夏休みキャンプ ④
テントの中――
「……んがぁ……」と気持ちよく寝ている圭介。
そこへ、ゴソゴソと揺れる寝袋。
「圭ちゃん、ねぇ、起きてよ!」
明宏の声がひそひそなのに、妙にせわしない。
「ん〜……まだ暗いじゃん……」
圭介、寝ぼけ眼で腕時計を確認。
「……午前4時半⁉」
思わず声が出る。
「ねぇねぇ、釣りしたい!車に乗せてる釣り具、取りに行こう!」
明宏、目は完全にギラギラ、手はソワソワ。
もはや落ち着きゼロ。
「お前なぁ……4時半だぞ……」
圭介は寝袋に潜ろうとするが、
明宏がぐいっと腕を引っ張る。
「もう我慢できないんだって!」
渋々、寝袋から脱出する圭介。
「……わかったよ、わかったから声でかくすんな……」
ふと、テント内を見渡すと――
「あれ?寺ノ沢先生いない?」
本来なら一緒に寝ているはずの先生の寝袋は空っぽ。
「朝の散歩でもしてんのかな……」
と、あまり深く考えず、
まだ眠そうな顔のまま、明宏に連れ出される圭介だった。
まだ夜明け前の本栖湖。
空はかすかに明るみ始めているが、湖面はしんと静まり返っている。
圭介と明宏、車から釣り具を取り出して
ガサガサとウェイダーに着替える。
「よし、準備完了!」
明宏、胸まで覆うウェイダー姿にご満悦。
圭介もズカズカと湖へ入水。
竿を構えて――
――シュッ、シュッ。
静寂を切り裂くキャスト音が湖畔に響く。
「気持ちいいな……」
まだ眠気の残る圭介も、すっかり目が覚めてくる。
すると明宏が不思議そうに言う。
「ねぇ……僕たちの他にも誰か竿振ってるよね?」
確かに、薄明かりの向こうに人影が見える。
黙々とキャストを繰り返すその姿。
「……誰?」
そ〜っと近付いてみると――
「えっ……先生!?」
「まじかよ!」
そこには、フル装備の寺ノ沢先生。
湖面に向かい、真剣な表情でキャスト中。
フォームが妙にキレイで、しかも飛距離がすごい。
「先生……完全にガチ勢だ……」
圭介が呟く横で、明宏は目を輝かせる。
先生はふとこちらに気付き、
「お、君たちも朝練か?」
と、まるで同じチームの仲間かのようなノリ。
圭介と明宏は顔を見合わせ、
(先生、思った以上に釣り変態だった……)
と心の中で同時につぶやいた。
湖畔に立つ寺ノ沢先生。
その手には細くて長い、しなやかなロッド。
リールはピカピカの最新型。
細いPEラインが朝日を反射してきらめく。
シュパーン!
軽量スプーンが一直線に飛んでいく。
水面に着水すると同時に、
先生はリズムよくリールを巻き、
スプーンをまるで生きている魚のように泳がせていた。
「……え、先生、フォーム綺麗すぎない?」
と圭介。
明宏は目をキラッキラさせて前のめり。
「やっべぇ……あれ完全に上級者の動きだよ!
てか装備、全部ガチじゃん!
細いPEラインに最新リール、高そうなロッド!?
あれ、いくらするんだろう……」
心の中で明宏は叫んだ。
(寺ノ沢先生……あんた、ただの顧問じゃなくて、
ネイティブトラウトのプロじゃん!)
思わず両手で竿を握りしめ、
「先生、弟子にしてください!!」
と叫びそうになるのを必死にこらえる明宏だった。
隣で圭介は、
(いやいや、あのテンション……
完全に推しアングラー見つけたオタクじゃん……)
とちょっと引き気味だった。
3人並んで湖に立つ。
圭介と明宏は6ftのエリアロッドを構え、
寺ノ沢先生は堂々の8ftネイティブロッド。
「せーのっ!」
3人同時にキャスト!
シュパーン!
先生のスプーンは遥か沖へ――
ドボンと美しい放物線を描いて着水。
一方、圭介と明宏のスプーンは……
ポチャン、ポチャン。
足元からちょっと先、まるで金魚すくい。
「…………」
「…………」
(あ、これ……飛距離、全然足りてない……)
圭介も明宏も心の中で同時に悟っていた。
「湖って……やっぱり広い……」
小声でつぶやく圭介。
「エリアタックル……まるで豆鉄砲だ……」
膝から崩れ落ちそうになる明宏。
その瞬間――
ググッ!
