ネイティブブラウン編・第六話 「魚より団子」
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
車に戻ると、圭介は慣れた手つきでお湯を沸かし始めた。
ガスバーナーの音が「ゴォォォ…」と静かな森に響く。
「はいっ!」と元気いっぱいの愛生、
リュックからおもむろに取り出したのは——
5つのカップ麺。
「はい、明くんは“家系カップラーメン”」
「お兄ちゃんは“シーフード”」
「そして〜、愛生ちゃんは〜……ポッケヌードルと、ブタタ麺と、ピノノラーメン♡」
圭介と明宏、同時に固まる。
(……多くね?)
しかも出てきたのは全部、駄菓子屋の子供向けサイズ。
まるで“お湯をかける前のマスコット”。
「愛生ちゃんね、子供の頃からの夢だったの!」
胸を張ってドヤ顔。
「お母さんに“おやつラーメンは1つだけ”って言われてたから、
今日は3ついっぺんに食べちゃうの!」
「……あー、なるほどね」
昨日、買い物行くって妙に張り切ってた理由に、圭介は深く納得した。
(釣具でもルアーでもなく、“おやつラーメン”だったのか……)
お湯を注いで3分。
なぜか3人とも静かになる。
……シーン。
その沈黙の中で、初めて気づく小鳥のさえずり。
木々を抜ける風の音。
どこか神聖な「芦ノ湖ラーメン待機タイム」。
「風が気持ちいいな……」と圭介が呟く。
「うん、小鳥さんの声に癒やされるね〜」と愛生が頷く。
ただ一人、明宏だけは沈黙のまま。
視線はカップ麺、心は釣れない魚。
「はい、3分経ったぞ〜!」
パカッ。
3人が一斉に蓋を開けると、
ふんわりと湯気が立ち上り、
その瞬間、あたりはまるでTVドラマのスローモーション。
「……なんでだろう」
圭介は思った。
「普通のカップ麺なのに、やたら旨そうに見える……!」
愛生のおにぎりを頬張りながら、
「これぞ芦ノ湖マジック、釣り人ランチの醍醐味だなぁ〜」と感動。
「見て見て〜!」
愛生はピノノちゃん柄のナルトを箸でつまみ上げる。
「ピノノちゃんの顔、入ってた〜♡」
「……ほんとだ、よかったね」と圭介。
その横で明宏は——
お湯をすする音だけを響かせながら、
(なぜ……なぜ俺は釣れない……?)と、
スープの表面に浮かぶ油の輪を見つめていた。
「明くん、ラーメン伸びちゃうよ?」
「……放っといてくれ」
芦ノ湖の風が、彼の未練と共に静かに通り抜けていった——。
食後のひととき、
ポッケヌードルのカップを手に、愛生がおもむろにスマホを取り出した。
「みんなからLINE来てる〜♪」
どうやら、先ほど釣ったブラックバスの写真を
部活のグループLINEに投稿していたらしい。
画面には次々と反応が。
穂乃花:
わぁ〜すごい!おっきなバスだね〜
里香:
やったね!明日お話聞かせてね〜
寺ノ沢先生:
やりましたね!
芦ノ湖は1925年に実業家・赤星鉄馬が初めて放流を……(以下うんちく50行)
愛生は先生の長文をスクロールせず、
「既読」だけ付けてスルー。
「ほら見て〜!」
スマホを圭介と明宏に見せながら得意げ。
「穂乃花ちゃんと里香ちゃん、優しいでしょ〜?
それに寺ノ沢先生もちゃんと褒めてくれたの!」
圭介はにこにこしながら、
「うん、よかったじゃないか。みんな嬉しそうだね」
一方の明宏は、やや不機嫌そうに画面を覗き込み、
「あれ? モブ男の武士は?」
愛生、即答。
「モブ男くん、グループLINE入ってないもん」
「……えっ?入ってないの!?」
「うん、誰も招待してないの」
「……それ、かわいそうすぎない?」と圭介。
「だってモブだもん」
(断言した……!)
明宏は苦笑いしつつ、
「武士、今日もどこかで一人、通知が鳴らないんだろうな……」
3人の笑い声が芦ノ湖の風に溶けていった——。
カップ麺を平らげ、食後すぐに立ち上がる明宏。
ロッドを握る手が、もう戦闘モード全開だ。
「よしっ、午後の部スタートだ!」
すると圭介が、のんびりポーチからコーヒーセットを取り出した。
「ちょっと待って。食後のコーヒー飲んでからにしようよ〜」
ケトルに水を注ぎ、
シュー……と湯を沸かし始める圭介。
「もう、何やってんだよ!早く戻らないとブラウン釣れなくなっちゃう!」
と、落ち着きのない明宏。
圭介は、コーヒー粉を入れながら微笑む。
「まぁまぁ、慌てない慌てない。
お昼頃は一番釣れない時間だからさ、焦るだけ損だよ」
「焦るもんか! 釣りは気合いだ!」
その横で、愛生がクーラーボックスをゴソゴソ。
にっこり笑って、銀紙に包まれた何かを取り出した。
「えへへ〜、奮発しちゃった♡
特売の小さい方とジャンボ、どっちにしようか迷ったんだけど、
ちょっとだけ贅沢しちゃった〜」
手にしているのは──
まさかの“ジャンボシュークリーム”!
