仕事だと聞きましたけれど、どうしてお肉を焼いていらしたのでしょう?」
「領都の郊外に侯爵家の果樹園があるんだ。
そこにイノシシが来るから罠を仕掛けるのに協力していて。
直接、自分が世話をしていない作物でも、害獣は許せないからね」
害獣を許せない、との言葉に本気を感じさせるハイノ氏は、言ってみれば農業オタクなんだろう。
きっと姉様と婚姻すれば姉様も大事にされて、万一害獣と認定すべきナニカが出たら徹底的に駆除してくれるはず。
そんな気がする。
悔しいけれど、ハイノ氏はいい人だ。
きっとビアンカ姉様を幸せにする。
お見合いから一週間後、正式に婚約がまとまった。
それから一年後には、姉様は侯爵領に嫁いでいった。
姉様の出発前、侯爵家では婚姻祝いのためにガーデンパーティーを開いてくれた。
実は先だっての慰労会の時、侯爵夫人はわたしたちのドレス一式を用意してくださったにもかかわらず、当日はご用があって、その仕上がりをご覧になれなかったのだ。
そのリベンジでガーデンパーティーの姉様のドレスを張り切って用意してくださった。
『ビアンカさんは、もうわたくしの姪なのですから、遠慮は許さなくてよ!』
すごい鼻息であったが、メイドさんたちが『屋外ですから歩きにくいのはいけませんわ』とか『さすがにお色直しは三着が限度かと思いますわ』とか頑張って諫めてくれたそうである。
我が家は、家族みんなでパーティーに参加したいところだったが、遠方で騎士をしている長男のテオフィル兄様は来られなかった。
でも、商人修業中のオスカー兄様が駆けつけてきた。
久しぶりの再会もあって感極まったのか立て板に水の長すぎる祝い口上を述べ、途中でダミアン兄様に止められていた。
このやりとり、昔は家でよく見た。懐かしい。
主役のハイノ氏は晴れ着のまま、やっぱりイノシシを焼いていて、姉様はその隣で甲斐甲斐しく汗を拭ってあげたり、飲み物を手渡したりしていた。
遠くで恨めしそうにしているのは、例の求婚組三十名の中の誰かだろう。
彼らにも素敵な相手が見つかるように祈っておいた。
姉様は侯爵領からちょくちょく手紙をくれる。
わたしは相変わらず侯爵夫人のお手伝いをさせていただいているので、王都邸へまとめて送られる書類に便乗させてもらうのだ。
わたしや両親からの手紙も同じようにして向こうに送ってもらっている。
手紙によれば、姉様はお腹いっぱい食べても太らない体質だった。
よく身体を動かして働くせいもあると思う。
麦わら帽子と長袖装備でも少し日焼けして『健康そうになって、前より美人だね』と旦那様に言われたと書いてくる。
普通に惚気ている。
まあ結論として、傾国となる運命は回避されたのだ。
上の兄様二人が独立してから、ずっと五人だった家族の談話室が四人になってからのある夜。
「またビアンカ姉様のこと考えて泣きそうになってるの?」
少しぼんやりしていたら、隣で本を読んでいたダミアン兄様がハンカチを差し出してきた。
今は別に涙目にすらなっていないので、きっと兄様の小さな意地悪だ。
順当にいけば、次に家を出るのは兄様。
その時には絶対泣かないように、精神を鍛えようと思う。
「なんだろう、妹を慰めたつもりなのに、なんだか損した気分になったんだけど」
兄様は無駄に勘がいい。
「ふふふ、仲良しね」
わたしたちを見て微笑む母の横には、いつもの父の笑顔があった。