「お、来ましたよ〜」と寺ノ沢先生。
竿がしなり、ラインが踊る。
湖面がキラリと弾け、小ぶりながら銀色に輝く虹鱒が跳ねた。
先生は涼しい顔でスッと取り込み、
「はい、ネイティブのニジマスくんです」
と、まるで日常の一コマのように微笑む。
「すげぇぇぇええ!!!」
明宏は目を星にして大興奮。
「う、うわぁ〜本物の湖鱒だ!先生マジで上級者だ!!」
圭介は横目でチラリ。
(いや……先生はすごいけど……お前のテンションが一番すごいよ……)
「先生、今の……どうやったら釣れるんですかっ!」
明宏は水しぶきがかかるほどズイッと前に詰め寄る。
寺ノ沢先生はニコリ。
「うーん、まずは飛距離ですね〜」
と、穏やかに答えながら自分のロッドを掲げる。
「この8ftロッドで軽いスプーンを遠くに飛ばして、
底を取ってからゆっくり巻くんです」
明宏は目をキラッキラにしてメモ帳を取り出す。
「飛距離……底を取る……ゆっくり巻く……」
真剣に書き留めるその姿は、もはや受験生。
「あと、リーリングは一定のリズムで〜」
「はいっ!リズムですねっ!」
「でもたまにスピードを変化させると効果的ですよ〜」
「はいっ!変化ですねっ!!」
横で圭介がポツリ。
「いや、まず竿の長さからして勝負になってないんだけどな……」
しかし明宏は聞こえていない。
先生の一挙手一投足を凝視し、
まるで「ネイティブトラウト道場」に入門したかのような集中力。
「先生、もう1投お願いします!」
「はい、行きますよ〜」
シュパーン!
先生のキャストは今日も美しい放物線を描き、沖へ消えていく。
「うおぉぉ〜、やっぱりカッコいい〜!」
明宏は湖に向かって拳を握りしめる。
圭介は苦笑いしながらロッドを構え直す。
(いや……お前まず自分のスプーン投げろよ……)
寺ノ沢先生はキャストを決めたあと、解説モードに入った。
「今朝は無風ですし、キャンプ場前は遠浅の砂浜になっています。
こういう状況では、軽めのスプーンを遠投できるタックルが有効なんですよ〜」
なるほど、と頷く明宏。
圭介も腕を組んで「ふむふむ」と真剣な顔。
先生はさらに続ける。
「もし風が強いときは、軽いスプーンでは飛距離が出ませんからね。
そういう時は、太めで硬いロッドに持ち替えてメタルジグを投げます」
その瞬間、圭介と明宏の目がまん丸になる。
「め、メタルジグ!?」
「トラウトで!?」
ふたり同時に同じセリフを叫び、顔を見合わせる。
(え、メタルジグって、青物とかヒラメ狙うときに使うアレじゃん!?)
「先生、トラウトってそんなハードルアーでも釣れるんですか!?」
と明宏が身を乗り出す。
先生はニコッと笑って頷く。
「もちろんです。大型のブラウンやレインボーが思いっきり食ってきますよ〜」
その言葉に、圭介と明宏はガタッと立ち上がる。
「な、なんか急にメタルジグ投げたくなってきたぁぁ!」
「お、俺もジグ買う!ジグ用ロッド買う!」
完全にタックル沼に片足を突っ込む二人。
しかし、今はエリアタックルしか持っていない
明宏は、湖面に向かってひたすらキャスト。
シュッ!ポチャン。
シュッ!ポチャン。
(……まだ釣れるかもしれない。次こそ、次こそ……!)
淡い期待に取りつかれ、同じ動作を延々と繰り返す。
横で圭介はロッドを置き、ため息をついた。
「……もうダメだ、飛距離が全く足りない」
そう言って釣りをやめ、空を見上げる圭介。
だが明宏は諦めない。
(まだだ……まだチャンスはあるはずだ……!)
