山中湖ワカサギドーム編 第2話 ワカサギタックルと武士
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
■帰宅後・圭介、今日も“足”として酷使されるの巻
その日の夕方。
愛生、花音、明宏の三人は、玄関に入るや否や靴も揃えずダダダッとリビングへ突撃した。
「お兄ちゃ〜ん!12月は山中湖ドーム船ワカサギ釣りに決定したから、運転手よろしくね〜!」
玄関の向こうから聞こえる、当然という概念を超えた“既に決まってる宣告”。
当たり前のように頼みごとではなく“決定事項”。
それが愛生スタイル。
続いて花音が、 「よろしく頼むにょん、お兄ちゃん♡」
と笑顔でウインク。
……え?
圭介、その一撃で普通の兄なら天に召される。
しかし圭介は違う。
むしろ喜んでしまう“兄の鑑”である。
――なお、この二人、圭介に対して「お願い」なんてしない。
圭介=車
圭介=運転手
圭介=長男という名の移動手段
という認識がすっかり確立されていた。
もはや長男圭介、ただの“足”でしかないのである。
それでも圭介本人は――
(……嬉しいんだよなぁ)
と胸の奥でしみじみ思ってしまうのが悲しいほどに優しい。
「近い将来、きっと妹たちと一緒に出かけることも減るんだ……。兄離れするその時まで、俺にできることはしてあげたい……!」
と勝手に青春ドラマを始める圭介。
だがそこでふと気付く。
「……てか、山中湖ドーム船ワカサギ釣りって何?」
未知の単語に兄は困惑。
すると愛生が胸を張って、
「だいじょうぶ!みんなで調べるから!
お兄ちゃんは運転してくれればいいの!」
花音も隣でコクコクと頷きながら、
「そーだにょん、お兄ちゃんは走ればいいにょん♪」
……もはや完全に“人間タクシー”扱いであった。
「やっぱり俺は…足かぁ〜……」
と呟く圭介だが、どこか嬉しそう。
(ま、妹が喜ぶなら……いいか)
そう思ってしまう自分が、またちょっと切ない。
――こうして“兄=足問題”は、今日も平和に解決したのであった。
週末。
圭介、愛生、花音、そして明宏の4人は、街の大型釣具屋へとやって来た。
■ちょい説明
山中湖のワカサギ釣りは“ドーム船”と呼ばれる暖房完備の船内で行うスタイル。
トイレ・電子レンジ・ポット完備、暖かぬくぬく。
床にあいた穴から短い竿でワカサギを狙う、いわば 文明の力でぬくぬくフィッシングである。
──説明終わり。
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■そして釣具屋シーンへ
「お兄ちゃん、ワカサギ竿買うよ~♪」と愛生がウキウキ。
「里香ちんとの写真いっぱい撮れるにょん」と花音はSNS妄想モード全開。
圭介は
(ま、今日は運転手じゃなくてただの財布なんだけどな…)
と、もう達観の境地。
そんな中──。
■明宏がいない。
「明くんどこ行ったの?」
「また迷子になったにょん?」
「いや、あいつは迷子にならんタイプだろ…」と圭介。
しかし答えは簡単だった。
■ネイティブトラウトコーナーにいた。
案の定、スプーン・ミノー・メタルジグの前で腕組みして悩んでいた。
「……メタルジグって、どうやって使えばいいんだ?」
「……俺も知らねぇな~」と圭介も同レベル。
「ネット動画では丘っぱりより船で使ってるイメージなんだよな」
「そうそう。確かに岸から投げる動画もあるけど……9割船だよな」
明宏、キラキラした目で圭介を見る。
「……船……欲しいな……」
圭介
(来た。絶対この流れで“船舶免許取って、魚探買って、船買おうよ”の三段活用来るやつ……!)
と内心で警報アラームが鳴る。
危ねぇ。止めねば。
「はい話終わり! 今日は山中湖のワカサギだろ!
ほらワカサギコーナー行くぞ!!」
「え~、メタルジグ……」
「帰りにまた見ていいから! まずワカサギ!」
若干ふてくされた明宏を、圭介は肩を押してワカサギコーナーへ連行。
後ろで愛生がクスクス笑っていた。
「明ちん、ほんと魚のことだけだにょん」
花音は呆れながらも笑っていた。
こうして4人はようやく目的のワカサギコーナーへと向かうのであった。
◆ワカサギコーナーに到着した兄妹+明宏
釣具屋の奥、ワカサギ用品の棚に到着した圭介、愛生、花音、そして少し不服そうな明宏。
「……短っ!!」
三人(圭介・愛生・明宏)が、並んだワカサギ竿を見て同時に叫ぶ。
手に取るとさらに短い。まるで孫の手レベル。
「こんなの釣り竿って言うの?」と愛生。
「歯ブラシの方が長そうにょん」と花音。
「まあ、ドーム船の穴に落とすから短くて当然なんだけどね……」と圭介が頬をかきながら説明する。
しかし、そんな常識は明宏の脳には届かない。
明宏はすでに、ワカサギコーナーにぽつんと混ざっていた“やけにカッコいい高級ワカサギ用ベイトロッド”を見つけてしまっていた。
しかも、同シリーズのベイトリールまで見つけてしまった。
「これ……めっちゃカッコよくない?」
明宏はキラキラした目で、竿とリールを抱え、買い物かごへ入れようとする。
その瞬間、
「入れるなっ!」
ピシャッと圭介の制止が飛ぶ。
まるで不良の万引きを防止するスーパーの店員レベルの速さ。
「なんでだよ!かっこいいのに!」
「高い!!理由はそれだけだ!!」
圭介の即答。迷いゼロ。
「ワカサギなんていつものスピニングリールで十分なんだよ。これにしろ、お前は。」
圭介が指さす先には、棚の一番下でひっそりと並んでいる 980円のワカサギ竿。
色は地味。見た目は地味。存在感も地味。
でも、安い。圧倒的に安い。
「ええ〜〜〜……ベイトの方が絶対カッコいいのに……」
「だから高いんだっての。竿とリール両方買う気か?