「ジャンボシューとコーヒー!最高の組み合わせ!
さすが愛生ちゃんっ!」
圭介はなぜか拍手喝采。パチパチパチ。
「……いや、兄妹でお茶会してる場合!?」
明宏、声にならない悲鳴。
しかし愛生はマイペースに、
「ほら、明くんもどうぞ〜」と差し出す。
「……食べたら釣れなくなりそうだし」
(でも美味しそう……)
コーヒーの香り、ふんわり甘いシュークリーム。
昼下がりの湖畔は、まるでカフェテラス状態。
愛生が頬張りながら尋ねる。
「ねぇねぇ〜、お昼って釣れないの?」
圭介がコーヒーを啜りながら答える。
「寺ノ沢先生によると、チャンスは朝と夕方。
もちろん日中も釣れるけど確率はグッと下がるって。
だから、今はゆっくり体力温存の時間だな」
「……先生のうんちく、こういう時だけ便利に使うんだよな」
と、ぼやく明宏。
でも気付けば、
ジャンボシューを手にしていた。
「うん……美味い。
くっそ、甘いけど……なんか癒される……」
圭介と愛生は顔を見合わせて微笑む。
「ほらね、釣れない時間も、悪くないでしょ?」
湖畔の風がそよぎ、
明宏の“釣りたい殺気”が、ほんの少しだけ甘く溶けた昼下がりだった。
湖畔のそよ風が、ほんのり甘い香りを運んでくる。
その風に、愛生の頬の黄色いカスタードクリームがふわりと揺れていた。
「愛生ちゃん、ほっぺにカスタードクリーム付いてるよ」
と、穏やかな声で圭介。
「えっ、どこどこ?」
愛生は慌ててティッシュでホッペをゴシゴシ。
だが、拭こうとするその仕草がまた可愛らしく、圭介は思わず笑みをこぼす。
(はぁ〜、ほんと癒やされるなぁ……この平和さ、最高だ……)
すっかり兄の顔になってしまった圭介。
そんな穏やかな空気の中、時計の針は午後1時を指していた。
「さてと、午後の釣りを再開しますかねぇ」
と、圭介がゆったり腰を上げ、ランチ道具を片付け始める。
「よしっ!午後の部、ブラウン一本勝負だ!」
待ってましたとばかりに、明宏の目が再びギラリと輝く。
シュークリームの甘さで一時的に鎮まっていた“闘魂”が完全復活である。
その明宏が地図アプリを見ながら提案する。
「なぁ、元箱根か箱根湾まで移動しない? そっちの方が実績ありそうだし!」
「う〜ん……日曜の芦ノ湖はねぇ、駐車場が空いてないと思うよ」
と、圭介は現実的な判断。
実際、昼食中にも何台もの車が駐車場を回っては、
空きがないと諦めて立ち去っていったのを3人とも見ていた。
「そっかぁ……」
明宏は少し残念そうに空を仰ぐ。
圭介がニコッと笑って肩を叩く。
「このまま日暮れまで、ここで頑張ろうか」
「うん!」と愛生が明るく頷き、
明宏も少し遅れて「……ああ、わかった」と返す。
昼下がりの湖面に、再びロッドを握る3人の影が映る。
カスタードの甘い香りを残したまま、午後の戦いが静かに幕を開けた。
午後の芦ノ湖、再び早川水門周辺を歩く3人。
風は穏やか、湖面はキラキラ、そして——
「――あっ‼ あそこ、デカい魚が見えるよっ‼」
突然叫ぶ明宏。声のボリュームが明らかに“魚サイズ”を超えている。
「どこどこ?……どうせ鯉だろ」
と、半信半疑の圭介。
明宏の指さす先、湖面下に確かに黒い影がスーッと泳いでいる。
(……おお、デカい。けど鯉っぽいなぁ)と圭介は思う。
だが明宏の目は違った。
「鯉じゃないっ、あれは鱒だっ!」
その瞬間、体が勝手に動く。
シュッ!——と、気合いのナイスキャスト。
ミノーが美しい放物線を描き、水面にポチャンと着水。
「よし、鼻先通す……来い……来い……リアクションバイトッ!」
息を詰める明宏。手元のラインに全集中。
しかしその“鱒らしい魚”、
逃げもせず、食いつきもせず、ただ悠々と進路変更してス〜……。
……はい、去って行きました。
「ちぇっ、惜しかったぜっ」
