ネイティブブラウン編・第ニ話 釣りバカのおねだり
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
11月の野外活動が「ブラウンキャンプ」に決まり、
部員たちはそれぞれ帰り支度を始めた。
「じゃ、解散!」
里香の声と共に、部室がザワザワと静かになっていく。
しかし。
「先生、ちょっと質問いいですか!」
と、まだ残る明宏。
その目は真剣そのもの。
(シューベルトの“鱒”から始まり、いまだ魚の話が止まらない男)
弟が下校しないため、
愛生も仕方なく「明宏の保護者モード」で残ることに。
一方その頃。
穂乃花は里香と仲良く下校モード。
「ねぇ、里香ちゃん、今日の夕焼けきれいだね〜」
「……あんたのその平和さ、ある意味尊敬するわ。」
――が、そこへ割り込む影。
「穂乃花姫! い、いや穂乃花ちゃん! 一緒に帰ろうよ!」
後光を背負った(つもりの)武士、満面の笑みで登場。
穂乃花は一瞬困った顔をして、
「う、うん……じゃあ、三人で帰ろっか?」
渋々OKを出した、その瞬間。
ズンッ……
冷気が流れた。
武士の頬を切るような冷たい風――
いや、それは風ではない。
里香の視線である。
「……」
まるで“氷点下のレーザービーム”。
目が合っただけで、魂がフリーズする。
(武士の心の声)
な、なんだコイツ……!?
この冷気……まさか、転生前は“悪魔”だったのでは……!?
体が動かない。
足が、指が、まるで氷に閉じ込められたように。
くっ……! クソ、元悪魔め!
本来なら必殺の“武士フラッシュ”で浄化してやるところだが……!
(しかし今の彼女は人間……)
俺は勇者。人間に必殺技は使えない……っ!!
歯を食いしばる勇者。
――だがその姿、どう見ても“変な顔して固まってる人”。
結局、武士は1人で下校となってしまった。
「里香ちゃん、ありがとね〜田中くん、なんか……ちょっと怖いんだもん」
と、穂乃花のひとことが武士の胸に追撃ダメージ。
(ズドーン)
勇者とは、常に孤独な運命なのだ……。
夕焼けの帰り道、
里香と穂乃花の後ろを10歩離れて歩く勇者の姿があった。
冷たい秋風が吹く。
勇者の心にも、同じ風が吹いた――。
「先生っ! 一つ聞いてもいいですかっ!」
と、明宏。
(出た……“帰らない宣言”……)
と、愛生は心の中でため息をつく。
「どうしたんだい?」と寺ノ沢先生が振り向く。
「芦ノ湖のブラウンって、ウェーディングで、どうやって釣ればいいんですかっ!?」
明宏、目がキラッキラ。
寺ノ沢先生は少し笑って答える。
「ブラウン・トラウトは肉食系の鱒ですから、ルアーフィッシングのターゲットとして人気があります。」
「つまり! ルアーフィッシング向きってことですねっ!」
と、明宏のテンションが上がる。
「その通りです。ルアーへの反応は良い魚ですよ。」
「マジっすかぁぁ!!」
部室に響く雄叫び。
「……ちょっと興奮し過ぎでしょ。」
と冷静にツッコむ愛生。
「先生! どんなルアーがいいんですか!?」
「一般的にはミノープラグですね。スプーンやメタルジグでも十分釣れます。」
「ま、マジでぇ!? 最高ぉぉ!!」
(テンションがトラウトのジャンプ級に跳ね上がってる……)
愛生は無表情で弟を観察する。
先生は続ける。
「ロッドは7ft〜8ft、キャストウェイトは15〜30g。
リールは2000〜3000番、ラインはPE01号前後。
ルアーは8〜10cmのフローティングミノー。
スプーンとメタルジグは最大30gまでを状況に合わせて使い分けます。」
(中学生にはまだ早いけどね……)
と心の中で思う寺ノ沢先生。
「なるほど……完璧に理解しました!」
とドヤ顔でうなずく明宏。
「……絶対わかってないよね。」
姉の冷たい突っ込み。
そして突然、明宏は愛生の方を見て、
キラキラした目で「うんっ」と頷く。
「なにが“うん”なの!? どの会話とリンクしたの!?」
と混乱する愛生。
「先生! ありがとうございました。帰ったら兄と姉と作戦会議しますっ!」
明宏、満面の笑み。
その言葉を聞いた瞬間――
愛生のこめかみにピキッと一本の青筋。
(出た、“作戦会議”=“タックル買って&芦ノ湖行こう”の駄々っ子攻撃……)
頭を抱えながら、
「……それ、私の財布が議題に入ってるやつでしょ。」
「もちろん!」
「即答すんなっ!」
寺ノ沢先生はそんな姉弟を見送りながら微笑んだ。
「やれやれ……釣りへの情熱は、家族の経済をも揺るがすんですね。」
夕陽の中、愛生のため息だけが部室にこだました。
放課後の部活動も終わり、
すっかり夕暮れに染まる帰り道。
明宏はテンションMAX、
愛生はすでにため息MAX。
「どうせ言うんでしょ? “ブラウン釣りたい!”って。」
「うん! ……なんでわかったの?」
「だいたいわかるのよ、弟の脳内構造。」
家に帰ると――
リビングのソファでくつろぐのは、兄の圭介。
釣り雑誌を片手に、ゆるく緑茶を啜っていた。
その姿を見た瞬間、
明宏のテンションが釣竿のようにしなり、跳ね上がる。
「圭ちゃん!!」
「ん? どうした、明宏。そんな魚みたいな目して。」
「ブラウン・トラウト釣りたい! 芦ノ湖連れてって!
