山中湖ワカサギドーム編 第4話 山中湖へ出発だ
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
金曜の夜。
ピンポーン、と鳴り響くチャイムと同時に、
里香と穂乃花が荷物を抱えて登場した。
「おじゃましまーす」
「今日から合宿よ。気合い入れていくわよ、愛生ちゃん」
と、すでに女子会モード全開。
翌日の山中湖ワカサギ釣りに備えて、
前日からお泊まりするのはもはや恒例行事。
自然と、女子4人のワチャワチャした声が家中に響き渡る。
リビングでは—
愛生「見て見てこの羊さんパジャマ〜」
花音「にょん、それ可愛い〜。花音の天使ジャージも負けてないにょん」
里香「この前買ったチャームがね——」
穂乃花「わ、わぁ…みんなテンション高いねぇ…」
そしてその横で、
圭介と明宏の居場所は1ミリもない。
明宏はいつものように雑に笑って過ごせるが、
圭介は違う。
(里香ちゃん……今日こそ話しかけたい……
せめて1フレーズでいいから会話したい……!)
心の中でそっと手を伸ばすが、
目の前には “女子トークという名の鋼鉄の城壁”。
近づく者を一切寄せ付けない圧倒的なオーラ。
— 完全敗北。
圭介はそっと肩を落とし、
「明日は運転手だし…もぉ寝よ……」
と、寂しく自室へ退散。
その背中は、
ワカサギよりも遥かに儚い光を放っていた。
明宏はというと、
「けいちゃん、ドンマイ」と笑いながらアイスを食べていた。
こうして、ワチャワチャ女子会の夜は賑やかに続き、
男2人はひっそりとフェードアウトするのであった。
午前2時。
家中のスマホが一斉に震えるように、圭介、明宏、愛生、花音、穂乃花、里香が順番にムクリと起床した。
「よし、みんなー! 山中湖へ出発するぞ〜!」
眠気をごまかすように張り切る圭介。
「けいちゃん、武士迎えに行かなくちゃ」
明宏が当たり前のことを当たり前に言う。
「……やべ、完全に忘れてた」
圭介は即死級のミスに青ざめ、慌てて上着を羽織った。
その頃。
武士は自宅前の暗がりに、1人たたずんでいた。
12月の深夜。指先がかじかむほど冷え込む中、胸ポケットから“タバコっぽい何か”を取り出して、口にくわえる。
カチッとライターを点ける真似だけして、
「ふ〜……」と白い息を吐き出す。
自分の吐いた息を煙と信じ込み、
「今日の俺……かなり渋くね? 勇者って感じだよな……」
と自画自賛しながら、うっとりする武士。
だがその正体は、ただのココアシガレット。
しかも当然、火なんてつかない。
白い煙に見えるのは、ただの冷気である。
不良ぶりたい願望だけが空回りし、
実際の武士は、酒もタバコも無縁で、
ココアシガレットとオレンジジュースを愛する平和な勇者であった。
その勇者を、圭介はまんまと忘れていた。
圭介のワンボックスカーは静かに武士の家の前へ停まった。
街灯に照らされて仁王立ちする武士は、こちらに気づくやいなや――
「オォォォーーッ!!」
片手を天に突き上げ、そのままヒーローの変身ポーズへ。
最後にクルッと一回転してから、
「おはようございます」
と、妙に礼儀正しく挨拶した。
(いや、俺はどのテンションで返せばいいんだ…)
と圭介は朝から困惑の極み。
武士を穂乃花の隣に座らせると絶対に中二病が炸裂するのは全員が知っているため、迷わず2列目の明宏の横へ押し込む。
愛生・穂乃花・花音は3列目にまとまり、運転席は圭介。助手席には、当然のように里香が腰をおろす。
「ドーム船の予約取ったの私だから。助手席でちゃんとナビするからね」
そう言いながら、里香は慣れた手つきでカーナビの目的地を設定していく。
「えっ、何?どこ行くの?」
圭介が聞き返すと、
「もっと近くで画面見てよ。ほら」
里香は圭介の腕を軽く引き寄せた。
寄る圭介、覗き込む里香――
近い。めちゃくちゃ近い。
距離がゼロになりそうでならない“ギリギリのドキドキ空間”が車内に発生。
「最終目的地はここ。わかった?」
微笑みながら、わざと距離を保って覗き込む里香。
(くぅ…可愛すぎる…!)