と、悔しそうに唇を噛む明宏。
(全く惜しくない)
と、心の中でツッコむ圭介。
「しょうがないよ、見える魚は釣れないって言うしさ」
慰めの言葉をかける兄。
しかし——
愛生は完全に別世界にいた。
湖面を見ながら、
「うわ〜、水草の影が♡ なんかハートの形〜♡」
……釣り熱100℃の明宏、
フォローに回る圭介、
まるで関係ない愛生。
三者三様のテンション差が、
まるで別番組の出演者たちのようだった。
午後の芦ノ湖、早川水門横の砂浜。
愛生は波打ち際にペタリと座り、
「見て見て〜、砂で山を作ったり」とお砂遊びモード。
ピンクのジャケットも袖まくりでまるで幼児返り。
そのすぐ後ろで、圭介は気分転換の軽装備。
小さめのスプーンをひょいっと投げては、
「ふ〜、やっぱりルアーはこう軽く投げるのがいいなぁ」なんて
マイペースに釣り人スタイル。
そして明宏はといえば——
「グリグリ!止めて!またグリグリ!」
額に青筋、全身に“釣るオーラ”をまとい、
相変わらずサムライのような殺気キャストを続けていた。
そんな時だった。
「……あっ、なんかかかったぞ」
圭介の声に、一瞬で反応する明宏。
「えっ!? 釣れたの!?」
だが次の瞬間、
「ん〜、バレたかな?引かないや」と圭介がボソリ。
「な〜んだ、どうせ石か枝でしょ」
と、すぐに興味を失う明宏。
(内心:ビビらせんなよ、紛らわしいんだよ……!)
ところが圭介は首をかしげながら、
「でも、なんか微妙に重いんだよなぁ〜」
とリールをゆっくり巻き取っていく。
愛生も立ち上がり、波打ち際までトコトコ歩いてくる。
すると——
「おぉ〜!釣れた〜っ!!」
と愛生の声が響く。
パシャパシャと水面を割って姿を見せたのは……
手のひらサイズのウグイ。
「ウグイでも芦ノ湖で釣れると、なんか嬉しいな〜」
と満面の笑みの圭介。
「お兄ちゃん、すご〜いっ」
とキラキラ目で拍手する愛生。
一方、明宏の口元はピクピク。
「……ちぇっ、なんだよ、ウグイかよ」
と言い捨てながらも、
(いや……でも、釣れたって事実は……羨ましい……ッ!)
と、心の中ではぐぬぬ顔。
ウグイごときに嫉妬する自分が情けない。
だが釣りバカのプライドがそれを認めようとしない。
「……俺は寺ノ沢先生の教えを信じる。グリグリメソッドでやり抜く!」
と、再び竿を握る明宏。
その姿はまるで、“ウグイに敗北した青年の決意”であった。
午後3時。
愛生がちらりと腕時計を見ると、目を輝かせて叫んだ。
「みんな〜っ!オヤツの時間ですよ〜っ!」
まるで幼稚園の先生みたいなテンション。
「は〜い!」
と即答する圭介。ノリが良すぎる。
2人は砂浜にレジャーシートを広げ、
釣竿そっちのけでピクニックモード突入。
圭介はリュックをガサゴソ。
出てきたのは、三色団子とみたらし団子。
そしてポットから湯気の立つ緑茶を注ぎ、
完全に“釣り人”ではなく“和菓子日和の旅人”と化した。
「そう……彼らは釣りよりも、ピクニックの準備に命をかけていたのだ。」
明宏はそんな光景を見つめながら、竿を持ったまま一言。
「……チェッ、食ってばっかじゃん。」
とは言いつつ、
結局お団子の甘い香りに負け、
渋々と腰を下ろす明宏。
「波打ち際で食べるお団子は格別に美味しいね〜」
と愛生。
「うんうん、美しい景色とお団子……これはもう贅沢の極みだな〜」
と圭介も満足げにお茶をすする。
「芦ノ湖、最高っ!愛生ちゃん、芦ノ湖だ〜い好きになっちゃったよ♪」
と両手を広げる愛生。
その後ろで、ひとり黄昏れる明宏。
(……おい、これはもう釣りじゃなくて“遠足”だろ。)
風は爽やか。
団子の香りが漂う。
だが——釣果はゼロ。
“釣れぬ明宏と、団子に笑う二人”。
まさに、芦ノ湖が誇る静かな悲喜劇であった。