ミノーロッドとリール買ってぇぇ!!」
出た、駄々っ子ソング攻撃!!
「……はい、予想通り。」
と愛生。ソファの肘掛けに寄りかかりながら冷静に実況。
「音楽の授業で“シューベルトの鱒”を習ってね!
芦ノ湖にブラウン・トラウトがいるって先生が言って!
だから俺も釣りたいんだよ!!」
まるでプレゼン大会。
熱意だけで全てを押し切るタイプの弟。
圭介は額に手を当て、
「また魚か……」と小さくつぶやく。
「明宏、芦ノ湖でネイティブ狙うなら、
まず船舶免許を取らなきゃダメなんだ。魚探も必要だし。」
「つまり?」
「金が、ない。」
隣で愛生も、うんうんと深く頷く。
兄妹シンクロの完成である。
だが明宏、引かない。
ここからが真骨頂。
「じゃあ! 家出しちゃうからね!?
ロッド買ってくれないと、釣具屋の前で寝るからね!?
かーって! かーって! かーってぇ〜」
――無意識にメロディー付きの駄々っ子攻撃が炸裂。
愛生、眉ピクッ。
「歌うな、弟。リズム感だけは無駄にいいのやめて。」
圭介は深く息をつき、
「家出しても、金は増えない。」
「ロッドとリール買ったら、魚探が買えなくなる。」
冷静かつ現実的な兄の一撃。
しばしの沈黙。
明宏は床にぺたんと座り込み、
「……ブラウン……」と呟いた。
兄妹の視線が交錯するリビング。
緑茶の香りだけが静かに漂う。
(――駄々っ子攻撃、虚しく空砲と化す。)
「……明くん、ネイティブ・レインボーが釣りたかったんじゃないの?」
と冷静な圭介。
「もちろん、レインボーも釣りたいけど、ブラウンも釣りたくなったんだ!」
「……はあぁぁぁぁぁ〜」
圭介のため息が、まるで管楽器のように響く。
そこへ姉の愛生が腕を組み、兄と弟の間に割り込むように立ち――
「明くん、いつもお兄ちゃんに頼ってばかりじゃなくて、
たまには自分のお金で釣具買いなよ。」
「えっ⁉ それ愛生が言うの!?」
思わず立ち上がる圭介。
「愛生ちゃんのオムライスとスイーツ代、どんだけ投資してると思ってんの俺!?」
「お兄ちゃん安月給なのに、明くんのために頑張ってるんだよ!」
と正論パンチを放つ愛生。
「いやいやいや! ピノノちゃんグッズ、
いくつ買ってあげたと思ってるの!? 俺の財布が泣いてるんだけど!?」
と圭介、反撃開始。
姉弟、互いにグサグサ刺し合い。
そんな中――明宏、完全に置き去り。
「……あの、ボクのロッドの話……」
か細い声で呟く明宏。
「はっ!」と現実に戻る圭介。
「ああ、そういえば! 俺、会社の付き合いで買った
シーバスタックルが2セットあるんだ。淡水でも使えるぞ?」
「えぇ〜、やだよ〜! トラウト用のミノーロッドがいいもん!」
と明宏、ほっぺたぷくぅ〜。
「まあ確かに、海用と淡水用じゃデザイン違うしなぁ〜」
と圭介、ちょっとだけ理解を示すも、財布は固い。
そこで愛生が口を開く。
「そんなに欲しいなら、お年玉で買いなよ。」
「えっ!? やだよ! せっかく貯めたお年玉使うの、もったいない!」
「そっかぁ〜……じゃあ、残念だけど……」
と圭介、優しくトドメを刺す。
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、今お金ないから。物理的に、無理だねぇ〜〜〜」
現実の壁、立ちはだかる。
明宏、目を潤ませながら立ち上がる。
その瞳には――釣り具屋ではなく、涙の光。
「……いいよっ! どうせ俺なんて……!ブラウンもロッドも、夢の中で釣るもん……!」
そして――
バタン!!
自室のドアが閉まる音だけが響く。
圭介:「あーあ、やっちゃった。」
愛生:「泣くほど欲しいって、ある意味すごい情熱だね。」
圭介:「常にお兄ちゃんお姉ちゃんが助けてくれるとは限らない。
どうしてもミノーロッドが欲しいなら、
お年玉貯金を使ったりと――我が身を削る思いも必要なんだよ。」
愛生:「うん。でも今は、ただの“駄々っ子アングラー”だね。」
兄妹そろって苦笑。
まるで「釣り道」ではなく「人生道」を語るような夜の説教タイム。
そしてその夜――
明宏の部屋からは、布団をバタバタさせながら叫ぶ声が。
「ブラウーーーン!!!」
その魂の咆哮は、まるで芦ノ湖にこだまする野生のトラウトのようであった――。




