単独行動 ➀
読んで下さる皆様、心より感謝致します。
ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
愛生がもう1匹、明宏がさらに2匹追加して、
「これでどうだ!」と言わんばかりのドヤ顔を見せた頃には、
すっかり魚の反応も薄くなり、時刻は11時。
「……うん、もう完全に沈黙タイムだな」
圭介は腕時計を見ながらため息。
すると愛生がクルッと振り向き、キラキラの笑顔で宣言する。
「じゃあ、富士吉田うどん行こっ!早めに食べたら混まないよ!」
その瞬間、空気が変わった。
さっきまで「釣りたい!釣れない!」と暴れていた明宏が、
「え?あ、うどん?うん、まぁ……」と急におとなしくなる。
圭介と愛生、明宏は徒歩でうどん店へと向かう
「こいつ、完全に妹の食欲に押し切られてるな」と苦笑。
愛生の“うどんテンション”が爆発。
「あのね、富士吉田うどんはね、麺が太くてモチモチしてて、
おつゆはお醤油とお味噌ベースで、かぼちゃの天ぷらとか絶対合うんだよ〜!」
と語り出し、すっかりグルメリポーター状態。
明宏は、まだ釣果に未練タラタラで、
「いや、でもあと30分やれば……」と小声でつぶやくが、
愛生がスパーンと一言。
「お魚よりうどん!」
明宏、ぐうの音も出ない。
忍野八海に近づくにつれ、観光客でにぎわう街並みが見えてきた。
圭介は心の中でそっとつぶやく。
「……まぁ、釣りもいいけど。愛生の“うどんパワー”の方が、ずっと手強いな」
休日の忍野八海は、大勢の観光客で賑わっていた。
カメラを構える人、湧水を覗き込む人、そして…香ばしい匂いに釣られる人。
「ねえねえ!あった!この店だよ!」
愛生が指差した先には、暖簾をはためかせる吉田うどんの店。
その笑顔は本日の釣果よりも輝いている。
――そう、愛生にとって釣りより大事なのはグルメである。
しかし、店の前にはすでに長蛇の列。
「こんなに並ぶなら、きっと味は期待できそうだなぁ〜」
圭介は腹をさすりながら、ぐぅぅ…と正直なBGMを奏でた。
「うぅ…早く食べたい…」
愛生は期待に胸をふくらませる。いや、胸ではなく胃袋である。
ただ一人、明宏は渋い顔。
「……こんなに待ってたら午後のライズ逃すぞ」
釣り師魂は健在で、お昼の行列など理解不能。
彼の頭の中には、うどんよりライズリングが浮かんでいた。
三者三様の思惑を乗せ、列はじわじわと進んでいく。
ようやく列が進み、店内の暖簾越しにテーブルがちらりと見えてきた。
壁にかかった大きなメニューも視界に入り、待ち時間に飽きていた愛生が急に元気を取り戻す。
「わぁ〜っ!何食べようかなぁ〜!」
愛生は子供のようにスキップしそうな勢いでメニューを指差す。
「う〜ん…肉天うどんかなぁ〜!いやでも冷やしも気になる!」
目が完全にハート型である。
「俺はちく天うどんにしようかなぁ〜」
圭介もすっかり浮かれて、釣竿を選ぶとき以上に真剣に悩んでいる。
お腹の虫も「チクテン!チクテン!」と合いの手を入れているようだ。
その横で、ただ一人。
明宏は腕を組み、眉間にシワを寄せていた。
(……おいおい、うどんごときにこんなに時間をかけるのか?)
(早く食べて、早く川に戻らねぇと!魚が待ってくれると思ってんのか!)
列が一歩進むたびに、愛生と圭介のテンションが上がり、明宏のイライラゲージも比例して上昇。
ついには心の中で「ライズ > うどん」と巨大な不等号が点滅しはじめた。
だが次の瞬間、愛生が嬉しそうに振り返る。
「ねえ明くん、何食べる?私、肉天にするけど!」
その屈託のない笑顔に、明宏は一瞬だけ返答を詰まらせ――
「……かけでいい」
結局、食欲より釣欲が勝ち、最速で食べられそうなメニューを選んでいた。
程なくして三人は入店成功。
「うどんだから回転早いんだな〜」と圭介が感心する横で、愛生は「意外とすぐ入れたね!」と笑顔満開。
…しかし、ただ一人。明宏は落ち着かない。足は貧乏ゆすり、目は時計と出口を往復。
注文は決まった。
圭介は「俺はちく天うどん!」と堂々と。
愛生は「私は肉天うどん〜♡」と幸せそうに。
そして明宏は「……かけで」と、まるでラーメン屋で水だけ頼むようなテンション。
当然、最速で出てきたのは明宏のかけうどん。
「お待たせしました〜」の声と同時に、彼は戦闘モードに突入。
ずずずずずっ!もぐもぐ!ずばばばっ!
