モブ男 文化祭に立つ
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
モブ、文化祭に立つ」
僕の名前は——田中武士。
ブサイクでもなく、イケメンでもない。
クラスの集合写真に写っていても、
「え、この人いたっけ?」と後から言われる、
中立中間中肉中背中の下くらい男子である。
趣味は読書(特に異世界勇者作品)を好んでいる。
「青春」や「恋」なんて単語を聞くと、
胃がキュッとするほど苦手だ。
運動神経も中。
成績も中。
存在感も中。
——つまり、“中”のプロ。
職業:モブキャラ。
体育祭?
あぁ、どうせ応援団の声が聞こえない位置で旗持ちだ。
球技大会?
はい、観客席でスコア係してます。
文化祭?
……もはや人生の罰ゲームである。
廊下を歩けば、
イケメン陽キャ男子が爽やかに笑い、
女子はキラキラと青春を撒き散らしている。
彼らの世界にはBGMが鳴っている。
でも僕の世界には——風の音しかしない。
「文化祭とかさ、正直“空気”の僕が参加する意味ある?」
そう呟きながら机に突っ伏していたら、
委員長がプリントを配ってきた。
『文化祭クラス別参加一覧表』
——そう、
“逃げ場のない地獄リスト”である。
(はぁ……今年もこのイベントが来たか……)
(どうせまた、裏方で机運んで終わりだろ……)
その時、武士の脳裏に雷が落ちた。
「鱒釣り部」——たい焼き&チェキ撮影会
……たい焼き?
チェキ?
鱒釣り?
(なんだそのカオスな組み合わせ……)
胸の奥に、モヤモヤとした“嫌な予感”が湧く。
そう、この瞬間。
田中武士の平凡なモブ人生は、
ほんの少しだけ、騒がしい方向へ動き始めたのだった。
僕の名前は田中武士。
勇者である。
——少なくとも、今この瞬間だけは。
なぜなら、僕はあのカオスな看板を見たのだ。
『鱒釣り部 presents!たい焼き&チェキ撮影会♡』
鱒釣りとたい焼きはまだ分かる。
だが、なぜチェキ。
誰が撮る。
誰が撮られる。
なぜそんな破滅の香りしかしないイベントを開催するのか。
この世界の理不尽を正すため、僕は立ち上がった。
「くだらない企画なら——怒涛の非難を浴びせてやる」
……もちろん、心の中で。
SNSには上げない。怖いから。
——そう、俺は心の広い男なのだ。
胸に手を当て、深呼吸。
(いざ、参る……我が名は——勇者武士!)
心のBGMはRPG風。
頭の中ではマントが風に翻り、背後でドラゴンが吠える。
……実際はただの、廊下を歩く地味男子。
しかし、本人の脳内演出は超大作映画級だった。
そして、鱒釣り部室の扉を開いた瞬間——
「いらっしゃいませ〜♡
私たちとチェキ撮影しましょう〜♪」
まぶしい……!
そこには、オレンジと白のボーダーが眩しいクマノミ衣装の天使たちがいた。
愛生と穂乃花。
笑顔で光り輝くふたり。
勇者武士、初手で光属性攻撃9999ダメージ。
(くっ……!笑顔で誘惑してくるだと……!?
そんな初歩的な手に、俺が乗るわけ——)
「あっ、田中くん、来てくれたんだ〜♡」
——どごぉぉんッ‼
クリティカルヒット。
“同じクラスの桜井穂乃花ちゃん”が、ホワホワした笑顔で駆け寄ってきたのだ。
あっ、あの……俺の名前、覚えてる……!?
それだけで、武士の脳内では天使の合唱と打ち上げ花火が乱舞する。
「田中くん、私とチェキしようか♪」
胸が、近い。
穂乃花の胸が揺れるたびに——武士の心も揺れる。
鼓動がBPM200を超える。
(な、なんだこのイベント……心拍数を上げて部費を稼ぐ拷問装置か……!)
