ネイティブブラウン編・第四話「グリグリメソッド」
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
芦ノ湖釣行前日――
ついに明宏、自費で夢のマイ・タックルをフルコンプ!
7ftルアーロッドに2000番のリール、PEライン、そして輝くフローティングミノーがひとつ!
「フル装備だ!」と胸を張るその姿は、まるで冒険前夜の勇者である。
本当は8ftロッドを狙っていたが、釣具屋の店員さんに言われた。
「最初は7ftの方が扱いやすいよ。慣れてからステップアップしようね」
――その瞬間、明宏は心の中で“釣具屋マスター”と呼ぶことを決意した。
リールは初心者に優しいリーズナブルモデル。
PEラインはなんと100円ショップのタイゾー製。
(※耐久性は、信じる心でカバー。)
ミノーは中古釣具店でお買い得ゲット!
ランディングネットは兄・圭ちゃんのシーバス用をちゃっかり借用中。
「ふふっ……完璧だ。準備万端、抜かりなし!」
明宏はまるで大作戦前の軍師のように、釣具を並べて悦に入る。
一方その頃――
圭介は「もしもの救急セット」を再チェック中。
(※弟が毎回、何かしらやらかすため)
愛生は近所のスーパーで飲み物とカップラーメンを吟味中。
「やっぱり釣り場で食べるカップ麺は格別なんだよね〜♪」と上機嫌。
そして夜。
明宏の部屋からは、釣り動画のナレーションと共に、
「ブラウン……逃がさないぜ……!」という寝言が聞こえていた。
――明日は、いよいよ芦ノ湖ウェーディングデビュー。
三きょうだいの胸に、不安と期待とカップ麺の香りが広がっていた。
翌日――
ついにやってきた、芦ノ湖釣行当日!
まだ夜も明けきらぬ午前3時。
エンジン音だけが響く静寂の車内。
……と思いきや、ひとりだけテンションMAXの男がいた。
「ブラウンよ、待っていろッ!!」
――後部座席で、目をギラギラさせながら拳を握る明宏。
初めての丘っぱり。初めてのミノーイング。そして初めてのブラウン挑戦。
未知との遭遇に、もう心は大爆釣モードである。
対照的に、運転席の圭介はすでにげっそり。
「……いや、これ、釣れないフラグ立ってるよな」
初心者の弟、呑気な妹、そして湖という名の未知。
すべての不安要素が三重奏を奏でている。
助手席では、カップラーメンの袋を膝に抱えて上機嫌の愛生。
「私は釣れなくてもいいの。芦ノ湖の景色とカップ麺があれば十分〜♪」
――そう、彼女の今日の目的は釣果<観光+食欲である。
こうして、
「釣るぞ!」の明宏、
「釣れない気しかしない……」の圭介、
「まあ楽しければいいや♪」の愛生、
三者三様の思いを乗せて――
明宏家の車は、まだ眠る箱根新道を、朝焼けに向かってゴトゴトと登っていった。
箱根新道を降りると――
空が少しずつ白み始め、うっすら夜明けの芦ノ湖が姿を現した。
静寂に包まれた湖面、霧がゆらゆら漂い、まるで神話の中の世界。
圭介と愛生は思わず見惚れる。
「うわ〜、綺麗だなぁ〜」と圭介。
「すごい神秘的だね〜」と愛生。
――しかし、ただ一人、景色を“戦場”としか見ていない男がいた。
「この湖のどこかに……今日、俺と戦うモンスターブラウンが潜んでいるんだ……!」
(※完全にRPG脳)
瞳はギラリ。息は荒く。
湖面の霧を「敵の気配」と錯覚している明宏。
もはや彼にとって芦ノ湖は“癒やし”ではなく“戦地”だった。
「……ねぇ、明くんの目、ちょっと怖くない?」
「うん、戦士の顔になってるね」
――兄と姉はそっと生暖かく見守ることにした。
やがて車は湖尻の駐車場に到着。
三人はタックルを手に湖畔を歩きながらランガン開始。
実は圭介、前日に寺ノ沢先生からこっそり情報を仕入れていた。
「キャンプ場付近が入りやすくてね、そこから攻めるといいですよ」と。
(先生、相変わらず頼れる“釣り沼の賢者”である)
水辺に立つと、澄みきった湖水が足元から冷たく心地いい。
愛生は思わず深呼吸して――
「朝霧の芦ノ湖、最高〜!」
パシャッ(もちろんSNS投稿用)
圭介も「いやぁ……やっぱ湖っていいなぁ」とうっとり。
そして、そんな二人の背後で――
景色など一切目に入らず、
新品マイロッド(7ft・ダブルハンド)を全力で振り回す少年がひとり。
「ブラウン、出てこいっ!!!」
朝の静寂を破るその声。
……霧の中で鳥が一斉に飛び立った。
数日前に遡る。
放課後の部室には、ロッドケースとルアーケースがずらり。
今日は“釣り部特別講義”──講師はもちろん、寺ノ沢先生だ。
「ブラウンを狙うアクションの定番は、“グリグリ”と“ほっとけ”ですね」
先生はいつもの穏やかな笑みで言った。
「ほっとけ?」と明宏が首を傾げる。
「そのままの意味です。
フローティング・ミノーを投げたら……食いつくまで“放っておく”んです」
「え、それルアーフィッシングじゃなくて“置き釣り”じゃないですか!?」
「まあ、似てますね。静の釣りです。
でも──明宏くん、待つの苦手でしょう?」
「うっ……!」
図星を突かれて固まる明宏。
(待つくらいなら、もう一投してたい……)
