表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うちの愛生ちゃん  作者: 横溝 啓介
1年2学期
68/79

ネイティブブラウン編・第六話 「魚より団子」

読んで下さる皆様、心より感謝致します。


ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。

車に戻ると、圭介は慣れた手つきでお湯を沸かし始めた。

ガスバーナーの音が「ゴォォォ…」と静かな森に響く。


「はいっ!」と元気いっぱいの愛生、

リュックからおもむろに取り出したのは——


5つのカップ麺。


「はい、明くんは“家系カップラーメン”」

「お兄ちゃんは“シーフード”」

「そして〜、愛生ちゃんは〜……ポッケヌードルと、ブタタ麺と、ピノノラーメン♡」


圭介と明宏、同時に固まる。


(……多くね?)


しかも出てきたのは全部、駄菓子屋の子供向けサイズ。

まるで“お湯をかける前のマスコット”。


「愛生ちゃんね、子供の頃からの夢だったの!」

胸を張ってドヤ顔。


「お母さんに“おやつラーメンは1つだけ”って言われてたから、

今日は3ついっぺんに食べちゃうの!」


「……あー、なるほどね」

昨日、買い物行くって妙に張り切ってた理由に、圭介は深く納得した。


(釣具でもルアーでもなく、“おやつラーメン”だったのか……)


お湯を注いで3分。

なぜか3人とも静かになる。


……シーン。


その沈黙の中で、初めて気づく小鳥のさえずり。

木々を抜ける風の音。

どこか神聖な「芦ノ湖ラーメン待機タイム」。


「風が気持ちいいな……」と圭介が呟く。

「うん、小鳥さんの声に癒やされるね〜」と愛生が頷く。


ただ一人、明宏だけは沈黙のまま。

視線はカップ麺、心は釣れない魚。


「はい、3分経ったぞ〜!」


パカッ。

3人が一斉に蓋を開けると、

ふんわりと湯気が立ち上り、

その瞬間、あたりはまるでTVドラマのスローモーション。


「……なんでだろう」

圭介は思った。

「普通のカップ麺なのに、やたら旨そうに見える……!」


愛生のおにぎりを頬張りながら、

「これぞ芦ノ湖マジック、釣り人ランチの醍醐味だなぁ〜」と感動。


「見て見て〜!」

愛生はピノノちゃん柄のナルトを箸でつまみ上げる。

「ピノノちゃんの顔、入ってた〜♡」


「……ほんとだ、よかったね」と圭介。


その横で明宏は——

お湯をすする音だけを響かせながら、

(なぜ……なぜ俺は釣れない……?)と、

スープの表面に浮かぶ油の輪を見つめていた。


「明くん、ラーメン伸びちゃうよ?」

「……放っといてくれ」


芦ノ湖の風が、彼の未練と共に静かに通り抜けていった——。


食後のひととき、

ポッケヌードルのカップを手に、愛生がおもむろにスマホを取り出した。


「みんなからLINE来てる〜♪」


どうやら、先ほど釣ったブラックバスの写真を

部活のグループLINEに投稿していたらしい。


画面には次々と反応が。


穂乃花:


わぁ〜すごい!おっきなバスだね〜


里香:


やったね!明日お話聞かせてね〜


寺ノ沢先生:


やりましたね!

芦ノ湖は1925年に実業家・赤星鉄馬が初めて放流を……(以下うんちく50行)


愛生は先生の長文をスクロールせず、

「既読」だけ付けてスルー。


「ほら見て〜!」

スマホを圭介と明宏に見せながら得意げ。


「穂乃花ちゃんと里香ちゃん、優しいでしょ〜?

それに寺ノ沢先生もちゃんと褒めてくれたの!」


圭介はにこにこしながら、

「うん、よかったじゃないか。みんな嬉しそうだね」


一方の明宏は、やや不機嫌そうに画面を覗き込み、

「あれ? モブ男の武士は?」


愛生、即答。


「モブ男くん、グループLINE入ってないもん」


「……えっ?入ってないの!?」


「うん、誰も招待してないの」


「……それ、かわいそうすぎない?」と圭介。


「だってモブだもん」


(断言した……!)


