モブ男 入部する
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
鱒釣り部——文化祭で最もカオスと噂された部活。
その扉の前に、今、ひとりの男子が立っていた。
田中武士。
中の中の存在であり、クラスの背景で呼吸してきた男。
だが今、彼は違う。
彼の胸には、燃える使命感と無駄に壮大なBGMが鳴り響いていた。
「では、田中くん。入部届け、確かに受け取りました。」
にこやかに微笑む寺ノ沢先生。
「部員のみんなに挨拶に行きましょうか」
「は、はいっ!」
——その瞬間、武士の脳内に風が吹いた。
(ついに来た……この時が……!)
【武士妄想BGM:壮大なRPG風オーケストラ】
光が差す部室。
中では穂乃花姫が待っていた。
「田中くん、私に会いに来てくれたのね……」
頬を染め、潤んだ瞳でこちらを見つめる穂乃花。
(くっ……やはり姫は俺の名を覚えていたか!)
「そうだよ穂乃花姫。
愛に来た——いや、会いに来たんだ」
「まぁ……武士くん……!」
2人の間に差し込む一筋の光。
手と手が重なり——世界が静止する。
「俺は勇者武士。姫の盾となり、鉾となりましょう。
俺の願いは、姫様が常にすこやかであらせられること」
「まあ、うれしい」
穂乃花の瞳がさらにウルウルと輝き、
2人は見つめ合う。
——それが、武士の夢見た“入部初日”の光景であった。
そして現実。
ガラッ(部室の扉が開く)
そこに広がるのは——
クマノミ衣装の洗濯物が干され、
段ボールが山積み、
「売上計算中」と書かれたホワイトボード。
完全なる“文化祭の翌日モード”。
「みんな〜、新入部員の田中くんを紹介しますね〜」
と寺ノ沢先生。
穂乃花「あっ、田中くん……!文化祭のときの!」
(※名前を思い出すのに0.5秒かかる)
愛生「本当に入部する人、きちゃった!」
里香「……あのたい焼き20個、チェキ5枚の人ね」
明宏「……ま、モブ顔だけど働きそう」
武士「(……あれ? もっと拍手とか、姫が抱きついてくる展開じゃ……?)」
勇者の脳内BGMがフェードアウト。
代わりに鳴るのは——
「カリカリ」と電卓を叩く愛生の音。
穂乃花「とりあえず、イスそこ運んでくれる?」
武士「……はっ、はい! 姫の仰せのままに!」
穂乃花「えっ? 何か言った?」
武士「い、いえっ!なんでも!」
こうして——
新たな鱒釣り部員・田中武士、
栄光の(※本人基準)第一歩を踏み出した。
だがその歩みは、
すでに勇者ではなく、完全なる雑用係のそれだった。
たい焼きの段ボールも片付き、
ようやく部室に“平穏”が戻ったその頃——。
そんな空気を読んで、
ふんわり天使・穂乃花が優しく口を開いた。
「田中くんが入部したんだし、みんなで自己紹介しようよ〜」
「……そうね。とりあえず、1人ずつ自己紹介したほうがいいね」
と、あからさまに面倒くさそうな部長・里香。
まずは部長から。
「私、部長の宝塚里香。愛生の幼馴染。よろしくね」
キリッとした顔立ち。クールビューティー。
しかしテンションは室温14℃。
「はい、私は市川愛生。そこの明宏は弟です!」
「今日は“あなたの愛生ちゃん”って言わないんだ」
と里香のツッコミが即座に飛ぶ。
「い、言わないよっ」
愛生はブンブンと首を振る。
「……愛生の弟の明宏です」
鼻をホジホジしながら、視線は床。
「ホジるな明宏!」
愛生の平手ツッコミが炸裂。
部室、軽く笑いが起きる。
——が、次の瞬間。
ついに穂乃花の番。
ふわりと立ち上がる穂乃花。
その瞬間——
「ヒャッホーーー!!!」
……。
場が静まる。
秒で静まる。
全員の視線が一点に集中。
「……ヒャッホー?」
氷点下の声でつぶやく里香。
愛生「……今、誰か言った?」
明宏「鼻にティッシュ詰めてたけど、俺じゃねぇ」
武士(小声)「……ち、違う、心の声が出ただけだ……」
何事もなかったように、穂乃花が微笑む。
「私は桜井穂乃花。田中くんとはクラスメイトだね。
これからは部活も一緒だね、頑張ろうね」
柔らかな声、優しい笑顔。
まるで光が差し込むような瞬間。
——勇者武士、即死。
(ああ……やっぱり姫だ……!俺の穂乃花姫だ……!)
