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ブラックバス釣り事件(下)

読んで下さる皆様、心より感謝致します。


ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。

家に着くと、玄関には圭介のスニーカーが揃えて置かれている。

(あ……圭ちゃん、もう帰ってる……。やばい、バレる……)

心臓がドクンと跳ね、足がすくみそうになる。


おそるおそる靴を脱ぎ、家の中へ。

台所からは包丁のトントンという音。覗くと、エプロン姿の圭介が夕食の支度をしていた。


 「……ただいま」


 「おう、明くん。おかえり。今日は早かったね」


振り返りもせずに声をかけてくる兄に、明宏はビクリと肩を震わせた。

(見つかるな……折れた竿、絶対見つかるな……)


リビングでは母がテレビの録画ドラマに夢中になっている。


 「お母さん、愛生は何処にいるの?」


 「愛生ちゃんなら、自分の部屋で勉強してるわよ」


軽く答えた母に礼を言い、明宏はそそくさと階段を上がる。


――トクン、トクン。

心臓の鼓動が大きく響く。

(どうしよう……。どうすればいいんだ……。圭ちゃんに言えない……でも、このまま隠すのも無理だ……)


気づけば、愛生の部屋の前に立っていた。

コンコン、と小さくノックする。


 「お姉ちゃん……ちょっといい?」


か細い声が震える。


ドアの向こうで勉強していた愛生は思わず手を止めた。

(え……? いつも呼び捨てで生意気な明宏が、“お姉ちゃん”なんて……?)


不安になり、愛生はすぐにドアを開けた。

そこには、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くす弟の姿があった。


明宏は、折れた竿を後ろ手に隠しながら、所在なさげに立っていた。


 「……あのさ……ちょっと話があるんだ」


愛生は一瞬きょとんとしたが、すぐに弟の表情にただならぬものを感じ取った。


 「どうしたの? 部屋に入っていいから」


明宏はおずおずと部屋に入ると、ベッドの横に腰を下ろし、しばらく黙り込んだ。

いつもは口うるさく突っかかってくる生意気な弟が、今はしゅんとしてうつむいている。


愛生は机から椅子を引き寄せて座り、明宏の顔を覗き込んだ。


 「……ねぇ、何があったの? 学校で嫌なこと?」


 「……ちがう」


明宏は小さく首を振る。


その後ろ手に隠しているものを見て、愛生の目が鋭くなる。


 「……何、それ。見せなさい」


観念したように、明宏は折れたエリアロッドを差し出した。


 「これ……圭ちゃんの竿……ぼ、僕が……折っちゃった……」


愛生は一瞬絶句した。

けれど、弟のブルブルと震えながら泣きそうな顔を見て、強い言葉は出てこなかった。


 「……明宏。なんで勝手に持ち出したの?」



 「だって……友達と……バス釣りに行くって約束しちゃって……。僕だけ道具なくて……仲間外れにされたくなくて……」


言葉を絞り出すように説明しながら、明宏の目には涙が溢れていた。


愛生はため息をつき、そっと明宏の頭を撫でた。


 「バカだなぁ……。でも、正直に言ってくれてよかったよ」


愛生の部屋で事情を打ち明けた明宏。


 「……圭ちゃんの竿、折っちゃった……」


涙声で必死に説明する弟に、愛生は腕を組み、うーんと考え込む。


やがてニヤリと笑って言った。


 「ふふん、任せなさ〜い。お兄ちゃんはシスコンのド変態だからね」


 「……は?」


 「しかも里香にまでデレるほどのド変態! 私が甘えれば絶対デレて、怒るどころじゃなくなるよ。だ から心配しなくて大丈夫!」


(……やっぱり相談する人、間違えたかもしれない……)

内心で不安を募らせる明宏。


その頃、台所では圭介が包丁をトントンと動かしていた。

エプロン姿で真剣に料理に集中する兄の背中に、愛生はいきなり後ろから抱きついた。


 「お兄ちゃ〜ん!」


 「うおっ!? なんだよ急に……もうすぐご飯できるから大人しく待ってなさい」


つまみ食いをせがみにきたのかと呆れながらも、可愛い妹に抱きつかれて悪い気はしない圭介。


 「えへへ……愛生はね、優しいお兄ちゃんが大好きだよ。お兄ちゃんって、いつも何があっても冷静で優しいもんね」


 「お、おう……まあな。もちろん、お兄ちゃんは常に優しいし、心も広いんだぞ」


まんまとおだてられて、木に登った気分になる圭介。


リビングのソファからその様子を見ていた母は、ドラマそっちのけで思わずため息をついた。

(……仲良すぎて、ちょっと不安になるわね……この子たち)