明宏は苦笑いしつつ、

「武士、今日もどこかで一人、通知が鳴らないんだろうな……」


3人の笑い声が芦ノ湖の風に溶けていった——。


カップ麺を平らげ、食後すぐに立ち上がる明宏。

ロッドを握る手が、もう戦闘モード全開だ。


「よしっ、午後の部スタートだ!」


すると圭介が、のんびりポーチからコーヒーセットを取り出した。


「ちょっと待って。食後のコーヒー飲んでからにしようよ〜」


ケトルに水を注ぎ、

シュー……と湯を沸かし始める圭介。


「もう、何やってんだよ!早く戻らないとブラウン釣れなくなっちゃう!」

と、落ち着きのない明宏。


圭介は、コーヒー粉を入れながら微笑む。

「まぁまぁ、慌てない慌てない。

お昼頃は一番釣れない時間だからさ、焦るだけ損だよ」


「焦るもんか! 釣りは気合いだ!」


その横で、愛生がクーラーボックスをゴソゴソ。

にっこり笑って、銀紙に包まれた何かを取り出した。


「えへへ〜、奮発しちゃった♡

特売の小さい方とジャンボ、どっちにしようか迷ったんだけど、

ちょっとだけ贅沢しちゃった〜」


手にしているのは──

まさかの“ジャンボシュークリーム”!


「ジャンボシューとコーヒー!最高の組み合わせ!

さすが愛生ちゃんっ!」

圭介はなぜか拍手喝采。パチパチパチ。


「……いや、兄妹でお茶会してる場合!?」

明宏、声にならない悲鳴。


しかし愛生はマイペースに、

「ほら、明くんもどうぞ〜」と差し出す。


「……食べたら釣れなくなりそうだし」

(でも美味しそう……)


コーヒーの香り、ふんわり甘いシュークリーム。

昼下がりの湖畔は、まるでカフェテラス状態。


愛生が頬張りながら尋ねる。

「ねぇねぇ〜、お昼って釣れないの?」


圭介がコーヒーを啜りながら答える。

「寺ノ沢先生によると、チャンスは朝と夕方。

もちろん日中も釣れるけど確率はグッと下がるって。

だから、今はゆっくり体力温存の時間だな」


「……先生のうんちく、こういう時だけ便利に使うんだよな」

と、ぼやく明宏。


でも気付けば、

ジャンボシューを手にしていた。


「うん……美味い。

くっそ、甘いけど……なんか癒される……」


圭介と愛生は顔を見合わせて微笑む。

「ほらね、釣れない時間も、悪くないでしょ?」


湖畔の風がそよぎ、

明宏の“釣りたい殺気”が、ほんの少しだけ甘く溶けた昼下がりだった。


湖畔のそよ風が、ほんのり甘い香りを運んでくる。

その風に、愛生の頬の黄色いカスタードクリームがふわりと揺れていた。


「愛生ちゃん、ほっぺにカスタードクリーム付いてるよ」

と、穏やかな声で圭介。


「えっ、どこどこ?」

愛生は慌ててティッシュでホッペをゴシゴシ。

だが、拭こうとするその仕草がまた可愛らしく、圭介は思わず笑みをこぼす。


(はぁ〜、ほんと癒やされるなぁ……この平和さ、最高だ……)

すっかり兄の顔になってしまった圭介。


そんな穏やかな空気の中、時計の針は午後1時を指していた。


「さてと、午後の釣りを再開しますかねぇ」

と、圭介がゆったり腰を上げ、ランチ道具を片付け始める。


「よしっ!午後の部、ブラウン一本勝負だ!」

待ってましたとばかりに、明宏の目が再びギラリと輝く。

シュークリームの甘さで一時的に鎮まっていた“闘魂”が完全復活である。


その明宏が地図アプリを見ながら提案する。

「なぁ、元箱根か箱根湾まで移動しない? そっちの方が実績ありそうだし!」


「う〜ん……日曜の芦ノ湖はねぇ、駐車場が空いてないと思うよ」

と、圭介は現実的な判断。


実際、昼食中にも何台もの車が駐車場を回っては、

空きがないと諦めて立ち去っていったのを3人とも見ていた。


「そっかぁ……」

明宏は少し残念そうに空を仰ぐ。


圭介がニコッと笑って肩を叩く。

「このまま日暮れまで、ここで頑張ろうか」


「うん!」と愛生が明るく頷き、

明宏も少し遅れて「……ああ、わかった」と返す。


昼下がりの湖面に、再びロッドを握る3人の影が映る。

カスタードの甘い香りを残したまま、午後の戦いが静かに幕を開けた。


午後の芦ノ湖、再び早川水門周辺を歩く3人。

風は穏やか、湖面はキラキラ、そして——


「――あっ‼ あそこ、デカい魚が見えるよっ‼」

突然叫ぶ明宏。声のボリュームが明らかに“魚サイズ”を超えている。


「どこどこ?……どうせ鯉だろ」

と、半信半疑の圭介。


明宏の指さす先、湖面下に確かに黒い影がスーッと泳いでいる。

(……おお、デカい。けど鯉っぽいなぁ)と圭介は思う。


だが明宏の目は違った。

「鯉じゃないっ、あれは鱒だっ!」


その瞬間、体が勝手に動く。

シュッ!——と、気合いのナイスキャスト。

ミノーが美しい放物線を描き、水面にポチャンと着水。


「よし、鼻先通す……来い……来い……リアクションバイトッ!」

息を詰める明宏。手元のラインに全集中。


しかしその“鱒らしい魚”、

逃げもせず、食いつきもせず、ただ悠々と進路変更してス〜……。


……はい、去って行きました。


「ちぇっ、惜しかったぜっ」

と、悔しそうに唇を噛む明宏。


(全く惜しくない)