そして、ついに勇者のターン。
「さぁ、武士くん、自己紹介して」
「……待ってました!」
武士、立ち上がる。
(背後に謎の光エフェクト、※本人にしか見えていない)
ぐるりと背を向け、
右手を高々と突き上げ、
「オォォー、」
両手をブンブン振り回す。
その姿は——まるでヒーローが変身ポーズを決める直前、クルリと振り向き
「俺の名は田中武士!
“ぶし”と書いて“たけし”!
勇者——武士だッ!!!」
……沈黙。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
(時計の秒針の音だけが響く)
里香(心の声)「やばい、痛すぎる……」
愛生(心の声)「何が起きてるの……?」
明宏「……アホくさ(鼻ホジ)」
そして、穂乃花だけが——
にこっと微笑んで、やさしく拍手。
「が、頑張ろうね……たけしくん」
その一瞬、
勇者武士の世界に再び光が差した。
(やはり……姫は俺の勇気を感じ取っている……!)
と、勝手に確信する武士。
が、周囲の空気は変わらず——
部員一同、静かに確信した。
「やばいの入ってきたな……」
穂乃花は放課後の部室で帰り支度、ぽつりとため息をついた。
「男子部員が明ちゃん1人で寂しそうだから、
男の子が入部してくれたらいいな〜って思ってたんだけど……」
視線の先では、入部したばかりの**田中武士(自称:勇者)**が、
釣竿を持って「伝説のマスを釣る者」とか呟いている。
「……変な人が入っちゃった。」
ふわりと笑いながらも、目は遠い。
(いや、目の前がカオスすぎて遠くを見ないと正気を保てない)
その時だった。
「穂乃花先輩、一緒に帰ろ」
と、声をかけてきたのは明宏。
中学生男子、淡い恋心。
やや赤い顔、やや鼻ホジり気味。
穂乃花は困ったように微笑む。
「えっと……愛生ちゃんは?」
ちらりと横を見ると、愛生は里香と楽しそうにおしゃべり中。
話題は「たい焼き屋の次の企画どうする?」という完全女子トーク。
明宏、完全放置。
「……いつものことね」
と、穂乃花は肩をすくめ、優しく笑った。
(仕方ないなぁ……もう少し明ちゃんを構ってあげよう)
そう思う彼女は、まさに慈愛の女神であった。
──その優しさを、別の方向から見ていた者がいた。
「……な、なんだあの中坊はッ!!!」
ドアの陰から覗く影。
嫉妬と混乱の入り混じったその眼差し。
そう、彼こそが自称“勇者”——田中武士である。
「麗しき穂乃花姫が、庶民の少年に微笑みを……!?」
「姫をお守りするのは俺の使命!俺の宿命!俺の……!!」
ガタッ!!
(立ち上がる音が異常に大きい)
穂乃花と明宏が昇降口を歩く。
そこへ、颯爽と——いや、ドタドタと——駆け寄る勇者。
「お待ちを、穂乃花姫!」
「……田中くん?」
「そのような庶民の道は危険です!
勇者である俺が護衛を務めます!」
「え? ただの通学路だけど……」
「油断大敵です!!
悪のモブがどこに潜んでいるか分からないのです!!」
「モブって、あなたのことじゃ……?」
「それは言わないでぇぇぇぇ!!!」
そんなやりとりの横で、明宏は眉をひそめていた。
「何だよこの人……俺、先輩としゃべってただけなのに」
穂乃花「まぁまぁ、ケンカしないでね?」
明宏「ケンカじゃなくて、誰コレ?」
武士「姫の騎士です!」
明宏「名乗り方がうざい!」
——修羅場。
いや、**恋のトライアングル(※成立していない)**がここに誕生した。
穂乃花「え〜っと……私、先に帰るね」
(※穂乃花、そっとフェードアウト)
残された2人、沈黙。
明宏「……姫って呼ぶな」
武士「……馴れ馴れしく穂乃花先輩って呼ぶな」
数秒の睨み合い。
その背後で、夕日がやけに眩しかった。




