釣り具店に行く
読んで下さる方がいらっしゃるのが大変嬉しく心から感謝致します。
土曜日の午後。
圭介は「明日の釣り竿とリール、ルアーを買いに行くけど、一緒に行くか?」と愛生を誘った。
すると、誘ってもいないのに、当然のように明宏が玄関に現れる。
「俺も行くから。どうせ明日の釣りは俺が指南役だし」
車に乗り込むと、圭介は運転しながら愛生に釣りの基礎を説明し始めた。
「ざっくり言うと、トラウトフィッシング(鱒釣り)はエリアトラウトとネイティブトラウトの二種類
に分けられるんだ」
「エリアトラウトって?」と愛生が首を傾げる。
「管理釣り場の鱒釣りのことだな。人が管理してて、養殖された魚を放流してる。疑似餌と
かルアーで釣るスタイル」
「ネイティブトラウトは自然の川や湖、海での鱒や鮭釣りだ。放流された魚もいるけど、
自然繁殖もしてる」
「じゃあ、明ちゃんが釣ってきたドナルドソンは養殖魚だったんだね」
愛生の指摘に、明宏がむっとする。
「たまたま前回はエリアトラウトだっただけで、本気出せば野生の虹鱒だって楽勝だぜ」
「ネイティブフィールドで虹鱒釣ったことないくせに」と、圭介が呆れ気味に言うと、
「うるさいな、結果がすべてなんだよ」と明宏はふてくされた。
そんなやり取りをしているうちに、車は釣具店の駐車場に到着した。
店内に入ると、圭介は初心者向けで手頃な価格のエリアルアーロッドを手に取り、
「これなら軽くて扱いやすいし、入門には十分だ」と愛生に差し出す。
だが愛生は一瞥して首を横に振る。
「かわいくない。釣り竿って、もっとピンクとか無いの?」
店内を歩き回った末、愛生はやや高価なピンクのエリアルアーロッドを見つけ、
「これがいい!かわいいから絶対これ!」と目を輝かせる。
圭介は値札を見て眉をひそめるが、押しの強い愛生に根負けし、
「……わかったよ。釣れるかどうかは可愛さ関係ないんだけどな」と渋々購入を承諾した。
リール売り場に移動すると、圭介が真剣な表情で説明を始める。
「リールは基本的に1000番のローギアを使う。初心者にはナイロンラインの3ポンド、
0.8号あたりが使いやすいと思うぞ」
「へぇ〜」と愛生は相槌を打ちながら棚を眺めるが、パステルカラーの可愛いリールは
一つも見つからない。
「……なんか普通のしかない」
結局、無難なシルバーのリールを選ぶしかなかった。
続いてルアーコーナーへ。
棚には赤、白、黄色、ピンクといったカラフルなスプーンが並び、とりわけ愛生の目はラメ入りのスプーンに釘付けになる。
「これ可愛い!こっちも!」と、パステル系ばかりを手に取る。
圭介が「黒とか茶色の地味な色も必要なんだよ。状況によってはそっちのほうが釣れる」と説明しても、
「地味なのはお兄ちゃんから借りるから要らない」と一蹴。
さらに奥で、バッタや金魚、アザラシを模した奇抜なクランクベイトを見つけ、
「きゃー、可愛い!」と買い物カゴへ次々放り込む。
圭介は半信半疑でそれらを手に取り、「……こんなんで釣れるのか?」と眉をひそめる。
「やめといたら?」と提案しても、「可愛いから買う!」と譲らない。
結局、またしても圭介が根負けした。
その頃、明宏はネイティブトラウトコーナーで目を輝かせていた。
そこはエリアトラウトのカラフルな世界とは一転、魚の鱗の一枚一枚まで精密に描かれたリアル志向のルアーが並ぶ。
ガラスケースの中には、職人が作ったバルサミノーやウッドミノーが並び、もはや芸術品。値段も芸術的だった。
圭介はそんな明宏を横目で見ながら、
(自然湖にも連れて行ってやりたいが……あそこは管理釣り場みたいにイージーには釣れない。
1匹も釣れないのは普通にあるからな。中学生にはちょっと厳しいか)
と、あえて声をかけなかった。
やがて、愛生の“可愛い釣りセット”が揃い、レジへ向かう。
ふと買い物カゴを見ると、見覚えのないネイティブルアーのスプーンが入っている。
「……こんなの選んでないぞ」