と、心の中でツッコむ圭介。


「しょうがないよ、見える魚は釣れないって言うしさ」

慰めの言葉をかける兄。


しかし——


愛生は完全に別世界にいた。

湖面を見ながら、

「うわ〜、水草の影が♡ なんかハートの形〜♡」


……釣り熱100℃の明宏、

フォローに回る圭介、

まるで関係ない愛生。


三者三様のテンション差が、

まるで別番組の出演者たちのようだった。


午後の芦ノ湖、早川水門横の砂浜。


愛生は波打ち際にペタリと座り、

「見て見て〜、砂で山を作ったり」とお砂遊びモード。

ピンクのジャケットも袖まくりでまるで幼児返り。


そのすぐ後ろで、圭介は気分転換の軽装備。

小さめのスプーンをひょいっと投げては、

「ふ〜、やっぱりルアーはこう軽く投げるのがいいなぁ」なんて

マイペースに釣り人スタイル。


そして明宏はといえば——

「グリグリ!止めて!またグリグリ!」

額に青筋、全身に“釣るオーラ”をまとい、

相変わらずサムライのような殺気キャストを続けていた。


そんな時だった。


「……あっ、なんかかかったぞ」

圭介の声に、一瞬で反応する明宏。

「えっ!? 釣れたの!?」


だが次の瞬間、

「ん〜、バレたかな?引かないや」と圭介がボソリ。


「な〜んだ、どうせ石か枝でしょ」

と、すぐに興味を失う明宏。

(内心:ビビらせんなよ、紛らわしいんだよ……!)


ところが圭介は首をかしげながら、

「でも、なんか微妙に重いんだよなぁ〜」

とリールをゆっくり巻き取っていく。


愛生も立ち上がり、波打ち際までトコトコ歩いてくる。


すると——


「おぉ〜!釣れた〜っ!!」

と愛生の声が響く。


パシャパシャと水面を割って姿を見せたのは……


手のひらサイズのウグイ。


「ウグイでも芦ノ湖で釣れると、なんか嬉しいな〜」

と満面の笑みの圭介。


「お兄ちゃん、すご〜いっ」

とキラキラ目で拍手する愛生。


一方、明宏の口元はピクピク。

「……ちぇっ、なんだよ、ウグイかよ」

と言い捨てながらも、

(いや……でも、釣れたって事実は……羨ましい……ッ!)

と、心の中ではぐぬぬ顔。


ウグイごときに嫉妬する自分が情けない。

だが釣りバカのプライドがそれを認めようとしない。


「……俺は寺ノ沢先生の教えを信じる。グリグリメソッドでやり抜く!」

と、再び竿を握る明宏。


その姿はまるで、“ウグイに敗北した青年の決意”であった。


午後3時。

愛生がちらりと腕時計を見ると、目を輝かせて叫んだ。


「みんな〜っ!オヤツの時間ですよ〜っ!」


まるで幼稚園の先生みたいなテンション。


「は〜い!」

と即答する圭介。ノリが良すぎる。


2人は砂浜にレジャーシートを広げ、

釣竿そっちのけでピクニックモード突入。


圭介はリュックをガサゴソ。

出てきたのは、三色団子とみたらし団子。

そしてポットから湯気の立つ緑茶を注ぎ、

完全に“釣り人”ではなく“和菓子日和の旅人”と化した。


「そう……彼らは釣りよりも、ピクニックの準備に命をかけていたのだ。」


明宏はそんな光景を見つめながら、竿を持ったまま一言。


「……チェッ、食ってばっかじゃん。」


とは言いつつ、

結局お団子の甘い香りに負け、

渋々と腰を下ろす明宏。


「波打ち際で食べるお団子は格別に美味しいね〜」

と愛生。


「うんうん、美しい景色とお団子……これはもう贅沢の極みだな〜」

と圭介も満足げにお茶をすする。


「芦ノ湖、最高っ!愛生ちゃん、芦ノ湖だ〜い好きになっちゃったよ♪」

と両手を広げる愛生。


その後ろで、ひとり黄昏れる明宏。


(……おい、これはもう釣りじゃなくて“遠足”だろ。)


風は爽やか。

団子の香りが漂う。

だが——釣果はゼロ。


“釣れぬ明宏と、団子に笑う二人”。

まさに、芦ノ湖が誇る静かな悲喜劇であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