――箸が光速を超える。もはや観光客の目には「かけうどんが瞬間蒸発した」としか見えない。
その頃ようやく圭介と愛生のちく天&肉天が登場。
「いただきま〜す!」
二人は顔を見合わせ、にこにこ。
まるでデート中のカップルのように、うどんを前に幸せオーラ全開だ。
しかし――
がたっ!と椅子の音。
「俺、先に桂川戻る!」
すでに丼を空にした明宏は、立ち上がりかけたまま宣言。
両手にはまだ湯気の残る器を握りしめ、背中からは「早く魚!」の執念がにじみ出ている。
愛生と圭介は顔を見合わせてポカン。
次の瞬間、二人同時に吹き出した。
「ちょ、待ってよ明宏!早すぎ!」
「……せめて食べ終わるまで座ってろよ!」
こうして、三者三様の“うどんランチタイム”は、やっぱり釣り師明宏の性格を際立たせて幕を閉じた。
「……えっ、マジで行っちゃった!?」
愛生の声が店内に響く。
椅子は空っぽ、丼は空っぽ、そして明宏も空っぽ。
――そう、彼はすでに桂川へと消えていた。
圭介は顔を青ざめさせた。
「いやいやいや、中学生が一人で川戻るとか…もう笑えないから!」
漁協の地図?ある。
スマホのGPS?一応ある。
でも――土地勘ゼロ!方向感覚ゼロ!
さらに川には足元注意ポイントが盛りだくさん。
(このままじゃ“明宏 in 忍野迷子伝説”が生まれるぞ!!)
圭介は丼を見つめた。
熱々のちく天うどん。
そして、黄金色に輝くスープ。
飲みたい、すすりたい、最後にレンゲで味わいたい……。
だが!
「明宏の命 > スープ」
涙をこらえ、ちく天を噛み砕く。
咀嚼、咀嚼、そしてごくん!
――スープ?断念!
「あぁ〜〜!スープ飲みたかったぁ〜〜!!」
心の叫びを残し、圭介は財布を愛生に託した。
「頼んだ!俺、先に行く!」
「えっ!?ちょっと!?小銭どうすんの!?」
「あとで!全部あとで!」
愛生の手に残されたのは、温もりの残る財布と、まだ半分残った肉天うどん。
そして出口へ猛ダッシュする圭介
明宏は三人きょうだいの末っ子。
自他ともに認める甘えん坊で、わがままボーイである。
兄の圭介と姉の愛生は、いつもその後始末に奔走していた。
――そして今。
桂川の流れに立ち込む明宏の姿を、圭介は発見。
「はぁぁぁ……いたぁぁ……」
肩の荷が下りた瞬間、圭介はその場に崩れ落ちそうになった。
すぐさまスマホを取り出し、愛生に連絡。
「見つけた!無事!釣りしてる!」
受話口から聞こえる「よかったぁ〜!」の声に、圭介もようやく胸を撫で下ろした。
しかし。
当の本人、明宏は――。
真剣な顔でキャスト。
ラインが風に乗って弧を描く。
「ふっ、やっぱり忍野は最高だな」
……兄と姉が胃をキリキリさせて探し回っていたことなど、露ほども気付いていない。
圭介は川岸で額を押さえ、
「お前なぁ……俺のスープ返せ……」と小声でつぶやく。
愛生からはLINEが飛んでくる。
《明宏、全然悪びれてないでしょ?》
《今は“釣りモード”だから話聞かないぞ》と圭介。
こうして、末っ子のわがまま大冒険は、またしても兄と姉の胃を痛める形で幕を下ろしたのであった。
無事に川で再会した三人。
しかし、ほっとする間もなく――
「明宏っ!」
愛生のお説教タイムがスタートした。
腰に手を当て、ビシッと指差しながら、まるで先生のように。
「迷子になっちゃうから、3人一緒に行動するって最初にお話ししたでしょ!」
すると明宏、竿を肩に担ぎながら――
「え?俺、そんなの聞いてないし」
ケロッとした顔で返してきた。
(聞いてたよな!?)
圭介と愛生の心の声がハモる。
圭介も加勢する。
「とにかく危ないから!これからはお兄ちゃんとお姉ちゃんの近くに居なさい!」
兄らしく、強めの口調で叱った。
しかし明宏は――
「……ふんっ」
ぷぅ〜っと頬をふくらませて、ふてくされポーズ。
その顔には「叱られてるけど全然平気」のオーラが漂っていた。
むしろ“叱られてる俺、かわいいでしょ?”と言わんばかりの余裕っぷり。
圭介は頭を抱え、愛生はため息をつく。
「……こいつ、完全に甘えてんな」
「……全然こたえてないよね」
二人の兄姉の疲れ顔をよそに、
末っ子明宏は余裕しゃくしゃく、竿を振る準備をしていたのであった。




