山中湖ワカサギドーム編 第7話 圭介ボウズ回避
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
時刻は午後2時。
船内にアナウンスが響く。
「午後2時30分にアンカーを上げ寄港、午後3時に下船となります。よって釣りは午後2時30分までとなります」
──終わりの鐘である。
「まずいよお兄ちゃん!あと30分で釣り終了になっちゃうよ!」
愛生が圭介の肩をガシガシ揺さぶる。
「だ、大丈夫……たぶん……」
震える声の圭介。
穂乃花はにこり。
「大丈夫です。お兄さんなら釣れますよ」
励ましているつもりなのに、圭介には圧が重い。
その時──
ピク…ピク…
竿先が動いた。
「き、きたーっ!」
圭介、全神経を指先に集中し、渾身のアワセを入れる。
しかし。
スカッ。
「あれ……のらなかった……」
虚空を切る圭介のアワセ。まるで幽霊にパンチしているような空振り。
穂乃花が控えめに首を傾ける。
「お兄さん、アワセが少し遅いかなぁ〜って……」
図星である。
なぜなら圭介の運動神経は地球最低ランク。
もし“逆オリンピック”なる大会があれば、日本代表に選ばれ、むしろ金メダルも狙えるレベル。
ワカサギにすらタイミング負けする圭介。
残り時間はあとわずか。
プレッシャーと情けなさで、心臓はドラムのように鳴り続けていた。
再び竿先がピクッと動く。
今度こそと圭介、瞬発的にアワセ!!
「のった! 今度こそ!!」
ガッツポーズしながらリールを巻く――が、無意識に高速巻き。
「えっ……!?」
ブツッ。
バレた。
「巻きが早すぎると、小さいワカサギは口が切れちゃうかも……」
穂乃花、心配そうに控えめアドバイス。
残り時間、あと5分。
そこで立ち上がる明宏。
「圭ちゃーーん! がんばれーー! 絶対1匹釣ってボウズ回避だーー!」
その声につられて、周りの釣り客まで
「がんばれー!」
「あと少しだよー!」
船内、謎の応援ムードに包まれる。
でも、釣り客同士のヒソヒソ声も聞こえる。
「え……あの人、まだ1匹も釣れてないんだって」
「うっそ〜〜」
(明宏ォォォ!! 余計な盛り上げすんな!! 恥ずかしさで死ぬって!!)
そんな怒りと羞恥で脳がショートしかけた瞬間、竿先がまたピクピク。
圭介、渾身のアワセ!!!
慎重に……慎重に……今度は超低速巻き……!
「やったぁぁぁ釣れたぁぁぁーー!!」
船内総立ちの大注目。
しかし釣れたのは――
ワカサギではなかった。
メダカみたいに小さくもなく、ワカサギでもなく、
なんかこう……ハゼっぽい……ヌマチチブであった。
「おめでとう!!!」
まさかの大喝采。
明宏&武士はスタンディングオベーション。
花音も「とりあえず」の拍手。
愛生と圭介は勢いでハイタッチ。
穂乃花は圭介の手をギュッと握って、
「お兄さん、おめでとうございます!」
(う、嬉しい……けど……これでいいのか俺の釣果……!?)
複雑な喜びの中、ふと里香と目が合う。
「ダッサ」
氷点下のひと言。
圭介、心に深いダメージ。
祝福ムードから一瞬で奈落へ突き落とされるのであった。
奇跡のヌマチチブ1匹を釣り上げ、
もはや英雄なのか戦犯なのかよく分からない空気の中、
ドーム船はゆっくりと寄港した。
先に下船するのは里香たち女子チーム。
続いて明宏、武士。
そして最後に、胸を張るべきか、うつむくべきか分からない主人公・圭介が下船した。
湖畔には、まるで帰還した漁師を出迎える港町の住民のごとく、
ずらりと白鳥たちが待ち構えていた。
「わあ、白鳥かわいい〜!」
愛生が目を輝かせ、穂乃花も「わぁ〜」と声を上げる。
白鳥たちは人の気配を察してスイスイと近づいてくる。
その姿は優雅だが、くちばしの動きは完全に“餌モード”。
「お腹すいてるにょんね〜」
花音はカバンをガサゴソ。
――チャリ…チャリ…
出てきたのは、まさかの 残っていたブドウパン。
ちぎってポイッ。
白鳥「パクッ」
花音「にょん♪」
その光景を見た圭介の心に走る衝撃。
(えっ……ブドウパン残ってたの……?
俺……紅茶しか飲んでないんだけど……?
ブドウパン……食べたかった……)
胃袋の奥から、音声付きの圧倒的空腹感が湧き上がる。
グゥゥゥゥ……。
(こんなに空腹なのに……。
いや、でも今日はみんな楽しめてよかったし……
俺は我慢する大人の男……のはず……)
しかし次の瞬間、別の欲望が顔を覗かせる。
(でも……腹減った……。
吉田うどん……食べたい……!
あのコシの強いやつ……ネギ多め……肉うどん……!)