その時、寺ノ沢先生が時計を見て声をかける。
「時刻は6時半。そろそろ戻りましょう。女の子達も起きますからね」
「あと1回だけ!」と明宏。
しかし、その「あと1回」が何回も続く。
「今のは練習!」「これがラスト!」
「今のは風が悪かったから、次がほんとのラスト!」
圭介が苦笑いしながら近づく。
「明くん、気持ちは分かるけど……戻らないと、みんなの朝ごはん待たせちゃうぞ」
明宏はハッとしたように黙り、ロッドをゆっくりたたむ。
その顔は俯いていて見えないが、肩が小さく震えていた。
(芦ノ湖も……本栖湖も……一匹も釣れないなんて……悔しすぎる……)
でも、ここで泣いてしまったら、絶対里香にいじられる。
「な〜に泣いてんの明くん〜」って絶対言われる……。
歯を食いしばって、涙をグッとこらえる明宏。
圭介はそんな背中を見ながら、
(……この子、本当に釣りが好きなんだな)と、少し胸が熱くなるのだった。
キャンプ場へ戻る圭介と明宏。
野外炊事場には、すでに愛生・里香・穂乃花・寺ノ沢先生が集合済み。
「……おそ〜い」
言葉には出さないけれど、部員たちの視線がちょっと膨れている。
圭介は慌てて平謝り。
「ごめん、ごめん!湖でちょっと長引いちゃって……」
その横で、明宏は黙ったまま俯いている。
釣れなかったショックで心のHPがゼロなのだ。
そんな弟をチラ見した愛生、
「……あぁ、またこれか」
と、もはや完全に慣れっこ顔。
(はいはい、また『釣れない病』ね)と心の中でチェックマークを入れる。
一方で、優しい穂乃花はしゃがみこんで目線を合わせる。
「明ちゃん、泣いてるの?どうしたの?かわいそう……」
と、まるで天使のような声。
その瞬間、明宏の心はぐらぐら。
(うぅ……穂乃花先輩に慰められたい……でも、ここで甘えたら……)
視線の先、里香がクスクス笑っている。
「どうせ釣れなくて悔しいんでしょ、単純なんだから〜」
と、完全にイジるモードに入っている。
(うわぁ〜!絶対笑われる!でも甘えたい!でも笑われる!)
明宏の心の中で、天使と悪魔が激しい取っ組み合いを始める。
天使: 「泣いちゃえ、泣いちゃえ、穂乃花先輩が優しく抱きしめてくれるよ」
悪魔: 「やめとけ!里香に一生ネタにされるぞ!」
結果、明宏はギリギリ泣かずにプイッと顔をそむける。
その顔は、なんとも言えずかわいかった。
朝ごはんタイム。
気持ちを切り替えた部員たちは、野外炊事場に集合!
愛生が胸を張って宣言する。
「さぁ〜、お待ちかねの朝ごはんタイムですよー!」
……が、実際の朝食担当は穂乃花。
愛生は何故かMC役として得意満面だ。
「では〜、今朝のメニュー発表〜!
本日のシェフ、穂乃花ちゃ〜ん!」
と、リュックから取り出した菜箸をマイク代わりに穂乃花の口元へ。
「ちょ、ちょっと愛生ちゃんっ!恥ずかしいから〜!」
と顔を真っ赤にする穂乃花。
「え〜、今朝は……」
と、モジモジしながらおっとりと説明を始める。
「カ、カートンドッグを……つくりまーす……」
その声は、完全にお料理番組の新人アシスタント。
見ている部員たちが、ニヤニヤと生暖かい笑みを浮かべる中……
明宏はひとりガチモード。
(穂乃花先輩、か、かわいい……!)
と、目をキラキラさせて食い入るように見つめる。
そして、突然立ち上がって大声援。
「がんばれー!穂乃花せんぱーい!!」
その場が一瞬シーンとなった後、
「……いや、応援いる?これ?」
と里香が冷静に突っ込み、全員大爆笑。
穂乃花はますます恥ずかしくなって、顔がりんごみたいに真っ赤になった。
穂乃花の料理説明が始まった。
顔をほんのり赤くしながら、真剣そのものの表情。
「え〜っと……まずは、コッペパンに切り込みを入れて……」
と、慎重に手元のパンを切るデモンストレーション。
「カットキャベツと、チーズと、ウインナーを……こうやって挟んでください……」
と、おっとりとした口調で丁寧に説明。
部員たちはうんうんと頷いて聞いているが、愛生だけは横でドヤ顔。
「はい注目〜!今のがポイントでーす!」と、まるで料理番組のADのように叫ぶ。
穂乃花は気を取り直して続ける。
「つ、次に……これをアルミホイルで包みます……」
カシャカシャと丁寧にパンを包みながら、真剣に言葉を選んでいる。
「そして……みんな、空の牛乳パック持ってきたよね?」
「はーい!」と元気に手をあげる愛生と明宏。
「わたし、三角パック持ってきちゃった〜」と、のんびりボケをかます穂乃花……かと思いきや、
「……なーんて言ったら怒るよね」
と、ちょっと笑う穂乃花に部員たちもクスッと笑う。
「で、その牛乳パックにアルミホイルで包んだパンを入れて……ライターで火をつけます!」
「牛乳パックごと燃やすの!?」
圭介と明宏、同時に驚きの声。
「そうなんです、牛乳パックは完全燃焼するので、中のパンがこんがり焼けるんですよ〜」
と、ちょっとだけ、得意な顔になった穂乃花。
先ずは明宏の牛乳パックに点火する穂乃花
明宏はキラキラした目でトングを握りしめ、燃え上がる牛乳パックを持ち上げた。
「こうやって、横から縦にすれば……火の回りが早くなるんだよ!」
得意げに解説しながら、ドヤ顔で牛乳パックを立てる。
ゴォォォーーーッ!