スピニング付け替えれば済むの。ほら、安いからこれ。」
愛生も横からひょこっと顔を出し、
「うん、愛生も1番安いワカサギ竿でいいよ」
花音も続く。
「かにょんは、どれでもいいにょん。可愛い写真が撮れれば。」
圭介が畳み掛ける。
「明、ワカサギに必要なのは性能じゃなくて気持ちだ。気持ち。」
「そんな精神論聞きたくねええ……」
しかし、明宏は何かを悟ったかのように、ふっと竿を見下ろし、
「……わかったよ。安いワカサギ竿でいいよ。」
と、少し渋い表情で受け入れた。
その瞬間、すぐ横で圭介と愛生がしみじみとした顔になる。
「(明が……駄々こねてない……!?)」
「(成長した……!!)」
感動に震える兄と妹。
花音も感心して、
「明宏ちん、大人になったにょん。偉いにょん。」
明宏は照れ隠しでそっぽを向く。
「べ、別に……成長したとかじゃねえし……」
――だが、心の中ではちょっと誇らしく思っていた。
こうして、
兄と妹の温かい視線に包まれながら、
明宏は人生で初めて“安さを選ぶ勇気”を身につけたのであった。
放課後の鱒釣り部・部室。
「日曜日にワカサギ竿と仕掛け買って来たよ〜!」
愛生がドヤ顔で袋を掲げる。
「ふふふ、これで準備万端ね」
里香は推理小説の犯人みたいに意味深スマイル。
「里香ちん、ワカサギデート“なう”に使っていいよ! 写真撮るにょん!」
花音はすでに脳内で“カップルっぽい構図”を量産している。
「私、ワカサギ用の竿とか持ってないよ……?」
穂乃花が首をかしげると、
「大丈夫、私のを貸してあげるから」
里香は即答。頼もしさの権化。
部室はすっかり女子の“釣りガール座談会”と化し、
キャッキャと花が咲いていた。
明宏はというと、
(女子トーク? オレ関係ないし…)
と、気にもせずルアーの写真を眺めている。
※彼は“ガールズトーク圏外でも気にしない属性”である。
──しかし、武士だけは違った。
今回のワカサギ釣り。
もちろん、武士は誘われていない。
意地悪されたわけではない。
ただ、完全に……忘れられていただけである。
そう、モブキャラ。NPCキャラ。
影の薄さが彼のアイデンティティを浸食する。
しかし当の武士は、
(……オレだけ誘われてない……仲間外れ……!?)
と、全力で被害妄想スキルを発動。
ぷるぷる……
ぽろっ……
「うぅ……オレ……やっぱりいらない子なんだ……」
気づけば武士はスミっこで体育座りし、
涙の湖を形成していた。
女子たちの華やかな会話と、
ひとりの男子のメンタル大崩壊。
部室のスミっこで体育座りし、
「気付いてほしいアピール」を全身から放つ武士。
その必死さが逆に痛々しい。
里香は一瞬だけ視線を向けたが、
すぐに「面倒」と判断してスルー。
愛生はまったく気付かず、
明宏は普通に笑っている。
穂乃花は気配で察したものの、
声をかけると長くなる未来が見えてしまい、
そっと距離を取った。
「武士、泣いてる。キモいにょん」
と花音が容赦なく指差す。
「う、うるさい魔女め……! またみんなをたぶらかしたな……。
だが俺は勇者だ、お前の企みには屈しない……!」
言葉は勇ましいが、涙で台無し。
花音は大きくため息をつき、
「可哀そうだから、キモ士(武士)も連れて行ってあげようよ」
と肩をすくめる。
敵である“魔女”から慈悲を受け、
屈辱と喜びが同時に押し寄せる武士。
「……俺も行っていいの?」
と震える声。
「しょうがないから来ていいよ」
と里香が承諾。
その瞬間、武士は跳ね上がる。
「やったー!!」
勇者としてのプライドより、
ワカサギ釣りの参加権が圧勝するのだった。




