山中湖ワカサギドーム編 第1話 釣り納めはワカサギ釣り
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
午後のチャイムが鳴り終わるころ、野外活動鱒釣り部のメンバーたちはいつもの部室に集まっていた。
御殿場キャンプの余韻を引きずりつつも、外の空気はもう冬の気配だ。
「うう……さむっ。もう冬じゃん……」
愛生が手をこすり合わせながら部室に入ってくる。
「11月下旬なんだから当然じゃない?」
里香が部長らしく冷静につっこむ。
「はい、ではまず――御殿場の活動報告、掲示板に貼ってきました~」
穂乃花が書類をパン、と揃えながら微笑む。
「ありがと、穂乃花ちゃん」
里香が受け取りつつ、ふぅ、と息をつく。
「さて……今後の活動についてだけど」
里香が椅子に座り直すと、全員がなんとなくシリアスな空気に。
「…………冬キャンプは、やりません」
里香が即決トーンで宣言。
「えぇぇ〜! お鍋と焼きマシュマロ楽しみにしてたのに〜!」
愛生が机に突っ伏す。
「かにょん、里香と次の釣りガール写真撮りたかったにょん……」
花音が頬を膨らませ、上目遣いで部長を見る。
「……気持ちはわかるけど」
里香は肩をすくめつつ、静かに語り出す。
「極寒キャンプは、装備も足りないし……何よりあなた達が耐えられる気温じゃないのよ。私、昔お父さんに無理矢理連れて行かれて……もうあれは本当にトラウマなの。だから、やらないわ」
「そ、そうなんだ……じゃあ、うん、里香ちゃんが言うなら……」
極寒のイメージが全くない穂乃花は、早々に賛成。
「俺はどっちでもいいっす。釣りできないなら春まで寝てます」
明宏は心底どうでもよさそうにゲーム機をいじる。
そして――問題の男が立ち上がる。
「ま、待て! 穂乃花姫!!」
武士が突然ドンッと机に手をつく。
「ひっ!? な、なに……?」
穂乃花がびくっとする。
「姫との尊き愛を育む神聖な冬の試練――極寒キャンプを、我は前世より待ち望んでいたのだ! 寒さなど、勇者の前では無に等しい……!」
「えーと……武士くん、それは……」
穂乃花は苦笑い。
「……勇者でも凍死するわよ」
里香が冷静にバッサリ。
「かにょん、武士くんは脳みそ凍ってるにょん?」
花音が真顔で刺す。
「ふぇっ!? ま、前世の記憶が……!」
武士が胸を押さえ、膝をつく(妄想)。
「まぁまぁ……冬キャンプは無理ってことだよね?」
穂乃花がフォローしながらまとめる。
「そう。極寒キャンプも、冬のトラウトも、装備や安全面を考えて春までお休み」
里香が結論を言う。
「お鍋……焼きマシュマロ……来年までおあずけなのぉ〜」
愛生が涙目。
「かにょんの釣りガール写メもおあずけにょん……」
花音もちょっとガチ凹み。
「春になったらいくらでも撮りましょうね」
穂乃花が笑って二人をなでる。
「ま、春なら大物釣れるし別にそれでいいっす」
明宏は本当にどうでもいい顔。
「……姫……冬のロマンが……」
武士は1人、窓の外で散る枯れ葉を見ながら膝を抱え落ち込む。
「じゃあ決定ね。春まで課外活動なし。その間はミーティング中心で」
里香がまとめると、全員コクリと頷いた。
こうして、ゆるくて個性的な鱒釣り部の冬は――
静かに、そしてコミカルに幕を開けようとしていた。
放課後の部室。
冬の冷たい風が窓を揺らす中、ひときわ奇妙な静けさが漂う。
そんな中、ふいに穂乃花がぽつりと言った。
「武士くん」
珍しく “武士の名” を呼んだ穂乃花。
その瞬間、武士の背後に天使のトランペットが鳴り響く(妄想)。
「姫、お呼びでございますかッ!」
椅子から跳ね起きる武士。
その声量がデカい。
「そろそろ姫って呼ぶの止めようよ……恥ずかしいし」
穂乃花はもじもじ、両指をツンツン。
しかし武士にとっては言葉以上の意味を持って届く。
(姫と呼ぶな?
え、これはもしや、俺と穂乃花姫の距離が……
縮まったという啓示では!?)
