第1話ベジ・ヘリアルで魔界を蹂・林!
「まっくらで……なんだべ、この臭ぇの……」
鼻をつまみたくなるような淀んだ空気。足元はぬかるみ、どこかから呻き声のような風が吹きつけてくる。
――そのとき、太郎の頭の中に声が響いた。
『恐れることはありません。あなたの魂には、緑を育む力が宿っています』
「は、はぇ……?」
『あなたが育てし野菜はただの糧ではなく、世界を浄化する息吹でもあるのです。
植物は空気を吸い込み、澱みを取り除き、清き酸素を生み出す。
その力を想い描けば、この魔界の穢れも少しずつ晴れていくでしょう』
太郎が両の手を合わせるように祈ると、土から芽が吹き出した。
みるみるうちに葉は開き、ぶ厚い緑が茂る。
するとどうだろう――さっきまで鼻を刺していた悪臭が薄れ、代わりに青葉の爽やかな香りが漂い始めた。
「おおぉ……ほんとにくせぇの消えただぁ……!」
『ええ。そして――あなたにはもうひとつの使命があります』
「ま、まだあるのかぁ?」
『はい。あなたの育てた野菜には、戦士の魂を宿すことができます。
それはエインヘリアル――死せる戦士の魂を新たな肉体に与える秘儀。
あなたの場合、それが“野菜”なのです』
「野菜に……戦士の魂を?」
『そう。呼びなさい――ベジ・ヘリアルを。
あなたと共に戦う、緑の兵士たちです』
淀んだ空気を一掃し、澄んだ風が吹き込んだその時――太郎の足元の土がぶるりと震えた。
緑色の芽がむくむくと盛り上がり、やがて丸々とした球体を形づくる。
「こ、こりゃ……キャベツだべ!」
――だが、ただのキャベツではなかった。
葉の隙間から淡く光が漏れ、外葉ががばりと開く。すると、そこからのそりと人型に伸び上がるように葉が重なり、厚く丈夫な盾を形づくったのだ。
『……我はキャベツの盾兵。主の命に従い、この身を盾とせん』
その声は低く、どこか武人の響きを持っていた。
「しゃ、しゃべったぁ!? キャベツがしゃべっただぁ!」
太郎が驚く間もなく、闇の奥からずるりと這い出る魔界の獣影。骨ばった腕を振り上げ襲いかかってきた。
「わ、わぁぁっ!」
ドガァァンッ!
だが次の瞬間、キャベツの盾兵がその巨腕を真正面から受け止めた。
分厚い葉の盾はビクともしない。それどころか――
バシュッ! バシュシュッ!
外葉が次々とはじけ飛び、巨大な盾片となって獣の頭部を連打する。
「おぉぉぉ!? キャベツの葉っぱが大剣並の威力だぁ!」
ぶ厚い葉の一撃は鉄をも断ち切る鋭さ。怪物はうめき声を上げ、ずしりと倒れ込む。
『主よ、我らはただの野菜にあらず。魂を宿した兵、ベジ・ヘリアルなり。』
「すっげぇぇぇぇ……!」
その光景に太郎は目を丸くした。
そして心の中に、女神の声が再び響く。
『キャベツの盾兵は始まりにすぎません。
トマトは弓兵となり、自らを飛ばして敵を射抜く。
スイカは銃兵となり、種を弾丸に撃ち出す。
そしてきゅうりは槍兵となり、己の細き身を槍に変えて敵を薙ぎ倒すのです。』
「ま、まさか……オラが育ててきた野菜が、こんなに心強ぇ仲間になってくれるなんて……!」
彼は拳を握りしめた。
キャベツの盾兵が背後に立ち、魔界の闇に向かってずしりと構える。
その姿は――大地から生まれた緑の戦士そのものだった。
次なるベジ・ヘリアル――トマトの弓兵は、初矢を放った途端に戦場の空気を変えた。
ズバァンッ! ドシュシュゥゥッ!!
真紅の果実が次々と弾け、獣どもの群れに降り注ぐ。
「ぐぁっ……目が、目がァァ!」
「くっせぇ……すっぱっ! なんだこれ、目も開けられねぇ!」
敵が悲鳴を上げると同時に、酸味を帯びた果汁の雨が広がり、戦場はたちまち赤の泥沼と化した。
魔物たちは足を取られ、ぬるぬるの大地で滑って転び、互いにぶつかり合う。
「お、おお……こりゃまるで村のトマト祭り……!」
だが太郎の記憶にある村祭りの比ではない。
トマト弓兵は群れとなり、実を投げ、枝からちぎり、投げ合いすら始めていた。
味方同士でぶつけ合い、はじけ飛んだ果実がさらに敵に降り注ぐ。
誰が狙ったのかも分からぬほどのカオス。
だがその無秩序が、逆に敵陣を混乱に陥れていく。
赤、赤、赤――
全てが真紅に染まり、獣も兵も区別がつかぬほど。
『これぞ祭礼! 戦は祭りなり!』
弓兵たちは歓声を上げながら、なおも自らを弾き飛ばしていく。
その声は祈りの歌にも似て、血煙ではなく果汁の香りが満ちていく。
「こ、混沌だべぇぇぇぇ……!!」
太郎は呆然と立ち尽くしながらも、胸の奥に熱を感じていた。
命を削る自己犠牲。
だが、その散り様は祭りの如く明るく、楽しげですらあったのだ。
トマトの祭りが赤く弾ける戦場の、その奥。
ズシン……と重い音を立てて、緑の巨躯が現れた。
丸々とした玉に太い腕、そして――胸の中心には、棒状の鉄筒が無理やり突き刺さっていた。
「な、なんだぁ……!? でっけぇスイカ……」
――いや、それは兵であった。
両腕で機関銃のようにその筒を抱え、黒々とした種を装填している。
『……我はスイカの機銃兵。弾帯は不要、無尽の種をばら撒く者なり』
グワァンッ!
