単独行動 ②
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
午後の釣りを開始した三人。
兄と姉にたっぷり叱られた明宏だったが――
「……ふん、別に怒られただけだし」
全く気にしていない。
兄弟仲が悪くなるわけでもない。
なぜなら、彼は末っ子。
「ちょっとくらいのワガママは、きっと許されるんだもん♪」
そういう甘えの公式が、明宏の頭の中にはしっかりインストールされていた。
――が。
相手が魚となると、話は別。
竿を振る。ルアーが水面を走る。
「……食え!食え!食えよ!」
水中のトラウトに念を送り続けるが、返事はない。
忍野の流れは澄んで美しく、管理釣り場に近い整った環境。
だからこそ、虹鱒はそれなりに釣れる。
――それはそれで嬉しい。
だが、ネイティブは別格。
野生のトラウトは、まだ一匹も釣れていない。
魚は兄や姉のように甘やかしてはくれない。
ぷぅ〜と膨れても、スネても、全く相手にされない。
「……ぐぬぬ、魚って冷たい」
そうぼやきながらキャストを続ける明宏の背中は、
どこか“末っ子の甘えが通じない現実”を突きつけられているようでもあった。
時刻は正午を過ぎ、魚がいちばんやる気をなくす時間帯。
鱒たちは岩陰でお昼寝、虫も少なく、水面は静まり返っていた。
だが――末っ子明宏は止まらない!
「よしっ!次はあのポイントだ!」
ぴゅんっ!とルアーを投げ込む。
……無反応。
「ちぇっ、移動!」
とことこ、そしてまたキャスト。
……やっぱり無反応。
「ちぇっ、次!」
まるで“魚のいない早口回し稽古”のように、数投ごとに移動を繰り返す。
その後ろをついていく圭介と愛生。
「……なぁ愛生」
「……なに?」
「これ、修行だよな?」
「うん、完全に練習試合のノリだよね」
二人はもう悟っていた。
釣れる・釣れないは二の次。
今の明宏は“ネイティブ挑戦のための模擬戦”をしているのだ。
とはいえ――
ランガンする明宏のペースは、子犬が散歩でリードをぐいぐい引っ張るかのよう。
兄と姉は「ちょ、待って!」と小走りで後を追う羽目に。
「はぁ、はぁ……お前さぁ……」
「もうちょっと落ち着いてキャストしなさいよ!」
しかし明宏は振り返りもせず、元気いっぱいに叫ぶ。
「だって練習なんだから!いっぱい投げないと意味ないだろ!」
……結局、魚は釣れないが。
兄と姉の“体力トレーニング”としては完璧に成立していたのだった。
時刻は午後2時。
川沿いを歩き続けた圭介と愛生の足取りは、もはやスローモーション。
「……喉、からっからだなぁ〜」
「……自販機どこ……オアシスどこ……」
二人が干物のようにふらつきながら辺りを見回すと――
愛生の目がキラーン!✨
「あっ!ここ、水族館の近くじゃん!
ねぇねぇ!前のカフェでかき氷食べようよ!」
その一言に、圭介の顔がパァァッと輝く。
「おぉ〜〜!それだ!冷たくて甘いやつ!俺も食べたかったんだよぉ〜!」
さっきまでの死にかけた顔はどこへやら、まるで復活の呪文を唱えられたかのように元気になる。
だが、その横で――
明宏は。
ルアーを投げ、リールを巻き、また投げる。
喉の渇き?暑さ?そんなもの忘れた。
今の彼の頭にあるのは「魚、魚、魚!」の三文字のみ。
「……こいつ、完全に別世界の住人だな」
圭介がぼそり。
愛生は腕を組んで一歩前に出る。
「ねぇ〜明くん!」
「……(キャスト中)」
「ちょっと!休憩しよ!かき氷食べよ!」
「……(キャスト継続)」
愛生はピシャリと声を張り上げる。
「真夏だよ!?熱中症になるよ!?」
その言葉にようやく圭介も援護射撃。
「そうだぞ!俺たちはもうカラッカラだ!氷だ!糖分だ!生きるためだ!」
明宏はルアーを回収しながら、ちらりと二人を振り返る。
(……かき氷……?冷たい……甘い……?)
ほんの一瞬だけ、釣り脳が揺らぐ。
果たして――魚か、かき氷か!?