夕食の準備をしていた圭介のところへ、愛生に背中を押されるようにして明宏が現れた。

手には汗をにじませ、落ち着かない足取り。


 「……け、圭ちゃん」


気まずそうにうつむきながら、しぼり出すような声で言った。


 「ご、ごめんね……釣り竿……折っちゃったんだ」


 「え、えぇ~~、何てことをしたんだ」


驚いた声を上げる圭介。だがその表情は、どこか大げさで、ちょっとわざとらしい。


すかさず愛生が腕を組み、得意げに言葉を添える。


 「お兄ちゃん、明くんだってちゃんと反省してるんだよ?」


圭介は小さく息を吐き、包丁を置いて振り返った。


 「……どうして折ってしまったんだ?」


うつむく明宏は、しばらく黙っていたが、やがて勇気を振り絞ったように口を開く。


 「……友達と一緒にバス釣りに行くことになったんだ。でも僕、道具持ってなくて……だから、圭ちゃんの竿を……」


ポツリポツリと、ありのままを正直に語り出す。


その姿に、圭介は一瞬だけ真剣な表情を見せたが――内心では全く驚いていなかった。


(……やっぱりな)


実は母から、


 「父親がいない分、明宏には寂しい思いをさせてるんだから、たまには遊びに連れて行ってやって」と頼み込まれていたのだ。


だから圭介は、明宏をエリアフィッシングに誘う口実を作るため、わざと部屋に竿を立てかけておいた。

しかも、その竿は本物のエリアロッドではない。

釣具店で千円で買った中古ルアーロッドを丁寧に磨き上げ、新品同様に見せかけたものだった。


(ルアーフィッシング未経験の明宏なら、どうせ最初は竿を折る。だったら、折られても痛くない竿を仕込んでおけばいい)


予想通り、弟はルアーロッドを持ち出し、そして案の定折って帰ってきた。

無断で持ち出した事は想定外だったが他の行動は想定通り。


 「そっか……事情は分かったよ」


圭介は努めて穏やかに言葉を返す。


だが、その横で愛生はじとっと兄を見ていた。

(……お兄ちゃん、やっぱり全部仕込みじゃない。シュークリームやプリンの時と同じ、“エサ”作戦でしょ……)


圭介は日頃から、本命であるビッグプッチンプリンやジャンボシュークリームには、きっちり自分の名前を書いて冷蔵庫にしまっていた。

そして、どうせ妹と弟に食べられると分かっているから、あらかじめ特売の安いプリンやシュークリームを 「囮」 として忍ばせておくのが常だった。


(お兄ちゃんのこういう仕込み、もうバレバレなんだよ……)

愛生には、そんな兄の行動パターンはお見通しだった。


しかも、兄は筋金入りのシスコンで、妹に甘えられればあっさりデレてしまう。

(どうせ今回も、私がちょっと甘えればデレて一件落着――。まったく、チョロいんだから……)


じとっと疑惑の目を向ける愛生をよそに、圭介はわざとらしく 「仕方ないなぁ」 と寛大な兄を演じていた。


 「無断で釣り竿を持ち出したのは悪いことだ」


圭介は片手をグーにして、軽くコンッと一回だけ明宏の頭を叩いた。


ビクッと肩をすくめる明宏。しかし次の瞬間、


 「……でも、正直に話して謝ったのは良いことだ」


そう言いながら圭介は両手で弟の頭を優しく撫でる。


その温かさに安心したのか、堪えていたものが溢れ、明宏の目から涙が零れ落ちた。


 「う……うぅ……!」声を殺すこともできず、ついに泣き出してしまう。


 「よしよし、大丈夫だよ」


愛生もそっと隣に寄り添い、小さな手で弟の頭を撫でる。

母も微笑んで、明宏の髪を撫でてやった。


安心と安堵が一気に胸を満たし、明宏は堰を切ったように母の胸へ飛び込む。


 「うわあああん!」


声を張り上げ、溜め込んでいた思いを大声で涙に変えて流すのであった。


圭介はふっと笑って、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている弟の頭をもう一度撫でた。


 「バス釣りじゃないけど……鱒釣りで良ければ、エリアフィッシングに連れて行ってあげるよ」


明宏は袖でゴシゴシと涙をぬぐい、潤んだ目で兄を見上げる。


 「……うん、行く」


か細い声ながらも、どこか嬉しそうに頷いた。


その様子に愛生も母もホッと胸を撫で下ろし、自然と笑顔になる。


こうして 「ブラックバス釣り事件」 は、家庭の中では温かな空気に包まれて――

和やかに、一件落着したのであった。


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