脳内で運命の鐘がゴーンゴーンと鳴る。
「姫が望むなら、これからは……穂乃花、と呼ぼう」
なぜか誇らしげな武士。
その瞬間、空気が震える。
「ちょっと、呼び捨ては失礼でしょ?」
ガツン、と里香のツッコミが飛び、
武士の脳内に “魔王里香降臨ムービー” が再生される。
「出たな……魔王サタン里香……!」
妄想の中では戦闘態勢。
現実ではただガタガタしている。
「じゃあ、何と呼べばよいのか」
「普通に桜井さんでいいんじゃね」
と明宏が面倒くさそうに言う。
「桜井さんがいいと思うね〜」
愛生もにへらっと笑う。
花音は腕を組み、真紅の魔女らしく静観。
「じゃあ、こう呼んじゃおうかな……」
武士はもじもじしながら、顔を赤らめた。
そして遂にその名を口にする。
「ほのかちぃやぁ〜〜ん……デヘヘ……デヘヘ……」
部室、凍りつく。
里香「うわぁぁぁ……(ガチ引き)」
穂乃花「…………(フリーズ中)」
愛生「気持ち悪……」
明宏「(無表情)」
※ダメージすら受けてない
花音、「キモいにょんwwwwwwwwww」
そこから追撃のように、
「キショいにょん!!! ウケるにょん!!!!」
部員全員から、非難の集中砲火。
「名前くらい普通に呼べないの?」
と呆れながら眉をひそめる里香。
その言葉がトドメとなり――
「……ぐすっ……ひっく……」
最終的に武士、泣く。
穂乃花は困った顔でティッシュを差し出そうとするが
武士の号泣はさらに音量を増したのであった。
◆釣り吉さんぺい、部室を救う(?)
武士が完全に涙目でプルプル震えながら座りこむ――その瞬間だった。
部室のどこからともなく、ありえないほど情感たっぷりの歌声が響いてきた。
「人は誰でも〜未知の世界に〜憧れ〜旅に出るのさ〜、たったひとりでぇ〜」
(誰⁉ なに⁉ え? カラオケ?)
部員たちが顔を見合わせた、その時。
ガラァラァァァン!!
部室のドアが見事なまでの昭和演歌スタイルで開き、
●寺ノ沢先生(熱唱中)
●明宏(なぜか一緒に歌ってる)
◆寺ノ沢先生、謎の乱入
「さぁ、明宏くんも一緒に!」
先生が腕を掲げると、明宏もなぜか自然にハモっていた。
「時に人生〜悲しみにぶつかり〜
時には青春〜霧の中さまよい~~」
(なにこの息ぴったりデュオ……!)
里香:
「……あの2人、今日なんか決めてきた?」
穂乃花:
「わかんない……けどすごい息合ってる……!」
花音:
「昭和の風が吹いてきたにょん……!」
愛生:
「さんぺいくんの歌なのは分かったけど、なんで今!?」
武士は涙をこぼしかけたまま固まっている。
その肩に、寺ノ沢先生が静かに手を置いた。
◆寺ノ沢先生、謎の説法タイム
「泣くこともあるけれど――
そうさ、心の星を見つめて~~
旅人は歩いて行く~~~」
寺ノ沢先生と明宏、なぜか手を取り合いながら歌い切る。
そして最後に、先生が爽やかに指を天へ掲げて一言。
「だ〜け〜さ〜~……
釣り吉さんぺいは良いですね~」
明宏も胸に手を当てて力強く頷く。
「釣り吉さんぺい、最高です。」
◆武士、泣きポイントをずらされる
寺ノ沢先生は武士の目線に合わせてしゃがみ、
やさしく語りかけた。
「武士くん。きみも釣り人だ。泣くこともあるだろう。
だからきみもさんぺいくんのように――
心の星を見つめて歩いて行こうじゃないか。」
爽やかすぎる笑顔。キラッと光る白い歯。
なんかBGMまで勝手に流れてきそうな雰囲気。
武士:「……えっ。あ、はい……」
あまりのインパクトに、武士は泣くのを忘れた。
花音:「なんか……武士、涙引っ込んだにょん」
里香:「ていうか、さんぺいくんで全部持っていかれたわね……」
穂乃花:「うん……今日どうしたんだろ先生……」
愛生:「さんぺいパワー恐るべし……!」
こうして、部室は妙な一体感に包まれたのであった。
下校中バスのエンジン音が、疲れた部員達をゆらゆらと揺らす。
夕暮れの車窓には、街の灯りがぽつぽつと咲き始めていた。
「東山古が今年最後の釣りになるなんて嫌だな〜。今年中に、あと1回は釣りしたいな〜」
明宏がバスの座席に沈みこみながら、ぼやいた。
声のトーンだけは小学生の夏休み最終日に似ている。