次の瞬間、筒の奥で果肉がどろりと潰れ、圧縮され、種が自動的に送り込まれていく。
――ダダダダダダダダダダッ!!!
乾いた連射音と共に、黒い種が嵐のように吐き出された!
敵の影は次々と穴だらけになり、赤い祭りに黒い弾幕が重なって、戦場はさらに狂気の色を増していく。
「な、なんつう火力だべ!! 弾帯もいらねぇ、撃ち放題だぁ!!」
スイカ機銃兵は止まらない。
果肉が潰れれば潰れるほど、次の種が現れる。
果実の中はまるで弾倉、無限の供給源。
『喰らえ、無尽の果実弾幕――ッ!』
バリバリバリバリッ!!
赤の泥、黒の嵐。
敵も味方も、トマト汁とスイカ果汁とでぐちゃぐちゃに濡れ、戦場はもはや果物屋の大爆発のようだった。
「……オラぁ、野菜を愛してるってだけで……なんでこんな阿鼻叫喚に立ち会ってんだべ……!?」
太郎は頭を抱えながらも、口元には笑みが浮かんでいた。
彼の心に――野菜たちの勇ましさが、確かに刻み込まれていったからだ。
赤の祭り(トマト)、黒の弾幕。
戦場が果汁と混沌に沈むその中で――ひときわ鋭く、すらりとした影が立ち上がった。
「おぉ……きゅうりだべ!」
それは細身の緑。
だがただのきゅうりではない。
長槍のごとき直線の体を構え、兵士のように背筋を伸ばしていた。
『我はきゅうりの槍兵。
己が身こそ刃、己が命こそ突貫の証――』
宣言と同時に、きゅうりは地を蹴った。
――ズガァァァンッ!!!
まっすぐ、迷いなく。
その体は巨大な槍となり、獣の群れをまとめて貫き通した。
ぬるぬるとした果汁が血のごとく飛び散り、敵を滑らせ、さらに突貫の道を開く。
「ひぇええ……きゅうりが……自分の体で薙ぎ倒してるだぁぁ!」
突き、突き、突き。
ただひたすらに一直線。
槍兵は盾兵のごとく守ることもなく、弓兵のように祭ることもなく、機銃兵のように乱射することもない。
ただ己の身を削り、敵を穿つことだけに命を捧げていた。
『突撃……突撃……突撃……!』
その姿は、戦場の中で最も純粋で、最も痛ましい。
太郎の胸が締めつけられる。
「……ごめんな、きゅうり……。オラのために……」
だが、槍兵は振り返らない。
その背は真っ直ぐで、潔くて、そして美しかった。
赤が舞い、黒が降り、緑が貫く。
魔界の荒野は――今や「野菜の戦場」と化していた。
キャベツの盾が唸り、トマトの赤が弾け、スイカの弾幕が降り注ぎ、きゅうりの槍が突貫する。
圧倒的な緑の兵たちに蹂・林され、魔界の獣どもは叫び声を残して消えていった。
戦場には、果汁と魔物の骸とが散らばっている。
甘酸っぱい香りと、血の臭いが混ざり合った異様な匂い。
太郎はその中心に立ち尽くしていた。
「……オラ……やっちまっただ……」
愛する野菜を戦わせてしまった。
本当は食べ、育て、慈しむものなのに。
彼らを兵器に変え、敵を蹂・林した。
胸に刺すような痛みがある。
なのに――
ドクン、ドクン。
心臓は高鳴っていた。
全身を駆け巡る熱は、恐怖ではない。
まして後悔でもない。
「なんでだべ……? こんな……いけないことしてるはずなのに……」
自分の力で、世界を変えられる。
命を削る野菜たちと共に、強大な魔を打ち払える。
その事実が、抗いがたい悦びとなって胸を焦がしていた。
「……オラ、なんでこんなに……ドキドキしてんだべ?」
太郎は知らなかった。
それが「戦う喜び」という、新たな扉を開いてしまった瞬間であることを。