そして、そこから先は記憶がない。
気づけば、チェキを撮り、たい焼きを大量に買い、
部室の外に立っていた。
手には甘いたい焼き。
胸には苦い余韻。
「また後でクラスで会おうね〜♪」
……その優しい声だけが、
今も僕の鼓膜でリピート再生されている。
勇者、穂乃花に撃沈。
本日、**心に致命傷**を負った。
あの時間は——夢だったのかもしれない。
僕は今、たい焼き20個の山の前でひとり。
カリカリの尻尾を噛みながら、**失った過去(たった30分前)**を必死に思い出していた。
確かに、僕は彼女と“見つめ合った”のだ。
(※実際には穂乃花がレンズを見ていただけ)
確かに、僕たちは肩を寄せ合った。
(※彼女が軽く体を傾けた瞬間、武士が一方的に肩をぶつけた)
確かに、僕たちはハートを作った。
(※穂乃花が全員にやってる定番ポーズ)
——ラブラブ。
そう、間違いなくラブラブだった。
(※武士の脳内限定放送)
そして撮影後、彼女は微笑みながらたい焼きを手に取った。
「たい焼き、美味しいよ〜♡」
その優しい穂乃花の声と、ふわりと揺れる髪。
甘い香り。
そして……揺れる大きなお胸。
(あぁ……俺、今、人生の絶頂にいる)
「武士くんには、いちごあんが似合うよ♡
ずんだあんも入れちゃえ〜♪」
その瞬間、僕の脳は完全に恋愛フラグを検知。
穂乃花は僕に特別なたい焼きを選んでくれている。
そう、これは恋のサインだ。
——しかし現実は違った。
(※実際は在庫処分セール中)
(※残りのいちごあんとずんだあんが大量)
(※愛生が「売り切れにしたい!」と叫んでいた)
結果、僕はチェキ5枚とたい焼き20個を購入。
財布がスッカラカンになったが、心は満たされていた。
(これが……恋ってやつか……)
頬に粉砂糖をつけながら、たい焼きをもぐもぐ。
食べても食べても減らないたい焼き。
まるで穂乃花への想いのように——
重くて、甘くて、止まらない。
周囲の生徒たちは囁く。
「あの人、さっきからたい焼き食べ続けてるけど大丈夫?」
「もしかして販売員の人にフラれた?」
だが、武士には聞こえない。
彼の世界は穂乃花の笑顔で満ちていた。
「また……あの笑顔に会いたい」
勇者武士、恋の毒(カスタード味)に侵されていた。
文化祭の終わりを告げる放送が流れ、
校舎にはガタガタと机を動かす音と、疲れた笑い声が満ちていた。
武士はというと——
たい焼き20個を平らげたお腹を抱え、腹部に爆弾を抱えたような顔で、
「片付け作業」という名の地獄に参加していた。
「……動くたびに腹の中でたい焼きが暴れる……」
「俺の中で鯛が跳ねてる……」
そんな情けないつぶやきを漏らしつつ、廊下に出る武士。
胃薬と水を求め、ふらふらと歩くその時だった。
——聞こえてきた、あの声。
「たい焼きとチェキで鱒釣り部の宣伝になったかなぁ〜」
(ん……この声は……まさか、穂乃花ちゃん!?)
「部員の男の子、明ちゃん1人だからね」
「うんうん、男の子が入れば、明くんもっと楽しいと思う」
「誰か男子部員、鱒釣り部に入ってくれないかな」
——その瞬間、武士の脳内で天使がベルを鳴らした。
チリーン
(今、俺に……話しかけた?)
武士の心の中で、唐突に始まる“運命の演出”
【武士脳内妄想ナレーション】
『静寂の廊下に響く姫の願い。
その声は確かに、我・勇者武士の耳朶を打った。
穂乃花姫よ、貴女は恥じらいを隠すため、
あえて“誰か男子”などと遠回しに言ったのだな……!』
「……そうか、俺を……呼んでいたのか」
武士の瞳がきらりと光る。
(姫よ、貴女のその優しい声、確かに受け取った。
ならばこの命、釣竿ごと差し出そうではないか!)
腹をさすりながら、拳を握る。
たい焼きの油がまだ胃に残っているのに、
心だけは**完全に“戦いのモード”**に突入していた。
そして、穂乃花と愛生が何も知らずに通り過ぎた直後——
武士は後ろ姿に向かって小声で宣言した。
「穂乃花姫……勇者武士、
貴方様の“釣りパーティ”に加入致します……!」
その言葉とともに、彼は拳を胸に当てて深々と礼をした。
周囲の片付け中の男子たちはざわつく。
「……田中、何してんの?」
「お前、誰に敬礼してんの?」
だが武士にはもう、彼らの声は届かない。
彼の世界には今、穂乃花姫と釣り竿とロマンしか存在していなかった。
こうして——
翌日、鱒釣り部の扉を叩く「新入部員・勇者武士」が誕生するのである。
(※なお、誰も彼を呼んでいない)