想定外の炎が一気に立ち昇り、まるでキャンプファイヤーのミニチュア版。
「わぁあああっ!」
「きゃああああ!」
愛生と穂乃花はビクッと飛び退き、圭介も驚いてしまう程の火力だ、
しかし当の明宏は……
「ふっ……これが俺の火力コントロール……」
と、勝ち誇ったようにニヤリ。
その横で里香が腕を組み、冷ややかに一言。
「……やっぱり明宏はアホだわ。」
目は完全に“呆れ8割、面白がり2割”である。
燃え尽きた牛乳パックを前に、明宏は満足そうに鼻を鳴らした。
「どう?穂乃花先輩、カッコよかったでしょ?」
「わ、わぁ……すごい……迫力……」
と、ちょっと引き気味に拍手する穂乃花。
その場の空気がほんのり微妙になったところで、里香は心の中でクスクス笑う。
(あーあ、一気に燃えたら外は真っ黒で中は冷たいままだよ……)
そして見事に黒焦げになったコッペパンが取り出され、明宏は固まった。
「……中、冷たいじゃん。」
「だから言ったでしょ。」
冷静な里香のツッコミが、明宏の心に容赦なく刺さった。
明宏のコッペパンが炭化したその瞬間──
全員、無言。
……しばし沈黙。
「……えっと……」
と、寺ノ沢先生が苦笑い。
「よし、みんな。明宏くんの犠牲を無駄にしないようにしよう。」
と、変に真剣な声で提案。
すると部員たちは一斉にトングを握り、
牛乳パックを慎重に、まるで理科の実験のように傾け始めた。
「ちょっと横!」
「今度はナナメ〜!」
「火、強くなってきたよ、ストップ!」
まるでキャンプ場が一瞬で「火加減研究会」に。
里香はリーダーらしく腕を組み、火の回りを監督する。
「……うん、いいペース。このままゆっくりね。」
一方で、明宏は少し離れたところで、自分の黒焦げパンを見つめていた。
(俺のパン……ただの炭……)
圭介が慰めるように肩を叩く。
「次は、落ち着いてやろうな。」
「……うん。」
その後、バーナーでお湯を沸かして粉末コーンスープを作ると、
いい匂いが漂ってきて一同のテンションは一気に回復!
「わぁ〜、カフェの匂い〜!」
「スープがあるだけで、急に豪華だね!」
湯気の立つカートンドッグと、あったかいコーンスープ。
簡単だけど、最高の朝食が完成したのだった。
明宏も、半泣き顔のままスープをひと口。
「……うん、美味しい。」
すると里香が横からぼそっと一言。
「スープは焦げないから良かったね。」
明宏、グサッときた。
カートンドッグとコーンスープが並んだテーブル。
見た目はちょっと不格好、でも──
「いただきま〜す!」
ガブリ!
「……あ、外カリカリ!中あつあつ〜!」と愛生が大喜び。
穂乃花は両手でスープを包みながら「ん〜……幸せ……」とゆっくり味わう。
明宏は(さっきの失敗は忘れよう……)と心の中でリセットボタンを押し、黙々と食べる。
里香は何気なく青空を見上げ、「……こういうの、悪くないわね」とちょっと満足げ。
圭介も湖から吹く涼しい風を感じながら、
(妹や弟と一緒にこんな朝食、最高じゃん……)と密かに感動していた。
みんなの顔に自然と笑顔が広がっていく。
まるで宣伝ポスターのような「青春キャンプ部!」の一枚。
すると寺ノ沢先生が、コーンスープを啜りながら言った。
「さて、みなさん──
10月の文化祭ですが、我々《野外活動鱒釣り部》も何か出し物をしませんか?」
ピタッ……と手が止まる。
一瞬の沈黙のあと──
「え、出し物って何するの?」
「釣った魚展示?」
「いやいや、魚は食べるでしょ!」
と、いきなり盛り上がるテーブル。
先生は笑顔で続ける。
「2学期が始まったら話し合いましょう。
みなさん、それぞれ考えておいてくださいね。」
「はーい!」
「うん、考える!」
部員全員、コーンスープを掲げるようにして元気に返事。
なんだか「文化祭の成功祈願」で乾杯してるみたいになってしまった。
先生もクスッと笑い、
「いいですね、やる気満々じゃないですか。」
青空の下、みんなの笑顔とスープの湯気がきらめいていた──。