圭介のテンションは早朝3時にして最高潮。
――男、圭介。
今日一日、里香のために燃え尽きる覚悟である。
(よし、これで今日の圭介は完全に私の言いなりね…チョロい)
と、里香は心の中で冷静にチェックを入れていた。
車は高速を駆け抜け、富士五湖道路へ。
濃紺の夜が少しずつ白み始め、山々のシルエットがくっきりしてくる。
やがて遠くに、のっぺりとした地形に広がる山中湖が姿を現した。
芦ノ湖のような険しさはなく、巨大な鏡を地面に置いたみたいなスケール感だ。
「はい、ここ寄るよ〜」
と里香の指示で湖畔のコンビニへ立ち寄り。
女子たちは容赦ない。
おにぎり、サンドイッチ、ドリンク、スイーツ――
お菓子を大量に持参してきたはずなのに、また食料を買い足す。
(そんなに食うのか……?)と圭介は心の中でだけ呟く。
口にしたら怒られそうだから。
そしてドーム船受付へ到着。
乗り込んだドーム船の中は、外の寒さとは別世界。
ほんのり暖かい空気がふわっと包み込んでくる。
床には等間隔に“蓋”が並んでおり、開ければ即ワカサギ釣りができる仕様。
そして想像より遥かに広い。
「ドーム船って、船内が広いね」
圭介が隣の里香にぽつり。
「なるべく広い船を予約したの。狭いとみんな嫌でしょ」
当然のように淡々と返す里香。
「流石里香ちゃんだね」
圭介が素で感心すると、
里香はただ、こくりと静かに頷く。
それだけなのに、えげつないほど破壊力がある。
(はぁ〜可愛すぎる……)
圭介は心の中で静かに昇天した。
――そして今日も、里香ちゃんの一挙手一投足に翻弄されながら、
圭介の長い長い一日が始まったのであった。
ドーム船の座席争奪戦は、ある意味ワカサギより熾烈だった。
穂乃花の隣に腰を下ろす未来を夢見て、武士はキリッとした顔で席の前に立ち塞がる。
その目は小動物を狙う野生の肉食獣――のつもりだが、実際はただの震える小鹿。
「俺は穂乃花を守る勇者だ。ここに座る運命なのだ!」
武士が胸を張ると、
「はいはい、勇者はこっち。」
と、明宏が無言の圧力で武士の肩を掴み、スッ…と自分の横へ引きずっていく。
あまりに自然な動作で、武士も一瞬何が起きたか理解できていない。
「な、何故だゴブリン明! 勇者の使命を妨害する気か!」
「お前、穂乃花の隣だとテンパって釣りにならないだろ。
昨日から頼まれてんだよ、あいつを守れって。」
明宏は小声で圭介にだけ聞こえるように言う。
守りの報酬は“Bコンタクトミノー”。
明宏はそのために全身が使命感に満ちている。
「この裏切り者ぉぉ……! 勇者の怒りが天をも――」
「はいはい、座れ。ほら竿しまえ。」
あっさり流され、結局明宏の横にちょこんと座る武士。
不満げにブツブツ文句を言うが、行動は従順そのもの。
一方、穂乃花はというと、
「えっと……ごめんね武士くん……」
と、申し訳なさそうに苦笑い。
だが武士はその笑顔だけで即座に沈黙し、顔を真っ赤にして固まった。
心の中で (姫が俺に謝った……神イベ……) と昇天寸前。
こうして、ドーム船の座席配置は――
圭介(運転明けで眠い)・里香(完全に主導権)花音・穂乃花・愛生(女子会ブース)
明宏(防波堤)・武士(安全に隔離)
の順番に横並びという完璧な布陣が完成したのであった。
ドーム船がエンジン音を響かせて滑り出す。
すると同時に、船内ではタックルセッティング戦争が始まった。
圭介、愛生、花音、明宏の4人は、
釣具屋で“とりあえず買った”感丸出しの安竿に、
いつものスピニングリールを合体。
さらに落下防止のクルクル伸びるコイルストラップを付けて、
見た目だけは玄人風。
「俺はミスリルナイフだーッ!」
と、レンタル竿を掲げて吠える武士。
誰も反応しない。
ドーム船の暖房が効きすぎているせいではなく、
ただ単にスルーされているだけである。
そんな中、里香がパソコンのマウスみたいな丸い物体を取り出し、
隣の穂乃花へすっと差し出した。
「はい、ワカサギタックル貸してあげるね」
穂乃花の手のひらにちょこんと乗った丸い物。
愛生も花音も、同時に首を傾げる。
「里香ちゃん……電動リール持ってるんだ……」
圭介の驚きは本物だった。
丸いその物体は、噂に聞くワカサギ専用電動リール。
スイッチひとつで仕掛けの上げ下げができる文明の利器だ。
「えっ、すご……」
「本格的にゃ……」
「里香ちんプロ?」
3人の女の子から同時に感嘆の声があがる。
にもかかわらず、武士だけは――
レンタル竿を“ミスリルナイフ”と信じ切り、
ひとり中二の世界で無敵状態。
こうして、ドーム船でのワカサギ釣りバトルは、
なんともカオスな準備風景からスタートするのであった。
ドーム船がポイントにぴたりと止まり、アンカーが落ちる音が船底に響いた。
圭介がふと窓の外を見ると、朝日に照らされた巨大な富士山がどっしりと姿を見せていた。
「ねぇねぇ里香ちゃん、富士山綺麗だよ!」
食い気味に話しかける圭介。
「うん、知ってる。」
即答、無表情、塩味100%。
圭介のテンションが秒速で氷点下へ沈む。
そこへ船内スピーカーからアナウンスが鳴り響く。
『ポイントに到着しました。餌を付けてそのままお待ちください。
アンカー固定後、釣り開始となります』
その声が終わるや否や、全員がいっせいに仕掛けの袋へ手を伸ばす。
「ついに始まるんだねっ!」
愛生がキラキラした目でエサを取り出す。
「ワカちゃん待ってるにょん!」
花音はテンション高め。
「ふむ、今日の俺の運勢は“釣果・大吉”だ。」
明宏はなぜか占い師のような口調で自信満々。
「穂乃花ちゃん、さっきの電動使い方わかる?」
里香がさらっとフォローを入れる。
穂乃花はうんうんと頷きながら、まるで可愛いロボットのように電動リールを覗き込む。
ただひとり、武士だけは別世界にいた。
「ふっ……ミスリルナイフよ、我を導け。」
レンタル竿を両手で構え、明らかに“釣りじゃない何か”が始まっている。
誰も突っ込まない。
もう全員慣れているからだ。
こうして、山中湖ワカサギ戦線が静かに幕を開けた。