「もう寒くなるから、春になってからにしよ? 明くん、冬は凍えちゃうよ〜」
愛生はマフラーに顔をうずめて、もこもこ状態で説得する。
「だって、東山古でぜんぜん釣りできなかったし…」
明宏のぼやきは止まらない。
そりゃそうだ。虹鱒より先に、里香パパが部員達の集中力を全捕食していったのだから。
そのとき、里香が小さくつぶやいた。
「……明くん、ごめん」
ボソッ…
その小さな声は、バスの揺れの中でも妙にはっきり聞こえた。
明宏が慌てて首を振ろうとした、その直前。
「大丈夫だよ、明くん」
ふわっと優しい声が重なった。
穂乃花だ。
「クリスマスがあって、お正月が過ぎて、節分を迎えたら…
あっという間に春になっちゃうからさ。気づいたら釣りできる季節だよ」
「う〜〜ん……」
明宏は腕を組む。
彼の中の“釣り欲”が、冬の寒さとまだ戦っているらしい。
そんな中、花音が窓の外を見ながらぼそっと言う。
「かにょんは〜…釣りガール写メが撮れないのが残念にょん」
視線は窓の外でも、心は完全にSNS。
そして語尾の“にょん”だけが強く揺れている。
隣の愛生は、マシュマロとお鍋の夢が消えてしまい、完全に“しょんぼりちぃ”顔。
そして——
里香だけは別の次元で考え込んでいた。
(パパのせいで……みんなに迷惑をかけてしまった……
※みんな=4名。武士は含まれていない)
眉間にしわを寄せて、完全に反省モード。
(冬はキャンプも釣りもできない……
でも、明くんが悲しそうだし……
釣り部のみんなにも、何かお返しをしたいし……)
うつむく里香の心の中で“里香会議”が始まる。
父親乱入事件への罪悪感が、彼女の理系脳をフル回転させていた。
隣の穂乃花が、そんな親友の様子にそっと気づく。
(あ……里香ちゃん、なんか考えてる顔だ)
花音はそれを横目で見つつ、
(どーせ、また変な案出すにょん。楽しみだにょん)
愛生は、
(お鍋……マシュマロ……春まで食べられないの……?)
明宏は、
(釣り……したい……)
という欲望の真ん中で揺れている。
そしてバスは、冬が近づく夕暮れの中をゴトゴト走り続けるのであった——。
明宏の“釣り欲”、愛生の“食欲”、そして花音の“SNS欲”を一気に満たす名案が、車内の空気をスパァンと切り裂くように降りてきた。
里香はスッと人差し指を立て、軽やかに一言。
「ピコン!」
その場の全員が振り向く。
「……あ、愛生のピコンが移ってしまったわ」
「えぇ!? 愛生ちゃんピコンなんて言わないもん!」
愛生が必死に抗議。
「で、でも聞いたことあるにょん」
花音がニヤニヤ。
そんな小競り合いを華麗にスルーし、里香は堂々と提案する。
「山中湖でワカサギ釣りはどうかな」
「ワカサギって、天ぷらで美味しいお魚でしょ?」
穂乃花がキラキラ。
「芦ノ湖でいっぱい釣ったよ」
愛生が胸を張る。
「空バリでアホみたいに釣れる魚だよな」
明宏が遠い目で回想する。
里香がコホンと咳払いし、説明モードに入る。
「芦ノ湖はエンジンボートで群れを探して、空バリ仕掛けでキロ単位で釣るんだけど……山中湖は餌釣りで、もっと繊細な釣りをするの。ドーム船っていって、暖房付きの船内でぬくぬくと釣れて、お湯も電子レンジもあって、お茶も飲めるし、富士山を眺めながらゆったりできるのよ」
「里香って、ワカサギも詳しいんだね」
愛生がぽかん。
「芦ノ湖も山中湖も昔パパに連れて行かれたから、知ってるんだ」
と、どこか遠い目をする里香。
「バスプロになれー!みたいな特訓受けてた感じかにょん?」
花音が揺さぶる。
図星だったらしく、里香はコクンとうなずく。
「じゃあさ、お菓子いっぱい持っていって、ピクニックみたいにしたら楽しそう!」
と愛生がもうワクワク顔。
「里香ちんと、釣りガール写真撮れるにょん♡」
花音はSNS脳がフル回転。
それを聞き、穂乃花はふんわりと笑顔を見せた。
「よし!12月は山中湖で釣り納め決定だね!」
「トラウトじゃねぇけど……まぁいいか」
明宏は半分拗ねつつ、しかし口元にはしっかり笑みを浮かべていた。
――冬の冷たい風の中、部員たちのテンションだけはじんわり上がり始めていた。




