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うちの愛生ちゃん  作者: 横溝 啓介
1年1学期
32/80

芦ノ湖デビュー ➀

読んで下さる皆様、心より感謝致します。


ゆっくりと物語を進めますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。

愛生と明宏と 「芦ノ湖に行こう」 と約束してから、圭介の胸の奥にはずっと小さな不安があった。

――自分は、ネイティブトラウトを釣ったことがない。


その一方で、明宏はすっかりやる気満々だ。

スマホで芦ノ湖の釣り動画を毎日のように見ては、 「俺もこうやって釣るんだ」 と目を輝かせている。


ただ、圭介が気になったのは、その動画のほとんどが春の映像だったことだ。

もちろん明宏も 「これは春の動画だ」 ということは理解している。

だが、管理釣り場のように一年を通して同じような釣り方が通用する“エリアフィッシング”と違い、

自然湖では水温や季節によって魚の行動が大きく変わる。


――夏の芦ノ湖では、本当に釣れるのか?

圭介も明宏も、まだその現実を理解してはいなかった。


その夜、圭介は一人、自室でタブレットと睨めっこしていた。

画面には 「芦ノ湖 夏 トラウト」「ネイティブトラウト 釣り方」 といった検索結果がずらりと並ぶ。


――もし釣れなかったら、明宏はきっと落ち込むだろうな……。

圭介は眉をひそめ、タブレットを置いて深いため息をついた。


そのとき、そっとドアが開き、お気に入りのピンク羊さんを抱っこした愛生が顔をのぞかせた。


「お兄ちゃん、まだ起きてるの?」


圭介は少し驚きつつ、


「芦ノ湖のこと調べてただけ」 と答える。


愛生は圭介の隣にちょこんと座り 「箱根、初めてだから楽しみだよ」 と笑う


しかし圭介の心は完全には晴れない。


「とても難しい釣りになりそうなんだよ」


圭介の調べでは、夏の芦ノ湖は水温が高く、虹鱒は深場を回遊すると解説されていた。

――つまり、岸からルアーを投げても回遊ポイントまでは届かない……。


圭介はタブレットの画面をスクロールしながら、

「愛生、やっぱり芦ノ湖で釣るならボートに乗るしかないみたいだ」 と説明する。


「えっ、ボート?」


愛生は目を丸くしたが、すぐに楽しそうに笑った。


「いいじゃん!ボート釣り、楽しそう!」


不安ばかりの芦ノ湖だが、

愛生の笑顔のおかげで少しだけ前向きな気持ちになれたのだった。


日曜日の早朝。

車は東名高速から小田原厚木道路を抜け、箱根新道を一気に駆け上がる。

まだ薄暗い山道を登りきり、芦ノ湖大観ICを降りると――


「わぁ……!」


目の前に広がる湖面に、明宏の目が輝く。

夜明け前の空を映した湖面は、まるで鏡のように静かで神秘的だった。


「ついに来たな……!」


圭介も胸が高鳴る。


午前4時半頃、3人は箱根湾に到着。

湖畔には数件のレンタルボート店が並び、その前にはすでに10〜20人ほどの釣り人たちが行列を作っていた。

冷たい朝の空気の中、みんな無言でボートの準備を待っている。


「うわ、もうこんなに並んでるのか!」


明宏は驚きつつも、ワクワクが抑えきれない様子で湖を見つめ続けていた。


「今日は何匹釣れるかなぁ……30匹くらいは釣りたいな!」


湖面を見つめながら、明宏がわくわく声を上げる。


「そうだね! 一人30匹ずつくらい釣ったら……3人で100匹だよ!」


愛生は指を折って計算し、にこにこしながら言う。


「そ、そうだな……100匹釣れるといいな……」

圭介は苦笑いしつつも、(いやいや、そんなに釣れるわけないだろ……)と心の中でツッコミを入れる。


期待に胸をふくらませる弟と妹を横目に、現実的な兄の内心はひっそりと冷静だった。


圭介たちは 「くろざわボート」 を利用することにした。

くろざわボートは湖畔の小さな老舗で、笑顔のおばちゃんが受付を担当し、陽気なおじさんが慣れた手つきでお客さんのボートを曳航してポイントまで案内していた。


常連らしきエンジン船の客たちは、次々と自分で操船して出船していく。

のんびり到着した圭介たちの出船はどうやら最後になりそうだった。


「……よし、自分たちで漕いで行こう!」


ポイントまでの曳航を待たず、圭介は自ら出船する決意をする。


船首に明宏、船尾には愛生、そして真ん中には圭介――つまり漕ぎ手、実質エンジンである。

前回の湯ノ湖で乗った2人用ボートよりも、3人乗りのオールは明らかに重い。


「こ、これは……腕がちぎれるかも……」


漕ぎ始めてすぐ、圭介は自分の体力の限界を悟った。


「よーし、出港だー!」


「湖の冒険スタートだね!」


明宏と愛生はテンション高め、出港と同時にワイワイはしゃぎ出す。


一方、圭介はせっせとオールを漕ぎ続ける。

三人乗りのオールは重く、数回漕いだだけで腕がパンパンになってくる。


「そういえばね、前に湯ノ湖でボート漕いだ時ね……」


愛生が笑いながら切り出す。


「一生懸命漕いでたのに、小鴨さんにスーッて抜かされちゃったの!」


「マジかよ、それ絶対見たかった!」


明宏は想像して大笑い。


「圭ちゃん、めっちゃ必死な顔してたんじゃない?」


「……まあ、必死だったのは確かだな……」


圭介は苦笑しつつも、腕にどんどん力が入る。

(頼む、今日は小鴨に抜かれませんように……)