確かに――かき氷は魅力的だ。
冷たいし、甘いし、頭キーンってなるのもまた夏の風物詩。
……でも明宏の本音は違う。
「釣りしたい」
ただその一言に尽きる。
(わざわざカフェ行かなくても、すぐそこに自販機あるじゃん。スポーツドリンクで十分じゃん)
そう思う気持ちは、顔にもしっかり出ていた。
その微妙な表情を見逃さなかったのは愛生。
にっこりと優しく微笑み、
「ねっ、明くん、かき氷行こ?」
まるで甘えるように、おねだりするように、声をかける。
……しかし。
明宏の頭の翻訳機は、こう変換してしまった。
《お姉ちゃんがどうしてもかき氷食べたいんだな》
《仕方ないなぁ〜、俺が付き合ってあげるか》
「はぁ……しょうがないな」
ため息をつき、まるで“姉のわがままを受け入れてあげる末っ子”というポジションで頷く明宏。
……もちろん現実は逆である。
本当は愛生が、末っ子の熱中症を心配しての提案。
姉としての優しさ100%なのだ。
圭介はそのすれ違いを横で眺めていて、
「お前なぁ……完全に勘違いしてるぞ」
と心の中で突っ込みながらも、あえて口には出さない。
結果、三人は仲良く(?)カフェへ。
だが明宏の脳内ナレーションはこうだった。
「……ったく、姉ちゃんのわがままに付き合うのも楽じゃないな」
一方で圭介は、
(……ほんとは明のためなのに)
と呆れ笑いするのだった。
三人はカフェへ。
冷房の風がふわりと頬をなでると、圭介は思わず声を漏らした。
「はぁ〜〜、涼しいなぁ〜〜!」
汗でシャツが張り付いていた体が一気に解放される。
テーブルに並んだのは、いちご・ブルーハワイ・メロンの三色かき氷。
まるで夏祭りの屋台のような彩りだ。
「いちご美味し〜♡ 生き返るみたい!」
愛生は嬉しそうに頬を緩める。
「随分と汗をかいたからなぁ〜、かき氷はありがたいなぁ〜」
圭介も頭をキーンとさせながら、幸せそうにスプーンを動かす。
……一方で、明宏は。
無言。
ただひたすらにシャクシャクシャク。
かき氷を砕く音だけが響く。
(……この二人、完全に観光気分じゃね?)
明宏の心の声は、やや冷め気味。
そんな中、圭介がちらりと腕時計を見る。
(お、意外と食べ終わるの早いな……でも、明宏をもうちょい休ませたい)
すると圭介、腕時計を指さして愛生に見せる、そしてテーブルのメニューを愛生に向けて指差す先は「アイスティー」。
愛生はピクッと反応し、コクリと頷く。
圭介「……甘い物食べたら、アイスティーが飲みたくなったなぁ〜」
愛生「そうだね〜。もう少しゆっくりしたいしね〜」
――まるで小芝居のように息の合ったやり取り。
しかし!
その瞬間、明宏のスプーンが止まった。
スッと立ち上がり、呆れ顔で一言。
「……俺、先に釣り戻るから」
(まったく……兄貴と姉ちゃんのわがままには困ったもんだ)
そう思いながら立ち去ろうとする末っ子。
――が、圭介と愛生の心の声は真逆だった。
(お前のために休ませてんのにぃ〜〜!!)
冷房の効いたカフェの片隅で、兄姉と末っ子の“すれ違いトライアングル”は今日も健在だった。
ガタッ!
立ち上がった明宏は、圭介の伸ばした手をヒョイッと振り払い、そのまま出口へ。
「おい、待て明宏!」
圭介も慌てて椅子を引き、追いかけようとする――
が、スッとその袖を掴む影がひとつ。
「ちょっと待って、お兄ちゃん」
愛生の低い声。
圭介「でも、このままじゃ――!」
愛生「ダメだよ。ここで毎回助けに行ったら、明くんは“身勝手しても兄ちゃんと姉ちゃんがどうにかしてくれる”って思っちゃう」
圭介「……!」
愛生の目は真剣だった。
カフェの冷房よりも冷たく鋭いその眼差しに、圭介は思わず口をつぐむ。
「ここは心を鬼にして、追いかけない方がいいよ」
愛生はしっかりと言い切った。
圭介はぐっと拳を握る。
「……そうだな。甘やかすだけじゃダメだもんな」
愛生はにっこり微笑み、さらりと一言。
「それにね、明くんの後ろを歩いてたとき、漁協の地図にチェック入れといたから大丈夫」
「……!!」
圭介の胸にじわ〜っと広がる感動。
(うちの愛生ちゃん……めっちゃお姉ちゃんに成長してるじゃん!)
(嬉しい……!嬉しい……!)
その感情が顔に出すぎて、圭介の頬はゆるゆる。
愛生は照れくさそうに「愛生ちゃんまっかせなさ〜い」と満面の笑顔。
そして二人は、ゆったり腰を下ろすと――
「アイスティー、お願いします」
結局、仲良くティータイム。
グラスの中で氷がカランと鳴り、外では末っ子が全力疾走している。
兄姉は優雅にティータイム、弟は真夏の炎天下でランガン。
なんともシュールな「夏の兄妹模様」であった。
カラン、と最後の氷を飲み干し、アイスティー終了。
圭介と愛生はすっかり涼んで、のんびりと桂川へ戻っていった。
しかし――
「……あれ?」
圭介が辺りを見回す。
川のほとり、釣り人は数人いるが……肝心の明宏の姿がない。
「まあ、大丈夫だろ。明宏は気が小さいし、怖がりだし……絶対近くでオドオドしてるよ」
余裕たっぷりに笑う圭介。
「そうだね。直に“おっそ〜い!”って出てくるよ」
愛生もにっこり同意。
――が。
……待てど暮らせど、出てこない。
川岸にも、橋の上にも、草むらの陰にも……いない。
「……え?」
「……あれ?」
二人の表情がじわじわ凍りついていく。
圭介「ま、まさか……」
愛生「リアル迷子……?」
静かな川のせせらぎが、逆に恐ろしく聞こえてくる。
つい数分前までの余裕が一気に吹き飛び、二人の心臓はドキドキ最高潮。
圭介「ちょ、ちょっと待て!笑い事じゃないぞ!」
愛生「ど、どうしよう……!やっぱり追いかけるべきだったんだよ〜!」
――そう、末っ子・明宏。
この炎天下の桂川で、まさかのガチ迷子状態に突入していたのである。