先生はくすっと笑いながら続けた。
「ですから、君には“グリグリメソッド”をオススメします」
「グリグリメソッド?」
「ええ。リールを“グリグリ”と2回、3回巻いて──止める。
また2回、3回“グリグリ”して──止める。
このストップ&ゴーの動作を繰り返すんです」
先生はロッドを持つ手を軽く振りながら、
「グリ、グリ、ピタッ」「グリ、グリ、ピタッ」と実演してみせた。
「なるほど、ブラウンには動と静のリズムが効くんですね!」
と目を輝かせる明宏。
「その通り。だから、“グリグリ”に限らず──
軽くジャークして糸フケを巻く、を繰り返す方法でもOKです」
「ジャークして、巻いて、ジャークして……」
明宏はロッドを持たずに空中でフォーム練習。
横で先生が苦笑する。
「……あの、それ今、ちょっと“エアギター”みたいになってます」
「うわ、ほんとだ!」
慌てて姿勢を直す明宏。
先生は咳払いして話を戻した。
「ちなみにスプーンもストップ&ゴーが有効ですよ。
キャストして、湖底まで沈めて、2回、3回巻いて──また沈める。
この繰り返しです」
「ふむふむ……」
「ただし、夏から秋は注意。水草が多い時期に沈めると、
スプーンが“草刈り機”になります」
「うわ、それは嫌だ……」
「なので、この時期はやはり──」
「グリグリメソッド!」
明宏が食い気味に答える。
「そう、それです」
先生は満足げに頷いた。
そして現在──
芦ノ湖の湖畔で、明宏はその教えを思い出していた。
「先生……今、僕……めっちゃ“グリグリ”してます!」
風を切るロッド、湖面をかすめるミノー。
グリ、グリ、ピタッ。グリ、グリ、ピタッ。
……だがその動き、
遠目にはまるで“ラジオ体操第2”のようだった。
先生の理論は完璧。
だが明宏の実践は、いつもどこかズレている。
──そんなところが、彼らしいのだ。
芦ノ湖の湖畔に、朝の光が差し込み始めた。
その中で──
「うぉぉぉおおおっ! ブラウン、かかってこいッ!!」
明宏、全力のキャスティング!
まるで戦国武将のような構えで、ロッドを振るたび風が唸る。
身体中からは「釣りたいオーラ」が噴き出し、
ルアーにまで殺気が宿っているようだ。
(もはや魚より先に水の分子が逃げている)
一方その頃──
圭介はというと、
「うーん……まぁ、釣れたらラッキーくらいでいっか」
というゆるいテンションでキャスト中。
(ロッドを構えてるけど、心はもうお昼のカップ麺と食後のコーヒーに行ってる)
そしてさらに──
「お兄ちゃん見て見て~!」
湖畔で愛生がしゃがみこむ。
「小さいハゼがいるよ! 透明な海老さんもいる! みんなカワイイ~♡」
「ほんとだ〜。小さな生き物がたくさんいるね〜」
圭介もつられて屈みこみ、
“釣りモード”から“生き物観察会モード”に完全シフト。
「そんでね、小魚もいっぱい泳いでるよ〜!」
愛生の声に、圭介が優しく頷く。
「ほんとだ〜、癒やされるね〜」
──その会話を背後で聞いた明宏、ピタリと手を止めた。
ロッドを握ったまま振り返り、兄姉を睨む。
「……全ッッッ然、戦う気ないじゃん!!!」
彼の脳内ではいま、激流の中でブラウンと格闘する自分の姿が流れている。
対して兄と姉は、湖畔で小魚に「かわいい〜」と話しかけている。
まさに──
戦場の明宏、観光の兄姉。
風がふっと吹く。
兄と姉の足元には小魚。
明宏の足元には──空しい水の波紋だけが広がっていた。
早朝の芦ノ湖、
圭介・愛生・明宏の3人は早川水門に到着した。
湖面は静まり返り、いかにも「ブラウンが潜んでますよ」感たっぷり。
「ここだ……絶対にいる!」
明宏の目がギラリと光る。
駆け上がりの陰にモンスター・ブラウンが潜んでいるかもしれない──
そう信じて、ミノーを丁寧にキャスト。
グリグリ……止めて……グリグリ……止めて……。
だが、反応なし。
「おかしいな、寺ノ沢先生のグリグリは完璧なはず……」
(ブラウンどころか、水門のコケすら反応してくれない。)
水門を渡ると小さな砂浜が広がっていた。
「よし、こっちで勝負だ!」
明宏、ひたすらキャストを繰り返す。
──が、ふと後ろを振り返ると。
……誰もいない。
「え? 圭ちゃんも愛生も……遅っ!」
慌てて水門まで戻ると、そこには──
愛生:「はいチーズ♡」
圭介:「もう一枚、今度は湖を背景に撮ってあげるよ」
完全に“釣り観光モード”。
明宏:「もぉぉぉぉぉ! 何やってんだよ!?」
圭介:「あっ、ごめんごめん、テヘヘ」
(反省ゼロ)
愛生:「だって初めての湖尻だもん~♪ お散歩楽しいね〜」
明宏:「お散歩!? 俺は戦ってるんだぞ! ブラウンと!!」
圭介:「まあまあ、湖尻、初めてだからな〜」
愛生:「ね〜♪」
明宏:「……はぁ~、なんなんだよ!」
もう完全に“兄姉=観光班”、“弟=突撃班”。
「いいか、圭ちゃんと愛生はのんびりでもいいけど、ちゃんとついてきてよ!」
と、兄姉に釘を刺す明宏。
圭介:「了解〜(でも次の写真スポットどこかな…)」
愛生:「了解〜(次は湖畔の石と一緒に撮ろ〜)」
……まったく通じていなかった。