そんな祈りを心でつぶやく圭介だった。


と、その時だった。

圭介たちの後方から、スーッと白い物体が迫っていた。


「わっ!」


愛生が後ろを振り向き、指をさす。


「あっ、アヒルさんだぁ〜 かわい~い!」


「えっ……あれって……」


圭介は一瞬顔をひきつらせる。

(まさか……ススボートで餌付けしてるあのアヒルか?)

嫌な予感しかしない。


「本当だ〜、白い鴨が後ろにいる!」


船首の明宏も気づいて大はしゃぎ。


(いやいや、白い鴨って……それ、アヒルしかいないだろ……)

心の中でツッコむのが精一杯な圭介。


次の瞬間、アヒルはお尻をプリプリと振りながら、鮮やかに圭介たちのボートを追い抜いていった。


「うわぁ〜、速い!」


「めっちゃ余裕そうだな、あいつ!」


明宏と愛生が笑い転げる横で、

(またか……またアヒルに抜かされた……)

と圭介は天を仰いだ。


どうやら今回もアヒルは、ただ普通に移動していただけらしい。


さあ、出港して少し沖に出たところで、いよいよ釣り開始だ。


3人は同時にキャスト。

明宏は気合い十分、5グラムのネイティブスプーンを遠投する。

圭介と愛生も、それぞれ5グラムのスプーンを投げ込んだ。


投げては巻く、投げては巻く。

しかし、ルアーは無言で、何事もなかったかのように戻ってくるだけだった。


「……やっぱりな」


圭介は眉をひそめる。

狭い釣り堀で放流された虹鱒を相手にするのとはわけが違う。

ここは広大な湖、魚たちは自由気ままに回遊している。

そんな相手を仕留めるのは、並大抵のことではない――。


愛生もすぐに気づいた。

目の前に広がる湖はあまりにも広大すぎる。

ルアーを投げていても、まるで魚がいる気がしない。


しかし、愛生の心は沈まなかった。

朝靄に包まれた芦ノ湖は、幻想的なほど美しかったからだ。

静かな水面、霧の向こうに見える山々。

その風景に魅了された愛生は、いつの間にか釣果のことなどどうでもよくなり、ただこの時間を楽しもうと思うのだった。


しかし、明宏だけは違っていた。

管理釣り場で安定した釣果を出せる腕前になったことで、すっかり自信過剰になっていたのだ。


「湖で釣れない? そんなはずない!」 と心の中で叫びつつ、ひたすらキャストを続けていた。


――そして、気づけば釣り開始から5時間。

もちろんアタリすらない。


「よし、一旦休憩しよう」


圭介が言うと、3人は休憩のため、くろざわボートに戻ることにした。


エッホ、エッホ――

圭介はひたすらオールを漕ぐ。


「はぁ〜、ここ魚いないじゃん……」


明宏がついに愚痴をこぼす。


「う〜ん、今日は日曜日だから、お魚さんもお休みなんじゃないかなぁ〜」


愛生は相変わらずマイペース。


「湯ノ湖だとあんなに釣れたのに……芦ノ湖って全然釣れないじゃん!」


明宏がますます不貞腐れていく。


「だ、大丈夫だよ。きっと釣れるから!」


愛生は慌てて弟を励ます。


そんな2人の会話を聞く余裕など圭介にはなく、ひたすら黙々とボートを漕ぎ続ける。


ようやく,くろざわボートに到着すると、ちょうどエンジン船の1隻が休憩に戻ってきたところだった。


すっかりやる気を失っていた明宏だったが、休憩中のエンジン船を見た瞬間、目の色が変わった。


その船の生簀には、40センチ後半はありそうな巨大な虹鱒が悠々と泳いでいたのだ。

管理釣り場では見たことのない、流線型で筋肉質な魚体。

光を受けて銀色に輝くその姿は、まるで湖の王者のようだった。


「えっ……この虹鱒、カッコいい……! 虹鱒なのに虹色じゃなくて、銀色じゃないか!」


明宏は思わず声を上げた。


「すごい……ホントにこんなの釣れるんだ……」


愛生も目を丸くする。


圭介も同じく息をのんだ。


ちょうどそこへ、エンジン船の釣り人が戻ってきたので、圭介は思い切って声をかけてみた。


「すみません、どうやったらこんな魚が釣れるんですか?」


釣り人はにこやかに答えてくれた。


「まず船舶免許を取って、エンジン船を借ります。魚群探知機を使い魚の動きを見ながら、湧き水のある場所や地形の変化を把握して……あとは季節ごとのタナ(水深)に合わせるんですよ」


説明は簡単だったが、内容は深い。


愛生と明宏は、船舶免許とか魚群探知機とか、聞き慣れない単語にただポカーンとしてしまった。

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