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第13話 図面を重ねる

七月に入っていた。


週末、拓海と会う約束をキャンセルした。「仕事が立て込んでる」とだけ伝えた。嘘ではなかった。ただ、仕事の中身が拓海に話せるようなものではなくなっていた。


日曜日の午後、理帆は自宅のダイニングテーブルに図面を広げていた。ビルの全フロアの平面図。一階から八階まで。宮内のメッセージがまだ頭に残っている。『図面をよく見て』。酔っていたと言い、忘れてくれと言った。けれど理帆は忘れられなかった。忘れようとするたびに、あの一文が浮かんでくる。


図面を見ろ。何を。どこを。宮内の意図が分からないまま、理帆は考えていた。宮内は酔っていたと言った。けれどあの一文には酔った人間の曖昧さがなかった。むしろ素面で何度も推敲した末の、最小限に削ぎ落とされた言葉に見えた。伝えたいことがある。けれど多くは言えない。だから五文字に圧縮した。そういう一文だった。


各階の平面図をプリントアウトし、同じ縮尺で並べた。一階、二階、三階。構造は基本的に同じだ。中央に廊下、左右に部屋。エレベーターシャフトと階段室の位置も共通している。鉄筋コンクリート造の典型的なオフィスビル。三十二年前の設計としては標準的な構成だった。一枚ずつ丁寧に見ていった。壁の厚さ、窓の寸法、柱の位置。設計図には建物のすべてが書かれている。少なくとも、書かれているはずだ。


四階の図面を重ねたとき、手が止まった。


壁が厚い。


廊下の東側、404号室と405号室の境にある壁。他の階では百五十ミリの間仕切り壁なのに、四階だけ三百ミリになっている。倍の厚さだ。理帆はスケールを当てて確認した。数値は明確だった。百五十と三百。


構造壁かもしれない。四階にだけ追加の耐力壁が必要な理由があるのか。構造図を引っ張り出した。該当する壁は構造壁に指定されていなかった。設備図も確認した。配管スペースでもない。電気の幹線ルートでもない。


厚い壁がある。理由がない。


五階の図面を重ねた。同じ位置に、同じ厚さの壁があった。六階。あった。七階。あった。八階。あった。一階まで遡った。あった。


全階共通で、同じ位置に、構造上の理由がない三百ミリの壁が貫通している。


理帆はテーブルに両手をついた。心臓が速くなっていた。これは柱ではない。図面上、柱は別の位置に記載されている。配管シャフトでもない。シャフトなら内部に配管が描かれるはずだが、この壁の内部には何も描かれていない。空洞なのか、充填されているのか、図面からは読み取れない。ただ壁が厚い。一階から八階まで、建物を縦に貫く三百ミリの壁。柱でもなく、配管でもなく、構造壁でもない。名前のない壁が、ビルの中心近くを縦に走っている。


宮内はこれを見ろと言ったのだろうか。この壁のことを知っていたのだろうか。「このビル、前の担当のときもこうだった」——宮内がそう言いかけて口を閉じたことを思い出した。前の担当のときも。この壁は前からあった。三十二年前の建設時から。


全階の図面を重ねてライトテーブル代わりにタブレットの光を当てた。線が重なる。壁の線、窓の線、廊下の線。ほぼすべてが一致する。当然だ。各階同じ構成なのだから。そのとき——重ねた図面の線が、かすかにずれた。


ずれた、というのは正確ではないかもしれない。線が揺れた。タブレットの光に照らされた紙の上で、印刷された黒い線が一瞬だけ振動した。目の錯覚だろう。疲れている。日曜の午後に図面を睨みすぎた。


理帆は目を閉じて、三秒数えた。開けた。線は動いていなかった。印刷された図面が動くわけがない。


けれど今、確かに動いたように見えた。図面の上の線が、脈を打ったように見えた。理帆はプリントアウトを揃え直し、クリアファイルに入れた。明日、現場で確認する。あの壁を、自分の目で見る。自分の手で触れる。テーブルの上にタブレットの光が残っていた。理帆はそれを消した。

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