白鳥がパンを食む音が、圭介には「ズルい」という言葉に聞こえてくる。
パク、パク、パク――。
(白鳥、いいな……)
そんな圭介の心の叫びとは裏腹に、
愛生と穂乃花は白鳥と戯れ、
花音はブドウパンをあげ続け、
里香は遠くでスマホを構え、
明宏と武士はヌマチチブ話で盛り上がっている。
圭介だけが、静かに空腹と戦っていた。
――でもみんな楽しんでくれたし、それでいい。
そう思えるだけ、成長したのかもしれない。
(……でもマジで吉田うどん食べたい)
圭介の今日一番の“本気の願い”が、富士山の麓へと消えていった。
空腹ゲージMAXの圭介。
「……あぁ~ダメだ。お腹空きすぎた……」
その弱々しい独り言は、冬の湖畔の風に虚しく消え、誰にも届かない。
みんなが荷物をまとめて車に乗り込む中、圭介だけは“腹ペコ地獄”に落ちていた。
エンジンをかけながら、圭介は心の中で叫ぶ。
(よし、ここはドライバー権限! うどん屋に誘導だ! 吉田うどんだ! いくぞ俺!)
意を決して口を開きかけた、その瞬間――
「じゃ、道の駅でお土産買って帰りまーす」
と、助手席の里香が軽い口調で宣言。
「はーい!」
と、後部座席から元気よく返事する5人。
圭介の頬がピクッと引きつる。
(俺の……うどんが……)
ハンドルを握る手から希望がスルッとすべり落ち、肩はゆっくりと落下していった。
そして到着した道の駅。
キラキラな目で土産物を見て回る女子たち。
カゴにどんどんお菓子と雑貨を放り込む明宏と武士。
一方、圭介はというと――
(腹、減りすぎて……逆に意識が冴えてきた……)
完全にゾンビ化。
もう限界だと悟った圭介は、ふらふらと里香のもとへ近寄り、
「ねぇ~ねぇ~里香ちゃん……道の駅のレストランで……何か食べませんか……?」
潤んだ瞳で懇願する圭介。
しかし里香は振り向きもせず、
「ダーメ。ディナーはもう決めてあるから。」
と、冷たく切り捨てる。
「えっ……俺……何も聞いてないんだけど……?」
圭介は完全に置いてけぼり。
実は今回のワカサギ釣りプランは、部室での話し合いで決まったもの。
圭介はただの“送迎係”だったのだ。
(送迎の俺に、食べる権利は……ないのか……?)
そう思うと涙が出そうになる圭介。
今日の圭介の戦いは、
ワカサギではなく
――「空腹」との闘いなのであった。
女子チームの買い物は、まるで迷宮探索のように長い。
ベンチに沈みながら虚空を眺める圭介、明宏、武士の3人。
午後3時に下船したのに、気づけば空は夕焼け色――。
「お待たせ〜」
ようやく戻ってきた愛生、花音、里香、穂乃花。
それぞれの手には戦利品(主に甘いもの)。
「では、これから ほうとう屋 に向かいます」
里香の一声で、穂乃花・明宏・武士の3人は同時にニコッと笑う。
(完全に“勝ち組の顔”)
その横で、
「御殿場の かろやかハンバーグ 食べたかったなぁ……」
ぽそっと呟く愛生。
「ハンバーグにょん……」
花音も便乗して呟く。
圭介は、すぐに悟った。
――なるほど、多数決で
里香・穂乃花・明宏・武士 → ほうとう
愛生・花音 → ハンバーグ
の構図だったわけか。
そりゃ2人は敗者、わざわざ俺の横で呟くのも当然だ……。
(連れて行けってアピールなんだよなぁ〜)
察しの良い圭介は、すぐに2人へ向き直る。
「よし、じゃあ……今月中に ハンバーグサーベルタイガー 行こうね」
「ほんと!?」
ぱぁぁっと光る愛生の顔。
「サーベルタイガーにょん!!」
花音もテンション MAX。
こうして、優しい圭介はハンバーグという名の小さな平和を取り戻したのであった。
一行はほうとう大作に到着し、店先からもう湯気が立ち上るような香りに包まれた。
寒さでキュッと縮こまった身体が、暖簾をくぐるだけでホッと緩む。
席につくと、みんなそれぞれ好みのほうとうを注文した。
かぼちゃ多め派、きのこ盛り盛り派、肉増し増し派……と、まるでほうとう会議だ。
ほどなくして――。
「お待たせしました〜」
ジュゥ〜ッと湯気が立つ土鍋が次々到着。
テーブルが一瞬でほうとうの温泉地と化す。
「わっ、アツアツだ〜!」「見るだけで温かいね」
そんな声が自然とわき上がり、みんなの顔が明るくなる。
愛生はフーフーしながら麺をつまんで、
「おいしい〜っ」ととろける笑顔。
花音は湯気で前髪がふわっと膨らみ、
「にょんにょん、身体にしみるにょん」と幸せそう。
穂乃花はほわほわ顔で「冬にほうとうって最高ですね〜」と頬をゆるませ、
里香は「この味噌、好きだわ」としれっと大人なコメント。
明宏と武士は、なぜか早食い勝負になりかけて里香に即座に止められた。
そして圭介はというと──
みんなが湯気の中で笑っているのを静かに眺めていた。
(あぁ……疲れるけど、俺は兄で良かったな)
熱々のほうとうよりじんわりと温かい気持ちが胸に広がる。
頼るよりは、頼られる方がいい。
面倒を見るのは大変だけど、
この笑顔たちが自分を必要としてくれるなら、それでいい。
(妹の愛生と弟の明宏、いとこの花音、そして周りの子たち……みんなの笑顔が俺の幸せなんだよなぁ)
ほうとうの湯気の向こう、
圭介は満足そうに微笑んだ。
――今日も、いい一日だった。