犯人は明宏。圭介が気付かないうちにこっそり入れたらしい。
自然湖へ行きたい、という強烈なアピールがそこには込められていた。
圭介は小さくため息をつき、「……仕方ない、買ってやるか」と呟くのだった。
釣具屋の帰り道、
「ねぇ〜お腹すいたぁ。ちょっとだけオヤツ食べて行こ?」
と、愛生が圭介の腕にくっつき、子猫みたいに首をかしげて甘えてくる。
仕方なく、愛生の好きなハワイアンファミレスへ寄ることに。
圭介はアイスクリームとドリンクバー、
明宏は控えめに小さなパンケーキとドリンクバー。
しかし愛生は――
パンケーキ3枚の上に、これでもかと盛られたフルーツ、チョコソース、そして山のようなホイップクリーム。もちろんドリンクバー付き。
「わぁ〜可愛い〜♡」
と、自分のパンケーキを前に目を輝かせ、フォークを手に取る愛生。
「……なんで太らないんだろうか」圭介は半ば呆れ顔。
「いや、これ…見てるだけで胃がもたれそうなんだけど…」明宏は少し引き気味。
「愛生ちゃん、これ食べたら夕飯食べれなくなっちゃうよ」圭介が忠告するも、
「ぜ〜んぜん平気だよ♪」と無邪気に笑って言い訳。
――こりゃ帰ったら、“妹を甘やかしすぎ”って母さんに怒られるな…
圭介は苦笑いする。
けれど、ホイップクリームを頬につけてまで幸せそうにほおばる姿を見ていると、
(まあ…怒られてもいいか)
と、心のどこかで思ってしまうのだった。
そして帰宅後――
玄関に入るや否や母の雷が落ちた。
「アンタ!また愛生に甘いもん食べさせたでしょ!」
「えっ…いや、ちょっとだけ…」
「ちょっとであの顔か!?(愛生は満腹でご機嫌) もう、甘やかし過ぎ!」
圭介は肩をすくめ、
「でもあんなに美味しそうに食べるんだもん…」と小声でつぶやくと、
「聞こえてる!言い訳禁止!」と即ツッコミ。
明宏はそのやりとりを見て吹き出してしまった。
母の雷が落ちたあと、愛生はリビングのソファーにごろりと転がり、
「ふ〜…しあわせ…」と猫のようにゴロゴロとお腹をさすりながら、目は半分とろけている。
「まったく…」母はその様子に呆れ半分、ため息半分。
けれど同時に、日曜の釣りに備えて釣具を選び、甘やかしつつも妹や明宏の面倒を見てくれる圭介の姿が、少し誇らしくもあった。
「圭ちゃん、ありがとね」
「え?褒めてる?それともまだ怒ってる?」圭介は首を傾げる。
母は「両方よ!」と笑って、台所へ戻っていった。
明宏は横でクスクス笑い、愛生は「お兄ちゃん大好き〜」とソファから手を伸ばす。
その言葉を聞いた瞬間、圭介の胸の奥で何かがきゅっと締めつけられた。
理由もなく、息が少しだけ詰まるような感覚。
「……え?」
自分でも何が起きたのか分からず、圭介は戸惑う。
胸の奥が熱く、ざわざわして、何故か少し切なくて悲しいけど、どう表現すればいいのか分からない。
愛生はそんな兄の表情に気づかず、にこにこ笑って手を握ってくる。
圭介は困惑したまま、その小さな手を握り返した。
夕食を終えると、圭介と明宏はさっそく翌日の釣りの準備に取りかかった。
テーブルの上にはリールやルアーが並び、圭介は新しい釣り糸を手に取る。
明宏はルアーのフックをシャープナーで丁寧に研ぎながら、
「明日は絶対デカいの釣るぞ」と気合十分だ。
その様子を見ていた愛生が、ぱっと手を挙げて
「愛生ちゃんも手伝う!」と元気よく立候補する。
圭介は笑って、釣り糸を持ちながら
「じゃあ、このリールに糸を巻いてくれる?」とお願いした。
愛生は真剣な表情でリールのハンドルをくるくる回し、圭介は糸のテンションを一定に保ちながらサポートする。
横で明宏は「明日、魚の釣り方教えてやるからな!」と張り切って声をかけ、
愛生はにこにこ笑顔で「うん!」とうなずいた。
妹と弟が楽しそうにやりとりする姿を見て、圭介の胸の中にじんわりと温かいものが広がった。
—この瞬間だけで、明日の釣りはもう半分成功しているような気がした。